2001年1月27-31日


幻聴・幻視・狂気・霊

投稿者: 新堂悠里 [投稿日時 2001年01月27日(土)00時41分]

るんとうさん、はじめまして。
何か大変な御経験を積んでいらっしゃるような感じとお察しします。

由梅さん、私も同じような「もしかしてこれはあの世!?」的な夢を見た事が何度かあります。
すごく素晴らしい音楽や、美しい景色、たとえようもなく凄すぎて、でも起きてしまうと忘れてしまう・・・といったような。心霊主義の方でも拝見させていただいていましたが、お仕事やいろいろ、頑張って下さい。そしてまたこちらでいろいろお話できたら嬉しいです。

私が言うのも何ですが、老神さんはいつも誰に対しても、悩んでいる人に困難を乗り越えていけるよう霊的な関係の事を見て具体的にアドバイスできるように、ベストを尽くされているのではないでしょうか。
普通に職業を持ちながらそれと併行して心霊相談なんて、とても常人に出来うる事ではありません。
るんとうさんは、心を病んでいらっしゃるようですが、それならば一層、社会生活を営むことの大変さ難しさなどがお察しできるのではないでしょうか?社会生活をこなしながら、HPを作り、心霊相談を受けていることの大変さは並み大抵ではないと思いますよ。決して精神病とか自己満足ではできない事です。
心霊とか宗教とか以前に、人間としてどうなのかなんじゃないですか?

霊的なことを説明するのに、言葉ではとてもとても難しいと、私は勉強を重ねるのに比例するようにして思うようになってきています。なのでずっと同じところに、同じ言葉で留まり続けることが難しいと思います。だからこそ、言葉尻をとらえてああだこうだという論議は無意味なように感じてなりません。私が老神さんから教えてもらったことは言葉以上のものを感覚として勉強するためにどうしたら良いかということが非常に大きいと思っています。おかげさまで私自身はそれによって、いろいろな困難を克服できつつある状態です。

また、困難をのりこえる手助けはしてもらえても、のりこえていくのは自分自身しかいなんです。
お医者さんも同じ事を言います。

るんとうさんは、ちゃんと自分でがんばりましたか?がんばろうとして、今のるんとうさんに出来るあらゆる努力をしたり。でもそれでもうまくいかない時だってあると思いますから、そんな時はうまくいかなかった理由をきちんと説明してしかるべきフォローを求め、努力の方向の軌道修正を試みたり、そしてフォローがあった場合は受け止めてその通りに実践し、努力の方向を変えてみたりしましたか?

幻聴は私も体験しています。でも”不安、孤立、過労、不眠の4条件”は重なっていません。
私には不安はありますが、孤立も過労もしていません。睡眠時間は恐ろしく長いです。
幻聴は幼い頃からありますが、大した事とは思いもしないで今まで生きてきました。
それで、先日ここにそれについての発言をしてから、「ああ、今までの感じでいいんだ。無視無視」と思い、声が聞こえても無視しようとしました。すると、声が私に呼び掛けてきました。
「無視」を意識することによって、相手につかまってしまったんだと思いました。
今まで呼び掛けられもしなかったのは、おそらく無意識的に「無視」ができていたからなんだろうと思います。
このことは霊的なことにも、そして身の回りのか世の中のさまざまことにあてはまると思います。

精神病だってそうなんじゃないですか?、
精神安定剤とか抗躁&or鬱剤などを処方された時点で、「ああ、私は精神的な病なんだわ」という意識ができてしまって、それが結果的にその人を精神病にさせているような人を何人も見てきています。そういう人にとって薬をやめるのは並み大抵ではありません。「治ろう」という気持ちが「自分は精神病だ」という思いにつながってしまっているので、「治ろう」としてうまくいかないと余計それがその人の精神に悪影響を及ぼしてさらに薬量が増えていく・・・。そんな悪循環になるくらいなら、初めから何の薬を出したか分からなかったほうが良いのかもしれないなと思ったりします。


精神科のお医者さんは、精神病と分かっていない潜在的な精神病患者は世の中にゴマンと居ると話していました。潜在的な精神病の人が、それとわからず治っていくケースも世の中には沢山あるんだろうなとその時思いました。その理由は、「無意識に精神病であることを無視することができるから」なんだと思います。


私は低級霊のイタズラをたまに受けます。仕事柄のせいもあると思います。
これを書いている今だって、イタズラされたのか何なのか、突然キーがおかしな変換をするようになってしまい、友人に教えていただいた除霊方法を試した所、またちゃんとキーが打てるようになっています。全く不思議としかいいようがありませんが、今実際私の目の前で起きたことです。

しかも、こういった現象はこの掲示板に書き込んでいる時にしか起こらないんですよ。過去3回ほどありましたが、原因は不明です。他の所にいって書くとちゃんと書けるのに、ここだけ何で?ってな感じで。

それで軽く除霊したら直ってしまったという、こういうことはどう説明を付けたら良いのでしょうか。
今の私には霊的な作用としか信じようがありません。

また、キー操作に関しては何年か前に、ワープロを打っていた時にもこんなイタズラがありました。

アナウンサーの逸見政孝さんが亡くなってしばらくして、「平成」という文字をタイプしたんです。すると、「へいせい」の漢字変換が「逸見」になるんです。同じワープロを持っている友人に話したら、そんなことは自分のところには無いと言われました。
今までにこの「へいせい→逸見」は3回ほど(私はとても忘れっぽいので覚えているのが3回)ありましたが、いずれも家族のいる部屋で卒論をワープロで打っていたり、職場で同じ部屋に何人も人が居る状態で、そういうことがあったんです。

タイプしていた時の精神状態は全く普通です。今だって通常どおりに家事をしたあと、主人と居間でTVをみながら私は猫と遊びながら、何のこともなくこれを打っている状態で、狂気とはたぶんほど遠い精神状態かと自分では思っていますが。それでも、こういうおかしな現象は起きてしまうんです。

これは、霊現象でないならどう説明がつくんでしょうか?これは幻視じゃありません。実際に起きたことです。幻視なんてしょっちゅうです。自分が幻視をしていることに最近気がつきました。

意味不明な光とか、人みたいなのとか、影のようなわけのわからないものとかいろいろ。道路や室内や、外や、これもまたいろいろです。たぶん、同じようなことは誰にでもあると思います。

