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精神の修行

2005/10/17

2005年 10月 16日


 精神統一行の実態は、その背後にいかなる霊がつくかによって進行の度合いが異なります。また、個人的に精神統一を行うなら、個人の背後霊のみの指導となりますが、一方、集団で精神統一を行い、そしてそれぞれの背後霊の間に調和がとれるなら、霊達の指導は相乗効果によって実に強力になります。

 従って、精神統一会に出ると個人的な精神統一とその気持ちよさが違うと、参加者は言います。

 むろん……初心者は馴染むまでに時間が掛りますし、シャイな人はさらに馴染むのに時間が掛ります。反対に、周囲に打ち解けやすい人ほど精神統一の善さを体感しやすいという違いがあります。

 で、シャイで短気なら……体感するチャンスを自ら逃すかも知れません。

 というわけで、最近しみじみ思索するのが、精神統一の修行をする前に、忍耐を覚えるべき人が多いのかも知れない、忍耐をどう教えるかが大切なのかも知れないという、私の個人的テーマです。


答えるのが難しい

2004/11/23

2004年 11月 22日


 精神統一に際して、個人宛の霊査をとります。この霊査は対照毎に難易が異なります。同一の霊媒が指導相手によって霊査を取る難易が異なるというのは、霊媒能力の仕組みにとって重要な暗示を意味しますが、ここではそれに触れません。

 常連参加者の中に、とても霊査が取り難い相手が二人いて、そのうち一人については面白い霊査を得ております。

「お前(霊媒)は、この者を感心させようとしている」

 いや、ドキッとしました。しかし、仕事に熱心に打ち込むのに、そこに自意識の昂揚がないと誰が言い切れましょうか? 周囲に認められたいという衝動があればこそ、仕事をがんばるのはむしろ当たり前な動機であるといえます。……いえいえ、そのような情動を抑えなければ霊媒として不適切であるのも事実です。が、よく考えてみるとちょっと変です。

 私が無理に霊査を取りたがっている部分があるにせよ、精神統一会に於いて霊査を取るという習慣があるのですから、せめて「言うべき事無し」ぐらいの返事があってしかるべきではと思うのです。……こうなるとどうも、一人異教徒が混じった感じでやりにくい感があります。

 ちょっと待てよ、精神統一の指導以前に、参加者それぞれの守護霊と、一度みっちり話をつける必要があるな!……と思うわけです。

 基本的に私は、人の事情を詮索することが嫌いです。いえ、人並み以上に好奇心はあるのですが、詮索することでつまらぬ事に責任を負わされるのがとても嫌なのです。 「知らなければ是非もなし」……ですから、「言いたくないことはどうぞ言わないでください」というのが私のスタンスです。と同時に、 詮索しない、自ら首を突っ込まないという姿勢もやはり霊媒としての誠意の一部だと信じての事です。

 ところが、ある日、思わぬところからこの問題がぽっかりと解決に至ってしまいました。精神統一の際に「課題を出す」事を始めた時から状況が変わったのです。いわば彼は他の参加者よりも前に進みすぎていたのですね。

・・・・・・・

 もう一人、霊査を取るのが難しい人がいます。オマケにこの人については自分自身、霊感がとても鈍いという二重苦です。その一方でどうにも霊感発動の予兆があるのです。『変だな……』と思いつつもその原因についてしばらく気がつかずにいたのです。で、ある日別件で質問を受けた時に霊査を取ってようやく気がついたのです。

『パイプが詰っている……』

 今までおろそかにしてきた……おろそかと言っても霊感が働かずに聞こえなかったことですから罪のないことですが……事柄に耳を貸す前に、自分の都合の良い話だけ聞こうとしても、そうは問屋が卸さないわけです。どうも、普段から人の話を聞かぬ部分が強いから……山積みの問題解決が先なようです。

 まあ、聞く耳を持たぬ話も世の中に多いわけですが、ただ話を聞かぬというだけで、恨みを買う場合も多いし、なにより普段話を聞かぬ為に思わぬ人を敵に回してしまったり、せっかくの味方を失ったりということも良くある話。言いがかりをつけられたりするとなかなか話を聞くのも難しいが、 時にはつまらぬ話に付合うのも、大難を小難に変える手だてかも知れません。……いや、そうしなかったから小難が大難に化けたのかも知れませんねぇ。


