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	<title>老神心霊研究所 &#187; 再生論</title>
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		<item>
		<title>死別の悲しみ</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/3831</link>
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		<pubDate>Thu, 30 Nov 2006 15:24:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[循環の一端]]></category>
		<category><![CDATA[心霊小論]]></category>
		<category><![CDATA[再生論]]></category>
		<category><![CDATA[愚痴]]></category>
		<category><![CDATA[死を惜しむ]]></category>

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		<description><![CDATA[2006年12月01日

たとえば、あなたが誰かから延々と愚痴を聞かされているとする。苦痛ではあっても、あなたは耐えて聞き続けるだろう。だが、愚痴話に忍耐は通用しても、生理的欲求には敵わない。……中座してトイレに行こうとした途端に罵声を浴びせられる。
「私をおいて逃げるのか！！」
いやな話に誠実に付き合っていたのに、トイレに行くだけで詰られるのか？ それはあまりに不誠実な態度ではないか！！
････････
または、たまたま耐え難い出来事があって、いつも愚痴を聞かされている友人にこの時ばかりは聞き役を変わってもらい、つい自分の愚痴をこぼした時に……
「ああ嫌、愚痴なんて聞きたくないわ！！」……と拒絶されたら？ 
今まで散々愚痴を聞かせておいて、自分は聞きたくないなんて、身勝手じゃないか！！
････････
『自分もつらいが、相手にも余裕がないのだろう。』……理性はそう受け止めることができても、感情が収まらない。もっともこの場合は、興奮物質であるアドレナリンが体内を駆け巡って、行動的になっている、つまり何らかの発散を必要としている生理状態というだけなのだが、ほとんどの人はこの状態を『正義の怒り』と解釈して報復することを正当化してしまう。
まあ、その腹立ちは別な話題として脇に置くが、少なくとも自分が誠意をつくしている相手が、不誠実な態度をとるのはとても裏切られた気がして、それまで抱いていた好意がいっぺんに吹き飛びかねないものだ。
そうであろう？ 誠意をつくすのは相手にも誠意を期待するからだ。たとえ相手が裏切っても自分は誠意をつくすというのは、人としては立派な態度かもしれないが、大人が子供を接するかのような視点であって、つまり相手を見下している。……やむをえないかもしれないが。
話が回りくどくて申し訳ないが、私がここで指摘したいのは、
好意があればこそ、相手を強く嫌う状況も生じる。ということだ。
たとえば、嫌いな相手が（いたとして）、延々と愚痴をこぼしているとする。それは面倒ではあっても、また、顔に出すことはできなくても、同時に愉快なことではないか？ 敵の敵は味方なのだから。つまり、嫌いな相手ならば苦にならないが、好む相手から受けると、耐え難い苦痛があるのだ。
そして、自分が不快に思うことなら、他の誰かにそれを味合わせないようにすべきであろう。
････････ 
よんどころのない事情があって、立ち去らざるを得ない……後ろ髪引かれる思いである。離れがたい気持ちは同じであるし、できればそのまま残りたい気持ちもあるのに、残された者が嘆き、悲しみ、苦悶する。
去らなければならないことに、自分自身が泣きたいのに、残された者が泣き叫んでいては、まるで立ち去ることを詰られているようではないか。
好まずとも……去らねばならぬのである、なのにどうして行く先の無事を祈ってくれないのか？ 残され、別離を嘆くものから見れば、行く先などというのは想像もつかないかもしれない。だが、行く者にとって、行く先とは目の背けようのない現実なのである。
人は現実を目にすれば覚悟が生じるが、現実から目を背けたい人はいくら泣いても覚悟は生じない。つまり、行く者と、残される者との間には大きな認識の差がある。
･･･････
論じてきたのは他でもない。「死別の悲しみ」の害である。
嘆いて何が悪いか？ それが人情ではないか。･･････確かに。だがそれがどれほど身勝手な人情であるのか。
逝く者から見れば失われる肉体よりもはるかに永続性のある、つまりはより実感のある現実が、死後の世界であるのに、残された者どもは死者を哀れむのである。本当に哀れなのは、行く先の豊かさを知らずに生きている人間であるのに。
･･･････
もっとも、あの世の現実以前に、この世で身勝手さの報いを受けるかもしれないが。