しかし、実物の幽霊には御会いした事が無い(御会いしたいとも思いませんが)ので、これらは「幽霊の正体みたり枯れ尾花」だろうと、まあいいやと放っといています。いちいち気にするとだんだん自分が狂気に向かうのを感じるので、「もういいやっ。これについていろいろと思うのは止めよう!!」と切り替えると何ごともなかったように元に戻ります。

今まで切り替えが結構うまくできていたせいで、ずっと気がつかなかっただけなのかもしれないと思います。

そんなこんなでまあ、世の中にはそれが霊現象とわからないだけで霊現象を体験し、それと知らずにうまく気分転換が良い霊とのつながりになっていって、自然と改善されてしていく人が、実は結構いるんじゃないかな・・・などなど思ったりしました。


科学と言いますが

投稿者: いけこ@元実験屋 [投稿日時 2001年01月27日(土)00時50分]

実は本物の科学者ほど科学的常識を信じていないのですよ
科学の進歩=これまでの常識の破壊を意味するわけですから
自分の信じたものが嘘になるかもしれない恐怖と好奇心の上で日々研究を重ねているのです

あるカウンセラーのホームページで薬ばかりの治療を否定するコメントが載っていました
「薬物投与も効果はあるが原因となった出来事を改善しないかぎり完治しない」
本来の精神医学はそうであるべきだと思います
現代医療は手助けであり、治癒させるのは自分自身なのです
そのサイトによると「薬ばかりすすめるカウンセラーはよくない」のだそうで
画面の前でうんうんとうなずいていました

>由梅さん
>私は、精神統一の前に、今はお金を稼がなきゃ死んじゃうとあせっている、ヒトです。

お金が「ゼロ」だと精神は統一どころか不安で落ち着きませんよねえ;;
私は死なないために仕事に行きはじめて過労死しそうですけど;;


カマの娘より

投稿者: 遠井子 [投稿日時 2001年01月27日(土)01時45分]

はじめまして皆さん、カマの娘の遠井子です。
こんなかたちで掲示板デビューもどうかなと思いましたが、皆さんに一言。

 人は不完全な生き物です。言葉があるにも関わらず人には伝えられないのです。
 でも、だからこそ人間なのです。伝えられないからこそ、人を思い、人を案じ、
 人を愛します。心の底で思うものと表面に見えるものは違うのです。
 人を愛せば傷つきます。でも、恐れてはいけないのです。
 まずは自分を愛しなさい。自分に目を向けて、真実が見えたら外を見なさい。
 自分に自信が持てたら、皆と共存していることを確信するのです。
 怒りが悲しさにつながるように、弱さは自信につながり、自信は強さにつながります。

 まずは自分から初めましょ。後でふりかえった時に強さを持っていたら、それは幸せじゃないですか。
 底に落ちる瞬間は誰もが持っているものです。でも、人は乗り越えられるのです。

 心のなかに愛を持ちましょう。


信じる信じない

投稿者: momo [投稿日時 2001年01月27日(土)04時54分]


遠井子さんはじめまして。momoと申します。デビューおめでとうございます。
親子で掲示板を書き込むなんてイイナ。

(話は変わって・・・)
私は今霊感と言う霊感はおそらく無い状態なのですが、過去に何度か一般的に言う
幽霊と言うものにあったことがありますが、今思うと本当に幽霊だったのかな~?
と思います。

あの時の私は周りの生活や人が大っきらいで逆恨みや人を傷付けるような事ばかり
していました。情緒不安定とでもいうのでしょうか?
今は幽霊を見ないけれど私は幽霊と言う存在を信じています。
私の周りに霊感の強い人が多い事や未だに黒いモヤや緑色の発光体を見る事が
多々有るからです。
で、私は幽霊を信じない人に信じろとは言いませんし、信じる人に信じるなと言う事は
しません。だって、そこは個人の自由じゃないですか?
見える人、感じる人は信じればいい。信じたくない人は信じなければいい。
ただそれだけですよね?
しかも掲示板て公共の場じゃないですか。
だからいろいろな考えの人が集まる場だと思うのです。
そういった場所で信じるなと言うのはどうかと思います・・・。

私は老神さんに助けられた一人です。
ここに訪れる人の中にはそういった人がたくさんいると思います。
幽霊の存在を信じる信じないは別としてもここのHPが心の拠り所になって、
支えになって強く生きていこうと思える人がいれば私はそれで良いと思います。
もし幸せじゃなくてもそれは自分の行いの所為。
人を傷付けた代償は必ず自分に戻ってくる。
これは短いけれど私が今までの人生で学んだ事です。

老神さんは決して自己満足じゃないと思う。
だって自己満足だったらこんなに長くこの場を続ける事は難しい。
ここまで来るのには老神さんにはたくさんの苦労があったと思う。
その苦労を誰も否定する事は出来ないはず。そして否定してはイケナイと思う。

ここの掲示板にたくさんの人が訪れるけれどここに訪れる人は幸せに向かって
歩こうとしている、自分を好きになろうとしている人だと思います。
そうである事を願って止みません。。。


追加:常識は覆される

投稿者: momo [投稿日時 2001年01月27日(土)05時07分]

歴史上に名を残す偉人達は、その当時常識とされていた事を覆してきました。
その当時の人が現代を見たら常識では考えられないような事だらけだと思います。
でも私たちはそれを当然のように受け入れている。
自分の信念を貫いた結果だと思います。

しかも一人の人間が見える範囲なんて意識しない限り限られていると思います。
自分の体験してきた世界だけがすべてだとは思えません。
だから私は幽霊を否定できないのです。

辛いときこそ人間性がとわれるわけですが、今が冬だとしたら必ず春は訪れると思いますよ。。。


お返事ありがとうございました

投稿者: みーぴ [投稿日時 2001年01月27日(土)06時38分]

書き留めるのが、おそくなってしまい、お礼がおくれました。
ありがとうございます。
ずっと、苦しんでいました。
しっかり、自分に言い聞かせます。
ありがとうございました。


お返事遅れています。

投稿者: 老神いさお [投稿日時 2001年01月27日(土)13時17分]