霊査事例:2004年1月17日

2004/01/18

以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


総論

皆様は何を楽しみに心霊を学ぶのでしょうか? 楽しみ方には数限りありませんが、こう分類してみて下さい。自分の外にある楽しみと、中にある楽しみです。そして、外にある楽しみは容易に失われ、中にある楽しみは人が奪うことは出来ません。

皆様は、奪われぬ楽しみをお持ちでしょうか? それを持たぬ限り、自分が幸せである。人生が楽しい……そんなのは幸運・幻想に過ぎぬのです。

「精神統一は大切だ、それはよく分かる。でも精神統一が何か、それがよく分からない」

自分の中に幸せがあるなら、黙って座っているだけの精神統一の中にも楽しみが見いだせるはず。世の中に貧しさを嘆く人は大勢いますが、そういう人たちはみな、心の豊かさを潜在意識の奥深くにしまい込み、欲望の向こうに押しやって苦しんでいるのです。重要なのは精神統一の意義を見いだせないことではありません。自分の中にある幸せを見つけられずに、自分の外に幸せを追掛けているという事実なのです。それで果たして幸せになれましょうか?

世間や家族などに不平不満を募らせる。これらはみな、自分の幸せを外に求めて、報われないからではありませんか。……そのような生き方がいつか報われると思いますか?

確かに、霊界には無償の奉仕の精神が渦巻いています。しかし、魂同士の連携・感応には共感という必然があります。すなわち、あなたが自分の幸せのために人に奉仕する気持ちがなければ、あなたを助ける霊が働けないのが心霊知識の教える所です。すなわち、あなたがより強く助けられたいなら、まず、あなたの内面を磨く必要があるのです。……いや、助けるとか、助けないとかという表現は誤解受けるかも知れません。

たとえば、親は子供を慈しみ、助け、時には甘やかします。しかし、親には親の思慮があり、子供を無制限に甘やかすことはせず、時には強い口調で叱りもします。叱るのも愛情があればこそ……あなたが自分を正す覚悟をお持ちであればこそ、正しい霊はあなたの為に働ける。反対にあなたが自分を正せぬ人なら、守護霊に叱られイジケて終わってしまうかも知れません。

廬氏より

あなたはまず、冷たい水で顔を冷やし、心身が引き締まることを待つべきである。おもむろに深い精神統一を目指す必要はない。ただ、自分を救わんとする霊達が働きやすいように自我を僅かに横にそらせばよいのである。

ある者は座して救われることに罪悪感を覚え、ある者は自己の悟りを過信する。だが、人一人の力はしょせん僅かなものである。

私は死して知った。生前の私の心身を満たしていた気力は、私の魂の産物ではなく、私の魂を好む者達の力の結集であることを。あなた方は知らない。あなたの人生があなただけのものであるなら、それは世にもみすぼらしい人生に過ぎぬ事を。あなたの生き方が、志を同じくする魂の集いの場となってこそ、あなたの人生は世に輝きをもたらすのである。

あなたは救われるのではなく、また救うのでもない。ただ、共に働くのである。そこに罪悪感の働くべき余地はない。何となれば、あなたは社会に寄与し、そして多くの善意があなたの幸せに寄与するからである。あなたの善意がたとえ不純物を混じらせようと、社会全体の善良なる働きに溶けて一体となっていくなら、あなたは恥じる必要もなく、気負う必要もないのだ。

霊査事例1

あなたは舌足らずなのではない。表現が下手だと己をせめるべきではない。何となれば、世の中に必要とされるのは弁舌ではなく行為である。あなたは生前、行為で人を救うよりも、歌舞や祝詞で人を救わんとしてきた。それは虚飾である。偽善である。あなたは今、本当に必要な方法で世に向けて働くことを求められている。それは制約にも思えるが、あなたの人生の科せられた明白な課題でもある。

