危うい心霊研究
2006年06月07日
「偉大な発見は、必ず当時の学界の反対を受けた。いずれ、霊魂の存在を科学が認知する時が来る。」と、信じる心霊擁護論者は多い。だが、果たしてそんな時が来たらどうなるのか?
心霊擁護論者は、それ見たことかと否定論者を嘲笑し、霊媒は有益な特殊能力者として社会的認知を受ける……だろうか?
現代科学が霊魂……死後の個性存続を認知しない最大要因は、霊魂に対する、客観的、科学的観測手段が無いためである。…… 少なくとも充分に実用的、かつ検証可能な手段はかつて存在していない。
が、もしもここに科学的観測手段が発見されたとしよう。それは当然、死者との通信機としても使用が可能だ。
(意志の交流無くして個性存続の確認手段がない)
となると、霊媒の存在意義は一体どうなるだろう? 今までは、霊媒の主観的な内容を収集、取捨選択して、「どうやらこの辺は間違いなさそうだ」というレベルで知識を積み重ねてきたのである。
ところが客観的で直接的な通信手段が開発されたら、電話が伝書鳩を駆逐したように、霊界通信機が霊媒を駆逐するだろう。または、電話交換機の普及で、電話交換手が、惜しまれつつも無くなっていったように……
私は嘘を教えているつもりはないが、主観に支配されがちな事柄を、私の理解の及ぶ限り努力して、心霊について説明している。…… その説明事項の中には、意図せぬ間違いもあるだろうし、説明不能な事柄を比喩を用いて説明していることもあるだろう。そして、比喩は比喩であって事実とは異なるものだ。
いずれ科学が霊魂の存続を認知したとき、心霊研究家や霊媒等が主張した根幹であるところの「死後も個性は存続する」は、世界中が受け入れざるを得ないだろうが、その他の細々とした理論や解説などは、大半が陳腐化し、大半がおとぎ話や寓話と認知され、同時に沢山の迷信が暴かれて、
「なんだ、理解してそう主張していたのではなく、死後を信じたいから霊魂を信じていただけだったのか。すると心霊研究なんて、宗教と何ら変わりなかったのだな」……などと揶揄されることになるだろう。
それが見えているから、私は心霊研究に熱中できない。だが、霊感を持つという業《カルマ》が心霊研究を止めさせてくれない。