‘2010/07’ カテゴリーのアーカイブ

己が慢心を恐れる。

2010/07/31

 もう一ヶ月以上も前のメールが話題である。もっとも、一ヶ月ならまだ早いほうか。

「慢心をして人の道にはずれたことをしないように、また、道を踏み誤らないように」と思い、オフ会に参加した、という人のメールを読みながら、真面目な参加者にありがたくもあり、また、なにやら引っかかるものを感じてはいたが、急ぎ連絡事項のみ返事して、そのままになっていた。

 まあ、「慢心」というキーワードでは色々書く事もあるのだが、本件は、この方の事例に限る。(限れ、と言われた。・・・それもネチネチと。)

 まず、なぜ私が「慢心をしない」というキーワードに引っかかったのか、といえば、

  1. 慢心に自ら気づくことができるか?
  2. 他者から「慢心」と指摘されて納得することが出来るか?
  3. 順番を間違っていないか?

 そもそも、(自らの)心の異常を、(自らの)心が察知するのは難しいのです。・・・物の長さを測るなら、ものさしを使いますが、そのものさしが伸びていないかどうか、他にものさしがなければどう測るか・・・

 また、他者から指摘される「慢心」が、果たして考慮に価するか。人は往々、有能な他者、論理的に勝てない相手に対して、「相手の慢心」を攻撃します。こういう感情論はそもそも相手にする価値もありませんが、それは同時に、他者から指摘される「慢心」という注意に耳を貸さなくなる、貸す意味があまり無い、貸せばますます混乱する。という、不都合な助言でありましょう。

 その一方で、その時々に行いの結果を反省してみれば、そこに「自分の慢心があった」、と思われることも多々あるわけで、では、慢心をどう扱うか、と考えると、答えが出ない。そもそも設問が間違っていないか、と思うわけです。

 心の異常を心が察知することが出来ない。・・・でも、人が恐れるべきは慢心だけか?

 慢心は、人が注意すべき、不適切な心のあり方の一面でしかない。なのに、慢心を恐れるのは・・・

  1. 実際に自分が慢心で失敗しやすい。
  2. 誰かに言われて真に受けた。
  3. 占いとか・・・

 もちろん、一般論として言うなら、人の数だけ原因はあるはずで、これが答え、と、私は論じることはしません。ただ、追いかけるものがあるなら、なにゆえ追いかけるか、その理由を心の隅に置いておくべきだ、とは思います。さもないと、やっているうちに目的が摩り替わったりするからです。

 もしくは・・・慢心を恐れる心もまた、何かから摩り替わったものかもしれません。

 たとえば、子供時分に親から「生意気!」と叱られ続けて、あげく、学校で受けた指導中に「慢心は厳禁です」と言われた二つが結びついてしまい・・・

 そう、いかなる理由から、何を追いかけるのか?

 慢心は心の一部であり、人道を外れるのは行いの一部でしかない。・・・

(まあ、そこまでメールに書かれていた訳でも、霊査として読み取ったわけでもないが)

 恐れれば、行うことを止める事になる。慢心を恐れれば考えることを止めるのか・・・もしくは、慢心なくしてどうして危地を乗り切るか・・・さて、心にあるのは果たして欠点か、それとも、使いどころを待っている強力な道具か、どうか?

 果たして恐れているのか、それとも、自分の可能性を殺しているのか。

 

 結構、人は己を殺している。・・・そうやって人は己のブレーキかけながら、一方では思いっきりアクセルを踏み込んで、無理やり高速で走っているかのようだ。軋むブレーキに苦しみながら。 スピードに恐れるより壊れそうなブレーキに怯えている。

 まあ私は、アクセルよりもブレーキの方が強力な性格らしく・・・あまり良い助言は出来なかったかもしれない。

 

では、一戦交えるか? (補足&こっそり修正)

2010/07/17

(2010年6月26日)

 動かなかったPCが直って、あれやこれやと片付けをしていたとき、友人からメールが届いた。

『最近会社で厄介な問題に巻き込まれて、明日の朝に吊るし上げられるみたいです。そこで、明日の打ち合わせで、冷静に今回の問題で他の人が知らない都合の悪い事をいくつか暴露して、論破すべきではないかと考えています。』