納得が行かぬのは、誤っていた前世のやり方を、今生でも用いようとするからである。無心になって必要なことを行え。あなたは必要な力を持って生まれてきたのだから。

霊査事例2

あなたは大変に頭の良い人である。だがなぜ、肝腎な事実が見えぬのか。それはただ、あなたがつまらぬ一個の人間の視点の奴隷になっているからである。

確かにあなたは逼塞《ひっそく》している。それは辛い事実である。だが、なにゆえに逼塞しているのか。そこに会社の持つ限界があり、限界とはすなわち弱点である。そして弱点はつけ込んでこそ勝利が得られるのである。あなたは会社の中にあって不平不満を抱いている。だがそれは、会社の持つ弱点に触れずに居てのことではないか。

会社はあなたよりも大きく強いのだから、あなたが懸命にその弱点をついた所で、会社に押しつぶされるのが落ちであろう。そんなことは分かり切っている。まして、会社がつぶれては意味もない。だが、敵の弱点は勝利の糸口であり、味方の弱点は立身出世の糸口なのである。

あなたは人に使われて働くことの意義を見失っている。誰もが給料分だけ働けば会社はつぶれてしまうのである。会社が発展するのは、みなが給料以上の働きをしてこそなのだ。たとえ平社員でも社長のつもりで会社を思って悪いはずもない。イヤ、そのぐらいのつもりが無ければ、在籍していても素浪人である。

霊査事例3

よい。少々、小姑が出ているが、大したことではない。誰もがあなたのことを少し口うるさいと思っているが、誰もあなたを嫌っていない。しかも、気がつけば困った時にあなたの言葉を反芻している。

もしもあなたの有益さが、みなから感謝されているのならば、その感謝の念であなたの善行はチャラになる。すぐに報酬が得られる仕事は誰にでもやりやすい仕事である。だが、誰もがあなたを必要としているのに、だれもがその事実に気がついていないというのは、あなたはより多くの霊的報酬を受けられるということである。

強いていうなら、あなたも又、雑念の影響を受けやすい人だ。構わぬ事である。

霊査事例4

様々な気持ちが去来する。あなたの人生に多くの後悔がつきまとうことは見て取れる。それを癒す言葉を私は持ち合わせない。だが、これだけは事実である。あなたは多くの人から頼られ、また、多くの人から仲間として認められている。事例3

へのメッセージにもあるように、自然な有益さは他人からはなかなか評価されないが、しかし、これほど人々の心にしみこむ力は他にないものである。

あなたの心は善であり、あなたは善を行おうとしている。あなたにとって辛辣な霊的メッセージも訪れただろうが、それはあなたの魂の品性が招いたことではなく、あなたの迷いが招き寄せた戯言に過ぎない。

とまれ、より強き善はより強き試練を招く。それは、神の心が険しいが故ではなく、より強き魂が、より激しき試練を求めるが故である。挑戦に失敗はつきものだ。だが、一時の失敗はより大きな成功を得るための準備に過ぎない。あなたが不幸と感じるものは、ただ、僅か100年前後の短い期間で物事を判断するからである。

多くの人は、より些細、より単純な理由で不幸を味わう。あなたの苦悩と努力は決して少ないものではないが、より僅かな苦悩と努力で、世をのろい、神仏を恨む人と比べて、あなたはより自分を信じられるだけ幸せではないか。

世に、不幸になるために不幸なものは多い。だが、あなた方は、幸せになるために不幸を得たのである。その不幸は永遠には続かない。共に幸せを掴めなくても、いずれはそれぞれに幸せを得るのである。

霊査事例5

あなたは懸命に人のために生きる。これほど人のために生きられる者は、世の中にそう多くはない。あなたはその事を誇りに思って良い。あなたの霊界にいる家族達は、実際に誇りに思っているのだ。だが、あなたの人生はあなたの為のものである。あなたはまず、自分の人生を達成せねばならない。

あなたがもしも、人の為に努力して、結果、自分の運命を呪うなら、それはあなたの努力が間違っていると神に知らしめるようなものである。顧みよ。人の為に尽くして幸せを感じられぬなら、それは善行を施しているのではなく、己が善行を相手に押し売りしているのだ。

