老神心霊研究所

幽明の道標

一霊媒が漏れ聴く話

真の敬意 PDF プリント メール
作者 老神いさお   
2008/08/21 Thursday 23:47:00 JST

 我が守護霊の補足内容が、「孫子の兵法に通じるのでは?」とのメールを頂いた。

 我が守護霊はそれを否定する。


 私が指摘するのは、兵法、もしくは、普遍的な指針ではない。――心霊家に限定した処世術の話しである。

「永遠の生」を生きる、もしくは、永遠の時を念頭に置く……少なくとも、そうあろうと努力する心霊家であるなら、争い事を慎むものである。今の勝ち負けよりも、明日の自由こそに価値を見出すからだ。もしくは、他人に勝つよりも、自分に勝つことを大切にする。

 その、争いを避けて生きようとする者に、一体誰が争いを仕掛けるというのか?

 自分に負け、惨めな自分から目を逸らすため、つまりは、もっと惨めな者を欲している者が、争いを仕掛けるのである。――ならば。

 その様な人は一体誰と戦っているのか? 他者に勝てば自分に勝てるのか?――惨めな自分と向合う時間が少ないだけではないか。

 そういう人と……自分に負けている人と、まともにやり合うのは無駄な時間だというのだ。ただ、相手が、自分と向合う……惨めな自分と向合うのを遅らせるだけではないか。

 人を憎まずには居たたまれない人を相手にして、自分の心まで憎悪に染めるな。というのである。

 ましてや、己に克った人間が一体何を学ぶかについて思いを巡らせてみるべきだ。

 強敵に打ち勝った者は果たしてその敵・競争相手を、侮蔑するや否や?……相対した相手が、真に強敵であったなら、勝っても負けても、敬意を抱くのではないか。そう。己に克った者とは、己に敬意を払う者である。己に敬意を払える者は、神仏や天にも敬意を払う者である。

 勝てぬ者が、勝者に卑屈な態度を取るのとは、それこそ天と地も違う敬意が、備わるのが真の勝者なのだ。

 負ければ卑屈な者と、勝っても謙虚な者とは、進むべき道が違う。――混ぜるな、混じるな。

 

 

最終更新日 ( 2008/08/21 Thursday 23:50:03 JST )
 
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