金曜日は付き合いも多く・・・(^^;
メールのお返事も送れています。

◆霊感と幻聴は違う
 霊感と幻聴は異なります。霊感とは、霊とのコミニケーションであり、心象世界を感じる能力です。コミニケーションであるなら、無意味な内容はありえないし、心象世界を感じるのも象徴と具象の違いがあっても、やはり無意味なものはありえません。

 多くの人が、「自分の感じる声」などについて、その真偽の確認を求めてきますが、私はこの一点で、それを判断します。「誰にとって意味のあることですか?」

 一番多いのは、そのメッセージの内容が、自分以外には無価値なメッセージです。それも自分にとってもまた、迷惑なメッセージが多いのです。このようなメッセージを受け取っている人は、周囲の(正常な)人間には狂人としか見えないものです。「電波系」なる言葉もありますよね。

 「自分は狂人ではない!」そういう想いから、霊感を肯定してもらいたがっている人も多いのですが、周囲から狂人とみなされるような人に懸る霊が、良い霊であるはずがありません。精神の異常にせよ、霊障害にせよ対処・治療が必要であり、その際に自分の感じているものを霊感と信じてしまう事は、事態を悪化させても、良くする事は無いものです。

 ですから、この掲示板でも、声を無視するように薦めていますよね。実際、霊感を持っている人は数多いものですが、声を聞くことに流される・・・それを目的にすると、どうしようもないレベルの霊の相手しか出来ないものなのです。それはなぜか・・・

 ついで多いのは、一見有益そうで、実は何の価値もない霊言です。「戦争反対、環境破壊反対、思いやりを大切に・・・」大抵の人はそう考えているものです。ではなぜ実現できないのだろう・・・?
 その答えこそが真の叡智なのです。いくら戦争に反対しても、具体的な提案が何一つ含まれていなければ駄々をこねているのと代わりが無いのですよ。


 結局のところ、霊感は平凡なところに落ち着くものなのです。奇跡で戦争がなくなるのなら、霊媒を利用する必要もないのだから。霊媒にあてがわれた仕事は、魂の助産婦であり、魂の風呂係りであり、食事番に過ぎないのですよ。


◆天外魔境
 幻聴に関する相談を受ける事が多いのですが、治るのに時間がかかることが多いのが普通です。治る人は幻聴を無視する努力の出来る人で、孤独感から幻聴を霊聴と信じ込もうとする人は、まず治りません。

 最近、掲示板からはなれている人ですが、やはり幻聴を克服した人がいます。メールだけの付き合いの人の中にも、私のアドバイスを受けて克服しつつある人が何人もいます。心の弱さや限界を一度自覚した人は、無理をせずに上手に生きられるようになるものです。

 本来目に見えないものが見えたり、聞こえたりと言う「霊感」は、限りなく狂気に近いものです。そういった不可知な感覚を無視する事で、人は冷静さを維持できるのです。しかし、インスピレーションは得てして、狂気の一歩手前に生じます。特に、芸術家であることを知らなければ狂気としか思えない人も多々いますね。

 また、職人も「勘」を大切にします。ハイテク産業の先端ですら、計器や測定器では計れない部分を「勘」で補っているのです。私も一時は技能的な職業についていましたから、なおの事判ります。「勘」の悪い人が想像的な仕事で大成することはありません。

 霊感を含めて、「勘」やインスピレーションを人生に生かすのに必要な必須の条件は、「正しい勘は大抵の場合、自分に不都合なものである」ということです。

 自分にとって不都合な事態を、事前に感じ取り、不都合を克服するべく努力と準備をした人が「勘」を人生に生かす事が出来るのです。反対に「自分の都合の良い方に理解する人」は、「勘」によって人生を滅ぼすものです。

 自分の都合のよいことしか聞かず、そのために破滅する。それを「天外魔境」とよびます。天外魔境にある人を助ける事は出来ません。


◆精神世界の落とし穴
 精神世界に入り込む人には、孤独な人が多いものです。周囲に自分を認めてくれる人がいないからと、精神世界に誰も認めてくれる人が否から、


◆るんとうさん
>ですから、幻聴を「霊感の暴走」などと勝手に決めて。
>相談にのりアドバイスをするのは止めなさい。

 幻聴が「霊感の暴走」であるのは、ちゃんとした霊能力を持った人に当てはまる事です。そして、私はあなたの霊能力を否定した事はあっても、肯定した事はありません。過去に、否定した時のメールもちゃんと保存してあります。

 また幻聴が身体の異常で起こる事も否定しませんし、病気ならお医者さまの担当でしょう。お大事にどうぞ。

なお、霊現象以外の幻聴については、私の担当外ですから、お医者様の完治宣言がなされるまで、掲示板への出入りはお断りします。


◆初心者さん、TOSさん & いけこさん
 心霊肯定派の医療関係者が多いのは、むしろ、生死を常に見つめているからでしょう。心霊に関心を持つ原因は、圧倒的に「近親者の死」が多いのです。ただし、精神世界一般と考えると、「孤独」が原因である方が多そうですね。

 日常的に生死を見つめていれば、割り切ってしまうか、不可知な存在に目覚めるか、いずれかしかないと思うのです。

 ただ、繰り返しになりますが、世の心霊知識にはあまりに先入観や迷信が多すぎます。精神病のすべてを霊障と信じている人も大勢いますし、逆に精神病である事を霊能力であると錯覚している人もいます。さらには、地方にはまだまだ、病気になると、お医者様に行く前に拝み屋さんに頼む人もあるようで、私のところにも“ドッキ!”とするようなメールが舞い込む事もあります。

 人は心霊知識をどう生かしていくべきなのでしょうか。

 整体の師の言葉に、「病気が苦しいのは、治そうとするから」というのがありまして、これがまた知れば知るほど難しい概念なのです。
 風邪をひいたとき、のどが腫れるのも、熱が出るのも、風邪のウィルスが起こしている悪影響ではなく、人間の身体の免疫機能が働いているからなのですよね。苦痛を生じるのは病気だからではなく、病気を治そうとする身体の機能が活躍している証なのです。
 なのに、人は皆、炎症や解熱の為の薬を飲みます。実は、病気というのは人体に振り回されているだけではないか・・・そう思えるのです。