霊査事例6

あなたは今、ささやかな幸せに浸っている。その判断は決して間違えではない。しかし、かつてのあなたならば、今のあなたの幸せを「自己満足」と嘲ったことだろう。

あなたは有能な人である。それ故に周囲の誰もが愚かに見えて仕方がなかった。結局、その周囲を侮蔑する心が、人並みの幸せを得ても己を惨めにしていたのである。

今、ようやくあなたは人並みの幸せを楽しむことを覚え始めた。今までのあなたが、当たり前の人を見てもどかしく思えたことを思い起こせば……あなたは人並みの幸せに不平不満が生じるのはむしろ当たり前と理解できよう。それがすなわち、貧乏神と呼ばれる憑依霊である。己が分よりも多くを求めたら、足りないのは当たり前なのだから。

今のあなたは、あなたにとって認めがたいかも知れないが、しかし、世間一般よりも幸せである。その事実を否定するものは、すべて、その貧乏神の働きである。

決して争わず、しかし、迎合してはならない。

個人指導をお求めの方へ

以前、若さに任せていろいろと行っておりましたが、最近では私も「分別」なるものを身につけてしまい、手を広げることをやめております。

個人指導をどうしても受けたいという方は、遠方で御苦労さまではありますが、せめて年一度成りともオフ会に参加頂きたく思います。

見ず知らずの人を信じて、定期的(結構さぼっておりますが)に霊査をとるのは私にとりてもやはり精神的に負担の大きな事なのです。ですから、それなりに誠意を示して頂きたく思います。


廬氏より


あなたは大切なことを見失っている。それは愛である。ここでいう愛とは、誰があなたを愛しているかということではなく、あなたが誰を愛しているかということだ。あなたは誰も愛さぬのに、誰からも愛されないと嘆いている。あなたの心が世界に開かれていないのに、どうして見ず知らずの人の愛情を、受け入れることが出来ようか。

愛されないのではない。あなたはえり好みをしているのだ。

霊査事例1

あなたの野望に一番足りないのは、配下である。大事には手足となって働く人が欠かせない。あなたを友人と思うものは多いが、あなたを主人と思うものは少ない。残念なるかな。これはあなたの志の低さでも、徳の少なさでもない。現代日本が持っている精神的荒廃の一端である。申し訳ないが、これを救う為の助言を私は持ち合わせていない。なぜなら、このような現象は人々が共生する事の大切さを見失ったあげくの結果だからである。

あなたに強いて助言をすれば、人を救うよりも、己一人が快く生きられる道を探せということである。それが出来なければ(そうであることを願う)あなたの前には苦難が待ち受けている。

霊査事例2

子供の言葉に耳を傾けなさい。子供なりの言葉ではあるが、素直にあなたが見失っているものを語るだろう。むろん、子供はあなたにより多くの時間をもとめる。だが、あなただって、子供と過ごす時間が楽しいはずである。

あなたはなるほど忙しい。だが、その忙しさの大半は決して報われぬ。子供との時間を大切にせよ。無駄に見えるようで居てその時間ほどあなたを癒し、励まし、そして有益な時間はない。あなたが今、関わっている人々の中で、50年後も付合っている相手は、あなたの子だけである。よいか、50年後である。

霊査事例3

言い訳を探してはなるまい。あなたに誠意が足りぬのではなく、あなたの誠意が素直に受け取れぬほど世の中は、そして、人々の心は歪んでいるのである。あなたが言い訳や、または自分の味方を探せば探すほど、あなたの心には惨めさが折り重なる。

あなたはよくやっている。それ以上どうすれば良いというのか。夢のようなことを語るよりも、現実をよくしていこうと強く主張せよ。さもなければ、あなたの好意が結局、後ろめたさに汚れてしまうのだ。

霊査事例4

あなたには求めても得られぬものがある。その事は私にもどうしようもない。そして、それを除いてしまえば、あなたの心は空しい。それも致し方がない。あなたの願いは理解する。だが、それは第一の目的とすべき事ではない。速やかに新しい第一の目標をお作りになることである。

