‘2011/09’ カテゴリーのアーカイブ

人は無力じゃない

2011/09/29

先日、車を運転中のこと。カーラジオでは、リスナーの投稿が読まれていて・・・

「人は無力なものだから・・・」

実をいえば、なにゆえ、人は無力と言い出したのか、記憶に残っていない。ただ、「人は無力」という言葉だけ、ハッキリ記憶に残り、と同時に、

人は決して無力ではない(この怠惰な奴め!)』と聞こえた。(括弧内はその時に感じた、ニュアンス)

その時は、運転中のことゆえ、帰宅後に改めて聞くことにした。


『人は非力ではある。だが、無力ではない。

『非力であるから、コツコツと務める。何度でも、やり直す。

『今日に間に合わない事なら、前日から準備する。それでも間に合わなければ前々日から、更に前から。

『時として、いや、往々にして、予想外の事柄に、今までの努力を覆される。それでも、生きていればまたやり直す。

『例えば、この度の大災害(311)も、多くの被害が出て、それも、人の過ちから、更に大きな被害をなしたところもある。それをもって人は無力というのか?

『だが、先人の努力が実り、難を逃れた者も決して少なくない。それは必ずしも、巨大な堤防とは限らない。避難訓練や、いざという時の覚悟と決断の結果もあろう。

『なるほど非力な人間では、何も出来ぬうちに、流され、押しつぶされた者も多い。その被害者を無力と呼ぶのか? 無であると、取るに足らぬと言うのか?

『いや、足らなかっただけだ。目の前の現実に、努力が及ばなかっただけであろう。』

・・・・・・・

『この世に、無力な人などない。

『努力が及ばなかった人を、結果だけで詰ってはいけない。

『そして、たとえ非力でも無力ではないのに、力を尽くさず、無力だなどといってはいけない。

『(自ら無力というものは)本当に無力なのか? それとも怠惰なのか、無能なのかどちらだろう?

『力が及ばぬことであれば、百年も前から備えれば良い。人は非力ではあるが、文明は偉大な結果を残してきたのだから。その文明さえも、大自然の脅威の前では、幼稚に思えるとしても・・・幼稚であればなおのこと、人々は努力を続けなくてはならない。』

・・・・・・・

『結果だけを欲しがる者には、その努力こそが苦しみに思えるかもしれない。

『だが、努力なくして成し得た結果はない。たとえ、努力の過程が他者には伺えなかったとしても。

(さらに…)

開運方法の解説(かも?)

2011/09/19

横浜オフ会の後で、出た3つの話題と、それから派生するパワースポット論。構成の都合上、後の質問から先に解決していきます。

1, 占いってどう思います?

多くの人々の都合の結果、社会は動いているわけで、例えば、自分に受け取る準備ができていても、送り主の準備ができていなければ、良い知らせを待ち続けなければいけません。

結局のところ、個々人の都合の善し悪しにかかわらず(都合の総和で)物事は動き、その動きの中に、人はなんらかのリズムを感じることがあります。そのリズムの研究が占いといえば占いでしょう。

でも、その運勢的なリズムが、どこまで暦や、星の運行と一致するものでしょうか? 正直、私にはわかりません。わからないというより、私は星を信用していないというべきかも知れません。

その一方で、信じても良いのでは、という気持ちもあります。 例えば、北極星。自転する地球から見て、ほぼ常に同じ点に一つの星があることは、奇跡(必要な偶然)にも思います。 方位が容易にわかる手段として、この偶然は、砂漠や海の旅にどれほど役立ったことでしょう? 結果論かもしれませんが、人類文明を育てた要因の一つでは、と思います。

数万年後には北極星も、地球の北を指し示さなくなるそうですし(星の運行により)、いまさら、正規の学問として占いを取り上げるべきと思っているわけでもありませんが、総てを迷信と決め付けるのはいささか早計と思います。

 

たとえば、心霊を学ぶ中で、基本的なこととして、「待つことの大切」があります。

・・・何事も途中で諦めてしまえば、運や実力に恵まれていても、良い結果を得られません。すると人間は、挫折しそうであっても、耐えるべき時があり、一人で耐え切れなければ、励まされる必要もあるでしょう。例えば学業などであれば、励ますことに是非もありませんが、一方、人生には一か八かのバクチ的な判断もつきまといます。成功してもそれが不幸に繋がるかもしれないような時、当事者は果たして頑張っても良いのか、周囲の者は果たして応援して良いのか?