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">2006年12月01日</p>
<hr />
<p>たとえば、あなたが誰かから延々と愚痴を聞かされているとする。苦痛ではあっても、あなたは耐えて聞き続けるだろう。だが、愚痴話に忍耐は通用しても、生理的欲求には敵わない。……中座してトイレに行こうとした途端に罵声を浴びせられる。</p>
<p align="center"><strong>「私をおいて逃げるのか！！」</strong></p>
<p>いやな話に誠実に付き合っていたのに、トイレに行くだけで詰られるのか？ それはあまりに不誠実な態度ではないか！！</p>
<p align="center">････････</p>
<p>または、たまたま耐え難い出来事があって、いつも愚痴を聞かされている友人にこの時ばかりは聞き役を変わってもらい、つい自分の愚痴をこぼした時に……</p>
<p align="center"><strong>「ああ嫌、愚痴なんて聞きたくないわ！！」</strong>……と拒絶されたら？ </p>
<p>今まで散々愚痴を聞かせておいて、自分は聞きたくないなんて、身勝手じゃないか！！</p>
<p align="center">････････</p>
<p>『自分もつらいが、相手にも余裕がないのだろう。』……理性はそう受け止めることができても、感情が収まらない。もっともこの場合は、興奮物質であるアドレナリンが体内を駆け巡って、行動的になっている、つまり何らかの発散を必要としている生理状態というだけなのだが、ほとんどの人はこの状態を『正義の怒り』と解釈して報復することを正当化してしまう。</p>
<p>まあ、その腹立ちは別な話題として脇に置くが、少なくとも自分が誠意をつくしている相手が、不誠実な態度をとるのはとても裏切られた気がして、それまで抱いていた好意がいっぺんに吹き飛びかねないものだ。</p>
<p>そうであろう？ 誠意をつくすのは相手にも誠意を期待するからだ。たとえ相手が裏切っても自分は誠意をつくすというのは、人としては立派な態度かもしれないが、大人が子供を接するかのような視点であって、つまり相手を見下している。……やむをえないかもしれないが。</p>
<p>話が回りくどくて申し訳ないが、私がここで指摘したいのは、</p>
<p><strong>好意があればこそ、相手を強く嫌う状況も生じる。</strong>ということだ。</p>
<p>たとえば、嫌いな相手が（いたとして）、延々と愚痴をこぼしているとする。それは面倒ではあっても、また、顔に出すことはできなくても、同時に愉快なことではないか？ 敵の敵は味方なのだから。つまり、嫌いな相手ならば苦にならないが、好む相手から受けると、耐え難い苦痛があるのだ。</p>
<p align="center">そして、自分が不快に思うことなら、<strong>他の誰かにそれを味合わせないようにすべきであろう。</strong></p>
<p align="center">････････ </p>
<p>よんどころのない事情があって、立ち去らざるを得ない……後ろ髪引かれる思いである。離れがたい気持ちは同じであるし、できればそのまま残りたい気持ちもあるのに、残された者が嘆き、悲しみ、苦悶する。</p>
<p>去らなければならないことに、自分自身が泣きたいのに、残された者が泣き叫んでいては、まるで立ち去ることを詰られているようではないか。</p>
<p>好まずとも……去らねばならぬのである、なのにどうして行く先の無事を祈ってくれないのか？ 残され、別離を嘆くものから見れば、行く先などというのは想像もつかないかもしれない。だが、行く者にとって、行く先とは目の背けようのない現実なのである。</p>
<p><strong>人は現実を目にすれば覚悟が生じるが、現実から目を背けたい人はいくら泣いても覚悟は生じない。</strong><strong>つまり、行く者と、残される者との間には大きな認識の差がある。</strong></p>
<p align="center">･･･････</p>
<p>論じてきたのは他でもない。<strong>「死別の悲しみ」</strong>の害である。</p>
<p>嘆いて何が悪いか？ それが人情ではないか。･･････確かに。だがそれがどれほど身勝手な人情であるのか。</p>
<p>逝く者から見れば失われる肉体よりもはるかに永続性のある、つまりはより実感のある現実が、死後の世界であるのに、残された者どもは死者を哀れむのである。本当に哀れなのは、行く先の豊かさを知らずに生きている人間であるのに。</p>
<p align="center"><strong>･･･････</strong></p>
<p>もっとも、あの世の現実以前に、この世で身勝手さの報いを受けるかもしれないが。</p>
<hr />
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		<item>
		<title>もう一度地上に降りられるなら</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/3791</link>
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		<pubDate>Sat, 11 Nov 2006 11:59:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他の霊]]></category>
		<category><![CDATA[再生論]]></category>
		<category><![CDATA[死を惜しむ]]></category>