今は多くを語れぬが、あなたの求めるものはあなたのすぐ側に常に控えているのだ。


守護霊が語る 2

2003/07/16

守護霊が語る 2


 1

 2003年7月15日、雑用中の事です。『負けず嫌いは、死後にすぐ堕落するのよ』と、女性の声が聞こえました。と同時に、つまらぬ話が売り言葉に買い言葉で喧嘩に拗れていく光景が見て取れました。

 ふと興味を引かれて私がメモを取り出しますと、女性は続けて語りだします。

『喧嘩というのは、情動に支配された霊格の低い者が売るのだけど、負けず嫌いはわざわざ自分よりも霊格の低い相手と感応して困るの。辛いとき、嫌なときには神様を念じないと、地上ではやり直せても霊界では喧嘩しているうちに気が付いたら悪霊の仲間入りしている事もあるわ。だってそうでしょう。暴力を振るう人や、醜い想念を振りまく人なんて、素敵な世界を汚すだけよ。「そういう浅ましい人はどこへでも行って頂戴」と霊界の住人は思うわ。無論、私たちだって多少の我慢はします。でも、人に我慢を強いるのは善良な人のやる事ではないわ。

 だから、争いにはなるべく関わりあわない事、仲裁にゆだねて、自分では応じない事。だって、争いごとを当事者同士が話し合って冷静でいられるのはよほどの霊格者だけだから。でもね、喧嘩を買わなくても負けず嫌いが陥る失敗があるの……』

 どんな失敗でしょう? こういう話には時間を割く価値があると思います。そして、仕事は放り出して、熱心に耳を傾けました。

 『では改めて……私、◇◇の守護霊を勤めております。申し訳ありませんが、名前はまだ名乗れません。何しろあの子が守護霊の名前を知りたがるのは、人の守護霊自慢を妬んでの事なのですから、このままの気持ちでいるときに名前を明かしたところでよい事はありません。もうしばらくお待ち下さい。さて、この度、あの子の精神統一の欠点を正したく、お時間を頂きます。』

 2

『この子はものすごく霊視・霊聴等を体験したがっております。それには精神統一が不可欠である事を知っていますので皆様と比べて一人でも黙々と精神統一に励んでおりますが、たまに感じるのみでやはり霊視・霊聴等を苦手としております。

 むろん、背後の者も当人も、人様の事まで霊視・霊聴しようなどとは考えておりません。この一点において私どもはとてもよい信頼関係を築いております。これもまた心霊研究を学んだ結果と感謝しております。しかし、自分の事につきては自分で霊視・霊聴致してその内容を霊媒に審神してもらうのが、心霊主義者として、また、精神統一行者として理想であるには違いありません。

 このたびは時間を頂きまして、そのことについて少々お伝え願いたく思います。また、「○○」さま宛通信の反省を共有するつもりで通信したく思います。』

 3

 『まず、私が担当しております庇護者のことについて、私が思う事を述べさせていただきます。その性格に付いて自分も当てはまるところがあるとお感じの方は、以後の私の助言がお役に立つかもしれません。

 少々贔屓《ひいき》目かもしれませんが、私の庇護者は美的なセンスもよく、審美眼というか観察力もあり、またライフスタイルを楽しむ事が出来ます。ところが美しくあろうという気持ちは、往々にして負けず嫌いという欠点を伴ないます。世の中を見回して、ただ自分の内面を厳しく磨いて美しくあれる人はまさに奇跡に近く、生前に相応の修行をしなければ成しえる事ではありません。

 私が、この庇護者の精神統一行の障害として感じるのは、まさにこの負けず嫌いな点です。困るのは、直接的な負けず嫌い、つまり、ただ本当に人から負けたくないという負けず嫌いならば、ご自分でも負けず嫌いな事に気がつくわけですが、人よりも美しくありたい、また、善き人生の形式美を追求したい……実際に良い生き方かどうかよりも、まずライフスタイルに凝るのです。人からは見栄張りに見られるかもしれませんが、先にルールを作る人は後はまっしぐらに進めるという利点もありますので私はこれも美徳であると考えております……ただ、こういうタイプの人は、どうも問題をすりかえてしまいがちで困ります。自分では負けず嫌いを、敵愾心ではなく、向上心と感じているわけです。つまり、相手を攻撃して負かすのではなく、自分を向上させて相手を負かそうとするのです。そして、これは敵意ではなく向上心であるのだからいいではないかと自分に言い訳しているのです。

