老神心霊研究所
循環の一端
――堂々巡りの解決の糸口――
| 必然としての平常心 |
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| 作者 老神いさお | |
| 2008/11/21 Friday 00:30:41 JST | |
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昨夜、原稿を入力中に、ふと、腹の立つことを思いだして、気分が乱れた。すると、 ・・・・・・・ 平常心を乱すのは、霊感にとって、大きな障害である。……私は、失うものの大きさをそれなりに理解しているつもりで、それなり(謙虚さの自己主張)に平常心を大切にする。 価値の判らぬ者が、疎かにする。 (まあ、平常の大切さは、平常時にこそあるのだから、平常心でいるばかりが人として価値ある生き方ではない。) とても強く欲しがる者が……必ずしも価値を知るとは限らない。ただの強欲、ただの負けず嫌い、たんなる欲しがり屋、その背後にうごめく醜いものなど、私は見たくもない。 心霊を学ぶ者にとって、平常心や探求心が大切であるというのは、「そうあるべき」という、道徳観とは異なる。必然であり、外部からの要求、いやむしろ圧力である。それは霊感に比例して強くなる必然であり、霊感を自認しなくとも、心霊を学び、身につけて行くにつれて強く体感できるようになるものである。 ……机上の空論。 机上の空論は、机上で扱われるから空論なのではなく、現実に適合しないから空論なのである。 相対観……他者と比べて安堵するような者に、真実を直視できようか? 意味ある形で、自分を大切にすべきである。……自分を騙して安心するのではなく、真実の厳しさの中で自分を安心させるべきである。 真実が厳しいからと……他者と比べて自分が惨めだからと、敵愾心に負け、平常心を失って自分を騙すのか? それこそが、愚かで惨めなことだ。 その愚かさと、惨めさこそが、真実の持つ厳しさであり、それを受け入れてこそ真の向上心が芽生える。 ……他者に腹を立てたところで、惨めな自分が立派になるわけではなく、ただ、惨めで愚かな自分をあからさまにするだけだ……と、しておこう。 ……なにせ、ナンセンスだ。 チューニングの外れたラジオから聞こえてくるのはノイズだけ、見当外れの見識は、然るべき霊と繋がっていないから生じ、抑圧されずに表現されるのだ。……たとえ隠れているとしても、霊感を持たぬ者は、到底、平常心や探求心の真意義を理解し得ない。それゆえ、創造性に溢れる人は、たとえ心霊否定論者であろうとも、自身のインスピレーション(つまり霊感だ)……を否定しない。なぜか、霊魂の不滅が非科学的に思え、死者のメッセージが不気味なのであって、自身に心と、その根底たる魂の備わることを否定する人間はいないのである。 結局、人の霊性なるものは、言換えれば、誰の乗り物であるか、と自己規定するのに等しい。高級霊と繋がる人には気品が備わり、餓鬼(比喩)と繋がる人は貪り、修羅(比喩)と繋がる人は争うのである。 |
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