残るのは哀しみだけか。
2010/03/142010年3月14日
「誤った努力をする人は、あとに哀しみしか残さない。」……という言葉があるとする。
さて、この人(誤った努力をする人)は、誰の心に哀しみを残すのだろう?
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つらいことが長く続けば、人は誰かを恨まずにはいられない。それが例えば自業自得と気づいていても、人は苦しみに耐えるために誰かを恨まずにはいられない。……それが人間だといえば、その通り。だが、誰かを恨んで、それで問題が解決するのか。……気休めに浸りながらも事態はどんどん悪化して行くなら、自傷行為であろうに。
もしもそれが「仕方の無いこと」であるなら、おそらく、あなたが不幸になるのも仕方の無いことで、さらにいえば、努力をしても無駄なことであろう。
そうであってはならず。――時として災難に遭うことは、人として生きて避けがたいことかもしれない。だが、自分で自分を苦しめるようなことは、努めて避けるべきであろう。……当然のことだ。
幸せになろうと努め、いやせめて、不幸になるまいと努力していても……独りではない。家族の中に自傷する人がいれば苦労するし、油断する人がいれば一切の警戒が意味を為さない。
幸せになるために、努力し、工夫をしたところで、意味をなさぬなら……人はただ不幸になるために生まれてきたというのか。
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懸命に生きる。せめて大切に生きることが、つまるところ、家族の義務であり、ひいては社会の義務であるけれど、多くの人は、自分の義務を考えずに、自分の不幸を嘆いている。自分の不幸ばかりを大げさに思い、姑息な事をするから結局、皆の(例えば家族の、さらには社会の)負担が増えて行く。
世の中、上手く行くのを当たり前に思って、上手く行かずにいる自分の境遇を憐れむ人は少なくないが、注意せずに行うなら、上手くいかないのが当たり前であるのに。どうしてこうも、思慮の薄いひとが多いのだろう。
……途中で過ちに気づいた人も、年老いて今更改められず、結局のところ、生まれ変わって来世で正しく、もしくは適切な方法で生きると誓うのみ。……だが死後に財産を持っていけぬように、死後に負債も持ち越せない。結局、地上に苦労だけが残される。
誰かの生き方を指して、「悪」と非難したいわけではない。いや、私にその気持が全く無いとはいわないが、ただの非難は無意味であろうと思っている。
その上で考えるのだ。人が、些細なことと思える過ち、失敗の、または手抜きの結果、その損失額は果たしてどれほどのものだろうと。
人はもっと自分の人生を大切に生きるべきだと思う。その「大切」とは、嫌なことをせず、楽しいことばかりをしていきるというのではなく、無駄にせぬ、無駄を作らぬ、良いことを為す、ことにあろう。