例: 占いではなく心霊相談ですが。 知人のご主人が、南アジアから出稼ぎに来ていた女性に熱を上げて、離婚して、相手の国に移住すると言い出したそうです。その相談を受けた私は、「その女性はもうすぐ、一人で帰国しますから、ご主人のことは抛っておきなさい。今無理に反対すると、ご主人は引っ込みがつかなくて、一人で移住してしまいます。」・・・この奥様は、数ヶ月忍耐し・・・・・・

私は思うのです。努力や工夫で成果が出ることなら、科学に頼るべきでしょう。でも、努力の結果がどちらに転ぶか分からぬ場合なら、大切なのは信念となり、科学の適用するところではないと思います。

そして、信念が必要な場面において、占の価値はおそらく、当る、当たらない、というところよりもむしろ、人生でめぐり合う様々な問題に対して、どのような態度で望むべきか、その助言にこそ価値があると私は思います。

そのうえで、困苦を乗り越えることが出来たなら、その占いを有意義と思うでしょうし、困苦の欠片もなく平穏無事に過ごしていたなら、ただの興味で終わるか、または、当たる当たらないのレベルで論じて、迷信と決め付けるかもしれません。一方、困苦を乗り越えることが出来ず、それでもまだ占いを信じていたなら、それこそ迷信を深めるだけかも。

 

2,四柱推命とか、当たるんですかね?

占いに関して、よく引き合いに出すのですが・・・

例えば血液型占い、人間を4つに分類するというのは、あまりに大雑把すぎるのでは、と思います。それこそ、当てずっぽうにいっても、4分の1の確率なわけで・・・という話を、したところ、「あなたは、AB型でしょう。」と笑われた・・・

でも占いで、「恋愛運が最高で、運命の人とめぐり合う」と出て、しかも本当に異性(または同性)と巡り合ったとして、さて、一体誰の目から見て、最高の相手なのか、はたまた、何時の目から見て最高の相手なのか。または、何に使うのに最高の相手なのか・・・しかも、伴侶として選ぶ、またはそれ以前に、互いをよく知るための努力を始めるかどうか、という選択権は、その時の当事者にあるわけです。果たしてその出会いを有効に生かせるかどうか?

うだつの上がらない人に見えて、将来は大発明をしたり、商売を当てたりするかもしれません。それを見抜くのは難しい。難しいというより、相手の将来と自分の将来を見切った上で、目の前の人を選べる眼力の持ち主なら、占いなんて、頼る必要がありません。・・・そもそも相手がとても良い人だとして、こちら側が充分に大切にすることなく、せっかくの出会いを無駄にするかもしれません。

一応、心霊サイトということで、あえて心霊問題とかけ合わせますが・・・霊媒が、自らに罹る霊の、善悪・高低を量るのに、まあ、一応、審神《さにわ》術みたいなものもあるわけですが、結局のところ、短期間で見切るのは無理、すると比較的安全なのが、自分の守護霊ら、確実なことの判っている霊のつながりで判断するか、自らの守護霊の鑑定ともなれば、時間をかけて(短期間なら芝居出来ても長くなればボロが出る)、信頼関係を創り上げるしかありません。

同様に、出会った人の善悪・高低を見るのに、時間を掛ける以上の手はないと思います。・・・その掛ける時間がないなら、一か八か、という判断も仕方がないとせよ、同時に、つけこまれぬように気をつけましょう。

要は、占いがあたろうが、当たるまいが(私的には四柱推命に対して敬意を払っていたりする)、あなたはその運命を活かすことが出来るのか、どうか、ということです。・・・物事は必ず一得一失。または、作用には反作用。最高の出会いが拗れたら、最悪の敵(例えば近親憎悪的なもの)となるかもしれないことを心の片隅に止めておきましょう。

例: 上記事例で、熱を上げた南アジア出身の女性に、置いて行かれたご主人は、その後数年間、奥様に猛烈にイビラれ・・・好きの対語は無関心。いじめるのも、縁が繋がっているゆえのこと。

 

3,霊査で仕事の助言ばかりなんですけど? (プライベートの霊査は無いの?)

