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「いつも一緒にいます」

2005/04/18

「いつも一緒にいます」

2005年 04月 18日


 横浜オフ会(4月9日)の霊査事例中に「いつも一緒にいます」――という霊信がありまして、その受取人より、「これは守護霊からのメッセージと受取って良いか」、との問い合せがありました。

 端的に答えれば、守護霊からのメッセージと受取って良いのですが、もう少し深みをもって読んで欲しいとの霊信を受けました。

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『守護霊であるなら、いつも付添うのは当然の義務です。実際には、守護霊にも様々な仕事があり、出掛けなければならないことも多いものですが、それはたいした 問題ではありません。そもそも、人が死して一番に戸惑うのは、死後の世界の何とも便利なことです。どこかを訪ねるにせよ、一瞬でたどり着けるのですから、 一時、傍を離れるなどというのは、単に視線を外す程度の意味合いでしかありません。……そうそう、夫婦が死後に別居するなども同様です。生きている時に四 六時中視線を合わせている夫婦があるでしょうか? 生前に視線を外すことと、死後の世界で別居することはほぼ同じ事なのです。

 もちろん、守護霊の職責にあろうとも、庇護者を四六時中見つめ続けていることは出来ません。なにより大切なのは、庇護者が決して躓かぬように、先々に気を配ることなのですから、見つめ続けては役割が果せません。

 ここで私が、「いつも一緒にいます」と表現したのは、もっと深い意味があります。守護霊と庇護者とが、死と生という二つの境涯でバラバラな生活を続けるのではなく、「私(守護霊)は、常にあなたに語りかけているよ、共に息と歩調を合わせて、一緒に前に進めるように、努力しているよ」 と伝えたかったのです。

 同じ目的を持っていながら、それぞれがバラバラに努力するのは、大きな間違いなのです。いくら守護霊や祖霊の助けを得て生きていても、あなたが孤独感に苛まされているなら、守護霊がいないのとどう代りがあるでしょう!

  すぐ傍に、守護の霊や、祖先の霊がいて、何とかこの子を助け、導こうとしているのに、それに気がついて貰えないのは寂しいことですし、私どもが傍で見守っ ているのにも関わらず、その子が、他を妬み、恨み、憎み、不平不満の中で心を穢していくのを見るのは、とても、とても情けないことなのです。

 どんなに素晴らしい信仰を持ち、どんなに素晴らしい指導者を得ても、あなたの心が清く正しい方向に向かわなければ、それは躓きの元となって、あなたの助けにはなりません。――でも、今のあなたはもうすぐ私の手に届かんとしております。

 あなたには私がついております。手を携えて、正しき道を、胸を張って歩みましょう。共に……』

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 眼に見えるものを風景と思うか、問題解決の糸口と見るかで、人生は大きく変わってきます。

 守護霊がいつも傍にいる。――それも大切なことかも知れません。でも、なんのために一緒にいるのか、それはもっと大切なことです。知って終わるのではなく、知ることが始まりなのです。

 すべては始まりの始まりなのだ――そういう視点が得られてこそ、永遠の大道を歩むことが出来るのです。


再・「いつも一緒にいます」

2005年 04月 26日

 オフ会参加者への霊査で、「いつも一緒にいます」という霊査を受け、その解説はすでにしました。 今回改めて取り上げるのは、いささかつっけんどんな返答となった、”『どうでもいいじゃないか』という答”の別視点です。――つまり、異なる相手に向けた回答であると同時に、普遍的な問題でもあります。


「私たちは、いつもそばにいます。あなたを励まし、癒し、そして時には諫めて、あなたが良き人生を歩めるように常に働きかけております。でも、あなたは、常に孤独を感じ、苦悩し、そして庇護者の手応えを求めて、つい、危うい行動に走ってしまいます。

 あなたが心静かに、そしてひたすら私たちを思っていても、なかなか絆を感じることが出来ないというのに、心すさみ、忍耐を失い、素直さを忘れて自暴自棄になっていては、どうして私たちとの絆を感じ取ることが出来ましょうか?

