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老神心霊研究所

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想いを形にするには(?) PDF プリント メール
作者 老神いさお   
2008/09/27 Saturday 00:43:35 JST

 あるメールの内容のこと。―― 「オフ会に、行けるかどうか判らない……」……そりゃそうだ。当人が行くつもりであっても、何があるか判らない。……まして、改めて読めば、いろいろな事情が書かれている。

 が、そのメールを一読後、私の背後から畳み掛けるような叱責が聞こえる。

……整理すると、このメールの送信者を叱責するのではない。少なくとも、この送信者だけを責めるのではない。

「行けるか、どうか判らない」という言葉、もしくは考え方を題材として、何かを訴えようというのである。


『人はパンのみに生きるにあらず、とはいえ、修行や勉強のみに日々を費やすわけにも行かない。用事があれば参加できないこともあるだろう。それは責めない。脇目にはどうでも良く思えるような事柄であろうと、もしくは純粋にサボり心の結果であっても、果たして相手の人生に大きな影響なしといえようか? 一生懸命参加しようとして(途中で)交通事故に遭わないとも言えないのだから。

『だが、心霊の修行のチャンスに「行けるか、どうか判らない」とは何事か? 他(心霊以外)の話しではない。ましてや、座学のチャンスというわけでもない。……これは、初歩の初歩についての話しである。

『なるほど、教わってはいまい。こちらも教えてはいない。……老神(いさお)も、ホームページに纏めようと心掛けているが、私たちが許していない。

『精神統一とは何か。つまるところそれは、想いを形にする技術である。汝らは、死後、どのような世界に暮らすと思うのか? 想いが形になる世界である。自分の思いを上手に形に出来なければ、汝らが暮らすのは、湿地よりも泥沼よりもさらに、足場の悪い、歪んだ世界であろうことを思い描くが良い。

『自分の言い分をどう相手に伝えればよいか判らぬ……そう思い悩む人こそ、恐れるべきなのだ。その様な人の行き着く先は、己の迷い、伝えたくても伝えられぬその苦しみが支配する世界なのだから。――だからこそ、人は、己の心を澄まし、明瞭にし、しっかりと形にすることを地上で学ばねばならない。

『それが出来なければどうなるか? その境涯は地獄とは限らない。だが、他の助けなくして、静けさとも豊かさとも無縁の世界である。――或いは、地上とよく似た精神境涯とも言える。

「……「これで充分」そう言う者も多い。より大きな幸せを知らなければ、現状はそれで充分幸せ、足を知ることも幸せのうちである。だがそれは、自立の喜びを知る者が決して満足しない境涯でもある。』

 「行けるように努力します」

『想いを形にするとは、自分の為したい事柄を、強く思うことから始まる。むろん、自分の思いを無思慮に強いれば、それは暴力となる。が、状況に流されることもむろん極端な選択である。強いること、流されること、その中間に我が身を置き、行けるように努力する。それこそが、精神を統一すると言うことである。

『日常生活において、精神を統一することなく、ただ、霊媒や、その背後にいる霊達の加護に甘えることを精神統一と呼ぶのではない。

 「良い霊媒と出会えればめっけ物」……安易に得たものは、容易に失われる。それを知らぬまでに浸る、大きな誤解である。

 「行けるか、どうか判らぬ。」……たしかに。だが、相手の心を見落としてはいないか?

 「開けるか、どうか判らぬ。」……という、主催者のその思いを。

『繰り返す。参加できない事情を責めはしない。……だが、次回に参加できないとして、汝は主催者を責めずにいられるか?』


 うーん。個人的には確かに、精神統一会の開催中止を考えてはいる。その意味において、「今度でいいや」という考えがあることはあまり面白いことではないのだが。あまり露骨に表現されると、バツが悪いのも確かだ。

 なにせ、出席率の高い友人が参加できない日をわざわざ選んだ、という事情もあるし……

最終更新日 ( 2008/09/27 Saturday 19:28:41 JST )
 
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