 この友人、冷静に見える風貌の半面、結構、好戦的な言動もまま見られる。メールのタイトル(ブログのタイトルとは若干異なる)もまた、少々、攻撃的な表現であった。が、霊感の強い人にとって、敵意を向けられるのはそれだけで暴力を受けたに等しい。必然的に、勘が強いは、大抵、癇癪も強いもので、勘が強くて、しかも、おっとりしている人もいないではないが、それは奇跡に属すると私は思う。

(一見温厚、言動も穏便、しかも丁寧で、その実、強烈な個性の持ち主、を知ってはいるが、 それは旧家の躾が生み出したものらしい。いやはや、人の有り様というのは・・・)

 つまるところ、友人は私に助言を求めていても、その実、答えは知っているのであって、ただ、それが難しい選択であるが故に、同じ意見を聞いて安心したかったのであろうと思う。

 さもなくば、私の助言を聞いて、無視するか、反発するであろうから。素直な(つまり当人が気付いている場合)にはスムーズに霊査を得ることが出来る。反対に、当人が気付かない、というより、気付きたくなくて真実から目をそらそうとしている場合は、往々、霊たちも言葉に詰まる。・・・(ここ、結構重要)


 さて、私の返答は・・・(多少編集)

 いいんじゃないですか? 

「はあ、そうですか。スイマセン。」て、言っておけば。

 その結果がたとえ悪く見えても、あなたにとって本当に不都合とは限りませんし、あなたにとって良い結果に思えても、長い目で見て本当によかったかどうかは分かりません。(神のみぞ知ること)

 ところであなたは、この人が嫌、とか、得られた喧嘩は買う!、という趣旨で相手を見て・・・相手を色眼鏡で見ていませんか。

 こういう責任転嫁型の人に真実を突きつけても拗らせるだけですよ。結局、感情論から「窮鼠猫を噛む」とも、なりかねませんし。

『相手はおそらく不安なのだ、ならば、殴るよりも、相手が転ぶように仕向ける』とか、「私じゃ出来ませんから・・・」とおだてて、相手に危ない橋を渡らせるとか。やりようには色々あるはず。

 ともかく、このメールを見る限り、相手も悪いでしょうが、あなたにも『試練・暴力的正義感をなんとかせい』と、(守護霊もその必要性を同意した)試練を感じますよ。

 相手を論破するよりも、相手に勝手を言わせて・・・蛇足という言葉があります。蛇の絵を書いている人が、調子にのって足まで画いてしまった。だが足があったら蛇じゃない。つまり自らダメにしてしまうということ。・・・それによって、相手は蛇に足を画くかもしれません。または、あなたは売り言葉に買い言葉で、蛇足を画こうとしていませんか。

『外なる敵は勝ち易く、内なる敵は勝ち難し。』 と、言いますが、あなたは戦うべき敵を間違っていませんか?

 というか。バカの相手をすると、霊界も含めた周囲から、延々とバカの相手を任せられますし、そもそも(いわゆる)霊的波動の異なる人は論破できませんよ。なにしろ、感情論と論理じゃ、拳を握り締め(グーを作って)殴りかかろうとしている人にチョキを出して勝ったつもりでいるようなものです。人間関係において、勝ちを得ようとする人が往々、かえって不利に陥るのは勝利条件に設定ミスがあるからです。

(勝利条件の違い: 周囲や相手が、それを負けと見ていない。むしろ勝ちと思っている。)

 論破するのをやめろ、とは言いません。でも、勝利条件(成功条件)をよく見極めることです。自分にとっての勝利(往々、それは自己満足)ではなく、相手にとっての敗北となるように行動を選択することです。それにはまず、相手を知ることが必要となります。

 敵を知り、己を知れば百戦危うからず・・・これは勝利の方程式(これを「知れない(理解したくない)」人は多い。)ではなく、不敗の方程式であります。不敗の戦略の良さは、つまり、相手の自滅を促すことで勝利を得るところにあります。

