子供を家畜にするな
2006/04/17
自己表現を育てる
私がいまだ十代の頃の話です。霊能者として他人から最初に依頼を受けた相談の結果が、母原病でした。母親の過大な期待がストレスとなって、お嬢さんが心身の不調を起していたのです。
この時は知人の占い師の所で、無理に頼まれて霊視したのですが、未だ若かった私は何も見えませんともいえず、しぶしぶと……相談状況も不本意でした……このお嬢さんとお母様が一緒にいらっしゃる場で……その事を口にしました。
このお嬢さんは即座に否定しましたが、それは当然でしょう。母親の前で自分の不甲斐なさを認める事ができるぐらいなら、具合が悪くなる必要が無いのですから。しかし、娘を苦しめるような期待の持ち方も、身体を壊すような期待の応え方も愛情とはいえません。実際、潜在意識の中ではお互いに憎しみあっている事に気がついていないのです。それが態度にありありと見えました。親子なのに緊張が漂うのです。
どうも日本人の多くは、自己表現が下手ですよね。――「嫌だ!」と上手に表現できなくて身体を壊すまで苦しみ、身体を壊すことで自己を表現する人があまりに多いのです。これには赤ちゃんの躾を始める時期に問題があると思います。
親の家畜
皆さん、どうか良く考えてください。人間は善悪をどの様に判断するのでしょうか?
例えば、盗みを働くのはいけない事ですよね。その理由はなんでしょうか。
1.見つかると処罰されるから。
……では見つからなければ盗んでもかまわないのでしょうか。
2.盗まれた人が損をするから。
……では見つかったら、金を払うなり、返品すれば良いのでしょうか。
3.まじめに働く人が馬鹿を見るような世の中にしてはいけないから。
……それならば、誰も見ていなくても盗んではいけませんよね。
でも本当の理由はなんでしょう?
4.人のものを盗んではいけないと躾《しつけ》られたから。
……案外こんなところではないかと思います。
結局、その理由を全く考えずに、盗んではいけないと思い込んでいませんか。
さて、もしも盗みがいけないという理由がすぐに思い浮かばなかったとしたら、あなたは親の家畜であった、またはいまだに家畜である事を疑った方が良いでしょう。あなたにとって善悪とは考える物ではなく、躾という名の調教によって与えられた物、獣が芸をするような条件反射的な反応に過ぎないという事です。
事の善悪を判断するのは心であるべきです。しかし、見つからなければ良い。返せば良い、弁償すれば良い。そのような考えの持ち主があまりに多く、それが人の心を傷つけ、人に傷つけられ苦しむのです。利己的な頭で善悪を判断すべきでもありません。
また親の躾で善悪を判断すべきでもありません。そのような人は礼儀正しそうに見えて、躾られなかった事にはまったく気が利かず、周囲の迷惑に気がつこうともしないからです。
相手の立場に立って物事を考えられない人は、真に心を開ける相手とめぐりあう事は出来ません。本当の愛も友情も知らずに、大勢の人に囲まれて孤独に暮らす事になるのです。
事の善悪を判断するのは心であるべきです。
自分の中の家畜部分を認識しよう
自分の中の家畜部分を認識しよう――とはいってもすべての親が理想的な教育者である事は稀ですし、親がどれほど望もうと、経済的や時間の制約などで、未発達な時期に様々な大人の都合を子供の心に焼き付けてしまう事はままあるものです。ですから、私から「あなたは親の家畜だ!」と断言されたとしても、あなたは親のことを恨むべきではありません。
あなたがなすべきことは、自《みずか》ら親の呪縛《じゅばく》を断ち切る事なのです。
呪縛《じゅばく》というのは、物理的な束縛を言うのではありませんよ。まして親が魔法をかけているのでもありません。あなたが無意識のうちに自らに課している制約の事なのです。そして呪縛を断ち切る為に一番必要なのは、「親の呪縛」を認識することなのです。そのためには自分の中にある家畜の部分を認識しなくてはいけません。
これは街で人を見ているとよく判るはずです。タバコや空き缶の投げ捨て、道を塞ぐ歩行者、人ごみでの携帯電話などなど、個人として付き合うとわりと礼儀正しいのに、その行いにはどこか思慮が抜けている人々。
形にはまったモラルしか持ち合わせずに、その場にあわせた適切な判断の出来ない人々。
思いやりや優しさという言葉が一人歩きしてどこか自己中心的な人々。
私は優しい、私は思いやりがある、と自己申告する人々。
……それを変だと思いませんか?