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		<description><![CDATA[2006年11月11日

ある霊が語る。
&#160;
「もしも、もう一度、地上に降りられるなら。
私は大きな声で歌う。
皆さんありがとう！
私を愛してくれて……
皆さんありがとう！
私と共にいてくれて……」

「私はとても幸せでした。
ただ、心残りは、
皆にもっと『ありがとう』と言いたかった。
『愛している』と言いたかった。
『言葉だけか』といわれても、私に出来ることはそれだけだから。」
「ありがとう。そして、さようなら。」

「ありがとう。そして、さようなら。」――この言葉に違和感を感じる。言葉にすれば単なる挨拶であるが、何か違う。
明白なのは、『また逢いましょう』がない。まあ、私宛のメッセージであるというなら、再会の意志が無いだけとも言えるが……
彼女は上がっていくのだ。後ろを振り向かずに。
振り向かずに進む、その決意ゆえに、再会の機会が残るとしても、決別の言葉を残したのだ。

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">2006年11月11日</p>
<hr />
<p>ある霊が語る。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p align="center">「もしも、もう一度、地上に降りられるなら。</p>
<p align="center">私は大きな声で歌う。</p>
<p align="center">皆さんありがとう！</p>
<p align="center">私を愛してくれて……</p>
<p align="center">皆さんありがとう！</p>
<p align="center">私と共にいてくれて……」</p>
<p align="center">
<p align="center">「私はとても幸せでした。</p>
<p align="center">ただ、心残りは、</p>
<p align="center">皆にもっと『ありがとう』と言いたかった。</p>
<p align="center">『愛している』と言いたかった。</p>
<p align="center">『言葉だけか』といわれても、私に出来ることはそれだけだから。」</p>
<p align="center">「ありがとう。そして、さようなら。」</p>
<hr />
<p>「ありがとう。そして、さようなら。」――この言葉に違和感を感じる。言葉にすれば単なる挨拶であるが、何か違う。</p>
<p>明白なのは、『また逢いましょう』がない。まあ、私宛のメッセージであるというなら、再会の意志が無いだけとも言えるが……</p>
<p>彼女は上がっていくのだ。後ろを振り向かずに。</p>
<p>振り向かずに進む、その決意ゆえに、再会の機会が残るとしても、決別の言葉を残したのだ。</p>
<hr />
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		<item>
		<title>どこに在るのが幸せか</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/3793</link>
		<comments>http://www.oigami.com/archives/3793#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 10 Nov 2006 12:00:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他の霊]]></category>
		<category><![CDATA[心霊掌編]]></category>
		<category><![CDATA[再生論]]></category>
		<category><![CDATA[死を惜しむ]]></category>

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		<description><![CDATA[2006年11月10日

神の御許へ、いざ帰らんとする者を引き留める。
神の御許よりも、あなたの許にいる方が幸せだというのか？
さらなる生を祈る先はいずこ？
神の御許へ行くことを拒みながら、その神に祈る。
命は大切なもの……その言葉の蔭に動いているのはエゴではないか？
大切なのは生死にあらずして、それぞれが果たすべき勤めを、その時々に果たすこと。
人の勤めをおろそかにして、生死輪廻の自然を拒む。……そこに罪があるから人は苦しむ。
死が不幸なのではなく、残された人の心に不幸がある。

