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真摯な態度

2006/12/22

2006年12月22日


先祖供養の大切さを説く霊媒は多い。だが私は、供養を強いるのは変だと思う。

『私に感謝しなさい!』……て、いわれて変には思わないか?

だから私は、先祖供養の代りに、日々の歓びを大切にするように人々に説く。日常の幸せの中で、もしも、

『ああ、これは自力では出来ないことだ。きっと天の助けに違いない』

と、感じられたのなら、それこそが感謝の発端、先祖供養の第一歩だと思うのだ。

……という私の理念は決して間違いではないと思うのだが……

突然、聞こえた。

『ダメです。』

え!? どうして。

『昔から勉強は形を真似ることから入ります。』

……つまり、私のやり方では怠惰に流れやすいと。

『流れていますよね、何人も。』

……あああああぁ。でも、方向性は間違っていないのではないかと!!

『上から押しつける形が、うまく働かないことは理解します。でも、やはり形を真似ることも大切です。少なくともその方が楽であることを認識すべきです。』

……でも、笛吹けど踊らずで。

『それだけで良いと思うのが、怠惰に流れるということです。』

……よく考えてみれば、それは私の問題じゃないぞ。

『まあ、各家庭の躾の問題ではありますが……』

……大の大人を躾直すなんて、当人から頼まれないか切りできないぞ!。

『……はぁ(ため息)』

逆転?

『だから人は、怠惰に流れて困るのです。足りない物に気がつこうともしない』


お彼岸の話題

2006/03/23

 精神統一をしても、なかなか先祖の霊格が上がらない人が居る。いくらなんでも進歩がないのは、指導する側が無能ではないかと自責せずにはいられない。当然、その問題点を洗い出したいと思っていたが、思い詰めていると受信がおろそかになるのは心霊研究的エッセイに纏めているとおりである。

 ぶっちゃけた話、忘れた頃に教えられた。

・・・・・

仕事中に『ちょっと覗いてみよ』と小言でいわれる……といって私は、PCの前に座ったままで動くわけでもない。…… 心を充分に静めると、そこは小さなお堂の前、戸の置くを覗き込むと、神道風の祭壇に大きなロウソクが二本燃えさかっている。祭壇の前には巫女風の装束を着た、白髪の老婆。……こちらはまるで萌えていない。いや、この表現を一度使ってみたかっただけだ。

 その背後にはおよそ5列4行の二十人の老若男女が詰めかけて一心に祈祷をしている。祝詞なのやら、お経なのやら、良く聞取れないのは精神統一が浅いためだ。(念のため後で確認してみたが、この数字は別にどこかの家の祖先の数を表しているのではなく、まあ、お堂の規模を教えているのだそうだ。)

 案内の老翁が口元に指を当てて、「静かに」のジェスチャーをする、一緒にそっとお堂から離れて、広場の石に腰を下ろす。

『どう見たぁ?(どう思う)』……なにやら語尾が妙に間延びして聞える。なんだか、トンネルの中で話しているような感じである。

「お願いします! とねだるばかりで神様も返事が出来ないでしょう。」

『そうよぉ。信心深いのも程ほどにせねば、神を強請《ゆす》って、神がおびえる。』

「神がおびえる?」……

『そうさぁ。手出しは出来んわさぁ。』

 何となく表現に違和感があるが、意味は何となくわからなくはない。話の続きを促す。

『神を強請れば霊覚が上がると思うから、若造霊媒なんぞ相手にするのも詰らんことさぁ。』

「当人等に向上の手応えがなければ、途を変えるのでは?」

 老翁は大笑いしていう。

『要は、何の不自由も無いのさぁ。生前も死後も。だから、「真剣」という意味がわからず、下らん真剣をやっている。真剣というのは相手を切る覚悟であって、刃のついた刀の事じゃない。切る覚悟がなければ木刀よりも役にタタンのが真剣さぁ。』

「はぁ?!」……なるほど、真剣とは使い手の心にあって、物理的な刀をいわぬというのは面白い。

『自分らは、「懸命に修行しています。向上いたします」と祈ってはいるが、祈って向上するかぁ?』

老翁がまたもや大笑いする……

『神様が向上させてください、と大勢が、大音声で祈りを捧げる。やれやれこれでは、自分の神格が汚されてしまうと、神様もびくびくものじゃ』……さらにまた大笑い。

確かに……指導して貰わなくても格が上がるなら楽だな。そこで、お約束のつっこみを入れる。

「私も仲間に入れて貰おうかなぁーなんちゃって。」

『だから神様は、なおびくびくものじゃぁ!!』……一声大笑いして、老翁は立去った。

 そう、類は友を呼ぶ……この同類に集られては確かに神様の無能の証と受取られるだろう。……オイ待てよ? 原因は教えて貰ったが、対策は教えてくれてないぞ? しかもいっちゃったぞ!!