 確かに、動機が負けず嫌いでも、向上心があることはやはり守護霊としてはやり易い事です。これまた決して欠点とはいえませんし、むしろ頼もしくも思います。そして、私としてはこういうこの子を深く愛しております。ただ、長所も生かしどころを間違えれば欠点と化すわけで、その点を私はいずれ諌めなければいけないと考えておりました。

 と申しますのは、結局負けず嫌いというのは、自己の内面よりも、他にある相手に強く反応を示すという事でありまして、それは結局、統一を邪魔されやすい人だということなのです。周りがどれほど騒がしくても、相手をせずにただ淡々と精神統一ができる人ならば、実に統一の修行がたちまち身についていくものです。ですから同じ精神統一をしている仲間たちを見回しても、楽々と10分でも20分でも精神統一をこなす方々を見て、ああ、この子も早くこれぐらいは出来るようになってもらいたいと思わざるをえません。そう思う私もやはり負けず嫌いなわけで、それがこの子の守護霊を勤める意義なのでございます。

 特に困るのは、負けず嫌いというのは、関心のあるものに対しては強く発揮されるということです。そして、精神統一行に対して関心を持っているこの子はなおさら精神統一中に雑念に弱くなってしまいます。いえ、霊媒の方が見守ってくださっていてお気づきでしょうが、この子はもうだいぶ雑念を消し去る事が出来、静かに坐っていられるのです。問題は、皆様が雑念を生じても心の柔軟さを失わずに流れるままに出来るのに、この子は、雑念が生じるたびに、つい力んで追い払おうとして、それ故に私どもが声を掛ける隙がないのですね。そう、精神統一中のこの子の心はとても硬くて私どもが手を出せないのです。』

 4

 『ですから今後、この子に心がけてもらいたいのは、人生において負けず嫌いでも構わないが、精神統一はただ素直になるように心がける事と、精神統一中に湧き上がる雑念は無論のこと、誰かから受けた誹謗中傷などの記憶がこみ上げてきても、精神統一中には絶対にけんか腰にならず、それこそもう守護霊に言いつけるぐらいのつもり、あった事全てを守護霊に任せるぐらいのつもりで湧き上がるものはそのまま垂れ流しにしてもらいたいのです。たとえこの子に非があろうとどうして私どもが責めましょう。悪い事は悪いとせよ良い方向に向かうように手を貸さぬはずがないのです。

 とにかく霊媒能力というのは心の底から他の話に耳を貸せる力なのです。他の似非人格者は、話を聞くと言いながらも、その心は相手に同情を寄せることなくただ相手の話の弱点や欠点、そして矛盾を捜しているものですが、こういう態度は弁論には向いていても霊媒には全く向きません。さらにいえば弁論の技術などは、地上ならではの技術であって、あと何十回も地上に再生するつもりであるなら……退学追い込まれるまで留年したいならともかく、いち早く高級霊界を目指すのならば、とにもかくにも敵愾心を燃やすことなくまず何よりも相手の話を聞ける人に成らなければなりません。失礼な相手に怒るのは当然で、私どもは絶対に怒るな、とは申しません。ただ、怒るのは話を全て聞いてからのことです。全てを把握した後でなければ見当違いのことで腹を立て、その過ちがわが身を滅ぼしてしまう事でしょう。』

 5

 『最後に、まじめに精神統一を修行している人ならば、無論本人のコンディションも大きな制約の一つですが、その合間合間を縫って、ささやかであろうとも自信を持ち、自覚を育めるかのようなインスピレーションの一つや二つを、時に応じ、また修行の折々に受け取れるように私どもは常に努力しています。「受け取れぬのは努力が足りぬ」というあきらめも、また、「受け取れぬのは背後が弱いから」と逆恨むのも正しくはありません。心霊家が大切にする精神統一というのは、自分とその背後の霊達との感応であり、協調であり、調和なのです。