してるつもりなんですが・・・気づいていないのかも。

物事の受け止め方は、大きく2つに分類できます。内向:受け身・防衛的と、外向:指導支配的・攻撃的。最近はやりの、草食系・肉食系も当てはまるかもしれません。

ただ私が思うに、例えば仕事では内向的だけど、人間関係では外向的、といった具合に、一つ反応を見るだけで、種類の違う問題にまでこの分類があてはまるとは限らないでしょう。

さて、この大雑把な分類(他には、遅いとか早いとか、ストレートとか、婉曲とか、上手・下手に出るとか・・・)をふまえて話します。

例えば、異性がアプローチしてきたとします。外向的な人なら、相手が気に入る、気に入らないに関わらず、言い寄られることを喜ぶかもしれません。それに対して、内向的な人なら、好きな相手以外がアプローチしてきたら、生理的に嫌悪感を抱くでしょう。

でも、相手をよく知らないうちに、好きだとか、嫌いだとか、ということは、つまり、表面的な部分だけで、出会いを制限してしまうということですから、同じだけチャンスを持っていても、成立の可能性が少ないということです。

しかも、私の知る範囲で、外向的な人は、他人への評価を変えやすいのに対して、内向的な人は、他人の評価を変え難い所があります。これは、人間性の問題ではなく、もう生理的なものでしょう。つまり、内向的な人に嫌われたら、高評価を得るのは難しく、それが、恋愛においては、愛情を確保するのは難しい、・・・ああ、つまらない話だ。要は肉食系・草食系の分類か。

それはともかく、内向的な人はチャンスを活かしにくい、とすると、つまり、占い的な意味で、運勢が良くても、それがそのまま人生の開運には繋がらないということです。そうであるなら、チャンスの有無を霊査として伝えるよりも、眼前のチャンスを無駄にしないような生き方に変えていくことが大切だというのが、私(と、その背後霊団)の判断です。

たとえば、人間として自信を持つことで、内向的な部分が外向的に変わっていくように促すとか・・・または、家族に流されて、気に沿わぬ人を選ばぬようにするとか。または、仕事の運気が、プライベートまで影響するとか。

 

4,(蛇足)パワースポット巡り

私も、疲れた時には、逃げ込みたい場所があり、それはいわゆるパワースポット的なところです。ただし、癒しとして好ましいのは(私にとって)、やはり、静な場所ですから、最近、書店・コンビニなどでみかける情報誌に掲載されている場所かどうかは知りません。

むしろ、雑誌類に掲載されているような有名所では、落ち着かなかろう(つまり、私は行かない)と、思っています。

また、人混みが雰囲気を汚す、という環境的な問題だけでなく、物事は一得一失、安易に幸運を求める者は、同時に災難も抱えてくるはず・・・といった、心情的な、いや生理的な嫌悪感を抱きもします。ぶっちゃけ、マスメディアやネット情報で取り上げられているパワースポットが、心霊的な意味で機能しているとは、全く考えていません。

ところが、「私にもご利益があった!」という話は、他所を向いていても飛び込んできます。

これ、やはり私は、心霊的な意味での機能が働いているとは考えません。むしろ、反対に、「運が悪くなった(バツがあたった)」ということなら、心霊的な「愛(安易に幸運を求めるな!)」を感じることもあるでしょう。

では、パワースポット、または、神社仏閣のご利益は何処から来るのでしょう?

私が理解するに・・・そういう、巷の情報を受け入れ、実際に行動するような、外向的:行動的な人であれば、目の前にあるチャンスを受け止め、活かしやすい、・・・故だ、と思うのです。

人間、チャンスの数には、そう大きな違いは無いでしょうが、個性によって、チャンスを生かせる人と活かせない人がいます。

ものすごく世俗的な言葉でいえば、「買わぬ宝くじは当たらない」・・・でも、内向的な人は往々、当たりくじが天から降ってくるのを待っています。

以前、幸運が待っているから!と、活動を促した人が、まさかの、家の中だけで活動していて、幸運が来なかった、と抗議してきたことがあり・・・

そして、内向的な人が、無理をしてこういうパワースポットを訪れても、たぶん、他の参拝者の因縁やら、毒気にあてられてくたびれ、挙句、「お前まで下品なことをするな!」とばかり、ご先祖の霊に叱られたりするのがオチだと思います。・・・安易な行動の結果の障害って、解消するのに高く付くものですけど、どう高くつくかはいささか下品なので割愛します。

 

