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外の霊、内の霊

2005/05/14

 滅多に霊障を指摘しない私の霊能力を色々と批判される方もいるようだが、言い訳や自己宣伝的な回答に代えて、一つの事例を紹介する。

『改築後に家族の頭がおかしくなり、数百万円の礼金を払い、霊能者に除霊を依頼したが良くならなかった。どうしたらよいか?』という相談を受けた時のことだ。霊視をすると、小さなトラブルがたくさん見つかるが、でも、相談内容ほどの悪さをするような大きな特徴はまるで見つからない。

 しばらく回答に間を於いて気がつき、回答を行ったが、相談者からの反応は「確かに改築前から変な言動が見られた」 ……であった。

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 私は職業霊能者ではない。従って世の中にどれほど多くの悪霊がいようが、または、悪霊が迷信の産物に過ぎなかったとしても、―― 私のサイフにだけは何ら影響がない。従って写真に見慣れぬ光点が写ろうが、白い霧状のものが写り込んでいようがそれを霊のせいにする必要を感じない。

 また、実父・実母、祖父・祖母らの霊を見たと怯える人に除霊を勧める必要も感じない。すたれたとはいえ墓参は日本の風習である。不信心な人々でさえも死者を訪ねてわざわざ墓地に足を運ぶのに、死者が子孫の様子を見に来ることに何の不思議があるのだろう?―― 一目見れば満足して去るし、それでも去らなければ必要なのは除霊ではなく、何らかの災難を教えようとしているのだと思うべきだし、そういう事例を扱ったこともある。

 赤の他人にわざわざしがみついて悪さをする霊がいるとしたら、そいつらは余程ヒマか、寂しいのだろう。だが依存心が強く、自分で歩こうとしない人に下手に情けをかけると大変だ。一生……いや、死後の世界まで含めれば永遠に世話を要求されることになる。まして、そういう連中を心配するよりもっと心配すべき事がある。失うものはあの世ではなくこの世にある。 死者の心掛けよりも生きている人の心掛けに関心を払うべきだ。

 ただ、悩みの原因を霊のせいだと思い、その為に不安な日々を暮らしている人ならば、何らかの「除霊」が必要なことは確かだ。それでも、まずは考えて欲しい。夜道で大男から声を掛けられたら、余程武術の心得でもなければ、大の男も不安に思うだろう。――しかし、大男だって夜道に迷う。

 男女雇用均等法を尊重して、女性にも悪役を担って貰うが、かつてとある独身女性とセクハラ談義をしていたとき、「セクハラを受けないのも、女性として魅力が足りないと指摘されたように感じる。つまりそれもセクハラだ。」と指摘された。―― これは実にやっかいだ。つまりセクハラの疑惑を受けたとき、やたらな言い訳をすればかえって「被害者」を増やしかねないのだから。

 結局、不安や不快感を与えたというだけで、相手の罪とするのであれば、事態は至って不毛な結果を生み出す。少なくとも、それがただの勘違いや行き違いであったとしても、最初からケンカ腰で問題解決に臨めば、本当のトラブルに成長していくことは間違いない。

 だから、この世でもあの世でも、「争い事は特定の人に集まる」という原理が成り立つ。……むろん、付き合いの広さもトラブルに巻き込まれる要因の一つである。

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 ケンカ腰で問題解決に挑めば、勘違いや行き違いすら本当のトラブルに成長していく。まして、霊障に限ってみれば、大抵の人は、勘違いや行き違いを正す手段に手が届かぬ事だろう。そこに霊媒のジレンマが生じる。

 つまり、ケンカ腰になりやすく、問題解決を拗らせる性格の相談者が抱える問題は、相手よりも相談者の側に問題が多いが為に解決が難しい。そして、問題が解決しなければ、問題を拗らせる性格の相談者が、霊媒にとっての問題の種となる。

 何よりも悲惨なのは、往々、他人の非を見つけ損なった人が、自分の過ちを霊障のせいにしたがることだ。……いや、もっと大変なのは(少なくとも三例の扱いをしくじった)、親の言動を霊障のせいにする人たちだ。