 心の痛みにも、これが当てはまります。心の痛みに振り回されて、それが正常な反応である事を忘れているのではと思えるのです。
 人が孤独に苦しむのなら、人に必要とされように自分を磨けばよい。
 劣等感に苦しむなら、努力すればよい。
 「心の痛みもまた、変化を促す人体の摂理」
 ところが、誰も皆、痛みから逃れる事ばかりを考えて、自分を変える努力を忘れているのです。痛みもまたメッセージであり、人は心身の痛みとも「会話」しつつ、生きるべきなのです。


◆由梅さん
 お仕事決まったそうで、とりあえずおめでとう。一歩前進ですね。

 霊体験の心理状態との事ですが、大抵の場合、恐怖感が伴います。事情を聞くとなるほど、異常が続いているのですが、異常=霊体験というよりも、当人が霊体験と思いたがっている場合が多いのです。特に、ラップ音についての相談が多いのですが、これについては師匠が来てから、フィールドワークを行う予定です。

 また、恐怖感を感じない場合も、多少報告されていますが、それは「気がついていながら認めたくない自分の欠点」である事が多いのです。


◆福犬さん&momoさん (と新堂さんも)
 進歩は多くの場合、既製の常識を否定する形で起こります。しかし、非常識はやはり非常識なのです。たとえば、自殺した人はすべて自(地)縛霊になるとか、病気のすべては霊障害と言うのは私も非常識だと思います。

 霊が見えるというのも、非常におかしな話である事は、私も再三繰り返している通りです。実体が無いからこそ見えない。なのになぜ、霊能者は霊を見えるのか。

 霊能者は、象徴を受け止めているだけなのです。象徴である事を象徴ときちんと把握せずに心霊理論を構築するからおかしな話が出てくるのです。


◆太陽低温説
 以前、メールで受けた質問で、未だ返事をしていないものですが、精神世界に「太陽低温説」というのがあります。太陽は生命が育めるほど本当は穏やかな温度なのだという説です。
 これを主張するのは、天文学者ではなく、霊能者や治療家である事に注意してください。太陽の表面温度にいかなるいかなる利害を、霊能者や治療家が持っているでしょうか。

 多くの治療家は、自分の気(エネルギー)だけでは足りないからと、外部から気を取り込んで治療を行います。それを称して宇宙エネルギーなど呼びますし、治療家の中には太陽からエネルギーを取り寄せる事をイメージする人もいます。

 その時、太陽として感じるのは、力強くても穏やかなエネルギーなのです。つまり治療家にとって、太陽は超高温のプラズマの塊ではありえないのです。

 これもまた、象徴と実体の錯覚が生み出す、勘違いなのです。霊能者や治療家が感じ取る、象徴的・霊的な太陽を、実際の太陽と混同しているのですね。


◆新堂さん
 幽霊の話など、コメントをつけたいものもたくさんあるのですが、今月はもう少しがんばらねばなりませんので、それは後日。
 “へいせいー>逸見”変換は、テレビ番組「平成教育委員会」に関する事を作文に間違って、登録したのではありませんか?

 また、表掲示板への投稿に、抵抗を感じるのは、慌てて返事をするな・・・という意味だと思います。ただし、霊のというよりも、あなたの深層心理の働きが大きいでしょう。きちんと違和感を感じているのですよ。

 言葉は心の乗り物なのです。「嫌い」という言葉が、「かまって!!」という意味の表現である事もままあります。同時に、「好き」や「尊敬する」が、利用させてという意味である場合も多いですしね。言葉に乗せられた心に返答するか、乗り物である言葉を突っ返すか、それも思案のしどころなのです。


◆遠井子さん
 ようこそ。
 人はそれぞれ、才能も違えば、目指すものも違います。
 互いの違いを認識する事。相互理解はそこから生まれます。

 前に向かって歩く、そのペースも人によって異なります。
 いろいろな人を見て置いてください。


◆みーぴさん
 苦しみは、あなたの変化を促す力です。
 あなたが自分を変えようとする気持ちを失わない限り、痛みも苦しみもすべて、あなたの魂を大きく育てます。お幸せに。


言葉は心の乗り物

投稿者: 新堂悠里 [投稿日時 2001年01月27日(土)18時08分]

なるほどです。
おつき合いやお仕事などでお忙しいところ、お返事ありがとうございました。
私の方は、またお時間が空いたときにでもお返事いただければ有り難いです。

私は言葉をそのまま鵜呑みにしてしまうところがあって、その裏に隠された意味を踏まえて相手に対応していくことがなかなかできず、今までそのために随分いろいろなことがありました。言葉に乗っている心を大切にしていけるように、それをちゃんと実際にできるようにしていきたいです。

平成教育委員会と逸見さんに関する作文は作っていませんでした。別にその番組が気に入っていたわけでもないし、何の関係性も見当たりませんでした。
その変換が起こった時に、妹にもその現場を見せたことがあるのですが、「え??これって逸見さんのことじゃない?」「やっぱそうかな?」と不思議と恐怖の入り交じったやり取りをかわしてその場は一応終わりました。
「へいせい->逸見」が起こると数分間しばらくそのままなので、その画面への入力にこだわるかぎりその間は何度でもこの変換が再現できました。
それでまたしばらく月日が経過してから、同じ事があったんです。
その間はずっと同じワープロを使っていて(書院WD770だったかなあ)いましたが、普段ちゃんと「へいせい->平成」とちゃんと変換できました。職場でそれが起こった時に私は気持ちがわるくなって、同じワープロを使っていた先輩職員にそれを話したところ、「こいつおかしいんじゃないの?」と言わんばかりに、とても訝し気な顔をされてしまいました。それ以後は、このおかしな変換は起こっていません。まあ、何年も前のことだし、どうでもいいやと思って今までうっちゃらかしていたことですし、同じようなことに今後遭遇しても、変にこわがらず無視していこうと思っています。

>また、表掲示板への投稿に、抵抗を感じるのは、慌てて返事をするな・・・という意味だと
>思います。ただし、霊のというよりも、あなたの深層心理の働きが大きいでしょう。きちんと
>違和感を感じているのですよ。

