迷信深い人々が黒猫を嫌うのは、猫に罪があるわけではなく、「黒猫が災難の予兆」と信じられているからだ。
果たして、黒猫は災難を運ぶか否か……それを科学的に証明することは難しいが、人が災難を嫌うことは科学を持ち出すまでもない。また、「災難の予兆」すら嫌われることを考えると、みだりに「災難の訪れ」を口にする人も嫌われることは容易に想像が付く。
……だから、まともな人は、証拠もなしに災難を予告しない。
……当然、まともな霊媒も、みだりに災難を予告しない。
みだりに災難を予告すれば気味悪がられ、予告が外れたら不快な気分を振りまく奴として憎まれるからだ。
黒猫が災難を口にするわけではない。迷信深い人々が勝手にそう決めつけただけだ。黒猫であるか否かは、努力で選べることではないのだから、猫にとってはなんとも災難なことである。……ところで、災難を口にするのは人間の勝手、つまりは努力で防げることだ。と。すると、災厄を触れ回る人が嫌われることは……黒猫が被る災難よりも愚かしそうな気がする。
黒い猫を好む人もいる。まあ、その大部分は猫なら何でも可愛くてたまらぬのだろうけれど、柄のある猫よりも無地の猫の方が、顔立ちで勝負しやすい物だ。が……黒猫を可愛いと思う人も、災難の予兆な人を可愛いとは思うまい。
ああ、猫の子なら可愛いのにね。まあ、狐の子ほど可愛くはないが。
技術系の職場である、私の事務所では、PCのモニター上に弁当を置くのがはやっているらしい。熱すぎず、従って弁当の水分が飛ばず、そこそこに暖かくて良いのだそうだ。……そんな話を小耳に挟んで、そっと周りを覗いてみると、本当にモニターの上に弁当を載せている。私はあきれかえって言った。
私 「放熱口を塞いでモニターが過熱したらどうするの。」
相手「いや~廃熱のリサイクルだと思って。」
私 「これが原因で火事にでもなったら、君一体どうやって言い訳するんだ?」
相手「いや~だからさ……」
私だって別段、弁当を置く程度で大事件になるとは思っていない。事務所はエアコンも効いているし、モニターが過熱するほどの熱なら弁当も大事だろう。だけど、廃熱とは、機器の冷却のために必要なものであって、何かを過熱するためにあるわけじゃない。廃熱を流用するなら、機器の安全確保をまず考えるべきだ。
弁当の保温に使うぐらいいいじゃないか……そう思うのなら、仮にも技術職、
『この使用法でもモニターの安全性は十分確保できます』ぐらいを主張してみるべきなのだ。
……あのさ、我々は技術系の仕事をしているんだぜ、屁理屈を返すなよ……
いや、屁理屈しか返さないという事は、思考が所詮屁理屈レベルのものにすぎないという事だ。そして、こういう使用法を放置すれば、そのうち、消防検査や安全検査等で指摘されるだろう。そこでしっかりと自己弁護が出来るならばよし、そうでなければ、職場全体の技術水準を疑われてしまう。
『こいつは本当にバカだ……とんでもないバカだ、自分一人がバカなのではなく職場全体の知的水準を下げかねない、大バカだ。』とあきれてしまう。
他にも問題がある。彼は往々、「まあいいか!」……と手を抜き、事件を起こす。思慮が足りないのである。良い学校を出て、ワーキングホリデーで海外に滞在していても、日常生活に頭を使っていないのだ。全く危険きわまりない。業(カルマ)が服を着て歩いているようなものだ。
決して邪悪な行為をする男ではないが、思慮不足からトラブルが多い……こういう奴からもらい因縁するのは嫌だなぁ、と思う日々。
マンション管理組合の理事長様でもある野狐様は、ここ数日の夜、人気のない管理棟を施錠して中に閉じこもり、事務所で不正の証拠を掴まんと黙々と働いていた。
初日のこと。突然、人の気配と共に受付用の小窓がカタカタと鳴る。事務所からエントランスに出てみると誰もいない。むろん霊感の強い野狐様のことだから、人の気配といっても生きている人とは限らない。霊媒って条件が揃わないと便利じゃない。
その後、二階の書庫に閉じこもり、更に調べものを続ける。すると、階段を上ってくる足音がする。そして、ぱたん、と扉を閉じる音がする。施錠しているはずなのに他に鍵をもっている誰かが来たのかと……(というより証拠隠滅を計ろうとする奴が来たのかと)……書庫を飛び出した。が、誰もいない。