 これを称していう、内の悪霊……と。釈迦やイエスが修行中に悪魔の誘惑に出会ったといわれるが、これは外にいる何物かの霊ではなく、心のバランスの一部、すなわち否定的な面の自分なのである。そして、心の一面である以上、内の悪霊は第三者が除霊することは出来ない(おおざっぱに言って……詳細は面倒だ)。

 いもしない霊を除霊して礼金をせしめられるなら、職業霊媒にとってはありがたい顧客だ。だが、無料心霊相談でこれをやったら…… 言い訳のネタはいずれは無くなるし、嘘つきと詰られたら返す言葉もないだろう。さらにいえば、嘘の除霊では問題が解決しない。

 イソップ寓話でいわゆる「狼少年」と呼ばれるものと話と似ている。「狼が来たぞ!!」という嘘は、いずれ使えなくなる。その嘘に同調すると自分もいずれは信用を失う。だから私は、嘘つきに罵られようとも嘘つきに同調しない。

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 私は誰かを信じても、誰かの信者にはならない。どんなに尊敬する人の言葉であろうとも、自分で納得しないものにはいつまでも疑問符を付け、安易に受売りをしない。まして、他人の言葉を受け売って、自分を虚飾するような、虎の威を借る狐にはなりたくない。

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 霊感が開いた直後、私はみだりに交霊して、関わるべきではない多くの霊と妙な因縁を結んでしまった。その状態を脱してしばらく後、ホームページを開いて、関わるべきではない多くの人々と妙な因縁を結んでしまった。……まったく、心霊研究の一番のサンプルが我が身であることは、皮肉としかいいようがない。

 しかし、悪縁は断ちがたしというが、これでもずいぶんと身辺の掃除が進んできたものだ、と思う。


2005年 05月 13日

除霊とは

2003/01/05

 憑依霊とは

 類は友を呼ぶといいます。気が合えば会話も弾み、気が合わなければ会話は途絶えがちですね。この気が合う、気が合わないということを霊能者は交霊において、波動が合う、合わないと表現します。憑依は、一般的に霊的な波動があうことによって生じます。まれに「この人に……!!」という強い必然性が生み出す憑依もありますが、気の合わない人との二人きりにされる苦痛を想像してください。物質的な障壁のある人間同士ですら苦痛なのに、想念だけの霊にとっては波動が合わないということは大きな苦痛なものです。

 では、霊障で苦しんでいる人というのは低級霊や悪霊と同波動なのか……と気を悪くされる方がいらっしゃるでしょう。しかし喧嘩は売られても、買わなければ成立しません。憑依現象にも、売られた喧嘩を買うに等しく、外部から見たら同じ波動の持ち主と思われがちなものなのです。また、少なくとも、死者の霊がどこに行くべきか、霊界がどこにあるのかを知っている人ならば、迷える霊を導くことが出来ましょうし、霊障に苦しむ事もないはずです。

 さて、地上の人間関係では、物理的な……端的にいえば生活上の必然性から、好むと好まざるとにかかわらず縁がとても切りにくいものですが、霊界にはその様な制約は全く在りません。ですから、気が離れる……つまり相手に執着することを止めた途端に離れていきます。この辺の素早さは、霊界が自由であるということの証でもあります。(自由には責任も伴いますが……)

 考えても見てください。人は大地の上に立ちます。では、大地がなければどうなるでしょう? この問いかけに即答できない人は霊界入りが困難な人です。大地がなければ立つ必要がないのですから。つまり、肉体があるから不自由なのであって、肉体を失うということは自由を得たということなのです。人に憑依するのはわざわざ不自由な状態に我が身を置くのに等しいのです。

 つまり憑依霊というのは、物理的な制約に執着している魂のことで、その苦しみは自ら生み出しているのです。その苦しみを他人に解決してもらおうとしているからいつまでも苦しみ続けなくてはならないのですね。しかし、自分の執着心は他人には断てないのです。