なるほどです。すると、深層心理がパソコンの文字の変換にも影響を及ぼすような力を持っていると考えてよろしいのでしょうか???超能力者がスプーン曲げをするのと同じように、自分では意識できない何らかの潜在的な能力があって、それが手に触れられないものたとえばこの場合、パソコンを特にいじくらないでも勝手に変換がおかしくなってしまう・・・というようなことを、実際に念というか、そういうものの力によって動かすことができるというか。

正しい勘は自分に不都合のとき・・・思い当たる事が山程あります。
太陽低温説・・・私もそのような類いのことを老神さんに以前メールでお話したことがありました。
太陽や、太陽系の他の惑星には人が住んで居て、地球の波動とちがうために見えないだけだ・・・みたいな話を聞いた事があります。実際どうなのかな・・・ほんとうに人が住んで居たら面白い気がします。
それも、象徴と実際の勘違いなのかしら。

>遠井子さん
底に落ちる瞬間は、毎度毎度に感じています。高慢さがいつ生まれてしまわないかとか、落ち込みからいつのまにか周囲を巻き込んでしまっていることに気付いたりする時とか。
ほんとにいろいろ。
そうですね、乗り越えていけるように頑張っていきたいです。


>>思案のしどころ

投稿者: MUPさくら [投稿日時 2001年01月28日(日)01時17分]

 みなさん、こんばんは(^_-)-☆
ご無沙汰ぶりの者です。。
 初めましての方沢山いらっしゃって、そぞろご挨拶も・・・と云う感じで失礼乍ら、入らせて頂きます。

いけこ@元実験屋 さん、、お仕事ほどほどにガンバって下さいね。

皆さんの書き込み、いろいろと感慨深く読ませて頂いております。。

 新堂さん~
>精神科のお医者さんは、精神病と分かっていない潜在的な精神病患者は世の中にゴマンと居ると話して
>いました。潜在的な精神病の人が、それとわからず治っていくケースも世の中には沢山あるんだろうなと
>その時思いました。その理由は、「無意識に精神病であることを無視することができるから」
>なんだと思います。

それは、私のことだと思いました(^^;)
 神経的な障害などが、後から自覚出来ることのほどでもあり、これは物心着いた頃から変質すれど現在に至る迄,又人生の中でこれからについても一種の私のパーソナリティとして定着し成り立っているものと云う感覚は、先ず忘れているわけではありません。

 ただ、表出するカタチがマーチする、自分自身がそれと向き合って折り合いで付き合うものの程度のことと収めています。よほど辛かった次期は、意識的に努力した内に症状は取り敢えず私にとって軽くなる様変遷し(させ)ました。
 だから、その異常の線引き加減って、各主観を除いては判断出来にくいと感じています。

ええと、あまり話すことも無いのですが、この云十年余の生の中で、感覚の他に妙なモノが見えたり聞こえる筈の無い事が確かに聴こえたりってそりゃ、思い出して気付けば、忘れっぽく難聴でド近眼な私でも体験記憶は少なくともあったりしてます。でも、その状況や条件を把握したくて、自分なり検証なんかもしてみて理解は心得て粗方片付けてきてます。
 別に霊能者ではありません。敢えても含めて学んだ経験からの対応の仕方です。と云ってもまるっきり一人で解決したものとも、言えませんがね。その関わる時点で必要な意味を見付けられなければ、それ以上深追いしません。後で思い当たることもそれなりにあったりしますが、それはそれ迄の事として来てます。時に表現しようのない感動も憶えてただ、感謝に堪えない嬉しさがこみ上げるばかりの想いもグッと押し寄せる事がある。そんな五官(感?)の逸脱もあったりして、、それは一瞬であっても物理的な時の経過に支配されること無く、湧き起こって甦る得も知れぬものとして自分の中に確かに大切にしまわれてあり自然に残っています。

るんとうさん、お久し振りです。
 無責任に思うか知れませんが、努力続けてね。キチンと対話を進める事が出来るようになりたいですね。
きっと、待つ可能性は実現します。心は、なかなか見えにくいけれど、伝えられれば伝わるものだから。。

 老神さん~
>自分にとって不都合な事態を、事前に感じ取り、不都合を克服するべく努力と準備をした人が「勘」を人生に
>生かす事が出来るのです。反対に「自分の都合の良い方に理解する人」は、「勘」によって人生を滅ぼすもの
>です。

思い当たる節がある中で、自分の理解の手助けとしては後文すんなりは解釈が飲めません。意味を比類した時、
”やみくもに”と補足を加えて繋がりますが・・・。それで、OKでしょうか(?_?)

>◆精神世界の落とし穴
>精神世界に入り込む人には、孤独な人が多いものです。周囲に自分を認めてくれる人がいないからと、精
>神世界に誰も認めてくれる人が否から、

すみませぬ。ここら辺の脱文と思われる部分,完結にまとめて下さいませ。。つまずきました(/_;)


ん?

投稿者: kouji [投稿日時 2001年01月28日(日)17時41分]

久々に書き込むのですが、るんとうさん・・・って、ここの常連さんのるんとうさんですよね?


うちの娘が…

投稿者: カマ [投稿日時 2001年01月28日(日)20時23分]

なんだかうちの娘が偉そうなことを書き込んでたようで、皆様失礼いたしました。
人生経験も少ない子供に、皆様あたたかく接していただきありがとうございます。
なんでも、あの時皆さんが悲しみ傷ついているように感じて、思わず書き込んでしまった
そうです。
娘には学業も、人生経験もまだまだいっぱいやらなければいけないことがあります。
老神さんの助言をいかして、これからもいろいろ学んで欲しいと思います。
娘にかわってお礼申し上げます。


いろいろ

投稿者: いけこ [投稿日時 2001年01月28日(日)21時36分]

「座禅をしていて気が変になる者はいないではないが、それは座禅の罪ではない。世事に執着して気が狂う人はたくさんいるではないか。狂乱を怖れて座禅をしない僧は永遠の地獄に堕ちるのだ」(13世紀の宗教家、明恵上人のお言葉より)
座禅を精神統一におきかえてもよいかと私は思います
明恵上人は自分自身が狂っていると人に見られたくないという苦悩も持ちあわせていたそうです
ここ最近で一番興味を引いた人物でした

>カマさん、遠井子さん
まずは掲示板デビューおめでとうございます

あわてていると表現すると少しずれるのですが、遠井子さんは「今すぐ伝えなければならない何か」に押されて書き込みしたのでしょう
16歳だって知っててもちょっとびっくりしました
学校の友達つまんなくないかなーって余計な心配など