 まあ、ぶっちゃけ、周囲が相手にしない人を、あなたひとりが相手にしても色々と面白く無いでしょう? 往々、正義感は、気をつけなければ自滅(蛇足)の道です。 まあ、悪の道もまた、自滅に繋がっているわけですが。

 正義よりも善であるように致しましょう。


補足1 (7月17日)

 その後、友人から後日談が届いた。かの相手は左遷が決まったとのこと。それを伝える友人の態度にいささか想うところがあって伝えたけれど、キチンと伝えられたかどうか。

 そしてまた、友人からさらなる後日談が届いた。

 要約すれば、相手の不正が露呈して左遷が取り止めになり、今は処分待ちだとのこと。

・・・・・・・

 別に終わったことにクドクドと説教臭いことを言いたいわけではないし、この友人を下に見て意見するつもりもない。まあ専門家、とまではいかなくても、それなりに事情通を自認しての意見ではあるが・・・

 我が友人を『直球勝負の剛腕』に喩えるなら、相手は『多彩な変化球を使い分けるマジシャン』です。性格は正反対ですが、性格が反対でも仲の良い人はいます。私が問題視しているのは、我が友人が、直球自慢というより、変化球を投げるのが苦手、な人であるのと、私の見る限り、問題の相手は変化球自慢というよりも、自分の直球に自信がない、むしろコンプレックスを抱いている、点なのです。

 内心、お互いにライバルであると認識していて、たとえ負けてもなおのこと相手に難癖をつけようとする関係と私には見えます。

 例えば水と油ならば、放っておけば分離するのに対して、この二人は同じ縄張りを争う関係です。それゆえに、相手の不幸を知らせる友人の言葉尻に、私は危険な匂いを嗅ぎ取るのです。

 つまり、友人の守護霊や、その上の産土神等が、この欠点を正す、または少なくとも減らすために、互いに切磋琢磨させられはしないか、と思うのです。

 故に、私が最初に、そう、これらの後日譚を知らされる前に送ったメールのサブジェクトは、「争うことの是非より、守られていることの自覚が大切。」としたのです。それは別段、明らかに悪い!、というニュアンスの結果ではありません。どちらかと言えば、キナ臭い、に近いのですが。

 ところで私は、変化球を使い分ける・・・というか、直球に自信のない人はよくよく注意すべきと思います。まあ、露骨にいえば、姑息な人、ということですが。

 まっすぐ生きることの意義はともかく(つまり、知ってはいるかも知れないが)、その価値を知らぬ(つまり軽んじ、疎かにする人は)、往々・・・おそらく大抵、カミソリの刃の上で踊るような人生を歩んできた人でしょうから。ギリギリの人生を自認している人だから、乱暴な生き方が出来るのでしょう。もしくは、ほんとうに大切にされたことがないのか・・・。

 欲の薄い子供時分に助けるならいざ知らず、一通り甘い汁を吸った事のある相手だと、無駄がある豊かさに憧れていて、ムダのない豊かさは生理的に拒絶されるところがあります。

 生まれ変わらないと直せない悪癖を身につけた人なら、周囲は見て見ぬふりしか出来ないものなのです。 あえていえば、ただ拗れ、形が変わっても被害が増えたりする・・・

強く想うな。

2010/07/15

 すっかり更新が止まっていたので、唐突に思われるかもしれないが、当サイトは心霊研究のサイトで、人生相談はついでの話である。が、良い人生が送れなくて、何の心霊研究か・・・。人生に活かせてこそ、生きている最中の心霊研究であろう。でなければ、あの世のことを学ぶのは死んでからで良い。

 ・・・というか、特殊な事例の霊界通信を丸飲みしたりはまだ良い方で、自分の妄想を真理と信じている人も少なくない。とはいえ、何分あの世のこと故、何を持って真実とするか、手がかりに乏しいとは大勢の信じるところである。

 まあ、欲さえかかなければ、それなりに腑に落ちるものだが、判る人は解る一方、判らない人にはとことん判らないところが難である。


 さて本題。

 死後の世界とは、想念の世界であるという。それはつまり、死後の自分の姿は思うがまま・・・若く見せることも自由自在であるという。服装なども同様である。むろん、家の壁なども通り抜け・・・あれ、床は踏み抜かないのか? そう。対象を動かすことは出来なくても、自分が対象と共に動くことは出来る。