知恵対知恵

 時折、農作物に対するサルの被害が報道されます。サルたちは電気柵などを設けても、立ち木を利用して柵を飛び越し、玉の出るホビーガンで脅しても、いずれ弾の届く範囲を覚え、人が居なくなればまた戻ってきます。

 畑の四方や上部を完全に囲い込んでも、サルは留め金程度ならば上手に外し、トウガラシでお仕置きして山に放してもたちまち舞い戻るサルたち。効果的に畑を守るには莫大な費用を必要として、そんなに経費をかけるなら畑を放棄した方がよいというのが、農家の方の苦しみです。しかし相手を獣と蔑む心が解決策を見えにくくしていますが、いかにサルが人に劣るとしても、相手は知恵ある存在なのです。

 知恵ある相手に鞭を振るうだけだから、反撃を受けるのであって、本当にサルと共存を図りたいのなら、ムチだけではなくアメの使い方を工夫しなければなりません。人間だって、困難なほどやる気が出るし、知恵とは困難に対処する必然性が育てるものです。追い払う事ばかり考えるから、サルを知恵付かせるのです。

 まして、野生のサルたちにしてみれば、生きるという事は餌の獲得に他ならないのですから、生きている限り、そしてより容易に獲得出来る餌がない限り、農作物を狙うのはむしろ当然でしょう。サルを追い払うよりもサルに畑の作り方を教えた方が解決が早いのではと思います。(深山中に果実の木を植えるなど……まじめな提案です)

 さてサルの話を持ち出したのは他でもありません。一般的に思われている除(浄)霊法は、効果が上がらない猿害の対処法と良く似ている為なのです。

 電気柵を「結界」、トウガラシを「塩」、また、霊能者による除霊をホビーガンによる威嚇や射撃と置き換えて見てください。サルですら、知恵を尽して柵をこえ、トウガラシへの恐れを欲望で克服し、警備員の手の内を読むのです。元は人間であった霊がサルに遅れをとる事がありましょうか。

 付け加えるなら、御札やお守りは、非常ベルの押しボタンのようなものです。困った特だけの神頼みで、非常ベルを鳴らしてもだれも来ない、ただのこけおどしになる事でしょう。ただの脅しなら相手に舐められては、効果はいずれ無くなります。

 一般に思われている除霊法は、実は効果の上がらない猿害対策レベルの知識なのですね。

 霊とは意志を持った存在ですから、機械の操作のように、このボタンを押したらこう反応するといった法則はありません。呪文やお経は術者の心に働きかけるもので、言葉に呪力があるわけではありません。意識ある相手との関係は、コミニケーションが解決の鍵を握っているのです。そして肝心なのは互いの誠意です。

 霊障解決策はケースバイケースで柔軟に対処する必要があり、御札やお守りといった道具だけで対処出来る物ではありません。


 除霊法概略

 除霊というと、身体の中から霊を追い出すことと考えがちですが、ただ追い出しても戻ってきてしまえば一時的な解決でしかありません。だから、除霊ではなく浄霊であるべきだ……と、霊を諭す方もいますが、「霊界入りしなさい」と言って、どこに霊界があるのか、生きている人間が案内できるものでしょうか?

 確かに、自分の死を悟らずにいる人に、その過ちを悟らせることは大切ですが、本当の浄霊というのは霊界の者に引き渡さずには終わらないものなのです。また、それは除霊についても同じことです。霊界のしかるべき相手に引き渡して、監督してもらって初めて戻らなくなるのです。

 ですから、霊感があってもきちんとした背後霊がつかないと、その霊媒には除霊能力が身に付きません。ですから霊能者と呼ばれる人は霊的な仕事をバックアップしてくれる霊界側のスタッフを持っている霊媒をいうわけです。では、そんな背後霊を持たない人には除霊が出来ないのか、霊能者を頼るしかないのか……といえば、そんなことはありません。

 守護霊の盲点

 人は鈍重な肉体を纏った魂で、除霊とは魂対魂の対決ですが、肉体を纏っている分だけ人間にはハンディーがあります。実をいえば肉体には憑霊を防ぐ仕組みがあり、霊能者の中にはその仕組みを活用している人もいますが、憑霊状態にある人はすでに肉体の防壁を乗り越えられているために、その仕組みを生かすことは出来ません。