]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">2006年11月10日</p>
<hr />
<p>神の御許へ、いざ帰らんとする者を引き留める。</p>
<p>神の御許よりも、あなたの許にいる方が幸せだというのか？</p>
<p>さらなる生を祈る先はいずこ？</p>
<p>神の御許へ行くことを拒みながら、その神に祈る。</p>
<p>命は大切なもの……その言葉の蔭に動いているのはエゴではないか？</p>
<p>大切なのは生死にあらずして、それぞれが果たすべき勤めを、その時々に果たすこと。</p>
<p>人の勤めをおろそかにして、生死輪廻の自然を拒む。……そこに罪があるから人は苦しむ。</p>
<p>死が不幸なのではなく、残された人の心に不幸がある。</p>
<hr />
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>逝く者を案じる人へ</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/3830</link>
		<comments>http://www.oigami.com/archives/3830#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 08 Nov 2006 15:15:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[循環の一端]]></category>
		<category><![CDATA[心霊小論]]></category>
		<category><![CDATA[再生論]]></category>
		<category><![CDATA[死を惜しむ]]></category>

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		<description><![CDATA[逝く者を案じる人へ
2006年11月09日

死したる者は再生するのが自然。
生まれてきた者は帰幽するのが自然なのです。
あなたが案じるその人も、そしていずれはあなた自身も、帰幽とは生まれてきた者が必ず辿る自然の摂理なのです。その自然の摂理に抗おうとするところにあなたの苦悩の源泉があります。いわば、自然の流れに押しつぶされているのが、あなたの苦悩なのです。
老いてもなお、病んでもなお、日々衰えていく肉体に縛り付けられることは決して幸せではありません。執着は、あるべき姿を遅らせるだけのこと、その不自然な在り方が肉体に苦しみを与えます。そして死が遅れればそれだけ再生の営みもまた遅れるのです。
あなたは病む者、老い行く者に同情し、長寿を乞うています。でもそれは、相手の魂をおもんばかってのことではなく、ただ、あなたがその繋がりに執着しているだけのことです。いわば、あなたは相手の魂の居場所、来世の在り方に同情する事を忘れているかのようです。
それぞれの魂には、それぞれの勤めがあり、その勤めを果たさずにはどんなに苦しくても死を選ぶわけには参りません。敢えてそれを曲げようとすれば地上の苦しみの何倍もの償いを、死後に背負うことになります。……ならばこそ、それぞれが果たすべき勤めをきちんと果たせるように助け合うことこそが互いの幸せの道なのです。
別離は悲しい、別離は苦しい、別離は嫌だ……確かにそうでしょう。しかし、あなたにとって心地よい答が、相手にとって最善の答とは限りません。
生き物は皆、老い、そして死んでいきます。そして、再生の気力を失うほど生きることに執着するのは業《カルマ》でしかありません。
人は永遠の生を生きる。ならばこそ、目先の生死よりもその時々の勤めをきちんと果たす、その一つ一つの過程こそが大切になるのです。
しかし、誰かが老い、死ぬその一方で、日々新たな生命も生まれているのです。死に行く者に気取られて、生まれくる命から目を背けては、人として暗いものがあります。

生きる者は死を免れることが出来ない……何のために生まれてきたのか、その理由を探求することなく、ただ生の快楽と苦痛との間を行き来している者は、目前に迫った死を恐れるようになります。果たすべき勤めを疎かにする者は、背後の霊達の支持が得られぬからです。
霊的な孤独こそが、人に不安をもたらします。……魂の孤独と、直面して生きる現代人が、何とも理解しがたい摂理です。

