言わなきゃ判らぬようでは・・・
2010/05/01まあ、他者には妄想の一種とみなされるかもしれないし、反対に無条件で神聖視してくださる方もいるかも知れない。が、肝心なのはその内容の価値である。意味を汲んでいただければ私にとって幸いで、これをただの霊界物語と受け取られるのは、残念である。または・・・嫌味と受け止められるのは・・・迷惑だ。
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入浴中に、ふっと霊視のスイッチが入った。・・・今日は時間があると見越してのことだろう。
正面には女神と思しき女性(高松塚古墳壁画にある女性のような衣服を着て、優しそうな雰囲気とともに威厳をたたえている)が静坐している。なお、私には見知らぬ若い男性の声で、『アグラの反対の正座、ではなく、静坐である。』と、解説が聞こえたのだが、衣服で足は見えず、体勢的に正座と静坐の違いは分からなかった。ましてやその心境・境涯の差など・・・いや脱線した。
どうも私は、ある男性(死者)の役(別な表現をすれば、私はその死者の霊に憑依して視点を共有している)であるらしい。
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男 『私が考えておりますことを、説明させていただけば・・・』
女性が右手を上げて押し止める。
女 『言(解説)わねば判らぬことなら、(あなたの考えは)無意味です。』・・・括弧内は私が感じ取ったニュアンスである。つまり霊聴的に聞き取ったのは「言わねば判らぬことなら、無意味です。」である。 そして男はうなだれて消え去った。
光景が代わり、女神(? 相手が名乗るわけでなし、とりあえず保留するが)が、私に解説を試みる。
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(あなた方の言う)「死後の世界」とは、 意念の世界、つまり、思うことが形になる世界です。正しい思念は形態を持って発現し、霊たちはそれを実存として感じとります。しかし、矛盾・稚拙な思念であればそれは確固たる形態を表さずに煙のように漂い、その(意の)動機次第で、(それなりに)良い雰囲気を醸し出しもすれば、不快な雰囲気を周囲に拡げもします。
ですから、きちんとした形態をとらぬ意念など、語るに値せず、育てる価値もありません。強いていうなら、それは持ち主の修行の必要、むしろ、妄想との決別こそが必要であって、その意とするところ、その考えはまるでゴミのようなものです。
(私の拒絶は相手に対して)「語るにふさわしい人たれ」という意もありますが、「語るにふさわしい人たれ」とは同時に、「そういう内容の話をするようでは駄目だ」という意でもあります。
あなた(がた)が、自分の思いを(地上・物質界)に実現しようと努力なさるのは結構です。ですが、「思い」は、その人の「人となり」のものであって、「思いを実現出来ない人」というのは、往々、努力が足りないというより、その思うところが間違っている、実現努力よりも、自己研鑽が必要、ということなのです。
果たして自分に足りないのは、実現努力か、自己研鑽か、という判断は、なかなか自分自身ではつかないものですが、第三者にはひとつのヒントが有ります。
失敗から学べる人か、同じ失敗を繰り返す人か、ということです。さらには、反省出来る他人に思えても、ある分野では失敗を繰り返すことを、地上の人々が決して免れぬことに留意すると良いでしょう。
それは善し悪しの問題と受け止めると、反省を誤ります。心霊家は往々、地上生活を学校に例えますが、地上生活は得点を競う場ではなく、失点を減らしてようやく前に進める仕組みなのです。・・・そうであればどう生きるか、どう生きるべきか、いや、何をしてはいけないか、ということが自ずと解ってくることでしょう。
その上で、周囲の人々を見て、どうも納得が行かない(なぜあの人は・・・)事例は決して少なくないことでしょうが、それは心霊家が当たり前に知っておくべきことに解明の糸口があります。
「地上を修業の場にしているのは誰か?」……または……「何をもって修行・向上と呼ぶか。」……ということです。 この答えは、己一人で生きているつもりの方々には解けぬ問題でも有ります。
もしくは・・・人生の課題は、次々と解いていく人もあれば、ひとつも解けない人がいる、ということでも有ります。それでも良いのです。なぜなら…… 「地上を修業の場にしているのは誰か?」……または……「何をもって修行・向上と呼ぶか。」……人は正しい行いからのみ、学ぶわけでは有りません。むしろ過ち、または、悪事の反省から、人はより深く、善行の大切さと、悪の不毛さを学ぶのです。
世の中には、無駄なものは有りません。ただ、人々には、その価値がわからぬものが多数あるというだけのことです。・・・その事に気づいたあなたは、さらにもう一歩前に進めます。・・・人には学びたくても学べないものが実に多い。……ならばどうするか、どうすべきか、そして、何が出来るか。
人生は学び尽くせぬ課題です。学び尽くせぬことに気づかぬ人がつまり先に進めぬ者であり、学び尽くせぬことを知る人がつまり、永遠を知る者です。
永遠は遠い。・・・その遠さを目にしてもなお、不安に陥らぬ人は、一体何を自信の源としているのか。
自信の源泉を掘り当てた人だけが目にする真実が有ります。それを大切にして下さい。