 仕方がない、後は自分で捜すか。

 再び、お堂に意識を合わせ、覗き込む。今度は女神とおぼしき女性が奥に座って、皆に語りかけている。

女神『修行というのは、ただご祈祷三昧ではなく、自ら学び、心を浄め、人様をお助けして徳を積重ねていくなのですよ』

一同からブーイングが上がる。

『だって、私のような無学者が、一体何を勉強せよというのです。お経なんて読んでも意味はちんぷんかんぷん、祝詞だって有難いけど、有難いだけだし』

女神『学ぶべき本はまだまだあります』

更にブーイング。

『生きている内に出来なかった勉強を、死んでからせよなんていうのは、地上で教わった神様とは全然違う。あんたはニセモンじゃないか!!』

……困惑する女神。すると、再び老翁から肩を叩かれ、うながされてその場を再び外れた。

『もう十分じゃろ、今の問答は本当ではない。ただそうなるのだ、ということを示して見せたのみ。』…… 続けて見ようにも後はないらしい。

『生前に間違った信仰をすると、こういう事になる。神のなんたるかも知らずに、有りがたや、有りがたや、と拝んでいるから、真の神のなんたるかを見分ける力がない。

『まっこと無信心も困るが、信仰が篤ければよいというものではない。大切なのはただ、ありがとう、どういたしまして、という日常の挨拶の延長にある信仰かも知れん。それは俺《わし》等が強いるべきものでもない。

『まあ、悪さをするわけでなし、抛っておけばよい』

……? 良いの? それで?

『今、生きている子孫が、真の信仰に目覚めたら、祖先も恥じて修行に打込むであろうさ。言い諭すよりも簡単さ。何せ、時間だけは何百年でもあるからなぁ』……とまた大笑い。

・・・

いいか、私が呑気にしているんじゃないぞ!! と、次のオフ会では釘を刺しまくってやろう。

・・・

 あう!?。この女神様は萌えるかって? なるほどではもう一回お堂に集中しなくてはなるまい……………………が、眼裏に映るのはPC画面のまま。私用は不可であった。


 先祖供養を重視する霊媒が多い中で、どうも私は仏事を覚えるのが苦手だ。その場が来ればやらねばと思うが、普段はまったく関心が生じない。墓参もなにも、時機もなくその時々に思い立ったが吉日で出掛けていくからだ。まして、混み合う時期に出掛けることをバカにもしている。おかげで盆と彼岸を取り違えることはしょっちゅうだ。

 祖先にしてみれば肩身が狭いかも……とも思うが、彼岸の前にはお墓も掃除にいくし、本来お彼岸は祖先の霊が家に帰る時期だし、厳密に言えば我が家に帰る死者はいない。というわけで、別段この時期、墓参に行くこともないし、祭壇を祀るわけでもない。いや確かにこの時期、知人の祖先の霊から援助を求められることは多い。そういう時には私の守護霊と引き合わせて私の仕事は終わる。

 お彼岸にも意味はある。地縛の霊を救う切っ掛けになる事を私は知っている。ただ虚礼には意味がない。とは私の持論だが、人の中には死んでからも虚礼に頼って神仏に救いを求めているらしい。

お彼岸の話題

2006/03/23

 精神統一をしても、なかなか先祖の霊格が上がらない人が居る。いくらなんでも進歩がないのは、指導する側が無能ではないかと自責せずにはいられない。当然、その問題点を洗い出したいと思っていたが、思い詰めていると受信がおろそかになるのは心霊研究的エッセイに纏めているとおりである。

 ぶっちゃけた話、忘れた頃に教えられた。

・・・・・

仕事中に『ちょっと覗いてみよ』と小言でいわれる……といって私は、PCの前に座ったままで動くわけでもない。…… 心を充分に静めると、そこは小さなお堂の前、戸の置くを覗き込むと、神道風の祭壇に大きなロウソクが二本燃えさかっている。祭壇の前には巫女風の装束を着た、白髪の老婆。……こちらはまるで萌えていない。いや、この表現を一度使ってみたかっただけだ。

 その背後にはおよそ5列4行の二十人の老若男女が詰めかけて一心に祈祷をしている。祝詞なのやら、お経なのやら、良く聞取れないのは精神統一が浅いためだ。(念のため後で確認してみたが、この数字は別にどこかの家の祖先の数を表しているのではなく、まあ、お堂の規模を教えているのだそうだ。)

 案内の老翁が口元に指を当てて、「静かに」のジェスチャーをする、一緒にそっとお堂から離れて、広場の石に腰を下ろす。

『どう見たぁ?(どう思う)』……なにやら語尾が妙に間延びして聞える。なんだか、トンネルの中で話しているような感じである。

「お願いします! とねだるばかりで神様も返事が出来ないでしょう。」

『そうよぉ。信心深いのも程ほどにせねば、神を強請《ゆす》って、神がおびえる。』

「神がおびえる?」……

『そうさぁ。手出しは出来んわさぁ。』

 何となく表現に違和感があるが、意味は何となくわからなくはない。話の続きを促す。

『神を強請れば霊覚が上がると思うから、若造霊媒なんぞ相手にするのも詰らんことさぁ。』

「当人等に向上の手応えがなければ、途を変えるのでは?」

 老翁は大笑いしていう。

『要は、何の不自由も無いのさぁ。生前も死後も。だから、「真剣」という意味がわからず、下らん真剣をやっている。真剣というのは相手を切る覚悟であって、刃のついた刀の事じゃない。切る覚悟がなければ木刀よりも役にタタンのが真剣さぁ。』

「はぁ?!」……なるほど、真剣とは使い手の心にあって、物理的な刀をいわぬというのは面白い。

『自分らは、「懸命に修行しています。向上いたします」と祈ってはいるが、祈って向上するかぁ?』

老翁がまたもや大笑いする……

『神様が向上させてください、と大勢が、大音声で祈りを捧げる。やれやれこれでは、自分の神格が汚されてしまうと、神様もびくびくものじゃ』……さらにまた大笑い。

確かに……指導して貰わなくても格が上がるなら楽だな。そこで、お約束のつっこみを入れる。

「私も仲間に入れて貰おうかなぁーなんちゃって。」

『だから神様は、なおびくびくものじゃぁ!!』……一声大笑いして、老翁は立去った。

 そう、類は友を呼ぶ……この同類に集られては確かに神様の無能の証と受取られるだろう。……オイ待てよ? 原因は教えて貰ったが、対策は教えてくれてないぞ? しかもいっちゃったぞ!!