 その様に不自由な存在である人間を守ることも、守護霊の役割の一つです。また、守護霊が手に負えない相手には、それをバックアップするための高級霊が存在します。その様な霊は、日本においては神社仏閣などを拠点(後述)にしているのが普通です。

 しかし、守護霊や、そのバックアップのための高級霊(俗な表現をするなら神様・仏様)は、非常に高い波動を持っています。ですから、欲深い魂や、生に執着する魂とは気が合わず、感応しないのが普通です。考えてみてください。人間は日に何度も空腹を感じ、日に何度もトイレに行きたくなりますよね。その様な欲求にまでいちいち守護霊が感応していたら、肝心の守護がおろそかになってしまいます。また、執着心を叶えるために努力していては、物欲が苦しみを増すことになりかねません。まして、守護霊の第一の仕事は人生の全うであり、行くべき道を指し示すことなのです。

 小さな欲望は見ても無視するのが、高級霊たちのマナーですし、まして波動の合わないもの、特に波動の低いものに合わせるのは苦痛を伴いますから、必然性が生じない限りは、行われないものなのです。結局、人間の霊的防御とは、人が気持ちを高尚に抱いて最大限の効果が発揮されるものなのです。

 しかし、いくら守護霊が低級霊と感応しにくく、しかも人間の思念を捕らえにくいといっても、明示的な除霊以来……例えば熱心に手を合わせて拝んでみたり、塩をまいたり、お守りを握り締めたりという行動をとれば、異変に気がつきチェックを入れてくれるものなのです。ですから、霊障に苦しむ人はまず、塩やお守りの効果に期待せず、それを合図に守護霊に助けを求めることを念頭に置くべきなのです。

 下手な霊能者の除霊より、または、霊感の強い友人よりもはるかに大きな除霊力を守護霊は持っています。それは一般市民が犯罪の対象になったときに、警察の保護を期待できるのと同じことなのです。これで問題が解決しなければ、相手に危害を加える意思がないか、自身もまた犯罪に手を染めていることを危惧しなければなりません。

 実は、相談者が霊障と考えているものの大部分は、霊障ではなく相談者の勘違いや、思い違いなどなのです。その中には祖先の霊が危険を知らせに来ているという事例もたくさんあります。また、霊障の中にも霊を利用しようとして起こる霊障も多いものです。

 神様の居場所

 守護霊をバックアップする高級霊を、人々は俗に神様とか、仏様と呼びます。このような高級霊は、地上では神社仏閣を拠点としています。

 拠点と呼ぶと、「そこにいる」というイメージを抱く人もいますが、霊には物理的な肉体はありませんから、ようするに参拝者を重点的に観察していて、必要に応じて手を貸す……というのが、より実情に合っています。また、霊感の強い人は神社仏閣などの聖域でも低級霊を霊視して、落胆する人がありますが、物理的な大きさのない霊にとって、どこそこにいる、というのは単に関心があるということに過ぎませんから、場所によって特定の霊が見えるというのは単に共感したということに過ぎません。

 これを例えるなら、有名人のホームページに設置された掲示板を想像してください。

 この掲示板は、物理的にはどこかのサーバー内にあり、有名人宅にはありません。そして、もしかしたら海外のサーバーに置かれているかもしれないのです。用意にアクセスできるということと、物理的な距離とが関係ないのが電気通信の世界ですし、物理的な大きさのない霊たちも電気通信のように振る舞うわけです。これが拠点という意味です。

 そして、その掲示板に投稿するのは主にファンで、その有名人からの書き込みはめったにないというのが、神社仏閣などの聖域で低級霊がたくさん見えるということです。しかし、積極的に掲示板に参加する有名人もいるように、親しく霊媒にかたりかけてくれる霊がいる神社仏閣もあります。

 さて、霊障の問題に戻ります。もしもあなたが病気になったら、患者が寄りつかない病院と大勢患者が集まる病院のどちらを選ぶでしょうか。症状が軽ければともかく、大病の疑いのあるときは患者の多い病院に安心感を感じるのではないでしょうか。