>MUPさくらさま
この書き込みを見て、「もしかすると私って働きすぎ?」とちょっとだけ思いました

私も難聴です
聞き間違いが多く、いらだってくると人がしゃべってない言葉まで聞こえた気になるので、いわゆる「幻聴」はしょっちゅうです
大半は気にしないことにしてます
どれもこれも全部「霊障」だと思うと自分のアイデンティティまでどっかいっちゃいそうなもんで


愛とは・・・

投稿者: SKおはら [投稿日時 2001年01月28日(日)21時57分]

遠井子さんのカキコミを読ませて頂いて、考え込みました。
深いなぁとうなっておりましたが、「弱さが自信につながる」とはどういう意味なのでしょう。
自分の弱さを自覚し、克服することで自信がもてるようになる ということなのでしょうか
そして、自分を愛することとは、言葉にすると、あたりまえのようでその実とても難しい気がします。
私は、自分で自分を愛しているのかどうかわかりません。
過去を振り返ってみると、自虐的になった時もありましたし、間違った事だとうすうす感じていながら
信念をつらぬいたこともありました。血が流れましたが、痛みを知る事ができました。
少し混乱していますが、愛するということが実感的にわからずにいます。


ついていくのが大変ですね (^^;

投稿者: 老神いさお [投稿日時 2001年01月28日(日)22時35分]


 伝票入力が終わって、ほっと一安心。
 今年は幾分早く終わりました。
 明日からプリント三昧の日々・・・(-_-;)

◆新堂さん
◎誤変換
 変換、確定を繰り返すと、自動学習が働いてしまいます。
 たった一度の誤変換が気になってしょうがなくなることもままあります。

 「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」・・・気に求めなかったミスが、意識に止まった瞬間に大問題になる事は多々あります。人間の認知にはそういう問題があります。あなたの体験は非常に貴重なものなのですよ。
 たとえば、新興宗教に人がのめりこむのも同じ原理です。人は内心に、気がついてもらいたいもの・・・見抜いてもらいたいものを抱えているものです。それを指摘されると、人は舞い上がるのですよ。
 で・・・未来を当てるよりも、「相手の願望」を当てる方が簡単なのですよ。

◎潜在意識
 潜在意識の影響力は、超能力とは言えませんね。むしろ大切なのは、潜在意識と争わず、協力して結果を出すことといえましょう。
 「書くな」と潜在意識が止めるなら、別な行動を選択すべきなのです。

◎太陽低温説
 残念ながら・・・


◆MUPさくらさん
確かに・・・
「やみくもに自分の都合の良い方に理解する人は、
『勘』によって人生を滅ぼすものです。」

ですが、神様というのは見ているものなのですよ。だから・・・
「自分の都合の良い方に理解する人は、手助けを得られないものなのです」

 自分の幸せは、自分のものですよね。苦しみや痛みに不平を並べても、誰かが努力してくれるものでもありません。自助努力を忘れたら、逆に見放されるのが落ちなのですよ。

 わたしは、愚痴は三回まで・・・と言っていますが、いくら助言しても努力せずに、ひたすら、愚痴をこぼしてばかりいる相手に、一体何をすべきでしょう。困苦は乗り越える事に喜びを見出せるものですが、永遠の愚痴には克服する喜びがありえないのですよ。

 私は、困苦を共に背負う覚悟はありますが、愚痴に永遠に付き合うほどヒマではありません。霊能者の職責に、「困苦を乗り越える」が合っても、「愚痴に付き合う」というのはありません。

◆re: 精神世界の落とし穴
 あちゃ・・・削除したつもりが・・・(^^;

 マナーの低下が問題になっています。
 私も人間ですから、目の前にあまりマナーの悪い人を見たら、さすがに腹も立ちます。しかしあくまでも感情の動きであり、それを非難するのはあまり好みません。

 以前の事です。ある資格試験の受験の帰り、心身ともに疲れ果てて、電車ではせめて座って帰りたいと、わざわざ一本電車を見送って、ようやく座席を確保したのです。そして発車直前、あるご婦人が私の前でよろけたのですね。
 あちらには、学生も座っているし、もう少し先にはシルバーシートもあるのに。ああ、天に選ばれてしまった・・・と嘆息しながら、席を譲りました。

 たとえば、高齢者の方や、妊婦の方、障害をお持ちの方に席を譲る・・・一体なぜかと考えてみましょう。立っている事が私たちよりも辛いだろうと、気遣っての事ですよね。私も疲れていたのです。でも、お年寄りに席を譲る気力が残っていたのです。若くても人に対して親切にする気力や気概の無い、軟弱ものに腹を立ててどうなりましょうか。

 たとえ、五体が満足でも、身体を司る心や魂が病んでいる人は、それなりに労わるべきではないでしょうか。尻を叩いても、逆恨みする程度の理解力しかないのなら、どう諭せばいいのでしょうか。すくなくとも進んで行う事に、誇りを抱いても、人を非難して自らを汚すべきではないと私は思います。

 力ずくでの善行に、社会的な価値があっても、精神的・倫理的な価値はないのです。
 心の時代と言われていますが、健全な肉体にふさわしい心をもとうという事なのか、それとも、心の荒廃が切実な問題になっているのかを見極める必要があるのですよ。


◆カマさん
 まあ、確かに表現は選びましたが。お気になさらずに。
 とてもすばらしい才能をお持ちですね。
 ただ、お嬢様にいくつか技術的な問題を指摘すると、
 1、誰の波動に合わせたのかを自己チェックしましょう。

   投稿を読む限り、第三者的な立場の発言です。
   それは曖昧な、別な表現をすれば八方美人的な回答にしかなりえません。
   それが必要な場合もありますが・・・。苦しんでいる人の立場にたって、
   回答を模索するのなら、あなたはとても良い回答者になりえます。
   その一方で、頼まれてもいないのに同情すると、他人の人生の重みで、
   自分の人生が歩めなくなります。

   人生の良し悪しは、バランスで決まるのです。


 2、自分の分を見極めねばなりません。

   重荷を分かち合うのは、むしろ義務です。
   でも、背負えもしない人の重荷を背負えば、
   かえって迷惑をかけます。
   軽い荷物を請け負ってしまうと、
   相手は甘えて、自分で荷物を持たなくなります。

