以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。
総論
皆様は何を楽しみに心霊を学ぶのでしょうか? 楽しみ方には数限りありませんが、こう分類してみて下さい。自分の外にある楽しみと、中にある楽しみです。そして、外にある楽しみは容易に失われ、中にある楽しみは人が奪うことは出来ません。
皆様は、奪われぬ楽しみをお持ちでしょうか? それを持たぬ限り、自分が幸せである。人生が楽しい……そんなのは幸運・幻想に過ぎぬのです。
「精神統一は大切だ、それはよく分かる。でも精神統一が何か、それがよく分からない」
自分の中に幸せがあるなら、黙って座っているだけの精神統一の中にも楽しみが見いだせるはず。世の中に貧しさを嘆く人は大勢いますが、そういう人たちはみな、心の豊かさを潜在意識の奥深くにしまい込み、欲望の向こうに押しやって苦しんでいるのです。重要なのは精神統一の意義を見いだせないことではありません。自分の中にある幸せを見つけられずに、自分の外に幸せを追掛けているという事実なのです。それで果たして幸せになれましょうか?
世間や家族などに不平不満を募らせる。これらはみな、自分の幸せを外に求めて、報われないからではありませんか。……そのような生き方がいつか報われると思いますか?
確かに、霊界には無償の奉仕の精神が渦巻いています。しかし、魂同士の連携・感応には共感という必然があります。すなわち、あなたが自分の幸せのために人に奉仕する気持ちがなければ、あなたを助ける霊が働けないのが心霊知識の教える所です。すなわち、あなたがより強く助けられたいなら、まず、あなたの内面を磨く必要があるのです。……いや、助けるとか、助けないとかという表現は誤解受けるかも知れません。
たとえば、親は子供を慈しみ、助け、時には甘やかします。しかし、親には親の思慮があり、子供を無制限に甘やかすことはせず、時には強い口調で叱りもします。叱るのも愛情があればこそ……あなたが自分を正す覚悟をお持ちであればこそ、正しい霊はあなたの為に働ける。反対にあなたが自分を正せぬ人なら、守護霊に叱られイジケて終わってしまうかも知れません。
廬氏より
あなたはまず、冷たい水で顔を冷やし、心身が引き締まることを待つべきである。おもむろに深い精神統一を目指す必要はない。ただ、自分を救わんとする霊達が働きやすいように自我を僅かに横にそらせばよいのである。
ある者は座して救われることに罪悪感を覚え、ある者は自己の悟りを過信する。だが、人一人の力はしょせん僅かなものである。
私は死して知った。生前の私の心身を満たしていた気力は、私の魂の産物ではなく、私の魂を好む者達の力の結集であることを。あなた方は知らない。あなたの人生があなただけのものであるなら、それは世にもみすぼらしい人生に過ぎぬ事を。あなたの生き方が、志を同じくする魂の集いの場となってこそ、あなたの人生は世に輝きをもたらすのである。
あなたは救われるのではなく、また救うのでもない。ただ、共に働くのである。そこに罪悪感の働くべき余地はない。何となれば、あなたは社会に寄与し、そして多くの善意があなたの幸せに寄与するからである。あなたの善意がたとえ不純物を混じらせようと、社会全体の善良なる働きに溶けて一体となっていくなら、あなたは恥じる必要もなく、気負う必要もないのだ。
霊査事例1
あなたは舌足らずなのではない。表現が下手だと己をせめるべきではない。何となれば、世の中に必要とされるのは弁舌ではなく行為である。あなたは生前、行為で人を救うよりも、歌舞や祝詞で人を救わんとしてきた。それは虚飾である。偽善である。あなたは今、本当に必要な方法で世に向けて働くことを求められている。それは制約にも思えるが、あなたの人生の科せられた明白な課題でもある。
納得が行かぬのは、誤っていた前世のやり方を、今生でも用いようとするからである。無心になって必要なことを行え。あなたは必要な力を持って生まれてきたのだから。
霊査事例2