私たちの手を握れないのは、あなたが反対を向いているからです。

あなたが何よりも助けを欲している時は、何より助けを与えにくい時なのです。

 助けを求める――その後もまたあなたの人生なのです。助けを求めたからといって努力を放り投げて、辛いのはあなたなのです。』


 この一連のやりとりは、「愛」についてが引き金となったものです。

自分を大切にする心と、人を大切にする心とが、きちんと対照していることです。その対照に歪みがあれば、何らかの欲念、正しくない想念の働きがあなたの判断に作用していることが窺われます。

他を愛することは、他から愛されることと対照していなければなりません。つまり、正しく相手を愛することは、正しく相手から愛されるということなのです。 (注:片思いは反例になりません。特別な関係、という独占欲の働きは、相手から反発を受ける要因だからです)……それがつまり、滅私の意義です。守護霊・高級祖霊もまた、あなたを愛しますが、あなたの心の働きが鈍ければ、そこに対照、すなわち相互に好影響を及ぼすことが出来ず、守護霊・高級祖霊はあなたのために充分な働きが出来なくなってしまいます。――絆が大切な所以です。

 これは、滅私の姿勢にも当てはまることです。あなたが懸命に滅私しても、周囲の人々がそれを利用して喜ぶだけであれば、あなたの「滅私」には歪みがあるということです。あなたが「滅私」の奉仕を得られなければ、つまりあなたの滅私は幼稚であるか、まがい物であると考えなければなりません。

 より深い愛を日々育てる努力、その努力も又、愛という言葉の中に含まれているということです。

 あなたが愛を受け、また、滅私の奉仕を受けられるようになるまで、あなたが愛を与え、滅私の奉仕を続けること、それが、あなたが愛の意味を知るという過程なのです。

 あなたが、日々を素直に生き、素直な愛を育てられますように祈念いたします。

 素直――という事が、愛を語る上でどれだけ重要な役割を果たしているか、あなたは心の痛みと共に理解を始めていらっしゃることでしょう。ですがその痛みを責めとは思わぬ事です。本来ならば棄てておくべき執着心を、今、手放す。いわば昔の過ちが育てた痛みなのです。今まで自覚せずに苦悩を抱え込んでいたのです。そろそろ棄てても良い頃です。


10月15日(オンライン)

2003/10/15

10月15日(オンライン)


 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


 どうも最近、守護霊に関する変な……海の魚が空を飛んでいるような……質問を多く受けます。私は何も他所で心霊を学んだ人を拒絶しようとは思いませんが、私がいってもいない事、しかもへんてこな質問をされるのははっきりいって不愉快です。

 守護霊はむろん、皆様の幸福のために、一生懸命働いているというのは、私も同意する所なのです。しかし、幸福とは何か、ここに私とそうでない方との間に大きな差異が生じてきます。

 一口に、あの世この世と区別しますが、顕幽は相対ではありません。肉体に縛られているのがこの世、その制約がないのがあの世なのです。生きている人と、死んだ人と果たしてどちらが幸せか……この違いは、いわば海に潜って貝を集める海女の仕事に似ています。海に潜るのは身体も冷えるし危険な仕事でもあります。でも危険を冒して深く潜ればこそ、海の幸を集められるのです。

 海女は、海に潜りたいから潜るのではなく、海の幸を集めたいから海に潜るのです。潜らなくても収穫があるのなら、どうして海女は海に潜るというのでしょうか。

 人生も同様です。いくら長生きした所で、何の収穫もなければ、空手の海女です。それならいっそ潜らない方がお腹が空かない、身体が濡れない・冷えない。結構な事です。つまり楽に生きるというのは、矛盾しているのです。それこそ肉体に感化されて、物質的な豊かさを追い掛けたり安穏な生活を送りたがるのと同様です。私たちはもう人生に慣れて、この人生が水底であることを忘れています。でも、水底にいる事だけでなく、収穫する事を忘れてしまっているのが人間なのです。

