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老神心霊研究所

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善悪は相対か?
作者 老神いさお   
2008/09/20 Saturday 12:08:31 JST
 善・悪なんて相対的なもの。立場が変われば善・悪も入れ替わる。
「悪人から見れば神や仏こそが悪かも知れない。」……霊感発現以前、高校生時分には、私もそんな青臭いことを考えていた。が、霊感発現後に得た霊信ではこのような考え(善悪は相対)という考え方は一笑に付された。……まあ、いろいろ事情があって今まで伏せてきたし、これからもあまり詳しく解説するつもりもないが。

『なるほど、人の考え方は十人十色である。だが、十人が十人とも正しく生きているのか?
『自分は正しい。と想い、そう主張しながらも、皆、不平不満を心に抱いている。……変ではないか。
『その想いが正しいなら、……なぜ巧く行かぬのか? 善が悪より弱いのか……。それとも想うことが正しくないのか。それでは理に添わぬのではないか。』
『考えても見よ。理に添わぬ善や正があり得ようか? ならば、実現不能な事がはたして正しいと言えようか?』
『確かに人の考え方は十人十色である。だが、理に添わぬ考えが世の中にあまりにも多くはないか。実現不能なこと、実現困難なこと、他の犠牲無くては成らぬ事、ようするに、間違ったことが多くはないか? 十人十色、だが、その中の一人として正しい者がいるのか?
『善悪はなるほど相対的ではある。善の反対が悪、悪の反対が善、なるほどその通りだ。だが、人々の心、人々の思いは、果たして無理がないか? 無理があれば、他の誰も非難しないとしても、それは成らない。成らぬものが正しいと言えようか?
『人々は、「絶対善」なるものはないというが、単に、それぞれ自身に善が無い、いや、己が無理・矛盾に囚われているのである。……己に善のない人・魂の歩む道は、永遠の苦痛以外のなんであろうや? ……その苦しみで、人々は悪夢を見る。世を支配する悪魔の存在を。
『己の無理を棚に上げて、世の中の無理難題を難ずる。……そのどこに解決の道が見られようか? 世の悪の原因を、互いに擦り付けあって……』
最終更新日 ( 2008/09/20 Saturday 13:08:29 JST )
 
心を清めよ
作者 老神いさお   
2008/09/17 Wednesday 00:19:00 JST

 友人が「自らの心の汚れを認めるのはとてもつらい。」とコボした。すると、尼とおぼしき霊が私にこう伝えよといった。

 


『もしも茶碗が汚れなければ……その家の主婦(または主人)は何をしているのでしょう?』……料理もせずに。

『もしも茶碗が汚れたままなら……その家の主婦(または主人)は何をしているのでしょう?』……後片づけもせずに。

『もしも、茶碗が汚れて……ジタバタしている者がいたとしたら、どんな躾《しつけ》を受けて人でしょう?』……汚れたならば洗えばよい。きれいに包装して汚れないようにすることが茶碗の存在意義であるのか? それとも、日常、使って、日常、洗うことが大切であるのか。

 汚れ物を洗うという習慣と、それを身につけさせるための必要な躾。――大人になり、もしくは……子を育てる年齢になって今さら、躾を受けることの不快さは判る。が、本当にそうか。ただ、いわゆる心霊常識を知らぬだけではないか。

 ありのまま、ありのまま。――働けば汚れる。汚れるのが自然なのです。問題なのは、その清め方を知るかどうか。そして。

 清めようとするかどうか。……心霊を学ぶ。その意義を知ればこそ、心霊を学ぶことの大切さを思う。

 
同根の敵味方
作者 老神いさお   
2008/09/14 Sunday 22:31:31 JST

 例えば髪を切るのに、ハサミとナイフのどちらを使うか? ――ナイフで毛を切ろうとすれば毛は逃げる。柔らかいものを切るのに、挟み込んで切る「ハサミ」という道具は非常に優れていると思う。

 ハサミに限らず……犯人を尋問するのに、良い刑事(同情的)と悪い刑事(攻撃的)という、役割分担は、果たしてサスペンスドラマの中だけの存在だろうか。

 

 以下は過去の相談事例の備忘的な内容である。

「悪い霊だけをやっつけて、そばに来ないようにして欲しい」……という、相談があった。霊信を寄こす霊には善・悪があって、善霊をそのままに、悪霊だけを取り除けというのである。

 私は首を傾げた。そもそも霊感というのは、"同波動"と譬えられる。例えば陰気な人は陽気な霊との交信が出来ない。相手に共感できないから話しが続かないし、無理をしても疲れる。なにより、陽気な人の話に付合っていると、陰気な人は自分を攻撃されているような館がする。同時に、陽気な人も陰気な霊との交信も難しい。この辺は、普通の人間関係とあまり変わらない。同様に、性質が反対なのになぜか仲がよい、という関係も無くはないが、そうそう無縁で気質が違う相手と話しが続くこともない。

 で……この相談者のいう善霊であるが、どうにも役に立ちそうにない霊なのである。

 役に立つ、立たないという区別は、御利益的、または利己的と、不快に思う方もいるかも知れない。ただ、人はなにゆえにこの世に生を受けたのであろう? 様々な理由・事情があろうが、少なくともこの世の中に理由があろう事は間違いない。あの世のことは死んでからすべきか、生まれてくる前にすべきではないか。

 むろん、海外留学中の者が、故国の家族友人に電話を掛けてはいけない、というのではないが、それも程々にすべきだと思うのである。少なくとも日常生活が疎かになるなら、どんなに仲の良い友人であろうと、悪友と分類されるべきである。

 相談者は……善・悪を自分に都合の良いか、どうかだけで考えていないか? と、思うのである。

 役に立たない……という表現は、私の不遜な見方かも知れない。しかし、喰わずに永遠の時を過ごせる霊界の者は、往々、見失いがちなことでもある。一寸の光陰軽んずべからず。人は老いるし、生は永遠ではなく、未練は打ち消しがたいのだから。

 これは味方で、あれは敵。そう見なすのも個人の勝手だが、果たして相手(霊)はどう思っているのか? そして実際はどうであるのか?

 ところで……どちらの霊も身勝手で移り気、楽しむばかりでその行いに意義もなければ、交霊することに責任感も見られない。いわば私にはどちらの霊も同根に思えた。ではその一方の枝を切ったらどうなるか? 相談者が善霊と信じる相手も敵意を表すだろう。――自分にとって都合が良いから善と思う。 善と思うから優しくする。ならば、自分にとって不都合とならばどうなるか? 行動を起せば利害が転じる事を判っているのだろうか。

  何に苦しんでいるか、に気が付かずして解決はない。

  一方でしみじみと思うのだが、無益という程度の霊を見て善霊と信じるのは、果たして意義ある人生を送っていないからではないか。「不快な現実から目を反らせるために霊障を必要としている。」と、感じるのである。「霊障だから仕方がない、霊がこういうのだから、私はこうするのだ。」

 無益な日々を送るいいわけに霊を必要とするのだろう。さもなくば……波動が違えば霊は懸らぬ……意義ある人生を歩ませようとする、私の思う善霊では、この相談者に不都合で迷惑な存在に思えるだろう。

 そう。この相談者が、無益な生き方を望んでいなければ、無益な霊を善霊と呼ばないだろう。それどころか、私が正論をいっても迷惑がるだけであろう。……そして迷惑がられた。

 もう10年は昔のことだが、フッと思い出して纏めてみた。

 

最終更新日 ( 2008/09/14 Sunday 22:32:15 JST )
 
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