 道具類も想念で作る。・・・道具がなくても困らないのが霊界であるが、絵画や彫刻、または建築は、自己表現の手段であって、困る困らないで価値は決まらぬから・・・

 話題をこの世に戻す。

 強く想えば、その想いは世の中に作用すると思っている人は少なくない。『努力すれば』、『頑張れば、』それでもダメなら、『もっと努力すれば』、『もっと頑張れば、』。

 でも、いくら強く想ったとしてもそれが一人の想いであればどうか。大多数の想いが集まってできる社会の中で、それがどれだけの力であるというのだろう?

 強く想う人は、あなただけじゃない。

まあ硬くて強い想念は建材には使えるかもしれない。

 さて、死後の世界とは想念の世界である。例えば光り放つ巨大な彫刻を作るにしても、材料集めや資金集めに走りまわる必要の世界である。・・・そういう世界であれば、価値有るのは、資材か、それとも美の宿るその造形か? どちらであろう。

 強い想いは二束三文。

 柔軟で巧みな想いこそ、人々から賞賛されるに値し、人々の助けを得てこそ、実現に向けての大きな力が生じる。

 強さは必ずしも価値ではなく、むしろ成長阻害要因。

 必要に応じて柔軟に振る舞える人が、一見弱く見えても、徐々に成長して実現に至ると、私は観ずる。

 だから私は「考えることをやめよ」、「思うことをやめよ」、なにより「無理強いはやめよ」と勧め、柔軟であることを美徳として、一歩見を引く人を称える。


 どうも、心霊に関心をもつ人には、その優しさ故か、自分の非を重大視する方が多いと感じる。  妙にコンプレックスが強くて、自分の欠点を常に探している。  他者に小さな傷を与えるよりも、自分の大怪我を選ぶような人が、である。

 その想いは巧みなものだろうか? 

 ・・・なぜ強く想うのか、考えもせず、ただひたすら想い続けていないか。子供の頃からずーっと。

 昔、子供の頃に見上げた街を、大人になってから再び訪れて、その小ささに驚くことがある。子供の頃に見る世界はすべてが大きくて、多くの物に手が届かない。でもそれは、今のあなたが小さくて届かないのではなく、その時分のあなたが小さかった、ということに気がついているだろうか?

 オテンバな女の子だって、年頃になれば慎みを身に付けるし、乱暴な男の子だって、大人になれば分を弁える。

 そうやって人は成長していくのに、往々、その想いだけは成長できずにいる人がいる。

 

 想念の世界なら、建材にでも使えそうな想念が、この世の中ではただの成長阻害要因である。

 

 

霊査事例: 2010年7月10日

2010/07/11

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • 重荷を背負っていていると感じました。『オタオタしない!』・・・荷物を持ち上げるには姿勢が大切です。へっぴり腰ではケガをします。
  • 『下手な考え休むに似たり。・・・道は自ずと開く。待て。』・・・待てというのは、その間、遊んで良い、というのではありません。「イケ!」と言われる時のために、備えることが大切です。
  • 『技に深みが足りぬことに、気付いているか? 患者が思うことと、身体の状態は異なる。今のままなら、(治す人でなく)親切な人と思われて終わる。 』
  • 『門が開く前に出ようとするな。』・・・『見捨てていないが、つつしめ』・・・『己一人の世界でなし、良く間を見よ。』・・・周囲に合わせずには何事も変わりません。

事例2

  • 自業自得とは、自らの責を自ら負う、ということです。誰に後ろ指刺される必要もありません。』・・・後ろ指を指される、他人から批判されるべきは、自らの責を自らが負わない、責任から逃れている人です。
  • 『ピシッとする。・・・誰のものでもない己が人生。考えるべきは己がケジメ。』・・・他人への心配は、あなたの助けにはなりません。(おそらくあなたの現実逃避)
  • 『ダメな理由(うまくいかなかった)を自分に問うな。物事は己一人の努力にあらず。』・・・あなたひとりが反省しても世の中は変わりません。
  • 『人によりては、己の良いところだけを見て、人の良い所を見ない。己の悪いところばかり見て人の足りぬところを見ない人あり。身体を自然体に置いたように、物を見る目も自然体に。 』

