過去のしがらみ
2005/02/172005年 02月 17日
Q 「考えてみると私は自分という者に対してあまり意識したことがなく、自分があるようでないような感覚で生きてきたように思えます。自分っていったいなんなのだろう?と今は疑問が湧いています。また、自分の生い立ちに何があったのだろう?という変な興味もすごく湧いてきています。半分は知るのが怖いのですが・・・」
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A 「幼少時に充分な保護が得られず、懸命に突き進んで来た、ということです。ですが、もうペースダウンしてもよい・・・いや、ペースダウンが遅すぎたぐらいでしょう。息切れしてから我が身を省みても空しいだけ、今ならまだ、人生を楽しめます。
あなたの生い立ちに何があったにせよ、あなたはあなたです。そしてあなたが何であるのかは、親の都合や望みで決まるのではなく、あなた自身の覚悟、努力と工夫で決まってきます。
子供は親を選んで生まれてきます。そうでしょう? 先に生まれてきている親に、どうして子供を選別する自由があるというのでしょうか? どんな過去があったにせよ、あなたはそれを覚悟して、その親元を選んで生まれてきたのです。生れや育ちを恥じる必要はありません。むしろ、生まれ落ちた後に不平を言うことこそが、神の前での誓約をないがしろにする天地でもっとも恥じるべき行為であります。
まして、富貴の家に生まれてもなお堕落して行く人がいることを思えば、不都合の多い家、不都合の多い肉体に宿ることがより難しいということに気がつかれるべきです。
困苦の元に生まれ落ちるのには、相応の実力を必要とするのです。
一生懸命に生きてきた……それは、人の目を気にするため努力ではなく、自身を抱くための努力なのです。振り返る先を間違えては愚かです。――どうして己を卑下するために苦労があると思うのですか? 実績こそが自信の裏付け、実績の伴わぬ自信などなんと空虚で浅はかなのでしょうか。
過去を嘆いても未来は変わりません。過去の苦労を生かしてこそ、未来は開けてくるのです。 恐れるべきは過去ではなく、虚ろな未来です。その意味において、あなたは何も恐れる必要はありません。」