| 同根の敵味方 |
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| 作者 老神いさお | |
| 2008/09/14 Sunday 22:31:31 JST | |
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例えば髪を切るのに、ハサミとナイフのどちらを使うか? ――ナイフで毛を切ろうとすれば毛は逃げる。柔らかいものを切るのに、挟み込んで切る「ハサミ」という道具は非常に優れていると思う。 ハサミに限らず……犯人を尋問するのに、良い刑事(同情的)と悪い刑事(攻撃的)という、役割分担は、果たしてサスペンスドラマの中だけの存在だろうか。
以下は過去の相談事例の備忘的な内容である。 「悪い霊だけをやっつけて、そばに来ないようにして欲しい」……という、相談があった。霊信を寄こす霊には善・悪があって、善霊をそのままに、悪霊だけを取り除けというのである。 私は首を傾げた。そもそも霊感というのは、"同波動"と譬えられる。例えば陰気な人は陽気な霊との交信が出来ない。相手に共感できないから話しが続かないし、無理をしても疲れる。なにより、陽気な人の話に付合っていると、陰気な人は自分を攻撃されているような館がする。同時に、陽気な人も陰気な霊との交信も難しい。この辺は、普通の人間関係とあまり変わらない。同様に、性質が反対なのになぜか仲がよい、という関係も無くはないが、そうそう無縁で気質が違う相手と話しが続くこともない。 で……この相談者のいう善霊であるが、どうにも役に立ちそうにない霊なのである。 役に立つ、立たないという区別は、御利益的、または利己的と、不快に思う方もいるかも知れない。ただ、人はなにゆえにこの世に生を受けたのであろう? 様々な理由・事情があろうが、少なくともこの世の中に理由があろう事は間違いない。あの世のことは死んでからすべきか、生まれてくる前にすべきではないか。 むろん、海外留学中の者が、故国の家族友人に電話を掛けてはいけない、というのではないが、それも程々にすべきだと思うのである。少なくとも日常生活が疎かになるなら、どんなに仲の良い友人であろうと、悪友と分類されるべきである。 相談者は……善・悪を自分に都合の良いか、どうかだけで考えていないか? と、思うのである。 役に立たない……という表現は、私の不遜な見方かも知れない。しかし、喰わずに永遠の時を過ごせる霊界の者は、往々、見失いがちなことでもある。一寸の光陰軽んずべからず。人は老いるし、生は永遠ではなく、未練は打ち消しがたいのだから。 これは味方で、あれは敵。そう見なすのも個人の勝手だが、果たして相手(霊)はどう思っているのか? そして実際はどうであるのか? ところで……どちらの霊も身勝手で移り気、楽しむばかりでその行いに意義もなければ、交霊することに責任感も見られない。いわば私にはどちらの霊も同根に思えた。ではその一方の枝を切ったらどうなるか? 相談者が善霊と信じる相手も敵意を表すだろう。――自分にとって都合が良いから善と思う。 善と思うから優しくする。ならば、自分にとって不都合とならばどうなるか? 行動を起せば利害が転じる事を判っているのだろうか。 何に苦しんでいるか、に気が付かずして解決はない。 一方でしみじみと思うのだが、無益という程度の霊を見て善霊と信じるのは、果たして意義ある人生を送っていないからではないか。「不快な現実から目を反らせるために霊障を必要としている。」と、感じるのである。「霊障だから仕方がない、霊がこういうのだから、私はこうするのだ。」 無益な日々を送るいいわけに霊を必要とするのだろう。さもなくば……波動が違えば霊は懸らぬ……意義ある人生を歩ませようとする、私の思う善霊では、この相談者に不都合で迷惑な存在に思えるだろう。 そう。この相談者が、無益な生き方を望んでいなければ、無益な霊を善霊と呼ばないだろう。それどころか、私が正論をいっても迷惑がるだけであろう。……そして迷惑がられた。 もう10年は昔のことだが、フッと思い出して纏めてみた。
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| 最終更新日 ( 2008/09/14 Sunday 22:32:15 JST ) |
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