愛別離苦
2006年11月11日
&#160;
人は永遠の生を生きているかも知れない。だが、地上の法や倫理は、人は死ぬことを前提としている。
たとえば、伴侶、または、恋人と死別した場合、新たな恋に落ちることや、生活上の必然から再婚することなどは、果たして心霊学徒にとって適切な態度であるのか。……相手にたいして不実はないか？
地上の関係
結論からいえば、人間、もしくは地上の法、いわば人間関係の分類法は単純・幼稚であって、ありていに言えば実態に合わない。
当人同士が永遠の愛を誓おうが、たちまち離婚するカップルもいるし、大袈裟なことの何もない見合い結婚でも長く連れ添う場合もある。神前で結婚しようが、婚姻届を提出しただけで終えようが、たとえ子供を何人なそうとも……男女の仲は情や都合の結果であって、永遠を保証された特別な関係とは限らない。
霊界でいう結婚とは、（ほぼ……）永遠の関係であるが、地上でいう結婚というのは永遠どころか、わずか百年前後の人生中ですら継続が危うい儚い関係が大半だろう。
「（いわば）神界の政庁」が認めた結婚であるか、そうでないのか……重要なのはその点であって、地上の法の元で認められた結婚ではさすがに判断の役には立たない。
情が絡む
さらに困るのは、地上の人間関係は大部分が情念に支配されている現実だ。たとえば霊的な繋がりがあるとしても、情念の高ぶりを感じることが出来ずにダラダラとした人間関係を続けた挙げ句、相手を失って始めてその価値を知るなどという愚かな流れもあるだろう。
反対に、置き去られてもなお、魂の繋がりのないことに気がつかぬ者もいる。相手の親切と繋がりとを誤解したり、相手の親切を下心と誤解する程度の繋がりもある。
人間の繋がりには様々要素があるわけだが、扱いにくいのは情念である。……いや、情念を重視する人、と指摘すべきか。負けず嫌いであるがゆえに、相手を追い掛けたり、相手を突き放したり。情念を表に出すと、誠実さが失われるのだが、情念の熱い人は往々（いや私の知る限り全て）、誠実さと情念とを取り違えているから困る。しつこいことを誠実と錯覚しているのである。
……いずれにせよ、他と霊的繋がり（つまり永遠の関係）がある人ならば、おそらくは静かにそれを信じようとする。だが、情念が支配するなら激しくそれを信じようとするだろう。……迷惑なほどに。
ケースバイケースだから
ケースバイケースだから、一件、一件について個別に回答しなければならないのだが、面倒なことに霊的繋がりの薄い人ほど情熱的に答を求め、霊的繋がりの強い人は誰かの手を煩わせようとはしないという矛盾がある。
だからこそ、個人的な問い合わせには返事をしたくない。答えなければならないなら、そもそも答は否定的なのである。
発端
伝えて……という声が聞こえる。
「それぞれの道を行きましょう。いずれどこかで道が交わるまで……」
霊的見解
霊的繋がりのある二人なら、因縁は当たり前のように分担を強いられる。当事者の意志とは関係なく……だが、霊的繋がりのない人であれば、一方が二人分の因縁を負担することも多い。
そう、因縁の働き方を見るだけで、神界がどういう立場で二人を扱っているかが見えることもある。その様な場合は、結果よりもむしろ過程が重視される。……言いにくいことだが、一つの試練であってゴールではなかった、そういう恋もあるのだ。実直な人には受け入れがたいことではあるが。
しかし、何事も初めがあり、終わりがある。……試練であるからと言って行き止まりだとは限らない。
大切なのは明日であり、どういう態度で明日に向かうのか、ということだ。