再び書庫に閉じこもって調査していると、またパタ、パタ、パタ、と足音が聞こえてパタンと扉が締まる音がする。ハ!! と思い、あわてて階段を駆け下りエントランスにいってみると、……再びパタンと扉が閉まる音がして女性が一人スタスタと歩いていく。宅配ボックス室に出入りする音が二階に響いていたのだった。……
……幽霊の正体見たり……
翌日も夜に管理事務所で調べものをしていた。ほぼ調査資料が集まり、後は管理会社の人と善後策を打ち合わせるだけだ。するとカタカタと、受付の小窓が鳴る。又か……と思いつつも、感じるものがあってエントランスに出てみたら、管理会社の人がちょうど現れた。鍵をかけて奥にいたから、ひょっとしたら気がつかなかったかも。危うく閉め出したままにする所だった。しかし、この運の良さを黙ったまま、二階でミーティングを始めた。
一段落ついた時、雑談として足音の話をした。「幽霊の正体見たり!」ということで爆笑となった。そして、そのうち理事会で肝試しをやろうなどと軽口を聴いていると……部屋の北西角で「パシ!」と強いラップ音がする。管理会社の人はビクッとしたものの、ラップ音=心霊現象という知識を持っていなかったらしい。
ああ~~ 証拠隠滅を計られたりしないように、こっそりと調査をしているからついつい足音などに敏感になってしまう。一応、会社などでも事情を話し、殺されたらあの人だから……などと軽口をしている。
でぇ もぉ
・・・実は調査開始の日に偶然、知人が自殺していて、放置プレイは続いていたりする。
さて、調査が一段落して、どう告発するかというミーティングが始まる。
「相手は独善的な人だから誰がどう話しても感情的になるだろう……どうしようか。」
結論のでないまま、今日は解散。そして帰宅後に気がつく。話しかけようとするから拗れるんだ。相手が罪の意識に参って、「どうしたらいいだろう」といってくるのを待つのが一番か。
うーん。放置プレイもこれまでかな。
その後、「中継霊にどうか?」と申し出を受けたけれど、任期が終わるまで心霊どころじゃない。
こういう調査に霊感が役立たないか……て?
役に立つさ、不正に最初に気がついたのが野狐様。というか、証拠固めはほとんど私の手柄。皆が見落としている事に欲気がつく。すると警察などへの協力にも役に立ちそうなものだけど、話はそんなに簡単じゃない。
相手の祖先の霊がみえて、「目こぼし」を懸命に頼んでくる。
相手にだって、案じてくれる家族がいるのだぞ! それを泣かすようなことをするな、と説教する霊もいる。でも、なまじ同情して調査に手を抜くのは自殺行為だ。窮鼠猫を噛む。小悪人は開き直った時が一番怖い。大悪人ならすぐに観念して再起を目指すが、小悪人はこれで終り、これで終りならいっそのこと!! となってしまう。
がっちり証拠を掴み、ただ、そして小出しにする。その為には調査をおろそかに出来ない。実は、この調査が始まってから、胸がムカムカして具合が悪い。たまにこういう調査をするから何とかなるけれど、繁雑にこういう事をすると証拠を掴むよりも疲れ果ててしまう。
正直もう止めたい。
ところで、この不正調査のターゲット。ある人に突然、
「もう管理組合なんて関わる鳴って、母親にいわれた」
と、ぽつりと言ったとか。
あんな人が何で? と皆が不思議がるが祖先の霊が言わせているのだと思う。
泥縄って言葉があるけれど、アミを編んでいたら、そこに魚が落ちてくるような、そんな解決になりそうな気がしている。
臨死体験=霊界訪問と考える人がいるけれど、霊媒の立場から見ると変に思える。
人は死に際して、過去の記憶が走馬灯のように駆け抜けるというが、トンネルを抜けるとか、お花畑が広がっているとか、そういうビジョンは霊界ではなく、母体から出た際の体験を地上的な観念で表現したものだろう。
つまりトンネルは産道、お花畑は対外の明るさだろうね。むろん、生まれたばかりの赤ん坊は目が見えないけれど、光を感じられないわけではないから。
三途の川は、産湯がもたらすイメージだ。三途の川を渡る際に、奪衣婆《だついば》と呼ばれる醜いばあ様に衣服を剥ぎ取られるというが、これなどは、産婆さんに産着を着せられる事を感じ取ってのイメージかもしれない。
するってーと、いまどき病院で産湯に使った人たちは、臨死体験で、きれいな奪衣ギャル(?)に服を脱がされて、鼻の下を伸ばしたりなんかして……そんな奴は地獄に落ちろ!
