故善人者 不善人者師
2005/08/15中傷を受けて思う。
実は、「不善人者、善人之資」の前には、「故善人者 不善人者師」とある。「故に善人は不善人の師」というわけだが、それをいうなら、「故に」も問題だ。……言葉の一部だけを抜き出して活用するのはいささか卑怯ではある。
本来の老子の云わんとすることは、「聖人の行いというのは、善人悪人を分けずに活用する。それ故に善人は悪人の師となり、悪人は善人の資《もとで》となる」ということらしい。私はそれを理想としてはいるが、理想はどうにも小手先のワザとなって最後にはしくじる。
そもそも霊媒というのは、媒介……あの世とこの世の媒介に過ぎない。この世の相談者に喜んで貰えるのは、あの世に協力者がある場合に限られる。つまり、たとえどれほど不公平な問題で悩んでいようが、祖先が身勝手であるなら助けは得られず、不公平な利益を得ている者も、先祖が信仰心篤かったりするとそのまま安らかな人生を送ってしまったりするのだ。
結局、霊媒の手助けがあると、うまく行っている者が、ますますうまく行き、うまく行かぬ者は、ますますうまく行かなくなるという、いささか不公平な出来事が現出する。……実はこの辺の現実感が、私をして心霊をつまらぬと云わせる所以である。地獄の沙汰も金次第であるなどと、私は認めたくはないが、私の知る限り現実はその通りだ。ただ、いくらか溜飲が下がるのは、金で問題を解決しようとする人は、問題を解決するよりも大抵の場合は、詐欺に騙されるところだ。
まあ、脱線は程々にしよう。
故善人者、不善人者師――不善の人から中傷されてアクセス数が伸びる。としても、それを口外してしまえば、その意見を不善の人から逆手にとられて、いわゆる「褒め殺し」に合うかも。まあ、結局、それを私が利用できればよいわけだ。
正しい志であれば道は開けるし、どんなに理に適っているようでも、間違った志ならば道は行き詰まるものだが…… 嫌も応もなく下らぬ争いに巻き込まれている自分が可笑しい。