あなたは大変に頭の良い人である。だがなぜ、肝腎な事実が見えぬのか。それはただ、あなたがつまらぬ一個の人間の視点の奴隷になっているからである。
確かにあなたは逼塞《ひっそく》している。それは辛い事実である。だが、なにゆえに逼塞しているのか。そこに会社の持つ限界があり、限界とはすなわち弱点である。そして弱点はつけ込んでこそ勝利が得られるのである。あなたは会社の中にあって不平不満を抱いている。だがそれは、会社の持つ弱点に触れずに居てのことではないか。
会社はあなたよりも大きく強いのだから、あなたが懸命にその弱点をついた所で、会社に押しつぶされるのが落ちであろう。そんなことは分かり切っている。まして、会社がつぶれては意味もない。だが、敵の弱点は勝利の糸口であり、味方の弱点は立身出世の糸口なのである。
あなたは人に使われて働くことの意義を見失っている。誰もが給料分だけ働けば会社はつぶれてしまうのである。会社が発展するのは、みなが給料以上の働きをしてこそなのだ。たとえ平社員でも社長のつもりで会社を思って悪いはずもない。イヤ、そのぐらいのつもりが無ければ、在籍していても素浪人である。
霊査事例3
よい。少々、小姑が出ているが、大したことではない。誰もがあなたのことを少し口うるさいと思っているが、誰もあなたを嫌っていない。しかも、気がつけば困った時にあなたの言葉を反芻している。
もしもあなたの有益さが、みなから感謝されているのならば、その感謝の念であなたの善行はチャラになる。すぐに報酬が得られる仕事は誰にでもやりやすい仕事である。だが、誰もがあなたを必要としているのに、だれもがその事実に気がついていないというのは、あなたはより多くの霊的報酬を受けられるということである。
強いていうなら、あなたも又、雑念の影響を受けやすい人だ。構わぬ事である。
霊査事例4
様々な気持ちが去来する。あなたの人生に多くの後悔がつきまとうことは見て取れる。それを癒す言葉を私は持ち合わせない。だが、これだけは事実である。あなたは多くの人から頼られ、また、多くの人から仲間として認められている。事例3
へのメッセージにもあるように、自然な有益さは他人からはなかなか評価されないが、しかし、これほど人々の心にしみこむ力は他にないものである。
あなたの心は善であり、あなたは善を行おうとしている。あなたにとって辛辣な霊的メッセージも訪れただろうが、それはあなたの魂の品性が招いたことではなく、あなたの迷いが招き寄せた戯言に過ぎない。
とまれ、より強き善はより強き試練を招く。それは、神の心が険しいが故ではなく、より強き魂が、より激しき試練を求めるが故である。挑戦に失敗はつきものだ。だが、一時の失敗はより大きな成功を得るための準備に過ぎない。あなたが不幸と感じるものは、ただ、僅か100年前後の短い期間で物事を判断するからである。
多くの人は、より些細、より単純な理由で不幸を味わう。あなたの苦悩と努力は決して少ないものではないが、より僅かな苦悩と努力で、世をのろい、神仏を恨む人と比べて、あなたはより自分を信じられるだけ幸せではないか。
世に、不幸になるために不幸なものは多い。だが、あなた方は、幸せになるために不幸を得たのである。その不幸は永遠には続かない。共に幸せを掴めなくても、いずれはそれぞれに幸せを得るのである。
霊査事例5
あなたは懸命に人のために生きる。これほど人のために生きられる者は、世の中にそう多くはない。あなたはその事を誇りに思って良い。あなたの霊界にいる家族達は、実際に誇りに思っているのだ。だが、あなたの人生はあなたの為のものである。あなたはまず、自分の人生を達成せねばならない。
あなたがもしも、人の為に努力して、結果、自分の運命を呪うなら、それはあなたの努力が間違っていると神に知らしめるようなものである。顧みよ。人の為に尽くして幸せを感じられぬなら、それは善行を施しているのではなく、己が善行を相手に押し売りしているのだ。
霊査事例6
あなたは今、ささやかな幸せに浸っている。その判断は決して間違えではない。しかし、かつてのあなたならば、今のあなたの幸せを「自己満足」と嘲ったことだろう。
