要約
・ 「心霊主義(スピリチュアリズム)」
人は死んでも(肉体の死)、意識は生き続ける・・・という思想です。
死によって人生が終わらぬなら、卑怯なことや悪いことをどう償うか?
今すぐ答えを出せなくても、「永遠の中の今」ということを心の隅において、生きられると良いですね。
・ 精神統一の意義
人生の中で、たびたび、いろいろと考えます。・・・考えても答えが出なえらければどうするか?
・・・他に尋ねるというのも一つの解決策です。でも、人の言うことをちゃんと聞いていますか?
人は往々、不都合な事柄から目をそらし、不都合な言葉には耳を塞ぎます。
もしもあなたが目をそらし、耳を塞いで答えが得られずにいるなら、どんな知恵者に尋ねたところで解答にたどり着けません。
他の言葉に耳を貸す、その訓練をいたしましょう。
・ 頭の使い方(精神統一2)
ある方に「あなたは頭の使いすぎです。」と伝えたら、 「私なんて、お馬鹿さんだから頭なんて使っていません。」との返事・・・。 答えが出ないから頭を使っていない、と考えているようです。
考えても答えが出ないなら、それ以上考えても無駄です。体力的な無駄仕事を嫌う人は多いのに、無駄な考えを止めない人も多いもの。
ひらめき、が必要な人が、延々と頭を使い続けて、果たしてひらめくものでしょうか? 私の見るところ大抵の場合、考え疲れた時にようやくインスピレーションが与えられるようです。 努力を止めなければ得られぬ答に、疲れ果ててようやく得るのでは身体に悪いとは思いませんか?
心霊家は、答が得られるように祈り、後は気持ちを切り替えて、ひらめくのを待つ。
延々と考えるのは往々、物事に執着していて、発想の転換を嫌う場合もありますが・・・
考えすぎて、身動きできない人は多いものです。私たちは、行き詰ったときには、解決を天に任せる習慣を持ちましょう。・・・それは宗教に似た心境でありますが、解決を天に任せぬ(寄付や不況の手伝いなどの代価を必要とする)宗教が決して少なくないことに留意してください。
・ 信仰心 (特定の宗教への依存ではなく)
今すぐ答えが出ないものは、延々と考えるのではなく、預ける。・・・思考を預ける、というのはイメージしにくいので、私は、天に預ける、神に預ける、仏に預ける、などと宗教的な表現を使いますが、これはつまり、宗教が単なる迷信ではなくして、心の健康法の一種であると考えるべきでしょう。
・・・もしも、心の健康法って、あるなぁ、と思うなら、さらにその先を考えて見ましょう。
- 宗教って悪いものではない。
- あらゆることと同様、宗教にも悪用する人がいる。
どうぞ、見る目を養ってください。
・ 自分の気持ちを整理する
命というのは力、若さというのは強い力(これまた一種の比喩)・・・というのは、端的にいえば制御が難しく、頭を押さえ込もうとすると反発するものです。
若さが強い力であるなら、押さえ込もうとするより、むしろ、害の無い方向に向かわせるほうが、双方にとって無理がありません。これは昔から言われていることですが、・・・でも、ダメ! といいがちです。
また、自分の力を持て余している人も、少なくありません。・・・行動力と羞恥心の板ばさみで苦しんでいる人も多いものです。
たとえ、その行動が不適切なものであろうと、その動機、もしくは、その行動力を肯定しましょう。・・・否定はすなわち反発を生じるからです。
いわゆる若者を含め、多くの人は、自分の力を扱いかねているものです。たとえば、「上手く行かなければ、もっとがんばる!」・・・往々、努力よりも工夫が必要なものなのに。または、難しければ、スピードを落として、ゆっくり、丁寧にすればよさそうなものを、がむしゃらに押し切ろうとして自爆する人も少なくありません。自分の人生、もっと丁寧に生きましょう。
・ それは悩むべきことか?
食べ過ぎると、「腹減らし」等といって、身体を動かしたりします。それは消化を助ける働きもありますが、人間の思惑としてはカロリーの消費でしょう。
ものには限度・・・容量を超えればあふれてしまうのは自明の理です。
そして、身体は使わないと鈍るもの。つまり、健康であるためには運動も大切・・・といって、動かしすぎも故障の原因です。
さて、身体は使わないと鈍る・・・ならば、脳はどうでしょうか? そう、脳も身体の一部で、使わないと鈍るものです。・・・考えすぎる人、というのは、果たして、考える必要があるのか、それとも脳を働かせる人であるのか、どちらでしょう? 自覚することは大切です。
脳の運動も大切ですが、目的意識を持たなければなりません。
たとえば、答えが出ない問題に取り組んだらどうなるでしょう?