   行いの良し悪しは、バランスで決まるのです。

   業(カルマ)という言葉があります。
   これは、「行い」と同義語なのですよ。
   なのになぜか、前世の行いを意味する言葉として
   心霊では使われています。なぜか・・・
   よく考えてみてください。


 3、抽象的な回答と、具体的な回答を使い分けねばなりません。

   人生の意義は、死ぬまでに見つければよいのです。
   気長な問題に、真摯になって目先の問題を忘れてはいけません。

   一方、苦痛は時として、致命的な何かを暗示している場合があります。
   苦痛を見た時なすべきは、速やかな介護か、黙殺のどちらかなのです。


◆いけこさん
 おおーーーー(^^;
 勉強していますね。
 そうです。明恵上人のいわれた事こそが、天外魔境です。
 さらにいえば、「世事を禅に持ち込むから、気が狂う」となります。
 瞑想・禅・精神統一・・・確かに根は一つなのです。

>学校の友達つまんなくないかなーって余計な心配など
では表現を変えてみてください。
あなたは同年代の、友人、同僚と話をしていてどう感じますか?

そして、精神年齢という言葉をどう考えますか?


◆SKおはらさん=遠井子さん
 助言を求められた時に、霊能者がなすべき選択肢はいくつかあります。
 1、相手の守護霊に意見を求める。
 2、自分の守護霊に意見を求める。
 3、支配霊(守護霊の上位にある霊)に意見を求める。
 です。
 この選択肢はケース・バイ・ケースで行います。

 この場合、SKおはらさんは、自分の心の整理がつかない点が問題なのです。多くの場合、質問者は自分で答えを知っていて、それが受け入れられなくて相談しているのです。ならば、聞くべき相手は・・・ですよね。

 問題事を抱えている相談者に対しては、相手の守護霊だけではどうにもならないから相談に来るのです。ならば、聞くべき相手は・・・ですよね。

 しかし、会った事も無い人の守護霊など、ひと目で見抜けるはずもありません。ならば、誰と話すのが一番確実でしょうか?

 大切なのは・・・言葉によるコミニュケーションは、肉体に依存した(というより束縛された)ものであると言う事です。真の交霊は、知識や体験の共有と言う形で行われます。つまり自分の知恵のようでいて、それは交霊相手の知識や体験を共有しているものなのです。


ん~

投稿者: kouji [投稿日時 2001年01月28日(日)23時42分]


うちのHPから老神さんのHPへのリンクは削除することにしようかと思っています。
「るんとうさん」もきっとそうでしょうが、「老神さん」=「超能力者」と思っている人が多すぎる。
というか、自分もそうだったのをやっと抑えられるようになった。(普通の人としか見てない。)
誰だって「霊能者」=「超能力者」=「すごい人」という錯覚を起こす。
そういう人が必ず出る以上、私のHPからリンクを張っているということも私としては良くないことと思えてきました。
まぁ、私のHP経由でここに来る人はいないのでしょうけど・・・(^^;
他にもいろいろ書きたいことはあるのですが、やめておきます。


おもにkoujiさんへ

投稿者: 老神いさお [投稿日時 2001年01月29日(月)06時00分]


 まあ、ほとんど私の独り言としてお読みください。

 人には様々な才能があります。霊感も一つでしょうが、語学や芸術的な才能も、人にはでき得ない何かをなせるものですよね。しかし、何ヶ国語も自在に操れる人や、絵の上手な人を超能力者とは呼びません。

 人が誰かを、超能力者と呼ぶとき、そこには奇跡への願望を持っているものなのです。たとえスプーンを曲げるのがせいぜいであったとしても。

 奇跡は自分で起こすもので、人に起こしてもらうものではないのです。そして自分を変えるのは、自分自身の努力で無いと、洗脳と呼ばれるのですよ。

 まして、苦しみの原因が自分の中に内在するなら・・・たとえば、社会との軋轢を起こしているのが自分自身なら、自分を変えようとしない限り、問題は解決しません。

 たまたま、世に認められずに不満を持っている人たちが、ひとつところに集まれば、一時的に自尊心がまぎれますが(新興宗教など)、世の中に集団ごと受け入れられないと言うだけの話です。

 自分を変えるのか、世の中を変えるのか。実際に世の中を変えようとして強烈な拒絶にあった宗教団体は、いまだに世を賑わせていますよね。

 問題は依存心なのです。私は親切であろうと努力していますが、依存は拒絶します。疲れ果てた人たちが、一時の安らぎを求めているのなら与える準備がありますが、自らの足で歩かない人たちを抱え込む気は、まったくありません。

 私を通じて働くものたちは、「いかに歩くか」の助言しかしないのです。「歩かずに目的地につく方法」を語る事はありません。

 しってますか? 仏像の拝み方だって同様ですよ。拝んだだけでは幸せをつかめなくても、信仰によって幸せを掴んだ人は大勢いるのです。拝み方が問題なのですよ。


犠得ええ

投稿者: 遠井子 [投稿日時 2001年01月29日(月)15時34分]


今日は体調が悪くて学校を早退しました。家に帰るとお母さんが
「あんた、すごいことになってるわよ。」と、言いました。
訳が分からないまま、とりあえず掲示板を見ました。
『きゃ~~~~~~~~~!! 私にどうしろと!?』

>老神さんへ
私、まだ16才だし。それはどうかなって。自分が書いたものには責任をもってお返事したいとは思いますが、ネットを通してそんなことできな~い!
と、思います。私の力はいまのところどちらかといえばヒーリング系なので、いきなりは無理です。確かにこれからはそちらの方面にも力を伸ばしていけたらなとは思いますが……。

助けてくださいね。
いろいろと。
(文章、変ですね。お子さまだから許して。)

