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老境の兄弟の健康に関して、相談、というより、質問を受けた。 「心配です」とのこと。 どう答えて良いのか、困ってしまう。 たとえば、「当分大丈夫ですよ。」と、言えるのならば、まだ良い。 でも、「ダメですよ!」などと言おうものなら、そのショックで、質問者の方が先に寝込むのではないか? ……まあ、この手の質問は基本的に断ることにしている、その理由は、上述の通り。 死なぬ人はいないのである。……死ぬのではないか、と心配するのはナンセンスだ。間違いなく、その人は死ぬ。ただ、早いか、遅いかである。 とはいえ、私も人の子、様々な浮き世の縁の中に暮らしていて、無碍に断れない質問もある。ましてや、間にはいるのが面倒なだけで、あの世の連中から、こういう相談を受けるな、と言われているわけでもない。というわけで霊査をとった。
『身体に悪いからと言って、羊や牛みたいな(菜)食生活で長生きしろ、とでもいうのか。そんなものは、心配しているようで大きなお世話、人生の価値は、長さでなくその内容で決まるのだ。 『そもそも、心配だ、という割に相手を大切にしているのか? 甘えすぎた、と反省するばかりで、いつか詫びよう、いつか礼を言おう、と思うばかりで日々を過ごす。それでは、相手が何百年生きようと足りるはずもない。 『無駄に使うなら、時間などいくらあっても足りぬ。時間の足りぬ者の質問は、無駄なものばかりである。……つまり、小手先の工夫などでは事態を拗らせるだけだ。 『大切なのは、一期一会の精神である。もう、これで終わりかも知れない、だから今にベストを尽くす、そういう気持ちで生きなければ、後回し、後回しで、老いてから為すべき事がドンドン増えていく。そして、老いればなお、物事に億劫になるものである。……つまり、死後に苦労を残すことばかり、と言うことだ。 『死後にわざわざ苦労を残す……それでどうして、心霊学徒といえようか?』
……読んで、他人事ではないとドキッとした人もいるだろうし、「ああ、あの人の質問か、」と、ニヤニヤする人もいるだろうが、……上述の霊査は、質問者宛のものとは、別途一般向け、というか、心霊学徒向けに取ったものだ。 心霊を学ぶには覚悟がいる。覚悟があればこそ、与えられるものもある。そう言う意味できつい表現になっている。
ところで、この内容は、「心霊相談」の「研究問題」に分類したが、本来、霊感の発現具合に分類すべきだと思う。 私は常々感じているのだが、人は誰にでも霊感が備わる……そう。ただ、 質問の上手な人は、霊感を意識せずに豊富なアイデアを人生に活かし、 質問の下手な人は、せっかくの霊感がまるで役に立たず、他に相談するにせよ、それもまた役に立てられずにいるものと愚考するのである。 つまり、これを得るのに私は多少、苦労したということであり、なぜ多少か、といえば、答える霊達はもっと大変だっただろうと、遠慮したからである。 するとこう言うべきか? 心霊相談に応じる霊達も、大変だ。 |