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霊査事例: 2016年1月10日 横浜勉強会

2016/01/10

事例1

  • 『過剰反応・・・身体に気が通れば為すべき事が自然と出来る。』
  • 『ミネラルを多めに取りましょう。』
  • 『可能であればしばらく昼勤に変えてもらうべきだが、出来るとは思えない。』
  • 『捜し物が見つからないのは、難しいところに隠れているというより、あって欲しくないところにあるものだ。会社で過剰反応するのに、医者の言葉に反応が薄いのは何故だ? そこに触れたくない問題があるからだ。真実を知る事には、往々、痛みを伴うが、真実の大きさで痛みの強さが決まるのでは無く、自分がどれだけ嫌っているかで痛みの強さが決まるもの。逃げるな。』・・・この霊査をもって、参加者全員の霊査とします。例えば、「ボランティア活動は気にするのに、仕事に関して反応が薄いのは何故だ・・・」といった様に、各自読み替えて下さい。

 

事例2

  • 『花のタネを植えましょう。』

 

事例3

  • 『お風呂ではちゃんとつかりましょう。』

 

事例4

  • 『風邪の引き始め、油断しない様に。』
  • 『挑戦しても悪くは無いはず。また、見えるものも出てくるだろう。』・・・もう少し、チャレンジ精神を育てましょう。ただし、もうちょっと、仕事に対する覚悟を持ちませんか?

 

事例5

  • 『案ずるより産むが易し、3人もいるのだから、少しは慣れなさい。』
  • 『色々挑戦するにはもう若くない。護るのも大切な仕事。』・・・あなたに対していうわけではありませんが、人生にはどうしても、子育てや、介護のために我が身を犠牲にしなければならない時期があります。こういう時期をおろそかにしたり、人任せにすると、案外大きな埋め合わせが必要になったりします。とくに、今まさに何かを始めようとする時、突然家庭の事情で諦めなければ成らなくなったりすると、なかなか気持ちが切り替えできずに、家族を逆恨みしたくなるのが人情。でも、そういうのって、霊界では滅多に斟酌しないのです。・・・季節が変わるのに合わせて生きるのが当然。子供が生まれるから、親が年老いたから・・・備えて当たり前、と見なされます。いわれる前に気付く事が大事なんです。

謎の仏像お片付け事件 (3)

2016/01/04

フィールドワーク2日目。

約束の時間ぴったりに、相談者の義母宅に訪れる。・・・早めに来る気は合ったのだけど、種々、生理的欲求を満たしつつの移動はいささか時間が掛かって・・・

すでに相談者も、古物商も来ていて、仏像の鑑定が始まり、隣では相談者が、かの『誓詞』を探し回っている。昨日、「大切なものだから、ここに置く」と言っておいたのに忘れたのだろうか?

・・・まあ、それも無理はない。自分は大病を患って、遺品の片付けは出来ず、自宅に幽霊?は出るし、息子は足を痛める。疑心暗鬼に陥っても不思議ではない、というより、「なるほど!」と、得心する方がむしろ非常識であろうと想う。

そこで私が、「ここにあるはず、」と手を出したところに、「誓詞」が無かったのは、物理的霊現象でも何でも無くて・・・そんなことに霊たちがリソースを割く必然がない。・・・たぶん、相談者が探しているうちに掻き回したのだろう。まあ、私の記憶も怪しいものだが、何より、紙束の中から茶色い紙一枚を探すというのは、難しいということを、再確認した次第。

少々、辺りを探した挙げ句、再度「誓詞」を見つけて、今度は滞りなく、文箱に納めた。

古物商からは、「仏像だけで無く、花器や、水杯などもあったのではないか? セットの方が値をつけられる。」といわれたのだが、今更、ゴミの山の中から探す気も無く、「無い」と答えて、これで精算。その額が、相談者がお子さん達と相談して私への礼金と決めていた金額と同じだったものだから、私も相談者も想わず失笑してしまった。

とりあえず、これで問題解決とばかり、私はこの場を辞した。帰路、人1人やっと通れるような路地を見つけて、思わず探検してみたのは別な話。というか、心霊とは全く関係が無い。たぶん。そういえば、私が初めて滝行に参加した後も、寒さの折、しかも、山陰の山深いところで、濡れた行着を着て山中を徘徊した事があったが、霊的充足感を感じていたから・・・半分、酔っぱらったようになっていたのかも知れない。少なくともこの状態は、気分も良いし、悪い結果も残さなかった。

宿泊先の友人宅に立ち寄り、荷物を回収して、その後、この件で頼った神社を詣で、更に数カ所、初めての訪れる神社を詣でた後、土産物を購入して、帰路についた。

 

後日談。

このフィールドワークについて、2ページをアップロードした後、気がついた。相談者にその後の結果を訊ねる前にホームページに掲載するのはいかがなものだろうか?と。・・・と、思い、ページの公開を取りやめたのだが、忙しさにかまけて、相談者に連絡すること無く、日を過ごしていた。ところが、年末が近づいたある日のこと、車を運転中に、突然、相談者と電話が繋がった。いったい何がどうなっていたのか、ポケットに入れていたスマホがポケット内でこすれたのか電話を発信し、歩行中に二回、私の母を呼び出しているのに気付いて慌てて切ったその後のこと。もう無いだろうと油断していた時に突然繋がったので、一瞬、何が起こったのか理解できなかった。折角なので本件のその後のことを訊ねたところ、私の使っているハンズフリーユニットでは音声が聞き取りにくかったのか、後で電子メールを打つ、とのこと。その夜に受け取ったメールによれば・・・(筆者が箇条書きに変更)

