当サイトが目指すもの
2004年3月8日
当サイトは元々、オカルトに偏さない(不思議や超常現象という表現では終わらせない)心霊研究の基礎研究を目的とし、その一環として無料心霊相談を行ってきました。ところが理想と現実が一向に噛み合いません。私が常識と思えることがどうにもなかなか伝わらない。
「○○の霊を視た」、といえばそれがどんな顔だったか、等と聞かれる。しかし、顔は肉体の付属物に過ぎません。死後にいつまで風化せずにいると思うのが、形象に囚われた心霊知識の悲しさ、はっきり見える時ばかりではないのに、肉体がないことの意味から話し始めなければならない面倒さ。更に抽象的な問題となると益々話が通じなくなります。
たとえば…… 笑い顔は喜びの、涙は悲しみの表現方法であっても、喜び、悲しみそのものではありませんね。笑いを堪えて喜ぶ人もいるし、涙を流さずに悲しむ人もいます。表情は感情の表現手段ではあるけれど、すべての感情が表情に表れるわけではありません。ここまでは誰でも判る事ですが…… では、先祖供養とはなんでしょう? お墓を尋ねる回数ですか? お線香の品質や本数でしょうか? またはお花の数? 仏壇や墓石の価格でしょうか? 勘の良い方はもうお気づきでしょう。いわゆる霊障でお悩みの方は、まず、この先祖供養の意味を理解してくれません。真心が大切なのに、真心の意味がどうも食い違う。
ここで愚かな私も、否応もなく気がついたわけです。心霊学とは、あの世の話ではない……地上に生きている、今の心、その心のクオリティー(品質)が問題なのだと。
そしてインターネットを通じて出会う様々な矛盾……すぐに感情的になる平和主義者、自慢話ばかりの博愛主義者、好き嫌いの激しい正義漢、誠実なる弁舌の徒、同情と友情、依存と愛情、悟りと妄想、立場と信念、耳を貸すべき意見と、忠告の皮をかぶった自己弁護の戯言。
「それは違うだろう」と私が言えば、「あんただって同じだ!」と切り返す人……違うよ、違う。私は感情的な人との議論は避けるべき事を知っているし、欠点は開き直るべきものではなく正すものだと知っている。そしてなにより、妄想の意味を知っている。
人の過ちを正すのは不毛です。なぜなら、人はそれぞれ自分の人生を歩んでいるのだから。……そこで私は立ち止まる。『治ることのない欠点を相手に生きること。』それが心霊学を学んだものの宿命であることを知ってしまったから。……自分が変わるだけならどれだけ簡単なことでしょうか。