愛情と執着とをはき違えると、お互いに不幸になります。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h2>逝く者を案じる人へ</h2>
<p align="right">2006年11月09日</p>
<hr />
<p><strong>死したる者は再生するのが自然。</strong></p>
<p><strong>生まれてきた者は帰幽するのが自然なのです。</strong></p>
<p>あなたが案じるその人も、そしていずれはあなた自身も、帰幽とは生まれてきた者が必ず辿る自然の摂理なのです。その自然の摂理に抗おうとするところにあなたの苦悩の源泉があります。いわば、自然の流れに押しつぶされているのが、あなたの苦悩なのです。</p>
<p>老いてもなお、病んでもなお、日々衰えていく肉体に縛り付けられることは決して幸せではありません。執着は、あるべき姿を遅らせるだけのこと、その不自然な在り方が肉体に苦しみを与えます。そして死が遅れればそれだけ再生の営みもまた遅れるのです。</p>
<p>あなたは病む者、老い行く者に同情し、長寿を乞うています。でもそれは、相手の魂をおもんばかってのことではなく、ただ、あなたがその繋がりに執着しているだけのことです。いわば、あなたは相手の魂の居場所、来世の在り方に同情する事を忘れているかのようです。</p>
<p>それぞれの魂には、それぞれの勤めがあり、その勤めを果たさずにはどんなに苦しくても死を選ぶわけには参りません。敢えてそれを曲げようとすれば地上の苦しみの何倍もの償いを、死後に背負うことになります。……ならばこそ、それぞれが果たすべき勤めをきちんと果たせるように助け合うことこそが互いの幸せの道なのです。</p>
<p><strong>別離は悲しい、別離は苦しい、別離は嫌だ</strong>……確かにそうでしょう。しかし、あなたにとって心地よい答が、相手にとって最善の答とは限りません。</p>
<p>生き物は皆、老い、そして死んでいきます。そして、再生の気力を失うほど生きることに執着するのは業《<font size="1">カルマ</font>》でしかありません。</p>
<p>人は永遠の生を生きる。ならばこそ、目先の生死よりもその時々の勤めをきちんと果たす、その一つ一つの過程こそが大切になるのです。</p>
<p>しかし、誰かが老い、死ぬその一方で、日々新たな生命も生まれているのです。死に行く者に気取られて、生まれくる命から目を背けては、人として暗いものがあります。</p>
<hr />
<p>生きる者は死を免れることが出来ない……何のために生まれてきたのか、その理由を探求することなく、ただ生の快楽と苦痛との間を行き来している者は、目前に迫った死を恐れるようになります。果たすべき勤めを疎かにする者は、背後の霊達の支持が得られぬからです。</p>
<p>霊的な孤独こそが、人に不安をもたらします。……魂の孤独と、直面して生きる現代人が、何とも理解しがたい摂理です。</p>
<hr />
<h2>愛別離苦</h2>
<p align="right">2006年11月11日</p>
<p align="right">&#160;</p>
<p>人は永遠の生を生きているかも知れない。だが、地上の法や倫理は、人は死ぬことを前提としている。</p>
<p>たとえば、伴侶、または、恋人と死別した場合、新たな恋に落ちることや、生活上の必然から再婚することなどは、果たして心霊学徒にとって適切な態度であるのか。……<strong>相手にたいして不実はないか？</strong></p>
<h3>地上の関係</h3>
<p>結論からいえば、人間、もしくは地上の法、いわば人間関係の分類法は単純・幼稚であって、ありていに言えば実態に合わない。</p>
<p>当人同士が永遠の愛を誓おうが、たちまち離婚するカップルもいるし、大袈裟なことの何もない見合い結婚でも長く連れ添う場合もある。神前で結婚しようが、婚姻届を提出しただけで終えようが、たとえ子供を何人なそうとも……男女の仲は情や都合の結果であって、永遠を保証された特別な関係とは限らない。</p>
<p>霊界でいう結婚とは、（ほぼ……）永遠の関係であるが、地上でいう結婚というのは永遠どころか、わずか百年前後の人生中ですら継続が危うい儚い関係が大半だろう。</p>
<p>「（いわば）神界の政庁」が認めた結婚であるか、そうでないのか……重要なのはその点であって、地上の法の元で認められた結婚ではさすがに判断の役には立たない。</p>
<h3>情が絡む</h3>
<p>さらに困るのは、地上の人間関係は大部分が情念に支配されている現実だ。たとえば霊的な繋がりがあるとしても、情念の高ぶりを感じることが出来ずにダラダラとした人間関係を続けた挙げ句、相手を失って始めてその価値を知るなどという愚かな流れもあるだろう。</p>
<p>反対に、置き去られてもなお、魂の繋がりのないことに気がつかぬ者もいる。相手の親切と繋がりとを誤解したり、相手の親切を下心と誤解する程度の繋がりもある。</p>
<p>人間の繋がりには様々要素があるわけだが、扱いにくいのは情念である。……いや、情念を重視する人、と指摘すべきか。負けず嫌いであるがゆえに、相手を追い掛けたり、相手を突き放したり。情念を表に出すと、誠実さが失われるのだが、情念の熱い人は往々（いや私の知る限り全て）、誠実さと情念とを取り違えているから困る。しつこいことを誠実と錯覚しているのである。</p>
<p>……いずれにせよ、他と霊的繋がり（つまり永遠の関係）がある人ならば、おそらくは静かにそれを信じようとする。だが、情念が支配するなら激しくそれを信じようとするだろう。……迷惑なほどに。</p>
<h3>ケースバイケースだから</h3>
<p>ケースバイケースだから、一件、一件について個別に回答しなければならないのだが、面倒なことに霊的繋がりの薄い人ほど情熱的に答を求め、霊的繋がりの強い人は誰かの手を煩わせようとはしないという矛盾がある。</p>
<p>だからこそ、個人的な問い合わせには返事をしたくない。答えなければならないなら、そもそも答は否定的なのである。</p>
<h3>発端</h3>
<p>伝えて……という声が聞こえる。</p>
<p>「それぞれの道を行きましょう。いずれどこかで道が交わるまで……」</p>
<h3>霊的見解</h3>
<p>霊的繋がりのある二人なら、因縁は当たり前のように分担を強いられる。当事者の意志とは関係なく……だが、霊的繋がりのない人であれば、一方が二人分の因縁を負担することも多い。</p>
<p>そう、因縁の働き方を見るだけで、神界がどういう立場で二人を扱っているかが見えることもある。その様な場合は、結果よりもむしろ過程が重視される。……言いにくいことだが、一つの試練であってゴールではなかった、そういう恋もあるのだ。実直な人には受け入れがたいことではあるが。</p>
<p>しかし、何事も初めがあり、終わりがある。……試練であるからと言って行き止まりだとは限らない。</p>
<p>大切なのは明日であり、どういう態度で明日に向かうのか、ということだ。</p>
<hr /><span id="more-3830"></span>
<p>愛情と執着とをはき違えると、お互いに不幸になります。</p>
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		<title>１１月２４日　静岡オフ会・質問事例</title>
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		<pubDate>Sun, 23 Nov 2003 16:32:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[霊査事例：　2003年]]></category>
		<category><![CDATA[再生論]]></category>
		<category><![CDATA[夢占い]]></category>

