| 人は皆、幸せになるために生れ来た。 |
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| 作者 老神いさお | |
| 2008/11/16 Sunday 01:06:35 JST | |
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私は友人に向かって、答は自分で見つけよ、といわねばならない。とはいえ、人生で出会う様々な障害を考えるに当って、一つの目安がある。 人は祝福されて地上に生を受ける。のである。 多くの不信心者は、神々の愛を知らない。知らないが故に、愛されていることに感謝せず、人生に不足を感じれば、神を恨むか……祟りを恐れる。その二つは大きく違うようでいて、行き着く先は同じ、すなわち……物事は上手く言って当たり前、と思うのは人の驕りだ。掃除をしなければ、部屋はゴミだらけになるのと同様、秩序は、維持を心掛ける者がいて始めて保たれるのである。 人は、幸せになるために産れてきた。のである。 それゆえ、人生で出会う、いかなる問題にも、必ず解答がある。――筈である。ただし……いや、決して例外があるというのではないが、どんな努力にも、当事者の意図せぬ結果はついて回るのだ。……その問題に、以下の様な人が絡んでいなければ、である。 もしもその問題に関わり合う人々の大多数が、その問題を厭い、解決を望むのであれば、必ず円満解決の道がある。ただし、その問題に、意固地、または、強欲に囚われる人が関わるなら、闘争無くして解決は難しく……おおむね、闘争あればかえって拗れる。 ――なぜか? たとえ相手がいかに愚劣、いかに軽蔑すべき相手であろうと、相手もまた、(ああ、ある意味不幸にして……)……祝福されて地上に生を受けたのである。――もしかして、苦しむために。……結局、人には苦しむ権利があり、全当事者の合意無くして、いかなる問題の解決も有り得ないのである。 くどいようだが、心霊家であれば、決して忘れるべきではない。――たとえ相手がいかに愚劣、いかに軽蔑すべき相手であろうと、人は皆、祝福されて地上に生を受けたのである。それを取り除くのは難しい。いや、取り除く事の益よりも、失うものの方が(常に)多い、のである。 |
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