 仕方がない、後は自分で捜すか。

 再び、お堂に意識を合わせ、覗き込む。今度は女神とおぼしき女性が奥に座って、皆に語りかけている。

女神『修行というのは、ただご祈祷三昧ではなく、自ら学び、心を浄め、人様をお助けして徳を積重ねていくなのですよ』

一同からブーイングが上がる。

『だって、私のような無学者が、一体何を勉強せよというのです。お経なんて読んでも意味はちんぷんかんぷん、祝詞だって有難いけど、有難いだけだし』

女神『学ぶべき本はまだまだあります』

更にブーイング。

『生きている内に出来なかった勉強を、死んでからせよなんていうのは、地上で教わった神様とは全然違う。あんたはニセモンじゃないか!!』

……困惑する女神。すると、再び老翁から肩を叩かれ、うながされてその場を再び外れた。

『もう十分じゃろ、今の問答は本当ではない。ただそうなるのだ、ということを示して見せたのみ。』…… 続けて見ようにも後はないらしい。

『生前に間違った信仰をすると、こういう事になる。神のなんたるかも知らずに、有りがたや、有りがたや、と拝んでいるから、真の神のなんたるかを見分ける力がない。

『まっこと無信心も困るが、信仰が篤ければよいというものではない。大切なのはただ、ありがとう、どういたしまして、という日常の挨拶の延長にある信仰かも知れん。それは俺《わし》等が強いるべきものでもない。

『まあ、悪さをするわけでなし、抛っておけばよい』

……? 良いの? それで?

『今、生きている子孫が、真の信仰に目覚めたら、祖先も恥じて修行に打込むであろうさ。言い諭すよりも簡単さ。何せ、時間だけは何百年でもあるからなぁ』……とまた大笑い。

・・・

いいか、私が呑気にしているんじゃないぞ!! と、次のオフ会では釘を刺しまくってやろう。

・・・

 あう!?。この女神様は萌えるかって? なるほどではもう一回お堂に集中しなくてはなるまい……………………が、眼裏に映るのはPC画面のまま。私用は不可であった。


 先祖供養を重視する霊媒が多い中で、どうも私は仏事を覚えるのが苦手だ。その場が来ればやらねばと思うが、普段はまったく関心が生じない。墓参もなにも、時機もなくその時々に思い立ったが吉日で出掛けていくからだ。まして、混み合う時期に出掛けることをバカにもしている。おかげで盆と彼岸を取り違えることはしょっちゅうだ。

 祖先にしてみれば肩身が狭いかも……とも思うが、彼岸の前にはお墓も掃除にいくし、本来お彼岸は祖先の霊が家に帰る時期だし、厳密に言えば我が家に帰る死者はいない。というわけで、別段この時期、墓参に行くこともないし、祭壇を祀るわけでもない。いや確かにこの時期、知人の祖先の霊から援助を求められることは多い。そういう時には私の守護霊と引き合わせて私の仕事は終わる。

 お彼岸にも意味はある。地縛の霊を救う切っ掛けになる事を私は知っている。ただ虚礼には意味がない。とは私の持論だが、人の中には死んでからも虚礼に頼って神仏に救いを求めているらしい。

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お盆に祖先は帰るか?

2005/08/02

2005年 08月 02日


 最近では「夏休みの分散化」などという表現もあるが、やはりお盆の頃には高速道路が各地で渋滞を引き起こす。…… お盆は祖先の里帰りだけでなく、生きている子孫等の里帰りシーズンでもある。同時に海外旅行のハイシーズンも兼ねていて空港も混雑するが、「アラ、あの家は海外にお墓があるのかしら?」等といわれることはない。

 かくいう私は、霊媒を自認し、先祖供養の大切さを重々知りながら、「怠け者の節句働き」などといわれながらも、わざわざこの時期ばかりは会社で懸命に働いて、「わざわざ混雑する時季に遠出するなんて……」などと混雑の模様をテレビで鑑賞していたりする。

つまり、お盆は里帰りの時季ではあるが……誰もが里帰りをするわけではない。

 ところで、お盆には祖先の霊が帰宅するという。――お祖父さん、お祖母さんが、孫にそう教えるのであれば微笑ましいが、心霊家がこういうのであれば注意が必要だ。

 霊魂だって、元が人間であれば、それぞれに自我があり、自由意志があるはず。ならば、人々がお盆に里帰りしないのと同様に、里帰りしない霊魂だっていておかしくもない。

 更にいえば、霊感のある人であれば、お盆やお彼岸に限らずに祖先の霊が時折子孫の様子を見に来ることを知っている。

 ついでにいえば、お盆のいわれは、釈迦の弟子、目連尊者が地獄で苦しむ母代りに善行を積むことから来ている。……いわば、地獄の住人を助けるチャンスなのであって、この日しか子孫を訪ねることが出来ない祖先の霊とは、地獄にいる霊魂でしかないはず。

