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顕幽交流の可否

2002/12/03

Q 『私はあなたから助言を安易に受けても良いものだろうか。』

 顕幽交流――それはあなたが思うほど、不平等なものではない。あなたがひらめきを欲する時、その願いの多くは霊界に届き、それに答えようとする者が集まってくるのだ。一人、霊媒のみが顕幽交流を独占しているわけではない。

 霊と人とは平等なものである。私たちは何も義務を負わず、あなた方は何の権利もない。たとえあなた方がどれほど高級神霊の援助を望み、交流を望んだとしても、あなたに神霊界の視野が備わらなければ、受けたひらめきを人生に生かす事は出来まい。

 地上には確かに不遜な願主は多い、彼らは地上に生まれ出ずる時の約束を忘れている。人は皆、幸福までの最短距離を歩めるようにとり計られて送り出されてきたのだ。そうであるにも拘らず、最短の道よりも更に近道を求めたがる。それでは幸せを願うほどに道に迷って戻るに戻れまい。そういう体験を積み重ねたものは、正しく交流する者が妬ましくもあるだろう。しかし、古来より妬みを遂げて幸せになるものはなく、道を誤って後悔しない者はない。

 霊界の真理を知ったものは、「どうして全知全能なる者が、私の気性を踏まえて道を引いてくれぬのか」と恨み言を申す。しかし、天が万民に平等であり、晴雨が誰の利害にも答えずに平等であるのと同様に、人々に引かれた道もまた平等である。すなわち、素直に天命を信じて進む者こそが最短の道を歩めるように出来ている。その人々の気性に合わせてゆがめぬ事は、まさに天意は平等である事の証である。

 あなたがたはどしどし願いを上げても構わない。しかし、気を付けなければいけない。人は往々に執着と願望を取り違える。私たちがどれほど気配りし、また、あなた方の執着に無頓着を装って見ても、あなた方は自らの心から出でた執着の糸にがんじがらめに縛られて身動きがとれぬ事になる。私たちが執着に手を出せば出すほどあなた方は執着から逃れられなくなるだろう。だから思うがいい。願いは自らの心を汚さぬものに止めよ。執着の糸が絡むのに気がつかなくなるまで思いつめるな。そして顕幽の関係は平等である。

 誰もが、最高の神霊に語りかける権利を有する。しかし、最高の神霊が語りかけるのは最高の人徳者だけである。顕幽は平等である。人は自分の分を過ぎた相手と交流するのは難しいし、せめてより力量のある霊と交流したいと願うなら、相手にも興味深い命題を掲げ、そして礼儀に気を配るべきだ。そして反省するが良い、不遜なる者は邪魅に狙われる。傲慢なる者は容易に騙され、騙したところで罪に問われにくいからだ。自らに非がありて騙された者は憎しみに駆られ悪霊の仲間入りをする。修行で天界の高みを目指すよりも、愚か者を足許に引詰める事を好む魂は地上にも霊界にもあふれているのである。

 謙虚、友愛、寛容の心は、その霊格如何に関わらず、天上天下から愛される。そうであるから他に望まれて善良さを磨くのは心得違いである。素直で、そして心豊かであれば、自然に謙虚で、寛容になり、そして友愛を広められる事になる。つまり、険しく思えても最短の道を歩めば人は善良に生きられるのである。

 考えてみよ。小さな子供が一体何を願うだろう。想像するだに心楽しくなるではないか。しかし、大人の願いのほとんどが醜く浅ましい。霊界との交流を思い煩うなら、低級霊に騙され、また、世間の妬みを恐れるよりも、まず、自分の心の清らかさを思い煩うべきだ。顕幽の間は平等である。醜き心、浅ましき心が、清らかな交流を得るのは難しく、また、清らかな交流を維持する事は不可能である。

(2002年12月2日)

廬氏の教示

2002/12/02

 この章は、他の全てのページと同様、私にとって一つの実験であります。モーゼス著、浅野和三郎氏訳の『霊訓』に刺激を受けて、同様の手法で霊的なメッセージをもらえたら、読者諸氏に有益ではなかろうかと検討した結果に生まれたものです。

 幸か不幸か……この霊信は、モーゼスの支配霊(司配霊とも表現す)のインぺレーターからのものではありません。そもそも、私がインぺレーターからの霊信を得たとして、一体誰がその真贋を鑑別できるというのでしょう。また、既存の霊訓の真似だけでなく、その支配霊まで借用したとなれば、内容以前に真贋論争に巻き込まれかねません。

 私が、その乏しい霊媒能力をより有益に使うにはどうしたら良いか。私は、自らの守護霊・指導霊と意見を交感しました。すると、私の仏教思想の面に関する指導霊(支配霊ではない)から一つの申し出を受けました。

『私は心霊思想を良く知らないが、この分野で出来る事が多々ありそうである』

 という訳で、私が用意した質問に対する回答という形で霊信を頂き、それを定期的にまとめて見たいと考えています。

 こういった場合、重要なのは誰からの霊信か、という問題です。ここでは仮に「慮氏」と呼ぶ事にします。

 私はかなりの事を把握していますが、前世の業績などを前提に霊信を公表すれば、誤解や真贋論争によって霊信が妨害される恐れがあります。しかも、人は死後、その信条や思想を転向する事もありうるわけで、生前残した文書が当該指導霊の鑑定に役立つかどうかも判りません。まして、ある程度霊格が高ければ『相手を見て事を説く』事は、むしろ当たり前の事です。

 そうであるなら、果たして本当に『慮氏』であるのか、否か、一体、どう確かめられるというのでしょう。私には確信があっても、人々に提示できる証拠を提出できるか否か、私はかなり難しいと考えます。仮に他の霊媒に対して、慮氏が語りかけたとしても、ただ、慮氏の存在と私の霊感の証明に役立つというだけで、慮氏と歴史上の某師との関連を証明する役には立ちません。

 そう、慮氏が誰であるのか、私は最初から実証する気持ちなどないのです。ただ、ただならぬ見識の持ち主である事を皆様に感じ取っていただければ十分だと思う次第です。

 なお、慮氏に対して質問したい事などがありましたら、掲示板、または、メールでお寄せいただきたく思います。その際に一つ御注意いただきたいのは、同義的に回答不能な質問などは黙殺せざるを得ないという現実です。いえ、強いて問われれば回答不能な理由を明示する事も出来ます。が、しかし、どのような方々も、『あなたの質問はくだらない』といった返答を好まぬ事でしょう。ですから、「有意義な質問とはどのようなものか」といった知的向上心をお持ちでない限り、不掲載の理由を御詮索ならぬようにお願いしたく思います。


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