  1. 仏像は、骨董祭にて仏像収集家(?)に転売された。値段はトントンだったとか。
  2. 実家の片付けが急に進み出した。
  3. 自宅の人影が、パッタリ見なくなった。
  4. 自分の活動が巧く行くようになった。(守られているのを感じる)
  5. 片付け時に痛めた膝もいまは大部良くなった。

 

というわけで、まあ、多少の行き違いはあったかも知れないが、大旨、解決に向かったようで何よりと思う。

折角なので、三点ほど解説する。

1.「守られているのを感じる」というのは、ちょっとした霊界のルール、の様なものが働いている。ここで言葉をぼかすのは、ルール/法則というほど大げさでは無いから。

元々、祖霊は、高級祖霊であれ、直近祖霊(私の造語、高級とまでは言えない祖霊に対するコジツケ。)であれ、子孫を幸せにしたい気持ちは多いが、子孫に隠れて、陰から手助けする、というのは、あまり良しとしていない。一つには、「自分は運が良い」と、過信、増長してしまうのを恐れているからで、また、おそらくは、「代償を求めるから」といえば語弊もあるが、祖霊との信頼関係を得た人であれば、緊急時に霊媒を通じて、本件の様な回りくどいやり方をショートカットすることも出来る、というのもありそうで、つまり、祖霊たちがまず、自ら名乗り出るまで援助を控える、という場合も多々あり、私を含めた霊能者等の話を聞いて、「ああ、いろいろな霊が私を守っているのだ!」と感じた人が、「その後、色々不思議な偶然が多数重なり、護られていることを確信する様になった。」と言い出す例を私も多々見てきている・・・まあ、一筋縄には行かないのだけど。だ。・・・実はここが難しい、耳障りの良いことだけ聞いて、後は勉強会などに参加しなくなる人もいて、結局、各々の祖霊は面倒な方法を使い続けるしかなさそうな事例も目にしなくはない・・・結論を急ぐのは間違いの元だろう・・・結局は人の繋がりに関することで、ルールや法則では割り切れないのである。

 

2.「巧く行く様になった」・・・共同作業、わかりやすく喩えると、二人三脚の様な競技を思い浮かべて欲しい。それぞれの行動のタイミングを合わせるには、お互いに声を掛け合うことが大切となる。または、簡単な道でも、自信が無ければ前に進むことが出来ない。

以前、私が師匠と共に静岡県の秋葉神社に向かって車を走らせているとき、静岡の一宮である、「小国神社」に通り掛かったときのこと、とりあえず、駐車場に車を止めて、私が「挨拶してきますが、先生はどうしますか?」と訊ねたとき、高齢で、自分の足腰に自信の無かった我が師は、駐車場内の案内図を一目見て、「坂道が大変そうだから、私は待っている。」と、答えたことがある。そもそも案内図というのは、目的地が図の上、現在地が図の下というのは普通に使われる表現であろうが、我が師は(私も)それを、坂道と誤認したのである。

実のところ、小国神社は、平坦な神域を持っていて、坂道など無かった。その参道を私が1人で歩いているとき、後ろから師がとことこと私を追い越して本殿に向かったのは、何か神霊が降りてきたからだろう・・・

結局、自分でも行ける、と、信じさえすれば、霊魂が憑かる必要すら無い。つまり、「自分を信じること」が必要なのである。自分を信じればこそ巧く行く事も多い。

または、自分が護られていることを信じることが・・・巧く行く、というのは、自分の進む道にレール(巧く行く仕組み)が引かれていると信じることなのだが、この事もあまり普遍的な事では無く、つまり、ルール/法則とは呼びきれない。なにしろ、大抵の人は、正しい道を選ぶよりも往々、正しくあって欲しい(欲望)道を選びがちなのだから。となると、つまり、素直に物事を見る力が大切なのかも知れない。その点でいえば、今回の相談事例は、護られている事を自覚する良い機会だったのかも知れない。

 

3.適切なスピードがある。または、動くものは動くし、動かぬものは動かない。

解決すべき時期でないなら、どんなに努力しても解決しない。解決しないものを解決しようとすると、その努力が内攻して、身体を壊しかねない、という事だ。時期、または、条件が揃えば、水が流れるがごとく、当たり前の様に解決するものなのである。押してだめなら引いてみる。開いてないなら開店するまで待つが良い。

運の良し悪し、というが、もとより、運というのは自分以外の物/者達の都合であるから、自分の都合を押しつけても得られない結果なのです。

 

と は い え。

まさか、紙一枚で家族の営みにストップが掛かる、というのは、私自身、全てを信じる事が未だに出来ない気分ではあります。

「死者が何でこの世にある誓詞に拘るのか? そんなもの、あの世で見繕えばいいじゃ無いか。」というのが本音。でも、まあ、「自分の子孫に手本を見せる。」というのも、それこそ、将来にわたって働き続けるかも知れない大切な作用でしょう。

机上の空論、または、シンプルな法則から離れて、人情物語を見た・・・何より私が(いや当たり前か。)今回のフィールドワークから一番多くを教わったのかも知れません。

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