| 助け |
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| 作者 老神いさお | |
| 2008/11/03 Monday 00:00:19 JST | |
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昔の言葉に、「受けた恩はすぐ忘れ、受けた徒《あだ》はいつまでも忘れない」……のは、恥ずべき事である、というのがあった。 その言葉に共感し(……た割にはうろ覚えだが) そうならないように心掛けて生きてきた。それなりに、手答えはあるつもりである。 が、思い返せば、字面を読むだけで深く理解していなかった気がする。(何しろ、うろ覚えだし。) 我が身を律することがまず第一なのは、向上を求める者の第一に心掛けるべき事である。――しかり。それゆえに、忘恩と復讐はなるほど恥ずべき事だ。が……感謝するよりも、恨む方が楽なのが、人々の一般原則なので……はないか? 少なくともどうやら……恨みの念を抱く人は、己の惨めさに気がつかぬものらしい。ならば、惨めな境遇(と自認する人ほど)、人は恨みを抱かずには生きにくい。――まったく、この世の神(すいません、私の信仰対象の神ではなく、いわゆる浮き世を支配する原理のことです。)は、とことん、人を試練に掛けたがるように見える。 ・・・・・・・ 1999年以前から、私のサイトをご覧の方でないと判らないかも知れないが、「天界の門」というキーワードが、常に私の心を占めている。端的にいえば、私は人類を、"知的生物"と認めていない(という、霊の支配下にある)。 『見よ、人は、苦しむために努力を続けながら、「楽になりたい」という。為すべき事を知らぬのは、愚か故である。』……というわけである。 蛇足を続ければ、私は、"人類は未熟であるから知的生物ではない"と、いうのではない。ただ、"人類は、己の実力以上に、優れていると信じている" から、危ういと思うのである。……さらに脱線すると、つま先立つと危うい、とは、なるほど思うが、だから私が、"老子"をもじって「老神」を名乗っているというのは間違いである。まあ、これは判る人だけが迷う点であろう。……もっと脱線すると、実は私は快楽主義者であって一見ストイックなようでいて実は最短コースを指示しているはずなのだが。まあ、それは別事。 ・・・・・・・ 私もまた、浮き世の様々な縁の中で生きている。いえ、生きています。 それゆえ、天と地と……神とか仏とか呼ばれる高級霊との縁無くして、生きられません。少なくとも、(いわゆる一般人よりも……)環境には敏感なのです。……私はとても、人を恨みながら生きられない。むろん、悔し涙を飲み込みながら生きられる者でもありません。 いえ、恨まれて生きるのはさして苦でないのです。ただ、恨みながら生きるのはとても辛い……恨むことで失うもののの大きさを知っているから。 ……だから、しみじみ思うのです。 まったくこの世には、人を恨むことを、当たり前に思う人が多すぎ、恩を受ければ、それを恥って、恨みに思う人が決して少なくないと。 つまりぶっちゃけた話し、……親切にしなければ、その相手の大多数に恨まれ、親切にすれば、いずれその相手の多くに恨まれると同時に、その親切を妬んだ人にまで恨まれ、……結局、善悪どう行おうと大なり小なり恨まれて苦しまずにいられない……そう、極論ではあります。ただ、これだけは読み取って欲しい――この世は、善い行いをすれば障害が多く、悪い行いのは障害が少ない世界である、と……まったく、いかなる者がこの世界を支配しているのやら。 ……まったく、いかなる者がこの世界を支配しているのか? ―― むろん、当然、ああ、少なくとも……善に生きるのは難しい(困難)である、ということなのである。 ……難しいのにも関わらず、人々はなぜ、安易な道を選ぶのであろう? 人々は、生きるべき道を生きるのではなく、行きたい道を生きている。――その差はつまり、(頼りになる)味方がいるか、いないか、ということだ。……それを私はこう表現する。私は、様々な縁に支えられて活かされている。 その枠内にいれば楽に幸せになれ、その枠外を求めればあまりにも不幸なのである。 |
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| 最終更新日 ( 2008/11/03 Monday 00:01:53 JST ) |
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