心霊相談で難しいのは


未だ、心霊相談を中断中である。

それは別に霊能力的に未熟だからと自制しているわけではない。未熟ならばなおのこと研鑽に勉めなければならないのは言うまでもないことだ。練習せずに上手になるはずもないからだ。――私が頭を抱えているのは一つのジレンマである。そして、心霊相談中断はその実験の一環でもある。

適切な結果を生むのには、適切な努力が必要であることを否定する人はいまい。ではいかなる人が、「人生がうまく行かないから」といって相談を持ちかけてくるのだろう? 第三者から妨害を受けている人も確かにいる。だが、多くの場合、相談者は「適切な努力の方法を知らない人」である。いや、 何が適切なのかが判らない人といっても良い。そういう相談を受けた場合、出来ることは基礎の基礎からしっかりと説明することだ。それで判れば解決に向かう。

でも……何が適切なのか判らない人が、果たして説明を受けてその妥当性を理解出来るのだろうか? この問題に学力は指して重要ではない。大方の人々にとって大切なのは何が正しいかであるよりも何を信じたいかであるのだから。

つまり、間違った努力の当然の結果を認めるかわりに、超常的な理由で間違った結果が生じていると信じている人もいるのである。……であるがためにか、または日本に礼儀が失われたためか、回答を送っても、解決したとも何とも言わない人がとても多かった。

そういう体験を積み重ねて私が至った結論は、心霊相談に於いてなによりも大切なのは、霊媒能力ではなく、上手に相談を断る技能であるということだ。……他のベテラン霊媒に質問したが大方それを肯定してくれた。

 


 

ここで、霊媒にとってもう一つ重要な相談相手がいる。この問題について背後霊達に質問した所、こういう答を得た。

『基礎の足りない人間に智慧を与えても生かせはしないのだ』

つまり、心霊相談に応じることこそがナンセンスだというのである。……しかし、目の前に悩める人がいて誰がそれを見捨てておけるというのだろう!?……かつての私はそう考えた。しかし、現実に揉まれて気がついたのである。

目の前の悩める人々を誰が救えるというのだろうか?

……当人の自助努力だけが当人を救える。つまり、見捨てるか見捨てないかは二の次なのだ。従って、現実的な問題として、人を助けるのにまず第一に必要なのは霊能力ではない。相手の自助努力を促せる指導力であり、その中には断り方も含まれているのだろう。

相談を受けるのは簡単だ。なにしろ、溺れる者は藁をも掴むのだから。相談を持ちかけられていい気になるのはナンセンスだ。相手は私のことを藁ぐらいにしか思っていないかも知れないし、(笑《わら》♪)、無意識にそう明言する人もいる。……『藁にもすがる気持ちで……』……藁かよ!? 

で、その藁の使い道といったら、ただ引っ張るだけの人も多いのだ。

 


 

相談に応じるよりも断る方が難しい。では、相談を選べば良さそうなものだが、返事をしないで無視を決め込むのもなかなか難しい。相談の断り方、またはえり好みの仕方。それについて未だ悩み続けているのである。

リスクを負うが故に得るメリットもある。また、その程度のリスクは無視しろというのも一理はある。一理はあるが私はそれを斟酌出来ない。なぜなら、私の心霊研究の目的は心霊相談にはなく、その先にあるのだから。ならば要するに相談を止めるべきなのである。……その選択は、こと私自身の損得や人生の命題にあてはめて考える限り、他と比較出来ないほど抜きんでている。

……目的には叶うが、でもそれが正しい選択だろうか? 中途半端は良くない。だが何もしないよりは良いともいえる。結局、すべては受取手の良識次第なのである。私が黙って差し出せるもので満足出来る人は幸せで、私の持ち物すべてをむしり取らなければ気が澄まない人は、いつまでも騒ぎ続けるのだろう。するとそこに答えがあるのだろうか?

実はあると私は気がついている。ただ、それを公言することを憚っているだけなのだ。


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