それじゃ、責任もってお返事したいと思います。

>skおはらさんへ

 私自身が「自分を愛する」ことの大切さに気がついたのは、実を言うと前世の時の死ぬ瞬間でした。
 私は平安時代に巫女をやっておりましたが、その人生が終わる間際、つまり死ぬ直前には病気を患っていました。病気といっても精神の落ち込みから体調を崩したのです。
 精神がぐちゃぐちゃ、どろどろとしていたわけですよ。それで、体力が落ちて、とうとう死ぬんだなあと思った時に、目に入ってきた光景は陽光の中きらきらと光る木々と、やわらかい風のざわめきでした。それを見た瞬間、「ああ、自分はなんて小さなことで悩んでいたのだろう。」と、思いました。 そして、自分に足りなかったものは、自分への理解、つまり自分への寛容さ、 自分への愛だったのだなと気づいたのです。

 それからも何回かの転生を繰り返しましたが、どの転生においても「自分への愛」 というのは重大なことでありながらも、成しがたいものでありました。それは、今生においても同じです。

私自身が自分を愛せているかと問われれば、理性の及ぶ限り自分を愛そうとしていると答えます。私もひどく落ち込んだり、心を痛める出来事に直面したときには、自分を愛すという余裕はなくなります。
でも、私はその事態を時が解決することも知っています。
「今の状態を乗り越えれば大丈夫。」と、ひたすら思いつつ、自然に耳を傾けています。

skおはらさん、私は人生の先輩であるあなたに、こういうときはこうしなさい、とは言えません。でも、あえて言わせていただけるならば、自分の行いを許してあげてください。自分の行いに葛藤を覚えるのは自分ですが、それを唯一許すことができるのも自分なのです。
無理をして頑張った結果が思うようにいかなかったとしても、無理をして頑張ったことは誉めてあげられるのですよ。そして、それをできるのはあなた自身です。

弱さを強さにかえることと、自分を愛することはどちらも難しいことですが、結果的には両方とも同じことなのです。

>血が流れましたが、痛みを知ることができました。
と、あなたは書いていましたよね。あなたは本当は気づいているのですよ。
だから、自分を信じ、行く道を見定めてください。

おなか痛い~。(;_;)
あ~あ、また偉そうなこと言っちゃって。
お母様にまた言われるんだわ~。ケッ。 


訂正します

投稿者: カマ [投稿日時 2001年01月29日(月)18時17分]

SKおはらさんのお名前を間違ってました。ごめんなさい。
あと、題名は「ぎえええ」といれるつもりでおもしろいことになりました。
キーボード入力の技量も足りない娘です。笑って許してやってください。


言葉から来るイメージ

投稿者: kouji [投稿日時 2001年01月29日(月)21時18分]


>問題は依存心なのです。
>私は親切であろうと努力していますが、依存は拒絶します。
>疲れ果てた人たちが、一時の安らぎを求めているのなら
>与える準備がありますが、自らの足で歩かない人たちを抱え込む気は、
>まったくありません。

「霊能者」を自称する時点で、その文字を見た人は依存をはじめる。
自分に見えない世界だけに、霊能者にそれを依存しようとする。

何かアドバイスをされれば、それを信じる。
信じたのに結局「依存するな」と言われれば、騙されたと感じる。

または、アドバイスが期待未満であったために腹が立つ。

親切心から人のことに首を突っ込むのはいいかどうかわからないけれども、
それならそれなりに責任をもった言葉を。
相手は看板を見て無意識的に依存してくるのだから。

そして的外れなことを言えば、信頼をなくす。
看板がついている以上、言葉に責任がつきまとう。
そのときそのときで明示的に看板を降ろしておかないと。(^^;


仲良し母娘さん&koujiさんへ

投稿者: 老神いさお [投稿日時 2001年01月29日(月)21時26分]


◆遠井子さん
 若いからとかばう人もいれば、若いからと付込む人もいます。「16歳だから・・・」というのは、人に対する言い訳ではなく、あなた自身の戒めとしてください。私はなるべくあなたをかばいますが、誰もがあなたに好意的ではないのです。

 英語が話せるからと言って、誰でも米国大統領と話が出来るとは限りませんよね。同様に死者と会話する能力を持っていても、神様や仏様と話が出来るわけではありません。ところが、霊感さえ得られれば特別な人になれると信じている人が大勢いるのです。

 極端な話し、自分の劣等感を跳ね飛ばすのに、努力よりも霊感や超能力の獲得を目指す人が大勢いるのです。

 さらに注意すべきは、心霊研究家や、超能力研究家の類です。そういった人たちの多くは能力者に複雑な感情を抱いています。まして、第三者の冷静な目で判断できる研究者はごくわずかで、大部分の研究家は受け売りしか出来ませんから、惨めさから目をそらせるために、ことさら霊能者を侮蔑します。明治の霊能者たちがたどった末路を繰り返してはいけません。

 私はなるべくあなたを庇いますが・・・あなたについている事は出来ません。ですから、何よりも自衛の方法をいち早く盗み取ってください。私は苦労して会得したのです。それは簡単に教科書にまとめて、伝授できるようなものではありません。だから、盗み取ってくださいね。


 ちなみに、私のあなたへの評価はかなり高いものです。もちろん、現段階で心霊相談を受けるのには反対ですが。
 はったり商売の行者・・・荒行を誇る・・・らは別として、中身の無い霊能者ほど、自分にかかる霊の「ラベル」を誇ります。ラベルがすごいのは中身の無い証拠と言って過言ではないのです。
 あなたは自分に懸る霊の名前を出さない・・・それだけでもあなたの背後霊が、名より実を大切にする事が判ります。
 ちなみに行者の本尊・守護神は、仰々しい名前が普通ですが、荒行に応じ田だけのものは持ち合わせているものです。もちろん過信は禁物ですが。


◆カマさん (^^;
 お や ば か
 (^○^) (^○^) (^○^) (^○^)


◆koujiさん
いつもながら、一歩違いで・・・(^^;

 目的が違うのですよ。私は霊能者の看板を出す事のリスクをきちんと理解しているのです。そして、人の悩みに答える事が私の真の目的ではないのです。

 私は師匠と三回り(つまり36歳下)違います。上の姉弟子とは二回り(24歳下)なのです。精神統一や、交霊の実際など、学ぶべき事は多々ありますが、心霊の話が出来て、歳が近い友人を求めた時期もありました。ところが、見つけやすい霊能者・・・心霊相談の看板を出している人たちは、正直、友人には選びたくない人たちばかりだったのです。

 私がホームページを立ち上げた当時、非オカルトの心霊ページは、片手に足りません