 確かに、帰幽(死の)直後で、未だ死後世界での適応訓練中の未熟で、大部屋住(集団中で指導を受けている)の霊魂であれば、勝手に出歩くことが出来ず、まして一人で出歩くことが出来ないから、お盆やお彼岸といった時季に外出許可と引率を得て出歩くことはあるようだ。また、そういう不自由な境遇の霊魂たちは、もう子孫が先祖供養の準備などを始めたなら……いや始める前からもう、ワクワクして大騒ぎをすることもある。

 お祭り好きが騒ぐ一方で、ニヒルに構える落ち着いた霊もいるし、我が子を棄てた者やこっそりと家族を裏切った者(不倫など)などは、この時季が早く終わらぬものかと小さくなっている。また、前世で悪行を為した者の中には、この時季が謝罪のチャンスであると懸命になる霊もある。

 人の数だけ、お盆の過ごし方がある。霊魂の数だけ、お盆の過ごし方がある。

 お盆にだけ帰宅できる霊もいるかも知れない。でも、大抵の霊魂は自由に里帰りできる。……人に自由意志があるなら、死者にだって自由意志があるのだろう。その死者の霊魂が杓子定規に動くと考えるのは矛盾している。

 修行の初期段階では自由は少ないが、修行の進行状況もまたそれぞれの才覚次第なのだ。死後何日たったから霊界入りするとか、死後何年たったから神様になるとか、そう杓子定規には行かない。むしろ、年期だけで境涯が進むと考えているような霊魂は、いつまでも向上しないだろう。


霊査事例: 2005年3月20日(東京オフ会)

2005/03/21

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


はじめに

 前回2月のオフ会において、「3月20日は先祖供養の日」と宣言し、予定を立てていたが、神ならぬ身には予測もつかぬ事態の推移により、なんとこの日が東京オフ会開催日となってしまった。しかも珍しく会場の手配がつき、いつもならば午前中だけの精神統一が、午前午後を費やしての精神統一が可能となった。――本来ならば張り切るべき3月の東京オフ会。が、参加する背後霊がいなかった。……今日ほど霊査を受けるのに困難な精神統一はなかった。

 これは焦る。答えがないのも答えの内、と、私は常々いうわけだが、遠路集まってきた人に、ただ座っただけで帰れというのは私の気持ちに重荷になる。

 すると……

『本日は、あなた方にとって祖霊を祀る日であるが、正しくは背後の霊達の休日である。だから安息にしてくれるのが何よりありがたい。』

『たしかに、何も持ち帰れないのは残念ではあろうが、物事が静まれば物事が見えやすくもなる。静かにすることにはそれだけで意義がある』

事例1

『「想念」の活かし方があなたに大切です。』

『意図が外れるのに、意図することを止めない。もっと直感を生かしてください。』

『まずは出来ることから始めましょう。』

『矛盾点を指摘すれば、相手は自己保身からあなたを拒絶します。むしろ、疑問点を尋ねることです。雄弁よりも単純な質問のほうが、相手に真実を強く認めさせる力があります。』

事例2

『「信念」を正すのがあなたの課題です。――恨みや妬みから足を引く人が見えます。周囲の言葉に耳を傾けることは誤解を解き、敵を減らす上で大切ですが、だからといって周囲の言葉に従うばかりでは、ちっとも前に進めません。融和を計りながら、でも信念を貫く、その方策を見出さなければ夢は叶いません。』

『あなたは自分を知らずに、自分を知る人を探そうとしていらっしゃいます。しかし、自分を知らなければ、どうして相手が自分を知っていると判断できるのでしょうか? ――人から認められたいという欲求は自然なものですが、その実現手段は充分に考慮する必要があります。』

『……幹部の育成を大切に。』

『あなたはとっくに気がついていらっしゃることですが――自分がどこに座するのが一番良いか、を考えましょう。あなたは事を始めるのが上手ですが、運営するのはあまり上手ではありません。ですから始めと、要所を確認するだけにした方がうまく行くようです』

事例3

『あなたは「表層」に流されがちです。うわべの言葉に振り回され、うわべの言葉に傷つきもします。もっと相手の真相を察する努力をいたしましょう。』

『「本音で語ろうよ!」でも皆、本音で語りはしません。あなたはとても幸せな人なのです。周囲の多くは、自分の欠点や弱点を素直に認められるほど強くないのですよ。だからあなたほど正直に本音を言えないのです。』

『おおむね順調、では次のステップについて考えましょう』

事例4

『「感情」への対処法があなたの課題です。』

『あなたの声で「だっさい、コミュニケーション法だな」と聞こえます。不平不満はもっともですが、文句だけでは発展がありません。』

『あなたの守護霊さんの声で、『理屈に理屈で返すのは不毛です。』といわれました。』

『腹が立ったとき、そのストレスをただ発散するのは無駄です。怒りを創造・創作に結びつけることは出来ませんか?』

 Q「……ではどうすれば良いのでしょう?」

 A「別な霊に聞いてみました。」

 『(相手のいうのは)理屈ではなく、言い訳と思え。言わずに出来るのであれば理屈などは言わぬ。理屈の相手が嫌であれば、相手が言い訳もせずにいられるように気配りせよ』

 Q「以前の霊査で、真心が大切といわれましたが、真心ってなんですか」

 A「廬氏に尋ねてみました。」

 『人々は純粋なる心を真心と呼ぶ、また、己の意識を心と思う。だが、心と真心は別なものである。真心とは意識に登らぬ心の働き、心の芯となる部分をさす。すなわち、自覚無く、自然に現れる行動――その動機をもたらすものが真心であり、意図し、思考した結果は、すでに真心とは呼べない。』

