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老神心霊研究所

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死なぬ人はいない
作者 老神いさお   
2008/10/28 Tuesday 23:46:51 JST

 老境の兄弟の健康に関して、相談、というより、質問を受けた。
「心配です」とのこと。
 どう答えて良いのか、困ってしまう。
 たとえば、「当分大丈夫ですよ。」と、言えるのならば、まだ良い。
 でも、「ダメですよ!」などと言おうものなら、そのショックで、質問者の方が先に寝込むのではないか?

……まあ、この手の質問は基本的に断ることにしている、その理由は、上述の通り。

 死なぬ人はいないのである。……死ぬのではないか、と心配するのはナンセンスだ。間違いなく、その人は死ぬ。ただ、早いか、遅いかである。

 とはいえ、私も人の子、様々な浮き世の縁の中に暮らしていて、無碍に断れない質問もある。ましてや、間にはいるのが面倒なだけで、あの世の連中から、こういう相談を受けるな、と言われているわけでもない。というわけで霊査をとった。


『身体に悪いからと言って、羊や牛みたいな(菜)食生活で長生きしろ、とでもいうのか。そんなものは、心配しているようで大きなお世話、人生の価値は、長さでなくその内容で決まるのだ。
『そもそも、心配だ、という割に相手を大切にしているのか? 甘えすぎた、と反省するばかりで、いつか詫びよう、いつか礼を言おう、と思うばかりで日々を過ごす。それでは、相手が何百年生きようと足りるはずもない。
『無駄に使うなら、時間などいくらあっても足りぬ。時間の足りぬ者の質問は、無駄なものばかりである。……つまり、小手先の工夫などでは事態を拗らせるだけだ。
『大切なのは、一期一会の精神である。もう、これで終わりかも知れない、だから今にベストを尽くす、そういう気持ちで生きなければ、後回し、後回しで、老いてから為すべき事がドンドン増えていく。そして、老いればなお、物事に億劫になるものである。……つまり、死後に苦労を残すことばかり、と言うことだ。
『死後にわざわざ苦労を残す……それでどうして、心霊学徒といえようか?』


……読んで、他人事ではないとドキッとした人もいるだろうし、「ああ、あの人の質問か、」と、ニヤニヤする人もいるだろうが、……上述の霊査は、質問者宛のものとは、別途一般向け、というか、心霊学徒向けに取ったものだ。

 心霊を学ぶには覚悟がいる。覚悟があればこそ、与えられるものもある。そう言う意味できつい表現になっている。


  ところで、この内容は、「心霊相談」の「研究問題」に分類したが、本来、霊感の発現具合に分類すべきだと思う。

 私は常々感じているのだが、人は誰にでも霊感が備わる……そう。ただ、

 質問の上手な人は、霊感を意識せずに豊富なアイデアを人生に活かし、

 質問の下手な人は、せっかくの霊感がまるで役に立たず、他に相談するにせよ、それもまた役に立てられずにいるものと愚考するのである。

 つまり、これを得るのに私は多少、苦労したということであり、なぜ多少か、といえば、答える霊達はもっと大変だっただろうと、遠慮したからである。

 するとこう言うべきか?

 心霊相談に応じる霊達も、大変だ。

最終更新日 ( 2008/10/28 Tuesday 23:52:07 JST )
 
腹のくくり方
作者 老神いさお   
2008/10/23 Thursday 22:48:47 JST

 これも大阪オフ会での話題。


 悪態――境遇の中に居るのが人である。思うままに行かぬ。

 己の努力でどうにかなるなら、努力も出来ようが、己以外、境遇に委ねねばならない事柄は、焦ったところでどうにもならない。

 それゆえ、腹をくくって境遇と向き合わねばならぬのである。……が、それが出来ぬとか?

 ジタバタしても仕方の無い事柄に、人は他に何が出来るというのか? 腹をくくることを厭うなら、後はこじらせ、自らを苦しめることだけが選択肢であろうに。

 どうすれば腹をくくれるか?……他にどうにもならぬ状況なのである。自ら進んで腹をくくらなくても、他の選択肢は自滅の道だけである。つまりは、保身の心配が出来る者なら、おのずと腹はくくられる、または、ジタバタすることの無益さを知るものなら、否応もない。

 にも拘らず、あえて腹のくくり方を知りたいと思うのはなぜか。――境遇への不満に、悪態を吐き、その悪態が我が身を毒していることに気がついていないのだ。

(注、八つ当たりに失敗すれば、人はますますストレスが高じますよね?)

 腹のくくり方を知りたがっているのではなく、腹をくくらずにすむ方法を知りたがっているのである。だからこそ、天はその人に、腹をくくらせる試練を与える。

 逃げるから、追われる。その繰り返しの中にある。  

 境遇に悪態をついたところで、境遇が変わるわけではない。

 
足を引かれぬ法
作者 老神いさお   
2008/10/22 Wednesday 23:16:14 JST

 大阪オフ会での質疑。

Q 「足を引かれぬ方法はないか?」 

 己の目標、己の努力。……邪魔をされるのはなるほど不快であろう。だが、世界は人間関係で成り立っている。

  ある行いは、ある人から支援を受けるであろうし、別の行いは、利害に反する人から妨害を受けることもあろう。

 必ずしも、損得利害の問題だけで、支援や妨害が行われるわけではないが……

 己の目標、己の努力だけで、結果が生じるとは限らないのである。

……にも拘らず、「妨害を受ける」、「足を引かれる」、ということが、かくも不快に思えるのは、油断・失念があるからではないか。…… 孤独ではない、一人で生きているのではない、ということは、助けも得られる代わりに、往々、妥協も強いられるのである。

 無事であることを当たり前と思い、油断しているから足を引かれて腹を立てる。

 妨害や攻撃があって当たり前、無事であることが、どれほど幸福であるかを知っている人であれば、注意を払い、己が心身を省みて、油断の無いようにするであろう。

 まして、来ると分かる妨害であれば、逆にそれを利用することも出来る。

 雨降って地固まる。とか……「足を引かれぬ法」などというのは、無為にチャンスを捨てているに等しい。使えば資源なのである。

 
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