真理と現実(次元の混同)
2006/04/15いわゆる心霊現象と呼ばれる事例の多くは、超常現象でもなんでもなく、科学的に説明できる事も多いし、それどころか、科学的な説明のほうが合理的な場合が多いものです。
死者の霊の言葉を代弁する霊媒現象もまた、二重人格の霊媒の別人格かもしれないし、ただの虚言かもしれません。いえ、虚言以上に、思い込みを霊言と思い込んでいる場合がとても多いと思います。
心霊現象(と一般に思われているもの)に関する解釈があまりに滑稽であるために、単に心霊肯定論者であると自称するだけで、心霊否定論者の失笑を浴びる事があります。
心霊とは、非科学的な迷信なのでしょうか?
確かに、非科学的で迷信としかいえない解釈や研究も数多くあります。そういう研究家がいることで真面目な研究者も一緒に誹謗されるのは迷惑でもあります。
しかし、考えてみてください。
例えば、絵の具をこぼした一枚の紙と、画家が意図して描いた絵画と、科学的にどう違うというのでしょうか。
絵の具のついた一枚の紙にある、作者の意図の有無を、科学はどう解明できるというのでしょう?
一見不可思議だというだけの理由で、しっかりと科学的に説明がつく現象の多くを、『心霊現象と信じる』というのは、確かに近眼的で愚かしくも思えるでしょう。しかし、どれほど科学が否定しようと、「心がどこから生じ、肉体の死によって心の価値がどう代わるのか」という疑問から人々は逃れる事が出来ません。
そのような疑問は、本来、宗教や哲学の対象であり、科学の対象ではないはずです。そして、心が単なる生理的な反応に過ぎず、そして、死によって全てが無に変えるなら、人生にいかなる価値があるのでしょうか。
そう、人は自分を偶然の産物とは考えたくないのです。しかも、人は、心を想像できるような超越的な存在の意図を理解できるものでしょうか。 我思う、ゆえに我あり……ですが、「我がある」というだけで満足できる人なら、宗教や心霊思想など不要なのです。
CD(コンパクトディスク)を例えに考えて見ましょう。その素材が何であるのかは、化学的に解析が可能ですが、そのCDにいかなる情報が記載されているのかは、化学の対象ではありませんよね。記録媒体の組成と、記録された情報とは異なる次元の問題だからです。
ですが、心霊肯定論者の多くは、心・霊と物理・生理現象とを同一に扱おうとします。「心と身体とは異なる次元の問題だ」という、霊界通信を受けて、霊界を「四次元の世界だ、いや、高級霊界は五次元だ……」などという議論が始めてしまうのです。しかし、数学的な「次元」と国語的な「次元」を混同するというような低次元の過ちを、真剣に論じて何になりましょうか?
確かに、心霊に関する様々な理論等には滑稽な物も多いでしょう。死後の個性存続・肯定論者である、私の目から見てもひどい状態だと感じます。でもそれは、基礎的な研究がおざなりであるということなのです。