事例5

『「愛情」の意義を深く考えてみましょう。あなたの思い道理にする事が子供に対する愛情表現ではありません。子供の持ち味を伸ばすのが愛情なのです。』

『自分だって人から認められたいのです。子供たちならばなおのこと認められたいのですよ。』

『世話をすべき相手が多いから、(真心よりも)つい頭を使います。それは信頼関係が出来上がるまでの辛抱です。』

『「現実」に振り回されているから、何を得ても満足できずにいるのです。――たとえばどんなご馳走であっても、家族の世話をしながら食べるのであれば、お腹はふくれてもどこに入ったのか分からず、何やら物足りない気がするでしょう。楽しむときには、ただひたすら楽しむ、そう決めて現実を直視することが満足を得るために第一歩です。』

事例6

『「知性」の活かし方、応用が大切です。』

『言葉以外に成せるもの有り。その意味を知る。』――表現方法は必ずしも言葉に限りません。そして言葉にならぬ事こそが、人が一番伝えたいことです。それに気がつき、またそれを伝えるために何が必要なのでしょう?

『自分をプロデュースしてご覧なさい』

 あなたはあまり、無駄なことに頭を使いませんねぇ。美徳です。

事例7

『「意義」を見つけましょう。自分が感じ取っているもの、それにいかなる意義があるか、その意義を見つけたときに興味が広がります。』

『あなたの祖母様の声です。『可愛い、可愛い』と聞こえます。今まで緊張ぎみで伝わらなかった意志が、強く感じ取れるようになっているのです。意思の伝達の上で緊張がどれほど大きな障害になることでしょう。』

『あなたは、つい日頃から皮肉に走りがちですが、本来、人に多くを期待しすぎるあなたの性質が、無意識にバランスを取ろうとして皮肉な見方に流れるのです。つまりあなたが皮肉屋なのは信じすぎることの反発・矯正なのですから、皮肉は程々に、バランスを取るという目的を忘れぬようにいたしましょう。』

(事例4のアンサーを得た後)
『真心を観察なさい』――周囲の人々が無心に求め、無心に与えている真心を観察なさい。

Q『祖母は私にだけメッセージをくれるのでしょうか、他の兄弟はどうなのでしょう?』

A『水は洩れやすいところから洩れます。つまり、チャンスが多いからあなたに対して祖母様がメッセージを送るのであって、もちろん、他の子孫の事も気に掛けているのは間違いありません』

Q『母ではなく、祖母なのですか?』

A『人間に個体差があるように、死者の歩む過程も皆異なります。あなたの祖母様は信仰心が篤かったために、目覚めるのが早かったようです。また、子孫を思うのも強すぎると、苦しくて眠ってしまったり、弱ければ動機がなくて寝てしまったりします。つまり休日などに人に合う約束でもないと、ついうたた寝で過ごしてしまうようなものです。
 また信仰心が篤いといっても、人によっては欲心を念じることを信仰だと勘違いしている場合もありますので、一見しただけでは、本当に信仰心が篤いかどうかは分からないものです。大切なのは結果を見て判断することなのでしょうね。』

事例8

『「豊かさ」を活かしましょう。折角持っている才能やチャンスを無駄に使ってはもったいないですよ。』

『あなたは、頭で考え得る完全な仕事を追求していらっしゃいます。ですがそれでは工夫の余地がありません。』

(事例4のアンサーを得た後)
『我を忘れて動物と一緒になって働く。動物には理屈は通じません。つまりあなたは真心の大切さを誰よりも学んでいる人です。』

『同情の次は導くことだ』――共感力の強い人は、病人などの痛みも共感してしまいがちです。でも痛いものを痛いと感じただけではお互いに辛いだけ。その苦しみを和らげる手段を獲得してください。

特殊事例1

Aさん、Bさん、あなた方お二人とも神社参りがお好きですが――連関した霊査内容です。

Aさん

『神社参拝の効能は、神様からのお助けを得るよりも、自分を信じて行うところにあります。つまり自信が無くて出来なかったことも、神社参拝するとなぜかできそうな気がして、何とかなってしまう。だから神社にお参りして良かった。と感じているのです。』

Bさん

『まず自分の力を百パーセント出すことです。百二十パーセントの力を求めるのはその後にすべきです。――あなたにいうことではありませんが、どうも人々の多くは、実力を惜しんでお助けだけを欲しがります。そういうさもしい気持ちでは出来ることも出来なくなって当たり前でしょう。
 自分の実力さえ充分に出せずにいる人が、実力を充分に発揮できれば自ずと幸せになるはず。欲をかくのは、限界を極めてからで良いというのは自然な発想ですよね。』

特殊事例2

Cさん、Dさんに連関した霊査内容です。

Cさん

『発想の転換、家庭内起業』と聞こえます。『アクセサリーの製作販売をなさい。私が指導します』とのことです。要するにあなたの指導霊になりたいという申し出があります。

Dさん

『あなたのパートナーと力を合わせて小物を作って売るのも面白いと思います。』


墓参について

2004/11/15

メールに答えて。


時間のある時は、必ずHPを拝見させてもらってます。

私にとっては、老神さんのお言葉を読んでいるだけで問題を抱えている時は、心落ち着きます。

なぜか?悩んでいる事柄に事例がいつも一致しているんです。私にとっては、老神さんのお言葉を読んでいるだけで問題を抱えている時は、心落ち着きます。


 人の目が吸い寄せられるのは、ある人の場合、自分の弱点であり、また別な人の場合は現実からの逃げ口です。自分の弱点を補う視点をお持ちの方は、 反省という名目の自分虐めにさえ注意すれば着実に向上の道をたどれることでしょう。……あわてず、着実に前に進んでください。