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		<description><![CDATA[

    Ｑ１　「夢に喜び事がありながら、朝起きて現実に気がついた時、無性に切ない」


    　まず、夢に具体的な光景を思い描く事が、実現には大切です。家を建てる時も図面を描けばこそ、大勢の職人達が助け合って建てる事が出来ます。一人で建てるのならば図面が無くても構わぬでしょうが……背後霊に助けを求めるのにだって、図面が必要なのです。どういう未来を欲しいのか、心の中に思い描く事が大切です。これを望画《ぼうかく》と呼びます。


    　さて、あなたは睡眠中に望画しているとの事。夢に見ながら手が届かぬのは確かに辛くはありますが、夢も見なくなったらそれが幸せといえるかどうか。朝起きてそれが夢である事に気がついたなら、『産土の神様、祖先・守護の霊達、どうかこの夢が実現するようにお導き下さい』と祈るべきでありましょう。


    Ｑ２；　兄弟・姉妹で、運不運、役割がまるで違うのはなぜだろう。心霊的に見て意味があるのか？


    　人は生まれてくる場所を選んで生まれてきます。心霊知識のない方々は、「こんな家に生まれたくはなかった……」などとうそぶきますが、その実体は、「自分の持つ功徳では、せいぜいがこの家を選ぶのが精一杯であった」という事なのです。


    　たとえ不承不承であっても、生まれてきた以上はその勤めを果たさなければ、来世ではもっと惨めな人生が待っています。境遇を嘆くよりも境遇を生かす努力が大切です。


    　さて、兄弟姉妹で役割が違うとの事ですが、それは要するに、兄弟姉妹のある者に家の因縁が集まり、ある者は楽をし、ある者が一人で苦労をするのはなぜだろうか……という事ですね。


