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二律背反

2010/05/05

  老若男女、同じ時を共有していても、それぞれが体感する、いわゆる主観的な時間は異なる。それゆえに男女は互いに理解し難く、老若は互いに理解し難い。

 もしくは、同じ世代の同性同士だって、細かく見ればやはり主観時間は異なる。誰も彼もが流行を追うわけでないのと同様だ。

 相手の思想に歩み寄ろうとする者は多い。お互いに歩み寄ろうとする者たちも決して少なくはない。だがそれらの多くは、相手を知ろうと急ぎ、解り合えたいと焦《あせ》り、うまく行かないもどかしさから焦《じ》れる。

 まずは、足を止める。 ・・・歩きながらでは行き違うことなら、まずは足を止めることから始めるべきなのだ。

 が・・・相手を思うからこそ、急がずにいられず、急ぐからこそ、相手を傷つけずにいられない。

 それはつまり、相手がわからぬから焦るが、自分自身を判らぬからなお、相手がわからぬという悪循環に気づかぬから故のこと。


 愛し合う二人よ。

 思うことで人は疲れ、思われることで人が疲れるのは何故か。・・・焦ってはいないか。恋焦がれる相手とは、実は自分の思いの影にすぎないのに。

 故に人は往々、自分の思いとはかけ離れた相手と気づいて恋が冷める。

 

 子を持つ親よ。

 子供らの浅薄な、そして敏感というより過敏な感覚に振り回されてはいないか。子供の行いというのは、実は親の行いの影にすぎないのに。

 子の過ちとは、己が過ちと気づかぬ愚者が、親ばかと呼ばれるのに。

 

 なぜ振り回されるのか!?

 あなたが己を知らぬからだ。人の思いは常に「二律背反」、人は誰かを愛す時、その人を憎まずにはいられない。・・・憎しみという一面を忘れた人だけが恋に落ちるが、何かの折りに思い出して破綻する。・・・もしくは、思わぬ相手は憎まずに、ただ無私をして心がゆるがない。

 結局、人は誰かに悩まされ、苦しめられているようでいて、実は、自分の思いを扱い兼ねている。

 相手を忘れることが出来ず、他の誰かを思うことが出来ず。


 子供の日におもう。

 人への思いは、相手への思いの形を借りた、自分の、自分への思い。

 それゆえに思うようにならぬだけで恨み、憎む。・・・相手を在るがままに認めぬが故の過ちと気づかず。

 子供への怒りとは、実は己の子供らしさ、すなわち未熟と気づかぬが故なのに。または、子供への愛の何たるか。


 人々はみな愚かで、ただ、反省出来る者と、反省出来ぬ者とがいる。・・・それこそ年齢にかかわらず、一体どちらを大人と呼び、子供と呼ぶべきか。

 大人であるとか、子供とか。・・・その区別は一体何処にあるべきか。身体か、精神か。

 子供の日に思う。・・・肉体的大人が寛容に非ずして、何の子供の日か。

 

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