あなたは有能な人である。それ故に周囲の誰もが愚かに見えて仕方がなかった。結局、その周囲を侮蔑する心が、人並みの幸せを得ても己を惨めにしていたのである。
今、ようやくあなたは人並みの幸せを楽しむことを覚え始めた。今までのあなたが、当たり前の人を見てもどかしく思えたことを思い起こせば……あなたは人並みの幸せに不平不満が生じるのはむしろ当たり前と理解できよう。それがすなわち、貧乏神と呼ばれる憑依霊である。己が分よりも多くを求めたら、足りないのは当たり前なのだから。
今のあなたは、あなたにとって認めがたいかも知れないが、しかし、世間一般よりも幸せである。その事実を否定するものは、すべて、その貧乏神の働きである。
決して争わず、しかし、迎合してはならない。
個人指導をお求めの方へ
以前、若さに任せていろいろと行っておりましたが、最近では私も「分別」なるものを身につけてしまい、手を広げることをやめております。
個人指導をどうしても受けたいという方は、遠方で御苦労さまではありますが、せめて年一度成りともオフ会に参加頂きたく思います。
見ず知らずの人を信じて、定期的(結構さぼっておりますが)に霊査をとるのは私にとりてもやはり精神的に負担の大きな事なのです。ですから、それなりに誠意を示して頂きたく思います。
廬氏より
あなたは大切なことを見失っている。それは愛である。ここでいう愛とは、誰があなたを愛しているかということではなく、あなたが誰を愛しているかということだ。あなたは誰も愛さぬのに、誰からも愛されないと嘆いている。あなたの心が世界に開かれていないのに、どうして見ず知らずの人の愛情を、受け入れることが出来ようか。
愛されないのではない。あなたはえり好みをしているのだ。
霊査事例1
あなたの野望に一番足りないのは、配下である。大事には手足となって働く人が欠かせない。あなたを友人と思うものは多いが、あなたを主人と思うものは少ない。残念なるかな。これはあなたの志の低さでも、徳の少なさでもない。現代日本が持っている精神的荒廃の一端である。申し訳ないが、これを救う為の助言を私は持ち合わせていない。なぜなら、このような現象は人々が共生する事の大切さを見失ったあげくの結果だからである。
あなたに強いて助言をすれば、人を救うよりも、己一人が快く生きられる道を探せということである。それが出来なければ(そうであることを願う)あなたの前には苦難が待ち受けている。
霊査事例2
子供の言葉に耳を傾けなさい。子供なりの言葉ではあるが、素直にあなたが見失っているものを語るだろう。むろん、子供はあなたにより多くの時間をもとめる。だが、あなただって、子供と過ごす時間が楽しいはずである。
あなたはなるほど忙しい。だが、その忙しさの大半は決して報われぬ。子供との時間を大切にせよ。無駄に見えるようで居てその時間ほどあなたを癒し、励まし、そして有益な時間はない。あなたが今、関わっている人々の中で、50年後も付合っている相手は、あなたの子だけである。よいか、50年後である。
霊査事例3
言い訳を探してはなるまい。あなたに誠意が足りぬのではなく、あなたの誠意が素直に受け取れぬほど世の中は、そして、人々の心は歪んでいるのである。あなたが言い訳や、または自分の味方を探せば探すほど、あなたの心には惨めさが折り重なる。
あなたはよくやっている。それ以上どうすれば良いというのか。夢のようなことを語るよりも、現実をよくしていこうと強く主張せよ。さもなければ、あなたの好意が結局、後ろめたさに汚れてしまうのだ。
霊査事例4
あなたには求めても得られぬものがある。その事は私にもどうしようもない。そして、それを除いてしまえば、あなたの心は空しい。それも致し方がない。あなたの願いは理解する。だが、それは第一の目的とすべき事ではない。速やかに新しい第一の目標をお作りになることである。
今は多くを語れぬが、あなたの求めるものはあなたのすぐ側に常に控えているのだ。