 向上のなんたるかを知っている人は、人の長所を見てそれを取入れ、人の欠点を見てその後を追わぬようにいたします。反対に、他の長所を見て妬み、憎み、避けようとし、人の欠点を見て嘲り、なじって時間を潰す人もいます。 向上のための視点をもっている人であるなら、欠点が多い人からも多くを学べるでしょう。ですから、欠点が多い人だからといってその繋がりを悪縁とは呼び得ません。しかし、妬みと憎しみが多く、他人の長所を聞きたがらず、嘲り、詰ることが好きな人と関わることは自らを悪人の如く振る舞うことを要求されます。これこそが悪縁です。

 さて、ここでは良縁・悪縁という表現を用いましたが、本来、心霊ではあまり善悪を重視致しません。むしろ重要とされるのは、 理に適うか、適わぬかということです。すなわち、無理は長続きしないものだし、無理は躓《つまづ》きやすいものだからです。無理をして手に入れたものを、躓《つまづ》き、転んで失なうことはよくあることです。まして、無理して手に入れても欲が満たされるだけで実は苦しく、ふとした拍子に我に返って、幸福に思えていた自分が実は不幸であったと気がつくこともあります。無理は文字通り、理に適わず、そして理に適わぬことは多くの代償を強いるものです。

 一時の幸福で満足するという人もいますが、失うために手に入れ、それで良しとするのは明け方の夢を懐かしむのとどう違うというのでしょう? そして現実が手に入れがたいのと同様、明け方に見る夢もままならないのが人間なのです。 どうせなら望みの夢を見ることよりも、現実に得られる最善を求めるべきでありましょう。

相談回答・墓参について

 墓参については、心霊的な意味だけでなく、その土地の風習や、家の習わしといったことも絡んで参ります。 また、一般に霊媒・心霊家はいわゆる先祖供養を大切にいたしますが、先祖供養というのは果たして墓参りや仏壇の掃除、お線香の本数、花の上げ下げのことでしょうか? そうだという霊媒もいるようですが、私は違うと思います。問題なのは墓という、死体置き場にあるのではなく、相手の魂に届く祈りなのです。

 また、一般の人々にとって、死者というのは埋葬した相手であって、死別の時から変化も生長もない相手で、心霊家がいうような、死後の自由を謳歌し、地上では得られぬ喜びを楽しみ、地上の人々の祈りを求めるどころか、地上での暮らしを蔑《さげす》み、哀《あわ》れむなどということは想像もしていないかのようです。たしかに、苦しんで墓に執着する霊もありますが、反対に 「私が、いつまでも墓にいると思っているのか。私は新しい生活を楽しんでいるのだから墓参なんてありがた迷惑だ!」という霊もあります。

つまり墓参りを喜ぶ死者もいれば、嫌がる死者もいて、その辺は個別に応対せざるを得ませんが、大抵の場合、「言わぬが花」が真相以前の真実です。というのは、墓参が残された人にとっての心の癒しである場合もあり、そうなると、死んだ人のための墓参なのか、生きている人のワガママが墓参なのか、表と裏とでは異なる意味がある場合も多く、それはつまり真実が苦しみとなるのです。従って、こういう相談は回答よりも断り方にテクニックが必要といえます。

Q 『ある人の悩み事に答えて、「他人の墓参はしない方が良い」という人がいました。ただし、理由については判らないとのことですが。』

「理由が分からないが止めろ」 という意見には偏見の場合もありますが、直感すなわちインスピレーションの場合も数多くあります。この場合、相談者に対して、直感的に良い回答が出来たと解釈できます。

 すなわち、愛情・友情等というものには、どうしても執着心や依存心が混じらずに入られず、墓参が往々、執着・依存心の現われであることも多いものです。そういう墓参の仕方は、続に「 連れて行かれる」等といって、不慮の死を迎えやすくなるといわれます。心霊的にいうなら、墓地で感情的になると低級霊につけ込まれやすくなるのです。

Q 『私も以前、親友のお世話になったお母さんのお墓参りを一緒にしたことがあります。』

 墓参は、家族揃ってとか、一族揃ってが一番好ましいし、「大切な人」を連れて行くのも、見守ってくれている霊・祖先の霊達などからとても喜ばれることなのです。つまり、墓参に大切なのは、哀れみや、惜しむ気持ちであるより、むしろ、生死を超えた絆を確認する場なのですね。

 また、近親者や配偶者・恋人の墓参などに一人で行くと、やはり、「連れて行かれるから危ない」といいます。これは、実際に近親者や配偶者等の霊に殺されるという意味ではなく、寂しさなどにつけ込まれて、低級霊に憑依されたり、自殺願望に取憑かれたりする場合があるので、理性を引き留める人が必要というわけです。

 その意味で、あなたが親友のお母様の墓参に付合ったのは、1,友達の紹介 2,付き添いの二つの理由からとても良い行いです。


2004年 11月 15日

あわただしい先祖供養

2004/10/15

 霊媒の常として、私も先祖供養の大切さを認識しています。しかし、あまりそれを吹聴したりはしません。

 そもそも人には本音と建前があって当たり前で、本音と建前の調和が取れている人など滅多に見ることはありません。そして、 理屈というのは建前を強めるだけで、なかなか本音に滲みていかないのが普通です

 なのに、先祖供養の大切さを解いた所で、果たして本音に滲みていくでしょうか? 建前ばかりが強くなって、本音がますます遠のきはしないでしょうか?

