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自慢大王はどちらへ?


 浮世の職場に、自慢気が強い人が居る。他が頭を悩ませていると、どこからか嗅ぎつけて飛んできて、自慢気に教えて悦に入っている。 私などは聴かれるまでは答えないように自重しているが、脇から耳に飛込んでくるその自慢話を聞いて首をかしげ、 出鱈目な部分は改めるべきかと悩んでしまう。

 進んで過ちを犯すのは自業自得。だが他人の自慢につきあわされて騙されている人を見逃してよいものか…… その問いは職場の飲み会で答を得た。

『あの人の言うことはあてにならないからな……』

 皆、気がついていて黙っていたのである。そこへ行くと、中途半端に正義感の強い私が、かの人に嫌われるわけだ。 職場に飛交う言葉ではなく、同僚等の行為・行動に注目していたら、無駄で半端な正義感など表に出す必要もなかったのである。まあ、 聖人君子の安仮面よりも、「ちょっと熱血漢」の仮面(実?)の方が浮世に生きるのに都合はいい。

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 ところで、これに関連して二つのネタがある。

 このペーパーレスの時代に、わざわざペーパーワークを増やす地球にも他人にも優しくない輩がまだまだ当社には多い。一応、 ワープロのデータとして提供されてはいるが、そういう奴が作る書類何ぞ、書込み難いこと夥しい。 チェックマークをワープロ上で入力すると下線がずれ、行が変り、表が狂う。よく読むと、無駄な項目、無駄な改行等があって、 何も入力しなくてもプリントして一枚には収らない。どうせ紙代は会社持ちだが、ページが増えればホチキス留めの手間も掛る。

 今時はワープロソフトは定型書類の作成が可能だ。第三者が変更可能な部分と、変更不可能の部分を分けて作れば使い勝手もよいが、 誰もがそこまで、ワープロ(ソフト)を使えるわけではない。しかも、そこまで使える奴は、おもしろがって書類を作りたがるが…… 無駄な書類を嫌う知恵も持っている。困るのは、定型書類を作るセンスに欠けている奴だ。

 案の定、あちこちで悲鳴が上がり、私も応援にかり出されたのである。……使いにくいものは使いにくいなりに、 同僚Aは書類の作成を終えたが、これではたまらぬというので、同僚Aはワープロデータを定型入力用に作り直してくれ、と私に懇願した。

 この書類は私にはあまり縁がないが、それはかえって始末にいけない。忘れた頃に使わされる羽目になるからだ。 というわけで同僚と利害が一致し、二つ返事で請負った。本来データフォーマットの変更は稟議が必要だが、 どうせ要求されているのはプリントアウトだから、オリジナルさえいじらなければ、データそのものはどうということはない。

……ところが、悲鳴を上げた中に、かの自慢大王様もいらっしゃったのだ。

 人の悩みなら、知ったかぶりまでもこき混ぜて、自慢気にご回答くださいます、 大王様もワープロ操作は知ったかぶりで凌げなかったらしい。

 ここで私は自らの正義感が本当に薄っぺらであったことを再確認した。ワープロソフトですら拒絶する知ったかぶりである。 皆だって業務が行き詰ることでその知ったかぶりに気がつかぬはずがないのだ。つまり、私が大王様に向けた正義感とは、 じつは私が懐いている反感の一面でしかなかったということだ。

 さて、困った自慢大王様だが、嫌っている私に助けを乞うことはない。だが……私が教えた同僚に質問するのは平気らしい。と、 後に同僚Aと大笑いをした。

 ところでこの操作を教わる大王様の様子が、目・耳に飛込んで、またまた私の薄っぺらな正義感が働いた。教えるときに横柄なのは、 真似はしたくないが理解できる。ところが、さすが大王様。教えを乞うのにも横柄だったのである。

……ああ、面白くない。どうせならみじめに、困ればいいのに。

だが、しばらくして、気分が静まったとき、ふっと霊耳に響く言葉があった。

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『威張りたがり屋なのだから、威張るのは当り前だ。横柄に教えを乞うて、 何が不思議だ?』

……思わず吹出して怒りを忘れた。そう、何の不思議もないのである。そういう人なのだから。 それをわざわざ腹を立てるのは、やはり相手を嫌って、無意識に欠点を探していたに違いない。

 まあ、私もすっかり嫌ってはいるが、先方も嫌っていろいろと意地悪をしてくる。ところで依存度を比べると、 私は相手にまるで依存をしていない。だが相手は?

 データの定型フォーム化は完了したが、これは非公式のものだ。大王様は非公式データをちまちまとワープロで修正するのか、 それともこっそりと非公式の定型フォームを利用するのか。大王様だけ使わせない……等という大人気のない行為は慎んでいるが、 意地悪なものの見方だけは私も無理に直そうとしない。

 依存度……川下にゴミは流せても、川上にゴミを流せはしない。

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 さらに霊耳に聞える。

『威張って得るのは遠慮であって敬意ではない。敬意と遠慮の区別が付かぬのでは、あとどれだけ間違いを抱えているか。

 地獄で唯一快適なのはその王である。頂点に立つものだけが誰からも苦しめられることがないからだ。だが地獄であるには変りはない。 頭を下げ、助けを乞うときに、その心の境涯が地獄にあることに気づくのだ。かくして、他に頭を下げられぬ人が生じる。

 見よ、世間にはいかに多くの地獄の王がいることか。その平穏が実に危ういことを忘れては他の地獄の王とケンカをして、 自らを苦しめる。頭を下げても苦痛、ふんぞり返っても苦痛、痛みに挟まれて身動きも、成長も出来ぬのだ。』

……現実のささやかな不幸にかいま見る地獄の物語である。

でも、本気で勘弁して欲しい。地獄なんて、行く奴が見て、書き記せばいいのだ!

……と、心底思う。


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