    　人生を左右するのは境遇と才能のバランスであります。どんなに才能溢れてもそれを生かせる境遇に生まれなければ不遇ですし、どんなに境遇の良い所に生まれても才能がなければやはり不遇な人生となってしまいます。でも、人は助け合う事も出来ます。兄弟姉妹が助け合えば、どんなに深い因縁のある家でも、みな幸せになるでしょうし、反対に兄弟姉妹が足を引き合えばどんなに素晴らしい境遇の家でも、みなが不幸になってしまいます。


    　あなたの家の場合は、長女のあなたはあなたらしく生きる事で存在意義を獲得し、真ん中の姉妹は、『勉強では姉に叶わぬから、家族を大切にする事で自分の存在意義を手に入れよう』と努力し、末の妹さんは、「私には何も残っていない」とふて腐っているかのようです。


    　そうはっきりと違いが現れるのは、お互いの良い所を学ぼうという気持ちが、あなた方姉妹の仲になかったせいといえましょう。……端的にいえば、姉に反発するよりも姉の美点を吸収・利用しようという気持ちを持っていたら、もっと幸せになれたはずなのです。



&#8216;, &#8221;, 1, 1, 0, 13, &#8217;2003-11-24 00:00:00&#8242;, 63, &#8221;, &#8217;0000-00-00 00:00:00&#8242;, 0, 0, &#8217;0000-00-00 [...]]]></description>
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    Ｑ１　「夢に喜び事がありながら、朝起きて現実に気がついた時、無性に切ない」<br />
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    　まず、夢に具体的な光景を思い描く事が、実現には大切です。家を建てる時も図面を描けばこそ、大勢の職人達が助け合って建てる事が出来ます。一人で建てるのならば図面が無くても構わぬでしょうが……背後霊に助けを求めるのにだって、図面が必要なのです。どういう未来を欲しいのか、心の中に思い描く事が大切です。これを望画《<font size="1">ぼうかく</font>》と呼びます。
</p>
<p>
    　さて、あなたは睡眠中に望画しているとの事。夢に見ながら手が届かぬのは確かに辛くはありますが、夢も見なくなったらそれが幸せといえるかどうか。朝起きてそれが夢である事に気がついたなら、『産土の神様、祖先・守護の霊達、どうかこの夢が実現するようにお導き下さい』と祈るべきでありましょう。
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    Ｑ２；　兄弟・姉妹で、運不運、役割がまるで違うのはなぜだろう。心霊的に見て意味があるのか？<br />
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<p>
    　人は生まれてくる場所を選んで生まれてきます。心霊知識のない方々は、「こんな家に生まれたくはなかった……」などとうそぶきますが、その実体は、「自分の持つ功徳では、せいぜいがこの家を選ぶのが精一杯であった」という事なのです。
</p>
<p>
    　たとえ不承不承であっても、生まれてきた以上はその勤めを果たさなければ、来世ではもっと惨めな人生が待っています。境遇を嘆くよりも境遇を生かす努力が大切です。
</p>
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    　さて、兄弟姉妹で役割が違うとの事ですが、それは要するに、兄弟姉妹のある者に家の因縁が集まり、ある者は楽をし、ある者が一人で苦労をするのはなぜだろうか……という事ですね。
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    　人生を左右するのは境遇と才能のバランスであります。どんなに才能溢れてもそれを生かせる境遇に生まれなければ不遇ですし、どんなに境遇の良い所に生まれても才能がなければやはり不遇な人生となってしまいます。でも、人は助け合う事も出来ます。兄弟姉妹が助け合えば、どんなに深い因縁のある家でも、みな幸せになるでしょうし、反対に兄弟姉妹が足を引き合えばどんなに素晴らしい境遇の家でも、みなが不幸になってしまいます。
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    　あなたの家の場合は、長女のあなたはあなたらしく生きる事で存在意義を獲得し、真ん中の姉妹は、『勉強では姉に叶わぬから、家族を大切にする事で自分の存在意義を手に入れよう』と努力し、末の妹さんは、「私には何も残っていない」とふて腐っているかのようです。
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    　そうはっきりと違いが現れるのは、お互いの良い所を学ぼうという気持ちが、あなた方姉妹の仲になかったせいといえましょう。……端的にいえば、姉に反発するよりも姉の美点を吸収・利用しようという気持ちを持っていたら、もっと幸せになれたはずなのです。
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