実は、微妙な問題で、外向的な人についていえば、「鰯の頭も信心から」で、どこでもいいじゃないか、とも思うのですが、いわゆるパワースポットの地主霊の中には、人が集まるのを好む霊もいるようですし、なにより、パワースポットの話題で食べている人もいらっしゃるようなので、パワースポットの真偽については口を挟みません。

そもそも、心霊的な影響には相性もあり、(というか、やはり、信心論に落ち着くが)、私が大阪オフ会出席時には、必ずよって充電する場所も、露骨に信心の強さで効果が違っているように見受けられます。

というわけで、パワースポットの位置・真贋についてのお問い合わせはご遠慮下さい。

夢中の白虎

2011/09/16

「人生山あり谷あり」・・・困苦が付いて回るのは仕方のないこと、とはいえ、道を間違えば困苦の先に得るものがない。

職場が変わって以降のことだが、最近、とにかく忙しい。ページの更新もままならない。あまり忙しいと、色々と粗末にすること出てきて、それが失敗を生む。失敗があると、それを取り繕うのに、また忙しくなるという悪循環。

職場を変えたのは失敗だろうか。これは道を間違ったかな・・・と思う。もしも道を間違えば、困苦の先に得るものがない。

ひと通り逡巡はしてみたが、まあ事情が許す範囲での最善の道であったろうとも思う。人生山あり谷あり、仕方が無いかな。

と、気持ちに整理をつけた。そして、その翌朝の夢のこと。


眼前の檻の中に小さな白い虎がいる。ネコよりは大きいが・・・まあ、恐怖感を抱くほど大きなわけではない。

その檻越しに、手を伸ばし、座っている虎にぺたぺた触れている老婆がいる。

私はふと、、『ああ、危ないな。可愛く見えても獣だぜ? おそらく、力も強いだろうに・・・』と思う。

すると、瞬きする間に情景が変わり、今度は公園風の中にあって、檻がない。しかも、数人の人が、やはり座っている虎を取り囲んで、やはりぺたぺた触っている。「ご利益、ご利益」と言いながら。

忍耐強く、おとなしく座り続けている虎を、しばらく眺め続けた。気づくと、人影も消えて、虎と私だけが残り、その白い小虎は、数歩私に近づいて、「ニャア」と啼いて、私の目が覚めた。


夢が覚めて、理性的・・・当社比・・・になった私は、その意図を理解した。

白虎は幸運の兆し。それをぺたぺた触っていた連中は、ご利益のおこぼれに与ろうと集まってきた、あまり高くない霊たちだった。

上級霊界の知らせというのは、降りてくる先が高くなればなるほど、邪魔を受ける。

邪魔といっても、害意があるとは限らず、むしろ、無邪気に自分のことを考える結果である。・・・嫉妬は恐ろしい。

・・・自分のことばかり考えている者を誰が支援するというのか? だから、他人のおこぼれを狙おうとする。これもまた悪循環。

 

人生は、複数の選択肢の結果。・・・素直に生きているように見える人も、大なり小なり、幾つかの悪循環を抱えて、せっかくの行動力を無駄にしている。さらには、己を知らず、己の抱える無駄に気づかず、己を苦しめながら、己の実力不足を嘆いている。・・・自分を嫌い、ますます嫌いになる悪循環。

人のおこぼれを狙うより、己のムダを慎むほうが、有意義であろうに。

というわけで(?)・・・、人生は山あり谷あり。いずれは良いこともあるかと、今の災難には目をつぶることにした。なにしろ、幸運の兆しを見たのだから。


で、幸運の兆しのご利益や如何に?

・・・なるほど、どおりで小さな虎でした。

霊査事例: 2011年9月10日 横浜オフ会

2011/09/11

以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • 『仕事に変化の兆し。 ただし、思うように身体が動きません。無駄なく、慌てず、抑えめに。』
  • 『やる気はあるし、その力もあるけれど、張り切り過ぎに注意。』
  • 『もともと器用な人ですから、(やっていることが)他人から見ると乱雑に感じられます。テーマを絞るか、章立てをして整理しましょう。なに、家事と同じ事です。』
  • 個人的すぎるので省略

 