 ですから思います。心霊家として、私は先祖供養が大切だと信じております。ですから心霊家として、先祖供養の大切さを、理屈ではなく体感的に感じ取れるために何が必要かを常々考えております。

……等といって、私は別段、安易な大道を歩めるわけでもありません。むしろ失敗談の方が多いことでしょう。


 死者には日常的な義務がないから、日時の移り変わりに疎くなる。また、帰幽後しばらくは、精神統一ばかりさせられて、退屈に流れ勝ちだ……という話を、数年前に亡くなった叔母から聞き、定期的に死者に祈ることが、使者達にとってどれほど励みになるかを知らされることになりました。

 そして今朝、目が覚めて守護霊等に挨拶をした所――礼儀というより今日も無事に過ごさせろという恫喝の意味の方が強い――守護霊が気を効かせて、叔母にも挨拶を送りました。……が、勤め人の朝は忙しいもの。目が覚めて、頭が覚醒して行くにつれて、「ああ!!! 遅刻する~~!!!」などと大騒ぎを始める出社前の一時、私の祈りの念にたまたま、関心を引かれた叔母は、そのあわただしい念にハラハラ ドキドキ。『もう朝には祈りを送って寄こすな。とても見てられない』と、懇願して寄こす始末。

……祈ればよいと言うものではないのです。祈りの質も大切なこと。もっとも、誰かに頼って帰幽後の生活に充実を得ようというのが間違いだろうと思いますが。

8月3日

2003/08/18

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


先祖供養

 私は先祖供養をあまり強くいいません。感謝というのは、自然に心の中に芽生えてくるものが大切だと思うからです。形だけまねてもどうもうまくは行かないものなのです。ですからまず、心の中からわき上がるものを育てようと私は努力しています。

 しかし、HPの運営で出会った人々は、果たして私をどう思っているのでしょうか。私の知識や技能を正しく吸収しようとする人もいれば、便利に利用しようとする人もいます。友達感覚で、ある時は便利に使い、その他の時には侮る人もいる。

 私は別段、尊敬を欲しているわけではありません。でも、時としてはいいにくい事をいわねばならない指導を行なうからには、相手の心に尊敬の念が無ければいうだけ無駄だと思うのです。相手が馬鹿にしているのならば、私がいう真実も私と共に馬鹿にされるでしょうから。

 先祖供養はとても大切なのです。でも、感謝する心を知らない人はどんなに頑張っても先祖供養にはならないのです。

 先祖供養というのは血縁存続だけを敬うという事ではなく、自分が世話になったものすべてに対して感謝する気持ちがまず必要なのです。「先祖供養が出来ない人」というのは、基本的に感謝の念が足りない人だと私は思います。だから、先祖供養を教えるのならば、まず、人から親切を受けたらしっかりと礼をいうことが大切だと思うのです。

 先祖供養、先祖供養といえば、抹香臭くもなりますが、要するに礼節が大切ということなんです。

 霊査について

 防犯のことなどを考えれば、常に誰かに見守っていてもらいたいものですが、その一方でプライバシーも欲しいのが人情です。皆さんは霊の実在を信じておられるわけですが、その霊に常に監視されていたり、霊力で心の中を詮索されたりするのは当然いやな事でしょう。

 また、仮に私がそれだけの確実な霊視能力を持っていたとしても、皆さんの監視に自分の能力を費やすのは嫌ですし、見れば皆さんとの交際が嫌になるような出来事を目撃するかもしれません。

 霊査を取るのにも、その範囲を限定する必要があります。いわば、戸をあけて招かれれば室内に入るが、戸が開かなければ玄関周りだけを見て帰るのが私の霊査です。戸を閉め切ったままでいて、尋ねてこなかった等というのは止めて頂きたいですね。

 運勢について

 人の悩みには外因性のものと内因性のものがあります。つまり、外部に原因がある災難ならば、注意を喚起すれば避けられるかもしれませんが、自分自身に原因があるなら、自分をかえる努力なくしてさけることは出来ません。事故に遭わぬように注意するなら、まず、自己改革を薦めることになりますが、それが嫌だといわれたら、あとは祈る事しかできぬでしょう。

 また、人の苦しみには、事故によるものと、代償によるものがあります。老病死苦などというのは、要するに生きている代償としての苦しみであり、これを取り除くには生まれてこない他に手はありません。

 そのほか、愛すればこそ失うことを恐れ、心配すればこそ疎まれもします。この苦しみを避ける為には、愛する事をやめ、また心配する事をやめなければなりません。……生きるがゆえに、愛するがゆえに苦しまねばならぬならば、神も仏も無いものかと思わず恨みを抱かずにはいられぬものですが、代償としての苦しみを取り除けば得るものがなくなるのです。欲しいがでも代償は払わない……こういう盗人的な根性は決して報われる事はありません。

 でも、人は悩めば、どうも矛盾した事を望みたがります。しかし、望むのはかまいませんが、矛盾している以上解決する事は無く、解決する事が無ければ苦しむだけです。……正しいものの見方をしないがために人は苦しみから逃れられないというのも仏教の思想です。