優しい人というのは、人が必要としている時にそっと手を差し伸べられる人を言うのであり、思いやりのある人とは、思慮深い行動を出来る人の事なのです。少なくとも自ら名乗るべきものではありません。
そしてこれらを、おかしい、変だ! と気がつかず、そして人から指摘されても腹を立てるだけで反省が出来ないようなら、あなたの心の家畜性を取り除く事は不可能です。なぜおかしいのか、なぜ変なのか、その意味を考えて、事の善悪を自ら判断できるようにならなければ、あなたは親の家畜のまま、親の呪縛に絞められ続けるのです。
しかし、自分の呪縛に気がついた人は、呪縛とは鎖でも太いロープでもなく、親に対する依存心と甘えという子供じみた心に過ぎないことに気がつくはずです。何の事は無いのです。親の家畜とは親離れが足りないというだけの事なのですから。
躾《しつけ》の時期
「虎は死して皮を残し、人は死して名を残すと言う。私はせめて死ぬ前に良い弟子を残したい」
上記の相談例と同じ十代の頃です。川端康成と親交があったという、老霊能者に弟子入りしないかと尋ねられたことがあります。
「どうも弟子に恵まれないでね」
私を認めてくれた事はとてもありがたい話です。しかし、『親を見たくば子を見よ』といいます。弟子が不出来なのは師匠の教え方に問題があるのだろうと私は判断し、丁寧に断りました。
さて、この老霊能者は、まだ小さい子に、ピシャ!と叩く程度ですが体罰を与えるのです。そして私はこれを見るのがとても嫌だったのです。
人間の子供は、心の発達にしたがって言葉を覚え、使い分けていくのです。ならば言葉もろくに話せないうちは、善悪を判断する事などできるはずがありません。なのに、なぜ、このような時期に躾を始めようとするのでしょうか。
叩かないと悪い事が判断できないような子供に育てたいのでしょうか。犬や猫や、サーカスの猛獣たちのように、親の指示一つで芸をする様に仕込みたいのでしょうか。きっとこのような人たちにとって、子供の心など、反抗しか示さない厄介ものと見えるでしょうね。学校の荒廃は、まさにこのような人たちの思うままに進んでいます。さらにこの考えを進めたいのなら、すべての教師に猛獣使い用のムチを支給すべきでしょう。愛で芸を仕込むなど、なにやら変なところがあります。
そして、心霊主義を学ぶ私にとって、心の未発達な子供に、恐怖を焼き付けるような事はとても悲しい行為なのです。
親の家畜が霊性を取り戻す時
親の家畜である事を認識しない人でも、霊性がありますから、いつまでも親の家畜でいる事は出来ません。私の狭い付き合いの中で見るかぎり、三〇歳前後が親の呪縛から逃れる時期のようです。もちろんこれには個人差もあります。人はこの頃に人物観ががらりと変わり、百年の恋が一挙に冷水を浴びる様に覚めてしまう人がいます。
今までの自分の価値観が、親に押し付けられたものである、親に掛けられた魔法で仕事や恋愛をしていた、と気がついてしまうのです。そこからは本当の人生の始まりです。
人間の本質は霊である。そして霊には霊を感じる力がある。
人間が、自らの霊性が全面に出せば、おのずと交霊能力が出てきます。これを霊性の覚醒と呼びます。これは霊視・霊聴といった霊能者の職業的技能ではなく、遠く離れていても信じあえる、言葉を交わさなくても理解し合える。そういった人間関係を樹立する事が出来るようになると言う事です。
ここまで心が成長して霊性が初めて人は真の交わりが出来ます。ここまで心が成長しないと、家族の中でも、大勢の友人に囲まれていても、人は孤独に苦しみ続けるのです。そしてここまで心が成長して初めて、真の伴侶、人生のパートナーを迎え入れる準備が出来ます。
結婚してから霊性の覚醒が起った人は悲劇です。霊性の覚醒以前に選んだ伴侶が、霊性の覚醒後も魅力的であることは稀ですから。ですから、私の師匠をして言わしめることになります。
砥石が無ければ刃物は磨げない、
結婚で苦労して魂が磨かれるのよ
結婚で苦労して魂が磨かれるのよ
そして霊性の覚醒の後に、伴侶を得た人はとても幸せな結婚生活を送る事が出来るでしょう。あなたの伴侶は、魂の伴侶と呼びえるものです。
親の家畜は、恋人も、友人も家畜の掛け合わせのように見つけます。特に優秀な家畜ほど、親に認められたい一心から、気がつかないうちに自分にとって幸せな相手よりも、親にとって幸せな恋愛相手を探そうとします。つまり親が喜びそうな家柄、学歴などです。
そして子供を家畜化するような親は、心のあり方など躾ていませんから、育った子供も、心なんて見えないものは、口では大切と言いながら配慮はしません。いえ配慮できないのです。相手の真意など見抜く程、人間に対する洞察力も育っていませんから、恋人として付き合っている最中は、外面だけ見て理想を感じ、結婚して現実に返ります。せっかく結婚祝を包んだ相手が一年足らずで離婚するようでは、お祝いを返せと怒鳴りたくなります。
このような場合、何度か離婚・結婚を繰り返して親の呪縛を解く場合が多いようです。
2006-04-16