臨死体験は、二酸化炭素中毒がもたらす幻覚であるという。私もそう思う。何しろ、私も臨死体験したことあるから。
花粉症がひどかった頃、寝ている最中に鼻が詰まって、窒息しかけて目が覚めたんだ!。いやそのときの苦しかった事、目が覚めたと単に今度は過呼吸でトリップまでしてしまった。
その目が覚める直前、私は平泉の中尊寺の参道を歩いていた。杉の木が香ってすがすがしかった。そして、私は自分が死んでここに来たんだと確信したんだ。というのは、生前(?)奥州藤原四代に関する本を読み漁っていたとき、死んだら全盛期の平泉の霊的光景を散策してみたいと思っていたから。そうさせてくれと守護霊とも約束していたしね。
で、ともかく、中尊寺の参道を歩んでいる。進むにつれて金色堂が見えてきたんだ。近代のさや堂もなく、過去にもあったらしいさや堂も無く、木立の中に燦然と煌く金色堂があって、はっと思ったのは、その背後に後光を伴った阿弥陀仏が座っていた。金色堂よりも大きな阿弥陀様だった。
・・・いやぁーとうとう来たな・・・
で、とりあえず金色堂の中で精神統一でもさせてもらおうと金色堂に向かうと、一人の和尚に呼び止められた。なぜだか、今東光和尚だってすぐに気がついたんだ。
「なにしにきた?」
「いえ、私は死んだら平泉を訪ねようと思っていたものですから」
「まだ早いらしいぞ、また来い」
気がついたら鼻が詰まって苦しかった。
すっかり忘れていたけれど、今東光和尚は、金色堂の補修作業などに尽力した人だったんですよね。その頃はもう私の中では平泉への熱は冷めていたのだけど、それは飽きたというのではなく、今行くところではないと思っていただけの事。
そして、これが切っ掛けで、今東光氏の本を何冊か読んだけれど・・・性にあわなんだ。
まあ、ただの夢といえば夢だけどね。それを言うならワード氏の「死後の世界」や「幽界行脚」なんかだって夢が題材といえなくも無い。
私の父方の祖母は、私が小学校に上がる前に亡くなったのだけど、霊感が開いてこの方は葉型の祖母とは良く話すが、父方の祖母とはあまり話したことが無かった。
ところがある晩、夢の中で祖母の家を訪ねたんだ。山寺の参道のような、ほとんど獣道のような狭い坂道、でも、石畳のように舗装されていたっけ。
うん、中尊寺の参道を歩いた事のある人ならばイメージしやすいかもしれない。参道の両脇に小さなお寺がいっぱいあるように、この幽界の道の両脇には、間口一間(今から思うと多分半間)足らずの小さなお堂みたいな家がぽつんぽつんと立っている。そのうちの一軒を訪ねると、そこには祖母がいた。
この家が祖母の家だと分かったのは、これが幽界の光景であると気がついたのと同じ理由だ。ワード氏の幽界訪問記や、小桜姫物語などでは、幽体をまとった案内者が導いてくれたわけだけど、私の場合は、心霊知識があるものだから幽体をまとわい案内者でもぜんぜん平気で、その時は声だけ・・・というより観念だけの案内者が私についていてくれたのです。だから、必要な事は何でも直覚して何の不安も迷いも無かったのです。
ただ、とても絵になりにくい光景ですよね。一人で歩いているのにガイドが連れ添っているなんて。しかも、人の記憶にはやはり光景がもたらす影響が大きいのです。だから、家々の間口の大きさの記憶すらあいまいで・・・そのときには当たり前と思っていたけれど、振り返って考えるととてもおかしな光景でした。私は普段、建物の施設管理の設計見積もりを職業にしていますから、建物を見て大体の寸法を常に確認する癖が付いているのに、それがとても滑稽なのです。