事例3

  • 『気遣いとは、滅私して人(他者)を思うことなり。故に、己が疎かになるなり。時には己の身も思うように。』 (でも一般論として) 『とはいえ、思い患うがゆえに身を壊すのも人なり。 』
  • 『分を勤めれば自ずと道は開く。』・・・『敵は(己の)不安』
  • 『腰を入れ、腹を据える。仕事や家事や育児で子を背負うよりも大切だ。』 ・・・肉体的な姿勢も大切です。
  • 『不安なくても心配してみせろ』

事例4

  • 『かくなる上は覚悟を持って無心に事に当たる。難なし。』・・・難なし、と聞こえましたが、それにしてもあなたの身体はガチガチに凝っていますね?
  • 「◯◯をしなくちゃ」に頭が支配されています。『必要なこと、待てること、任せること。』 ・・・『あなたは色々知っているはずです。無駄に頭を使わない。』・・・・(効率よく)
  • 『ご無事に!』
  • お身体の状態がだいぶ良く成りましたね。意識することで自己治癒力は上がります。

事例5

  • 『一歩下がって、己が背を見る。(あなたは)頑張ってはいるが、大きさ(包容力)が足りない。包容力。強がる人とは、本当は何かに頼りたいのだ。 』
  • 『論理の勝ち負けより、人としての勝負を考える。負け惜しみの相手をしない。』
  • 『(それは)恋ではなくして、自分の気持が良いようにして、(すんなりといかないと)、自分が苦しまないようにする。あなたは自分が苦しんでいるつもりで、相手を苦しめていることに気付かない。』 ・・・上の二つの霊査をあなたは恋愛問題と受け取ったようですが、そういう狭い範囲の話ではありません。
  • 『反省するより冷静になる。まだ謝ることも出来る。 』

事例6

  • 『血が濃い』 (水分不足?)・・・心臓に負担になっているようです。 でもあなたは水分を摂り過ぎるとお腹をこわす人ですよね。
  • 『想いを鎮めて、成り行きに任かす。だが、歩みは止めない。』 ・・・あなたが、あなたの為すべきことに努力するのは良いことです。でも、人の気持ちはあなたの努力では変わりません。任せることは任せることです。
  • 『仏に頼らず』 ・・・良し。 肩の力が良い具合に抜けていますね。
  • 『野菜から水分を取るのは? きゅうり、大根、人参等をたくさん摂る。』

事例7

  • 『もっと、必要とされる自分を受け入れなさい。あなたがそれを苦手と思うのは、何が必要であるかを知らぬから。求められていることのすべてが必要ではありません。』・・・人々が願うことを叶える事が大切なのではありません。たとえ、その人が必要と思わなくても、大切なことを伝えることが、今の世の中に必要とされている仕事なのです。
  • (老人の声で)『腹は立たぬ(本来は)。立たぬ腹を無理に立てると、身体に悪い。』・・・お大事に。
  • (若い声で) 『放っておいても物事は、なるようになる。ならぬようにならぬ。だが、手をいなければ崩壊する。』
  • 『優しくあるというのは見事である。』
  • 『やさしくあるというのは美徳である。が、情に意識をあわせるな。理に溺れるな、あるがまま。』

7月度・静岡オフ会

2010/07/01
2010年7月7日
15:00
2010年7月17日 11:00to2010年7月18日 11:00

要約: 申込締切・7月7日

静岡オフ会・7月17日・18日。

7月度の静岡オフ会は、17日(土)・18日(日)を予定しております。

宿泊先の手配などの都合がありますので、申し込みは7月7日までにお願いします。

人数確定後に詳細な計画を立てますので、後日メーリングリストを立てます。申込者は原則として全員メーリングリストの参加者として扱わせていただきます。

申し込み、ご質問はメールホームをご利用下さい。

お知らせBy老神いさお。

・スマートホン
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・サイト再構築中
移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。

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