事例2

  • 『ご先祖が喜んでいらっしゃいます。』
  • 『お腹に意識を集めて(頭に意識を集めずに)』
  • 『賓客を招くには、座を開けて待つ。』
  • 『(あなたは) 人見知りで客をもてなすことの知識に乏しい、人間関係が苦手というより、学ぼうとしていない。』
  • (花挿の)一輪の花(つばき)を見せられたあと、『なんの花かは知らずとも、花見る人(の心)を知る人となれ。』と聞こえました。ところで言葉とは違い、なんの花であるかも、大切なようです。

 

事例3

  • 『退屈、と聞こえます。趣味の持ち方に注意を。』・・・墓穴を掘らないように。
  • 『好き嫌いではなく、今は充実を図る。』
  • 『上手にやればいいのに(言うことが)直球ばかりで、そういうのを「馬鹿正直」といえば、まだ真面目そうだが、要するに、相手の身になって考えないのだ。身内に厳しい(いじわる)』
  • 『没頭。生活するのではなく、生活であれ。』・・・当日は私もピンと来ませんでしたが、漢字の意味も含めて考えてみてください。

 

事例4

  • 『仕事に乗っている時は、少し距離(ノルマの消化)を稼いでおきましょう。』
  • 『今は仕事に専念して良い』
  • 『傍にいれば、つい頼り、いなければいないで、腹立ちの対象。少しは道理に思いを馳せよ。』・・・だって、しょうがないじゃない?
  • 『気が利かぬのは、まあ良いけれど。』・・・お勤め先はシビアな人間関係のようですね。・・・『人を使う身になることを心がけておくこと。』・・・人事や管理について、われ関せず、ではいけません。

 

事例5

  • 『なるようになりますから、手を出さなくて良いです。』
  • 『気落ち、というより、夏の疲れ。是非、静養を。』
  • 『旦那様は、「疲れた、疲れた」と言っていればいいが、家を守るものは、そうは行かない。』
  • 『他は抛っておいても、自身(からだ)と、奥様には気遣うことが、長生きの秘訣です。』

 

事例6

  • 『苦しがって様に見えて、(その)人の望んだ結果です。(勝手に)させておくことも大切です。』・・・因果応報というと少々大げさですが、何かをなそうというなら、山あり谷ありが当たり前。それを嫌がっては何事も始まりません。
  • 『思うように行かぬ時、耐えることも必要な学び。その先を思うより、その手前を見たほうが価値はわかりやすい。』・・・「苦労の後には、必ず良いことがある」等といいますが、現実には、報われない事も多いもの。でも、乗り越えたその苦難。誰でも彼でも出来ることでありません。それを誇りに思うことが大切だと思います。
  • 『苦しみは、往々、自ら招くものです。ほうっておけばよい。』
  • 『掴まず、放す心がけを。』・・・これ、重要です。人間には、撃つのが得意なタイプと、掴むのが得意のタイプがいます。どちらも一長一短。ですから、自らのタイプの長所を生かして、短所を庇いましょう。
  • ご先祖に、傲慢と誤解されて方が多いようです。逆恨みはあまり相手にせずに。・・・つまりは、第三者の仲裁を活用しましょう。

 

事例7

  • 『他人事を笑うと、五年後に同じ目に逢います。ニヒルに構えず、もう少し真剣に。』
  • 『あなたはきちんと反省できる、素直な、優しい人です。それゆえに、いちいち(人の不幸に)心を働かせると苦しくて、冷淡にふるまいます。そろそろ極端に走らず、自分でコントロールしましょう。』・・・同情し過ぎも、同情しなさすぎも、いけません。
  • 『肩がこるほど気を使う。(そんなあなたは)周りに流される人です。(他の後ろを歩かず)進んで前に出れば楽になるのに。』・・・先頭を歩くのが苦手な人もいますが、苦労には報いが伴います。
  • 『自身にある不自然(滞り)を緩めて、幸せにつなげていきましょう。』

 

事例8

  • 『枯れてくると、神が降ります。それまで人間をよく見ることです。』
  • 『(上述)あまり身構えず、頼るものあれば、来るもの拒まずの気持ちで。 家庭を壊すような事にはならぬから。』
  • 『頭で考えすぎて知恵で身体を動かそうとするから疲れます。無心に。それが出来ないともったいない。』・・・常に、というのではありません。ああ、今日はつかれたな、と思った日には、無理がなかったか反省してみましょう。
  • 『内面を作るのを止め、自然に任せる。気づかないかもしれないが、(あなたの内面は)充分に美しい。』
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