祖母の家は、はいってみると広さは二畳程度、えらく狭いけれど、別に押入れが必要なわけで無し、台所もトイレも風呂も不要なのですからどうと言うことはありますまい。また、祖母と差し向かいで話したのですから最低限その程度の大きさは必要です。すると、家の大きさ一間(1.8メートル)四方のはず。だから、各家々は間口一間と思っていたのですが、外見を思うと、堂も各家は、間口半間程度、家の高さも屋根が見えるぐらいだからおそらく1.5メートル程度のものだったはず。
そう、私が訪ねた祖母の村(?)にある家々は、外よりも内部が大きかったのです。
まあ、なんという事もありません。実際には家など無くただ、各人に割り振られた区画、いわばこれが自己の領域という観念だけがそこにあったのでしょう。大きさを論じる事なんて無意味といえばそれまでです。
さて、祖母と何を話したのか、実はあまり覚えていません。言葉のやり取りは無かったであろう事は間違いありません。私は横浜育ちで、田舎の老人たちの方言の強い会話にはまるで付いていけないのですから。でも、二、三の心温まるやり取りがあった事だけは、朝、目覚めた時の旨の暖かさで分かります。なにやら一日が幸せに過ごせたのです。
そして、少時のやり取りの後、またいらっしゃいと言われて座を辞したのでした。帰りは小道をたどることなく気がつけば寝床にいたという訳で……以後、時々、父方の祖母とも会話を交わします。思えばようやく祖母も幽界でひとり立ちの準備が出来たという事でしょう。
目覚めた近親者がいると、仏壇で手を合わせるのにも張りが出てくるもので、この頃から、私と違って霊感の自覚のない弟もまじめに墓参りに付き合うようになりましたね。
両親の離婚といったような様々な過程の事情から、実親のお墓のありかが分からず、心を痛めていらっしゃる人も多いわけですが、私の体験から思うに、先祖供養というのは、先祖自身にその準備が出来ていないと、やはり心通う事も難しいようです。
<ある晩に見た夢です。
いわゆる龍神と思しき老翁が訪ねてきて、『お前の死後の家を決めておきたい。何せ好みがうるさそうだからな』
結局、正面に万年雪をかぶった大きな山が見える高原の南斜面(方角に意味があるのか?)を住処に選びました。周囲は草原で、スミレのような小さな花が一面に咲いている。見渡す限り周囲には気は一本も無い。そこにマッシュルームみたいなドーム型の家をつくって、床も壁も天井もみなふかふかにしてあります。部屋には椅子も無く、ただ、床の一部が高くてテーブル代わりに使え、壁の一面が大きなモニターになっている。
「モニターを何に使うのか。死後は統一しさえすれば何でも見えることは知っているはずだ。第一そんな機械を何が動かす?」と訝しげに問われたのですが、想念にも共感すべきものと相対すべきものがあるのです。他の意見を尊重して流されぬ為には、他の意見、他の想念だとはっきり分かる区別が必要です。
老翁は理解に苦しんでいるようですが、まあ、私は勝手にします。
まったくなんて露骨な家のデザインでしょう。周りに何も無いのは他人を無視する為の空間。マッシュルーム方の家も子宮的といえば他人を拒絶するデザイン。その挙句……
『死後に何か希望するものはあるか?』そう問われて私は、
「死後しばらくは挨拶できるところには挨拶を済ませて義理を果たしたいが、後はほっといて欲しい。特にあなた方の指導は絶対いらない」
『それは困る、私たちにも勤めがあるし責任もある』
「生きて、霊媒を続ける間はあなたたちの価値観に付き合ってきたのだから、死後まで縛られるのは断る。私はあなた方と違う価値観の霊団からきているから、ここの文化をより客観的に見ることが出来た。いい所もあるが悪いとこもある。いいところは沢山学ばせていただいたが、悪いところも良いと思い込む事はしない。死後は自由な立場から、長所短所を分析したいから、ほっといて欲しい。特に龍神の指導は絶対いらない」
老翁はうなずいて立ち去ったが、あれは絶対に実力行使にでる覚悟でいるな。