 しかし、大勢の患者が集まる大病院にいって、院長に診断を申し込んでも、多忙な院長がかならず応じてくれるとは限りません。また、大病院にはそれぞれ専門の診察分野を持っている担当医がいるものです。まして、変な人に絡まれていたり案内を請われているときは、院長先生よりもむしろ守衛さんの方が頼りになりますね。

 実は神社仏閣を拠点にする高級霊たちも独りで働いているわけではなく、分業をしているのが普通です。そして、守衛に当たる霊は、聖域の中でも、拝殿や本殿ではなく主に御神木に拠点をおいているのが普通です。

 御神木とは、聖域の中で特にしめ縄をはっている木で、小さな神社仏閣などでは、一番太い木を、御神木として扱え無くも在りません。そして霊障の苦しみについては御神木に祈る方が効果的な場合があります。つまり院長経由で守衛さんに頼み事をするよりも直接守衛さんに話す方が早いというわけです。

 また、小さな神社や祠を拠点にする霊の方が、一般的に親切なのですが、霊感のない人や、あっても霊感が安定しない人は、寄らば大樹の陰と、やはり大きくて、人の管理が行き届いている神社を頼られた方がよいでしょう。さ迷う霊は神社仏閣を頼るのが当たり前で、低級霊を感じるのが普通だといっても、自営の心得がなければ、やはり見守る高級霊の目が多い場所の方が無難だからです。

 でも霊能者も必要

 人間関係のトラブルの大部分は、誤解や行き違いが原因ですし、誤解や行き違いが事態をこじらせる主な原因です。霊との間のトラブルにも、大抵、誤解や行き違い要因があります。このような場合、問答無用で「出て行け!」とやってしまったら、簡単な問題も拗れてしまいます。

 また、一般的に除霊というと塩を持ち出す人がいますが、考えても見てください。親戚や友人に塩を投げつけたら、帰ってくれるかもしれませんが、押し売りに塩をかけたらかえって居直られるのが落ちです。とにかく除霊というのは暴力に他ならないのです。ですから使い所には注意しなくてはなりません。

 つまり、十分に意志疎通を図ればトラブルの大半は解決するし、意志疎通を軽視すれば起こる必要の無いトラブルが起きてしまう事もあるという事なのです。霊がらみのトラブルの解決は、人々が意識するにせよ、しないにせよ、主導権は霊界側がもっているのです。この様な時に求められる霊能者(霊媒)の役割とは、無用なトラブルを解消する為の折衝役なのです。


私の体験

 まともに戦えば霊に勝てない

 強い霊能力を持てば霊障を打ち破れる、修行が足りないから苦しむ、と誤解する人がいます。私自身もそうでした。その発想を改めるまで、文字どおり、のた打ち回って苦しんだものです。振り返って見れば実に馬鹿げた考え方でした。どれほど腕力をつけようと、一人の人間の努力では多勢に無勢、まして、こちらは睡眠や食事や排泄が必要な肉体を抱え、逃げる事もままならず、霊は睡眠も食事も排泄も必要としません。

 そして腕力に差があったとしても、自由度の高い霊が、ヒットエンドランを繰り返せば、睡眠不足から衰弱して気力も失われてしまいます。そう、相手を低級霊と馬鹿にしても、まともに争えば、どんなに強力な霊媒も、獅子身中の虫の喩えのごとく、さしたる抵抗も出来ずに負けるのが道理なのです。

 また、低級霊を追出しても、低級霊が憑依しようとする欲望まで無くせませんから、常に周囲に気を配らなくてはならず、そのストレスもまた、身体を苦しめる事でしょう。低級霊を惹きつける何かを持ちつづけている限り、人は苦しまなければならないのです。

 どんなに鍛えても一人は一人、その力が何倍にも何百倍にもなる事はありえません。大切なのは、戦う事よりも味方を作り、守られるようになる事なのです。そうなればその力は、何倍にも、何百倍にもなります。

 霊界の事は霊界に任せるのが基本なのです。肉体を抱えた人間が霊とまともに戦って勝てるはずがありません。それでも勝っているかのように感じるのは、守護霊や背後霊、祖霊たちの加護があるからなのです。その加護へ感謝を忘れてはいけないと思います。何らかの行き違いがあって(つまり霊界が定めた人の道に反して)守護霊たちが、見えざる守護を中止したとしたら?