 私が申し上げたいのは守護霊とは、せっかく海に潜った海女を手ぶらで陸にあげるような真似はしないという事です。ところがどうも趣味で素潜りしているような質問者が最近増えています。つまり収穫はいらないから楽に潜りたいというのです。こういう事は心霊思想を前提に考えると、そもそも潜らなければもっと楽ではないかと思えます。

 苦労というのは、それに見合った報酬がないから苦しく思えるのです。報酬が多ければ苦にならぬのが苦労の面白い所なのに、なんだか、楽する方法、いわば、苦労をうやむやにする事ばかりがもてはやされている昨今。わざわざ苦労しろとはいいませんが、避けられぬ苦労を後回しにして、年老いてからそのツケを払わされてはとても辛い事でしょう。

 肉体の感化で魂の痛みに鈍感になっているとしても、本来、肉体を持つ事はとても苦しいのです。たとえば、動物愛護の精神に富んだ人が、牛や豚や魚たちを食べて暮らしている……可哀想な動物と食べられる動物ではどこが違うのでしょう? 私たちはなるべく食べる事に罪の意識を持たぬようにしてはいますが、本来魂は、こういった罪の意識に苛まれているのが普通です。だからこそ、霊性の顕現を迎えた人が菜食に拘りもするのです。そうやって日々、魂の痛みを生み出しつつ生きているのが人生なのです。だからこそ、痛みから逃れるよりも、その痛みに見合う、またはそれ以上の収穫をもって私たちは霊界に帰りたいものです。

変な質問

 整理します。私が変だというのは、

 人生の苦労を減らす手段を求める事……「会社に行って仕事しないで給料もらえない」に似ています。

 私が心霊主義を通じて学んだ事は、人生の苦労に見合うか、それ以上の収穫を求める事……「会社でちゃんと働いてたくさん給料を貰う」という事です。

 むろん、余暇は大切だと思います。ならば、会社を休んで存分に余暇を楽しめばいい。給料もらえずに毎日会社に行くよりも、五日みっちり働いて、二日みっちり遊ぶ方がよほど充実していると思うのです。つまり「楽したい」という気持ちは同じでも、使命を無いがしろにするか、しないかでその結果は大きく異なると私は思います。

霊査事例1

 とても素直な祈り声が聞こえます。そして周りに6人ほどの霊が佇《たたず》んで、その祈りに耳を傾けています。

 単に、霊査を待つばかりではなく、あなたなりにいろいろと試行錯誤をしている事はとても良い事です。なぜなら、心霊主義とは、救いを待つのでも、救いを求めていくのでもなく、より多くの霊たちと調和を持ち、助け合って前に進む事だからです。調和の中において、自主性は一時的には混乱の元ではありますが、自主性を忘れた調和は一部の努力家に、他の多くがぶら下がるだけになりがちなのです。

 ただし、あなたは生まれつき、他から頼られがちな人です。自分が無償で与えられるのはどこまでであるか、無理をしない為にも、その限界を時々見直しましょう。

 また、良ければ一度、教会なども尋ねてみてください。静かな一時を楽しむ事もあなたにとって良い事です。

霊査事例2

 「感謝する事が大切です」と説教されても、感謝の気持ちなどわき上がりません。

 対抗心をあおられたって、憎む気持ちも湧いてきません。

 自然な暮らしの中で、「ああ、当たり前な生活だって、守られているから当たり前なんだよな……」と思えたら、それが先祖供養の第一歩です。人より多くのお祖父様を持つあなたは先祖の守りの堅い方ですよ。

霊査事例3

 熱心に精神統一している姿が見えます。そこそこに深いのだけど、どううまく繋がっていないのです。不思議に思ってしばらく観察してみますと、周りに幾人もの霊が取り巻いて、ただ見ているのです。あなたには準備が出来ているのに、誰も手を出そうとしない。せっかく、ボールを遠くに投げても誰も受けてくれないから、つまらぬキャッチボールにしかなりません。

