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老神心霊研究所

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辛いね
作者 老神いさお   
2008/09/29 Monday 23:48:12 JST

 人の能力には、物理的な限界がある故に、人は必ず行き詰まる。そして……

 行き詰まった人は、いかなる形にせよ、他の助けを借りずにはいられない。

  例えば、現実逃避、責任転嫁……もっと単純に、問題解決に他の助けを求めること。
 多くの人は、行き詰まりを機に挫折する。もしくは……問題を拗らす。

  一番単純な解決方法を、自ら選べないが故に。

 つまり、多くの人は、ただ、己の才能を拗らせるだけである。もしも人がその愚を、もしくは、己が愚を正しく悟るなら、おそらく、行き詰まったときに正しい判断をするであろう。

 だが、多くの人は己が行き詰まったことに気が付く前に、現実逃避するか、責任転嫁をするか……少なくとも事実は……現実は拒絶されている。

 真理がいかに無力であるか。……多くの人は己が信じようとするもののみを信じる。不都合を信じられる人は少ない。少ないが故に……人々は皆忘れている。真理に反した生き方の出来ないことを。

 非力だからと真理を嘲る者が、不自然であることの報いを受ける。

 
想いを形にするには(?)
作者 老神いさお   
2008/09/27 Saturday 00:43:35 JST

 あるメールの内容のこと。―― 「オフ会に、行けるかどうか判らない……」……そりゃそうだ。当人が行くつもりであっても、何があるか判らない。……まして、改めて読めば、いろいろな事情が書かれている。

 が、そのメールを一読後、私の背後から畳み掛けるような叱責が聞こえる。

……整理すると、このメールの送信者を叱責するのではない。少なくとも、この送信者だけを責めるのではない。

「行けるか、どうか判らない」という言葉、もしくは考え方を題材として、何かを訴えようというのである。


『人はパンのみに生きるにあらず、とはいえ、修行や勉強のみに日々を費やすわけにも行かない。用事があれば参加できないこともあるだろう。それは責めない。脇目にはどうでも良く思えるような事柄であろうと、もしくは純粋にサボり心の結果であっても、果たして相手の人生に大きな影響なしといえようか? 一生懸命参加しようとして(途中で)交通事故に遭わないとも言えないのだから。

『だが、心霊の修行のチャンスに「行けるか、どうか判らない」とは何事か? 他(心霊以外)の話しではない。ましてや、座学のチャンスというわけでもない。……これは、初歩の初歩についての話しである。

『なるほど、教わってはいまい。こちらも教えてはいない。……老神(いさお)も、ホームページに纏めようと心掛けているが、私たちが許していない。

『精神統一とは何か。つまるところそれは、想いを形にする技術である。汝らは、死後、どのような世界に暮らすと思うのか? 想いが形になる世界である。自分の思いを上手に形に出来なければ、汝らが暮らすのは、湿地よりも泥沼よりもさらに、足場の悪い、歪んだ世界であろうことを思い描くが良い。

『自分の言い分をどう相手に伝えればよいか判らぬ……そう思い悩む人こそ、恐れるべきなのだ。その様な人の行き着く先は、己の迷い、伝えたくても伝えられぬその苦しみが支配する世界なのだから。――だからこそ、人は、己の心を澄まし、明瞭にし、しっかりと形にすることを地上で学ばねばならない。

『それが出来なければどうなるか? その境涯は地獄とは限らない。だが、他の助けなくして、静けさとも豊かさとも無縁の世界である。――或いは、地上とよく似た精神境涯とも言える。

「……「これで充分」そう言う者も多い。より大きな幸せを知らなければ、現状はそれで充分幸せ、足を知ることも幸せのうちである。だがそれは、自立の喜びを知る者が決して満足しない境涯でもある。』

 「行けるように努力します」

『想いを形にするとは、自分の為したい事柄を、強く思うことから始まる。むろん、自分の思いを無思慮に強いれば、それは暴力となる。が、状況に流されることもむろん極端な選択である。強いること、流されること、その中間に我が身を置き、行けるように努力する。それこそが、精神を統一すると言うことである。

『日常生活において、精神を統一することなく、ただ、霊媒や、その背後にいる霊達の加護に甘えることを精神統一と呼ぶのではない。

 「良い霊媒と出会えればめっけ物」……安易に得たものは、容易に失われる。それを知らぬまでに浸る、大きな誤解である。

 「行けるか、どうか判らぬ。」……たしかに。だが、相手の心を見落としてはいないか?

 「開けるか、どうか判らぬ。」……という、主催者のその思いを。

『繰り返す。参加できない事情を責めはしない。……だが、次回に参加できないとして、汝は主催者を責めずにいられるか?』


 うーん。個人的には確かに、精神統一会の開催中止を考えてはいる。その意味において、「今度でいいや」という考えがあることはあまり面白いことではないのだが。あまり露骨に表現されると、バツが悪いのも確かだ。

 なにせ、出席率の高い友人が参加できない日をわざわざ選んだ、という事情もあるし……

最終更新日 ( 2008/09/27 Saturday 19:28:41 JST )
 
魂を売った人々。
作者 老神いさお   
2008/09/23 Tuesday 00:26:39 JST

『悪魔に魂を売りたがる者は多い。……だが、悪魔との商談をまとめ得た者は数少ない。……見返り無しに魂を売り渡す者は少なくないが。』


 痛ましい事件が連日、報道されている。

 よく、罪のない子どもが犯罪被害に遭い……等というが、本来子どもは、罪があっても許され、導かれるべき対象である。それゆえに、子どもを害す、ましてや殺すなどということは、人の為すべき事ではない。

 なるほどいろいろ事情もあろうし、やむにやまれぬ様々な欲望を持てあます者もいるだろう。
 内心では、殺さずに自分の思いが叶えば良いと思っている。……が。

 人々の身勝手な欲望を全て叶えられるほど、世は柔軟ではない。……むしろ、苦痛なほどの妥協を強いられずには生きられないのが世の中なのである。

 多くの人々が、叶うことなら悪魔と契約を結び、己の魂を代償にしてでも、快楽を求めている。

 が、そうした悪魔を恐れぬ人々は、犠牲者を出し、遺族を復讐心に駆り立て、自らは方に裁かれる……悪魔以外は誰も利せぬ選択をする。

 なるほど私は、「悪魔などいない」という。だがそれは、神々と対立する悪魔はいないというのであって、正道に反して自滅する人々のいないことを言うわけではない。そう。そもそも契約により、魂の代償として人を富ませる悪魔などいるはずもない。ただ、神に逆らい、つまりは、正道に反した奇道で、安直な成功を願う者は……いつの時代にも果てることがない、ということだけだ。

 が、さすがに。――事故米に、メラミン入り牛乳。……私たちの生活に関わる問題の何と多いことか。そして……ほんの少数の、正道を疎かにする人が、果たしてどれだけ多くの人々に悪影響を及ばせるのであるか。

 神々に争いを挑む、「悪魔」なる霊的存在はいなくても、善良さに掛ける人々の影響力の強さは、おそらくは、善良なる人々の信仰心を束ねても勝ち得ないようにも思える。……といって、正道に従う努力を辞めて、自らが豊かになるわけでもないことを知っているところが、ある意味苦しい。

 魂を売っていかなる代償を得たのか? ――おそらく、その貸借は赤字である人しかいまい。

 
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