善悪に拘るな……大切な事だけどね。誰だって自分が正しいと思う事を信じて行っているわけで、それを間違っているといわれて喜ぶ人はいません。霊だってそれは同様です。むしろ、霊の方が敏感に批判を嫌います。
でも、鵜呑みにしては成長がありません。霊界で魂の成長が遅いというのは、ひとつ事柄を討究することが出来ないからです。良さそうなアイデアに対して、間違っているのではないか、とつつきまわし批判し、分析して、その後にようやく信頼を寄せられるのだという、地上の、特に技術の分野では当たり前の事柄が霊界ではとても試しにくいのです。なぜなら想念の世界において、相手を批判する事はそのまま一種の暴力だから。
だから、一人ぼっちの場所にいれば、好きなだけ批判が出来る。否定の為の批判ではなく、信じるに値するものを探す為の批判が。
地上では、いろいろな人との距離が近すぎます。ろくでもない奴に反感を抱けば、その守護霊がにらみつける。人のアイデアを検討していると、その守護霊から背後の霊までが、ハラハラ、ドキドキ見守って、意図してか、せずにか賞賛を求める圧力となっている。
良いところを見て、悪いところは見てみぬ振りをする。それは処世術であって、その処世術をすべてに当てはめていては、改善も向上も望めない。
はあ、無論私だって無意識にそうしているのだろうさ。だから、死後はしばらく、一人で心行くまで批判をしてみたい。そうやって信じられるもの探してみたいのです。
そして、日々、そう思っていると、嫌なんだよね、龍神といわれる手合いの性格が。彼らはまるで疑問を抱かない。知っているのだから疑問を持つ必要が無いと思い込んでいるようだ。
『黙って大人の言う事を聞きなさい』
そういう神々が作った世の中が、はてさて、なんとまあ人の話を聞けぬ連中ばかりが住んでいることか。……ああ、話を聞かない連中だから修行が必要だと思っているわけか。
でもね、言い聞かせる事が上手な人とは、要するに人の話を聴ける人なんです。そして、疑問を持つ事が下手な聞き手が、どうして相手に、『ちゃんと話を聞いてくれている』と印象付ける事が出来るのだろう?
すぐに感情的になる人々をなだめるのには、龍神はうってつけかもしれない。でも、創造性を育てるのはとても下手だ。創造性という面で考えるなら、天狗霊の方がよほど面白いだろうな。そう、世を揺るがすような革新的な思想の持ち主は、日本じゃ大天狗などと呼ばれるのだから。
とにかく、何でもかんでも高級霊だからとありがたがらぬことです。世のすべてには向き不向きがあるのだから。
「遠くの親より近くの親戚」
「目前の親より、使い捨てカイロ」(静かで温い・・・)
「親の小言と冷酒は、二日酔いを招く」
「世の中には加害者と被害者しかいない」
「鎖鎌に距離関係なし、ただ獲物があるだけ」
「真の親孝行とは、親を思う事にあらず、
親のつまらぬジョークに
付き合い笑いをする事なり」
「老いた親が、身体の具合が悪いと言うとき、
必要なのは医者や薬であるよりも
あなたが愚痴に付き合うことである。」
「病人を見舞ったとき、愚痴を聞かされたら、
その患者に必要なのは、医者や薬ではなく、
自己改革である。それなくしては治らぬ」
「馬鹿に盛る薬はあるが、馬鹿につける薬は無い」
よき話も、悪い話も、人が持ち寄る。
往々にして、人は頼られる事を喜んで
悪い話を持ち込む人ばかりを大切にする。
気がつけば自分が不幸になっている。
同情とは、哀れむ心が生むのか、侮蔑の心が生むのか。
自分よりも恵まれた人に同情を寄せる人は、めったにいない。
新人; 煮ても焼いても、刺身でも食える相手。
ベテラン; 煮ても焼いても食えない相手、刺身なら確実におなかを壊す。
新人; 煮ても焼いても、刺身でも食える相手。
ベテラン; 煮ても焼いても食えない相手、刺身なら確実におなかを壊す。