霊査事例: 2004年8月4日(回答:廬氏)
2004/08/04以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。
今回、二回霊査を取りました。前半は以前の中継霊、後半は廬氏によるものです。
事例1
子供というのは、かまわないから寂しがるのではなく、親の視線が向けられていないから寂しがります。
夏休みに遊びに行く事も良い思い出となりましょうが、一緒に家事を行う事も大切な親子のコミュニケーションです。ついつい、子供が手を出すとかえって面倒だと思いがちですが、それも育児だと考えて、努めて手伝わせてください。
事例2
くどいようですが、良い仕事をするためには努力よりもむしろリラックスする事が大事です。目先の問題だけでなく、全体を見渡さなければなりません。時間軸も今だけでなく、過去と未来との繋がりを考えて把握する事です。
とにかく、最低三日は、何もしない日を設定してご覧なさい。生活に必要な事だけを最低限にして、あとの事は極力忘れる。
分かっているけれど出来ないんだよな……というのは、走りながら考えるからです。
事例3
思い切り大声で笑えているようですね。何よりです。
あなたの欠点として、論理を組み立てるのに下卑た価値観をあてはめる事です。博打や酒・女遊びなどを生き甲斐として生きる、同僚達に流されぬように。話題をあわせるのも良いのですが、人生を「時間の浪費の場」と勘違いしている人々と同じような思想を持つのはナンセンスです。
時間を有意義に使いなさい。
事例4
はつらつとしているし、かつてほど自分をいじめないし、忙しさの中にも楽しみを忘れていませんね。おおむね良し。暑さで旦那様がバテ気味ですが、これまた大過なし。強いていえば、ミョウガやショウガなどの薬味を強めにすると良いでしょう。(おろし生姜は厳禁)
あなたは雑念を引きずっているようですが、これは独身時代に胸の中で不平不満を隠していたものが結んだ因縁です。幸せな暮らしの中でどんどん解けていきますからあまり心配はいりません。
事例5
暑さの中、お仕事ご苦労様です。夏の盛りには普段よりもよりくたびれやすいものですが、それは本当に身体が疲れているというよりむしろ気疲れがひどいのです。
帰宅の際は、自転車など使わず、一駅手前で降りて歩くか、走るかした方がむしろ疲れが取れるはずです。億劫でしょうが、とにかく、夏の疲れには身体を動かすのが何より効きます。ただし、寝る二時間ほど前にはリラックスしておかないと寝苦しくなります。
事例6
大きなお鍋で、煮物して、煮え切らないまま放置したらどうなりますか?
心の中も同じ事です。一つ一つはささやかな不信、不満、疑問。これらを放置しておくと、腐るなどという生やさしいものではなく、家が暮らしがたいほどの悪臭を製造してしまいます。
それでなくても、あなたは説明下手でおなかにため込みすぎる人なのです。せめて深呼吸などして、心の掃除をなさい。
総論(廬)
暑さに負けるなという。だが、暑さと戦って何になろう? 暑さを楽しみ、楽しみの中にも我を忘れずにいなさい。戦う気持ちでいれば猛暑もまた人生の苦難の一つ。しかし、猛暑を楽しむつもりでいれば、この時だから楽しめる事あり、楽しめる味覚あり。
苦難に負ければ地獄道、勝ち負けに拘れば修羅の道、苦難を楽しめればこそ天への道。人生には岐路が多々あるが、選ぶべきは右左の区別ではなく、上り坂か下り坂かの判断である。
辛い道を上り坂というのでなく、向上心を持って進む道が上り坂なのである。無理をすれば下り道を進んでいてもやはり辛い。
事例1
人生を真剣に考えている。それはよい。子供の未来を真剣に考えている。それもよい。だがなぜ考えるのか? その事に気がつかねばならぬ。せっせと道に進むなら考える事もない。考えるのは行き詰まっているからだ。行き詰まっているから考える。だが、考えても考えても、行き着くのは誰かに救いを求める事ばかりで時間の無駄になっている。
今できる事を行いなさい。上手だと褒められなくても、無駄な考えよりも何かをしている方がよい。
事例2
母の事を思う。それはよい。だが、人を思うのは自分を思わざる事への方便か? 人の心配をする事ばかりに忙しくて、自分の人生がおろそかになっているではないか。
では、死後の審判をむかえて、何を学んだかと問われてなんと答える? 両親・同僚・後輩の世話に忙しくて、自分の修行を怠りましたというのか? そんな一言を漏らそうものなら、あなたはとんだ偽善者、親不孝者となる。
人の世話をするなら、自分を不幸にしてはならない。自分も人も幸福にしてこそ、あなたは本当の善者となるのである。
事例3
真理を、心霊を、難しい言葉で考える事で理解しようなどとするな。言葉はすなわち真理を指さす。指を見て真理と思うなかれ。
かつて一人の禅僧が、月を指さしこういった。我が指は月にあらず。霊媒のいう事も、霊のいう事も、真理ではなく、真理を示すものなのだ。
事例4
よいよい。それなりに楽しく毎日を暮らしておる。だが工夫が足らない。汝の心は少しく晴れぬ。それは汝が自分の誕生に不信を抱いているからだ。自分がどれほど祝福されて生まれてきたのかを信じ切れていないのである。
汝は多くの祖先の霊たちに手厚く、手厚くかばわれている。むろん、いくら霊に守られようとも、一人孤独になれば心寂しい事は避けがたいものだが、もっとその事を誇りに思って良い。思えばますます思われるようになるのだから。
事例5
世の大半は世の中は情という大海に浮かぶ船だと思っている。しかし、実際は、摂理の器に情を満たし、その上に浮かんでいる船のようなものだ。つまり情などは浅はかなものである。
さて、汝が情(甘え)を嫌うのは良い事である。だが、自分に厳しいからといって正しいとは限らない。たとえ底が浅いとしても情の起こす波風に揺らがぬ事は難しい。無理に波風と戦うよりも、右に押されたら右、左に押されたら左に傾けばよい。それでも船は進むのだ。
……「坐忘」なる言葉はそういう事だ。良識の上に座っているから情に押されて揺らぐのである。摂理も情も忘れたら揺らぐ事もないのである。
事例6
なまじ知恵をつけるから素直になれぬ。
なまじ間違いと接するから世間の良識に疑いを持つ。
真実のたった一つでも嘘といってしまえば、その信念の上に立つのはいびつな建物でしかない。心霊思想がおまえを幸せにしたのか? それともただ、人とは毛色の違う話が出来るだけなのか?