成果が得られないことから、運動が面白くなく、結果、つまらない考えに流れたりしませんか?
もしくは、働かせすぎて体調を落としたり・・・
・ 悩むなら
私は3秒考えて答えが出なければ(少なくとも糸口が掴めないなら)、考えるのを止めます。ましてや、考えてもどうにもならない事柄や、成るようにしか成らないことは考えても仕方がありません。
むしろ、悩むことを止めることで、数多く、インスピレーションを得ています。
当然、頭を使うためにだけ、悩むことはしません。頭の体操には、もっと楽しいことをあてるべきですから。
・ 行き違い
悩む人、というのは往々、悩み多い人でもあります。それぞれの問題にも、無論、答えが必要ですが、それらの問題は、往々、順番ミスから生じることが多いようです。
たとえば現実逃避、面倒ごとを避けながらも、がんばっているように見せようとして、余計なことに手を出したりして・・・我が侭やよそ見なども人生に影を投げかけます。
または・・・誰かを恨んでいるうちに、躓き転んだ・・・等というのも決して少ない話ではありません。もしくは、本末転倒の努力など・・・
すると、「いまさら言われても・・・」という、事も多々ある、ということです。
・ 反省
反省というの、省く(もっとうまくやるために)ために返り見ることを指すそうです。
実際、あなたではどうにもならない事柄なら、あなたが反省しても時間の無駄です。
まして、反省すべきことを反省せず、いまさらどうにも成らないことばかりを悔いていては、自分の未来を食いつぶすだけです。
反省していますか? 過去に執着していませんか?・・・これまた、順番違いの一例です。
とはいえ、悩むことが止められない・・・なら?
そういう執着は、病的と受け止めたほうが良いでしょう。つまり、悩むのをあえて止めようとするより、むしろ、別なことに取り組む方が解決につながりやすいもの。
たとえば、心を静めるのに、深呼吸を行うのは誰にも経験があるはず。そう、心は心で抑えるのは難しいものですが、案外、息で静めることも高めることも出来るものです。
また・・・肩こりなどの解消にしても、揉んで緩めるより、肩に力をいれ(力んで)、ぱっと力を緩める、と、ほぐすやり方もあります。
・ 自分が一番たくさん嘘を吐く相手は誰?
正直者を自認する人でさえ、多々嘘を吐く相手がいるものです。
その相手とは・・・
一番大切、人生に不可欠な存在であるのにも関わらず・・・でも、一番大切な存在に嘘を吐くというのは、果たして人生に有益なことでしょうか?
・・・人はあたりまえの様に、自分の人生に不都合なことをしている、ということです。でも、「大切な相手に嘘を吐く」ことだけが、人生の不都合でしょうか?
・ 自分を大切に
自分を大切に生きましょう。大切にしているようでいて、人はどこかしら無茶をしています。 または、甘やかせることで時間切れに己を追いやります。
・ お墓なんて二の次
「自分の生活が最優先」と、短絡的に考えないで下さい。まず、正しく生きる、少なくとも支えなくしては崩壊しない程度には正しく生きることが大切なのです。
支えも大切ですが、支えなくして生きられないようでは、生きているうちに入りません。
お墓も大切、でも、お墓は人生の杖にすべきではありません。
・ 祟りか?
不幸続きに祟りを心配される人もいます。ですが、私はその様な人々が一方しか見ていないと感じます。
- 自分の周囲には、悪意ある存在だけなのか?
- 善意ある存在を見落としていないか?
仮に、本当に悪意ある存在に祟られているのだとしても、それを一人で争ってどうなりましょうか?
大切なのは、善意ある存在と力をあわせて立ち向かうことです。 ・・・ひとりで生きているつもりでいるから祟を恐れるのです。もしも、神仏・祖先・守護霊らと共に生きているつもりがあれば、恐れるべきは祟より、協力関係が上手くいかないことなのです。
・・・自分たちの力が発揮出来ていない。ではどうするか、背後(神仏・祖先・守護霊など、呼び方はあなた次第で)と気持ちを合わせるためにも、声を出してリズムを合わせることが大切でしょう。すなわち・・・
つらい時ほど祈りが大切なのです。
または、自分が失敗したときにも、善意ある存在と力をあわせて償うことが大切でしょう。
悔やんだり、憎んだりするよりも、愛念を持ってことにあたるのが大切です。・・・もしもその真意を相手に隠さなければ成らないとしても。
愛念でお詫び申し上げます・・・などというのは大抵の人は気味悪がるかもしれませんから。
2009年11月28日、大阪にて。
老神いさお。