 これはどうも、あなたの信仰心、帰依心に問題があるようです。内心で守護霊に絶望してはいませんか? キャッチボールというのは、投げる時は相手の胸に目掛けて投げるのです。ですが、相手の球は必ずしもあなたの胸元に目掛けてくるとは限りません。しかもそれは相方が下手だとは限りません。風が吹くかも知れないし、通行人に当たらぬように相手が工夫をしたのかも知れないのです。

 ボールを受け取れないからといって、不平で口をとがらせる前に、もっと身体全体を左右に動かして、とにかく一球でもボールを拾う事です。そして二球三球と拾えるようになると、信頼感が増してきます。

……念のために申し上げますが、あなたはボールを受けるのが下手だとおもいます。そもそも、人は、失敗からも学べるし、他人の成功・失敗からも学べます。ところがあなたは成功しないと、経験値が増えないかのような錯覚をしています。無事ほどの幸せはないのですよ。

霊査事例4

 小さな幸せと、大きな幸せと、あなたの思い描くのはとても極端で間がありません。小さな方は誰が助けなくても手にはいるが、大きい方は誰が助けても手に入りません。そしてあなたの願いに中間はないから、助けようとする者がいても何も出来ずにいます。

 これもまた、理想が高い上に、自分に厳しいあなたの人生上の傾向です。少しずつ良い方に……それを望画してみませんか。

霊査事例5

 安逸な人生は決して幸せな人生ではありません。それは無価値な人生なのです。

霊査事例6

 何か新しい趣味をはじめたのでしょうか。ちょっと気配が遠のいていますが、いつものあなたの背後さんの声で、「ちゃんと元気にしていますよ」と聞こえました。

 これはあなただけに降りた霊査というわけではないのですが……

 人間、この世に生まれくるには、それなりの気力の後押しが必要です。子供が生まれる、子供として生まれるというのは簡単な仕事ではないのです。

 たとえば災難続きで神も仏もないように見える家であっても、子供を産み出すというのはそれなりに、気力霊力を持った家であるという事です。その気力が失せればそもそも子供なんて生まれてきません。いや配偶者すら迎えぬ事でしょう。

 では、神仏の加護が見えがたい家とは何かというと、要するにその気力霊力を生活の活気に結びつけるのが下手な人々であるという事なのです。

 さて、私の霊媒としての体験で、統一も必要の無いぐらいポンポンと返事が口からこぼれる場合もあれば、反対に頭を絞りに絞っても返事がわき上がらない場合もあるのですが、この差をたとえると、水源のダムに水が満々とあるのに、用水路が詰っていて下流に流れぬ場合と、そもそも水源のダムに水がないから下流に流れぬ場合があるの違いなのです。

 私も請われれば、コップに水を二杯三杯、誰にでも振る舞う気概はあるのですが、「なんだこれっぽっち、使えない奴だな」といわれる有様。ですが、さすがに田んぼを潤すほどの水は、それぞれの上流のダム(すなわち当人の前世と祖先の功徳)に水源が無ければどうにもならない事なのです。(有料相談なら考えるけどね。)

 と、これまたあなたにはくどい話かも知れませんが、あなたが過去に不幸を引きずっているのは、別段あなたの祖先が弱いからでも悪いからでもありません。ただ、あなたの近親者が、祖先の功徳を上手に使いこなせなかっただけです。

 今のあなたは、無理をしないし、高望みはしない。だから、もうちょっとわがままに生きても大丈夫なようですよ。


お知らせBy老神いさお。

・PC再起動成功。
 動かなかったのは湿気のせいか、RAMを抜き差ししたら無事に再起動しました。

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移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。
 (最近は復旧する暇がなくて新作が多いですが。)

・東京オフ会: 
 7月度の東京オフ会は7月10日(土)
 に、開催いたします。

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 8月度の東京オフ会は8月14日(土)
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 次回の大阪オフ会は10月の予定です。

・ページ更新
 私事多忙で復旧が滞っております。

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