 全てに対して素直になれというのは正直、私は好みません。なんとなれば世の中あくどい者も多く、そういう相手に対してまで素直でいながら同時に善良である事はとても難しいのです。多くの人々はあくどい者に素直に接して悪事の片棒を担いでいるのですから、意地の悪い相手や何か勘違いしている相手と一線を引くのはむしろ守護霊としても安心の出来る態度です。それでなくても利のある相手には素直に従いたいのが人間の心情、気がつけば悪事の片棒を担いでいる人のなんと多い事でしょう。ああ、悪い友人を作って、堕落に流されなければいいのにな……そう思いながら見守るのは守護霊としてとても辛くもあります。ですから、わがままは困りますが、人を嫌って一線を引いて付き合おうとするのはむしろ守護霊にとっても願ったり適ったりといえます。

 添いて共に人生の終わる時まで連れ添って歩む守護霊らと協調できぬ事は、気の合わぬ二人三脚のようにお互いが足手まといになるやも知れません。素直になるべき相手と、素直になってはならぬ相手に対して、もっと見識を高めて理性で考えられるようになってください。感情で敵味方を択ぶのは最低の人間のする事です。

 往々に人は自分に都合の悪いものを悪といいがちですし、自分と同じ欠点の持ち主をひどく嫌う傾向があるのです。まして負けず嫌いは、自分がもっとも必要とする人が、自分の意のままにならぬと いうだけで相手を憎みがちです。それはなんと不幸な事でしょう。自分が本当に必要とする相手を憎まねばならないなんて! そういう矛盾を持っていながらどうして幸せが得られるというのでしょうか。

 たとえば多くの夫婦喧嘩、恋人同士の痴話げんかが、お互いを必要とするから起こるという現実を皆様はどう受け止めるでしょうか? 愛すればこそ傷つけあうのは、神や運命の気まぐれでしょうか。それとも愛情の持つ暗黒の一面なのでしょうか。それとも当人達の精神性が未熟だからなのでしょうか。もしも、神や運命の気まぐれであるなら、または愛情が人を苦しめる性質を持っているのならば、人を愛する事は人類普遍の災難ですらあります。でも、世の中にはかくも不幸な愛情ばかりでありましょうか。

 私は思います。霊媒力を育むというのは無論精神統一も大切ですが、それ以上には人付き合いの才能が大切なのです。交霊相手、守護霊らに素直になれというのも、何も交霊に限った事ではなく、対人関係にだって当てはまる事です。誰が、偏見を押し付ける人や、欺瞞や虚飾の多い人、話の内容よりもレトリックを楽しむような人と誠実な付き合いが出来るというのでしょう?

 精神統一を通じて上手に背後からのインスピレーションを受けられるようになれば、その話の内容の真偽、また、職業霊媒になれるかどうかは別として、少なくとも、人の話の要点を掴む事が上手になります。そして、無駄な人付き合いのばかばかしさも悟るようになるでしょう。自分の雑念を上手に受け流せる人であれば、他人のたわ言だって聞き流せるようになるのです。

 心静かな時を楽しむ……そういう精神統一も大切ですが、対人関係の訓練としての精神統一もあることを心にとめて修行に励んでください。』

 6

『最後になりましたが、あの子に是非お伝え願いたい事があります。』

『私はあなたの事を常に見守っています。そして苦労少なく、楽しく人生の課題をこなしていけるように、出来る限り手を差し伸べるチャンスをうかがっています。あなたは手助けの少なさを、こんなものだと思ってみたり、時には恨みがましく思っている事を私はとても切なく感じております。それを詰るつもりはありません。今までこんなに長くお話する機会はなかったのですから。ただ、辛い時には、覚悟を決め、がむしゃらにぶつかっていく、その前に、ちょっと無心に立ち返って私に気持ちを向けてみてください。そうすれば段々に私達は気持ちをあわせて共に困苦を乗り越えていく事が出来るようになるでしょう。あなたに限らず、誰の魂も一人ぽつねんと地上に置き去りにされたのではありません。ただ、あなたが私達の言葉に耳を傾ける時が来るのを待っているのです』

注意: こういう霊査は望んで取れるものではありません。ご要望いただいても応じかねますのでお含みおきください。

2003-07-15


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