 そのような目にあった霊能者の逸話は数多くあります。

 私の事例

 私を救ったのは一つの発想の転換でした。

 『低級霊をすべて追い出すことは出来ない。それは丁度、部屋を真空に保とうとするのと同じぐらいの努力が必要だろう。気圧の差から針の穴でも真空は破れる。ならばガスを充填すれば少なくとも気圧の差は減じられる』

 低級霊を追出す事よりも、高級霊がよって来るような人間になれば良いのです。少なくとも自分の苦しみは自分で解決出来るような霊なら、身の回りにいくらいても苦にはならないはずですから。

 「低級霊を退けるよりも、高級霊に守られる状態を作ることが大切なんだ!」

 そう悟った私を光が包みました。憑依霊現象に苦しんでいるときには、人目が怖くて明るい内は外出も出来なくなっていた私が、再び自由に出歩けるようになった瞬間でした。

 以来、私は常に、そして少しでも、善良であろうと心がけています。心の闇の恐ろしさを充分に理解しま下から。地獄はもうたくさんです。

 一人の努力には限度があります。どんなに自分を鍛えたところで、一人は一人です。しかし、誠実さと善良さと、「お互い様」という気持ちを持ちつづけていれば必ず味方が現れます。そうなれば力は一人分では収まりません。


悪霊の手口

 知恵ある悪霊が、除霊能力の強い霊媒を凹ませるには、一種、「美人局」的な手法を使います。つまり、仲間の悪霊が霊媒に助けを求め、もう一方が虐め役をやり、ご丁寧に通信妨害役の霊を置く。……さらに助けを求める「虐められ役」の霊が複数いたら、いかに強力な除霊力を持つ霊媒であろうと振り回されるだけです。しかも虐められ役だけでなく、虐め役も囮で、その事に気がつかないから通信妨害役の霊にいいようにからかわれる。

 おまけに霊媒が直接危害を受けているのでなく、霊媒はただ、助けを求める者を助けようとしているだけだから、通信妨害役の霊がいることも相まって、霊媒がからかわれていることに守護霊も気がつかなかったりします。―― こういうミスは普段から守護霊と定期的な通信を心がけていれば避けられることですが――この手法を使われると、霊媒は直接的な攻撃ではなく、焦りや自負心といった、いわば自分の心に苦しめられることになります。

 私も霊感発現直後に、これをやられたことがあるし、他の霊媒の経験談でも聞くことですが、外からの攻撃は防げるし他に助けも求められるけれども、内側から責められては防ぎようもなく、助けの求めようもありません。……まあ、対策は比較的簡単で、不安や恐れといった、現実ではない苦しみに冷淡になればよいだけのことですが、感情コントロールを身につけない霊媒には辛いことですね。

 私の心霊思想が、人助けに冷淡なのはこの経験があってのことです。結局、霊媒に危害を加えられぬ霊達も、その家族や友人、またはその同僚に危害を加えるのは比較的簡単なわけです。……とすると、霊媒と友好関係を結ぶのは危険この上ないことにも思われますが、霊媒の知人がいない人なら、悪霊たちの天下となるわけです。

 まず、制空権を確保する。――相手が要塞に籠っているなら、補給路や通信線を断つ。

 ……兵の常道です。で、心霊に関心を持つ人も、真に悪霊への備えのある人をなかなか見ることがありません。お札や塩、呪文やら印型をいくら知っていても――生兵法はケガの元でしかありません。まして己の霊力に頼るから、上述のような計略を用いられてしまいます。

 霊界に於いては守護霊等との連携を計り、地上にあっては良き理解者を持つことこそが最大の自衛策なのです。


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