 霊査事例1

 どうもあなたが親切であるのを当たり前に思い込んでいる女性がみえます。だから、あなたが何らかの事情で、頼みごとを断りでもしたら、その女性はあなたを逆恨みするでしょう。疲れている時ほど表現に気をつけてください。この事は将来、または現在のことというよりも、過去の事であるようです。つまり、不満の種は播かれて、後は発芽する機会を待っているのだと感じます。

 また、あなたが部屋を暗くして精神統一している姿が見えます。額の真ん中からは光まで出ている。しかしながら、あなたはそれほど気持ちよく精神統一できずにいます。

 その原因は、あなたにではなく、あなたが抱えてきた因縁にあります。因縁の掃除が進むまでは雑念も多いが、確実に減っていきますのでここで諦めないで下さい。 むろん、雑念などと仲良くしてはいけません。

 霊査事例2

 あなたの背後に十二単のお姫様が見え、あれこれと、あなたに指図をしている。ところがあなたの勘が鈍くて、お姫様はイライライライラしている。そのイライラに流されないで下さい。うまく気が合えば、センスなどの面であなたのプラスになるでしょうが、いまはどうも、イライラの種になりそうです。

 もう一つ、あなたの心配を拾っているのかもしれませんが、貯金を心がけてください。あなたもご主人も、どうも金銭運には恵まれていて、苦労するようには見えず、むしろ、老後はかなり豊かであると強く感じていますが、とはいえ、とっさの事件までは防ぎようもありませんし、他の事情があるのかもしれません。詳しい原因までは見えませんが、とにかく、あなたは金銭的な冒険が嫌いな人ですから、貯金はあなたの心の安定に不可欠です。

 精神統一ですが、難しい局面に差し掛かっているようです。部屋うちで、暑がりながら統一していませんでしたか?

 お風呂は少々ぬるめにして、ゆったり浸かりながら統一してください。あなた自身は落ち着きもあり、いい状況ですが、周辺環境に心配の種があります。不満を抱えながらの統一では悪いものを拾う危険性が思われます。

 霊査事例3

 毎度毎度、代わり映えも無い話ですが、

 『あれもやらなければ、これもやらなければ』が見えています。でも、あなたも日々成長をし続けるべきであるように、周りの人も日々変るのです。あなたが「やらなければ」と思っている間に相手の気持ちや状況は大きく変わっていますよ。

 ようやく夏物を出したと思ったら秋になっていた……これを繰り返してはいけません。

 統一は……忙しそうですね。あなたが風邪に弱いのは、日常の緊張が原因です。入浴は、ぬるま湯に長く浸かり、熱いシャワーで仕上げて身体を冷やさないようにしてください。

 霊査事例4

 忙しい、忙しいという声が聞こえますが、その割にはのんびりとして見えます。そういう意味ではあなたは損な性質の持ち主ですね。

 忙しい、忙しいと言いながら、本当に忙しく働いているが、周りにはのんびりしているかのように見える。で、背後霊にいわせると、問題の整理が下手だから、細切れの余暇はたくさんあって、結局無駄になっている。むろん休む事も大切だけど、細切れの余暇では心身は休まらない。だからきちんとした余暇を生み出すためにも、仕事の進め方を上手にしなければならない。……というより、休暇の取り方が下手だから、忙しい合間に無駄な時間が出来なければ身体が持たないのではないかな?

 無駄な時間で休むのではなく、働くときは働き、休むときは休む、そのメリハリを大切にしてください。

 精神統一の注意ですが、トイレや、信号待ちなどの小さな余暇時間を、あなたはどうも『忙しい、忙しい』と不満だらけで費やしています。そういう、一分二分の時間を精神統一に活用するつもりで、仕事の順番やら、進め方に問題が無いかどうか、反省する気持ちを持つと良いでしょう。

 霊査事例5

 どうもあなたの職場、というか、会社の社員気質は、文句ははっきりいわず、察さないと、いじめに走るようなところがありそうです。

 霊査事例6

 ここ数ヶ月、やはりあなたの霊査が取りにくくなっています。ものの考え方がとても複雑で、結論も出さずにいつまでも考え事をしている。頭の使いすぎは免疫力の低下につながりますので注意してください。

 そもそも、事実には、真偽しかなく、主観には好悪しかありません。主観の問題を扱うのに真偽を求め、事実を扱うのに好悪を求めては、答えが出るはずもありません。断るなら、偽か、嫌いかで答えればいいし、受けるならば真か好きかで答えればいい。それ以外の屁理屈は時間の無駄というよりも、判断を誤る元です。

 霊査事例7

  感情の折り合いがつかずにいるのはわかります。でも理性や霊性の育成こそが精神統一の目的であり、それは同時に感情に流されぬように務めるということでもあります。


‘, ”, 1, 1, 0, 13, ‘2003-08-03 00:00:00’, 63, ”, ‘0000-00-00 00:00:00’, 0, 0, ‘0000-00-00 00:00:00’, ‘2006-04-12 00:01:04’, ‘0000-00-00 00:00:00’, ”, ”, ‘pageclass_sfx=\nback_button=\nitem_title=1\nlink_titles=\nintrotext=1\nsection=0\nsection_link=0\ncategory=0\ncategory_link=0\nrating=\nauthor=\ncreatedate=\nmodifydate=\npdf=\nprint=\nemail=\nkeyref=\ndocbook_type=’, 1, 0, 12, ”, ”, 0, 906),

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