‘2010/01’ カテゴリーのアーカイブ

迷いの解消・前は後ろの正反対(新編集)

2010/01/17

前は後ろの正反対

2004年 06月 17日

 前を見れば欲が出る。あれもしたい、これもしたい。

 前を見るから脇道に入りたがる……一体前ってどっちだろう?

 一生懸命に生きるから、どうしたいのかが判らなくなる。

 そんな時は真後ろを向いてみる。自分が一番イヤな選択肢は何であるか? それを真剣に見つめてみる。そして、その正反対を見てみると……自分が絶対に目をそらしてはいけない前が見る。

 一刻も早く、一歩でも前に。そう思う気持ちが道をそらす。

 真っ直ぐな道より、近道はないというのに。頭で判っても気がつけば曲がっている。曲がっていることに気がつかずに、道が見えないと絶望する。迷っているのではなく自分を信じていないだけ。自分を信じずにいては、自信がなくなるのは当たり前だ。


迷いは万病の元

2004年 07月 13日

「君は迷いが多いね」と指摘されてもピンと来ない人も、設問を逆さにしてみるとわかりやすいもの。「打ち込んでいる物がないでしょう」違いますか?

 何かに打ち込んでいる人は、自分の力の大部分を目的に注ぎ込めます。ゆえに猛烈な力を発揮できる物ですが、迷っている人はいつまでも足踏みを続けます。迷って足踏みをしていると、前に進まないのだから楽なようにも錯覚するけれど、実は泥沼に落ちた自動車宜しく、エンジンを吹かしても車輪は空回りを続けるようなもので、浪費される活力は相当な物なのです。……迷うことに焦るから……迷った時には様子を見る。様子を見るというのは、一念専心休むことが大事なのです。身動きできなければ精神統一するぐらいの気持ちが大切です。それが出来なければ、全力疾走している人よりも心身をすり減らすのが迷いだとおもうべきです。これは全く、迷いを万病の元と呼んでも差し支えないほどです。


衣食足りて礼節を知る

2004年 07月 13日

 衣食足りて礼節を知る――といいます。豊かさと善良さは比例するというのです。これは反対にも働きます。つまり衣食が足らず礼節を失う――というわけです。特に小心な人ほど……と表現されて、「ああ、自分のことか」と思える人は幸いですが、ともかく、僅かな不足、欠乏、不安、などから、衝動的な行動に打って出て、挙げ句の果てに自分の立場をますます悪くする人がいます。

 まずい!――と感じたならば、自分の立場が良くなるように工夫すべきなのに、ますます悪くなるようにがんばってしまう。これはつまり、迷いが迷いを呼んでいる状態です。


迷いの原因

2004年 07月 13日

 知識の不足が迷いを呼ぶ……というのは、ありがちな解釈です。確かに、知識の不足も迷いの原因の一つには違いないのですが、もっと大きな要因は、理想と現実のギャップに求めることが出来ます。つまり、人は理想の実現に困難さを感じると、ついつい、理想と現実を結びつけるような奇抜なアイデア(というより妄想)を弄んでしまうわけです。

 これを業《カルマ》に振り回される等と呼ぶのですが、自分の欲が人を迷わせるというわけです。

・・・・・・・

 穏便とはいいがたい話です。迷いの主たる原因が欲にあるとします。すると、迷いを断つためには、まず欲を断つ必要が出てきます。欲さえ断てれば後は摂理、すなわち自然の法則に任せるだけで、自ずと真理の大道に合流していくわけです。

 ところが、どうしても欲を断てないとすると、迷いも断つことが出来ません。しかし、人は自分の欲の強いことには往々我慢が出来ますが、自分の迷いの強いことは往々我慢しがたいものです。すると、人は迷っていたことを忘れようとします。つまりは、ボーっとしていればいいのですから、迷いを忘れるのは比較的簡単です。

 それでも問題が残ります。迷いは人の活力を浪費するのです。そして、迷いを忘れ、浪費も忘れたとしても……実際に浪費は続きます。疲れた、気力が萎える、めんどくさい、誰かに頼りたい、大事にされたい。更にあなたが相対的な情念を理解できるならこうもいえます。自分が相手を大事にする以上に、相手から大事にされたい。自分が相手を愛する以上に、相手から愛されたい。

 これらは、迷いを忘れた迷い人の症状です。そして魂はゆっくりと堕落していきます。

 迷いの苦しみに欲を断てる人は、すなわち人生の試練をこなせる人です。反対に、欲を断てぬ人は、試練を自らの躓きに変える人です。ある人にとってのチャンスが、別の人の災難となる。人はこうしてふるいにかけられています。これをして無情というのは簡単ですが、宇宙は広くても、人類が使える資源は限られているのです。限られている以上、ふるいがあるのは避けがたいのですよ。


工夫の無さは迷いの証

2004年 07月 13日

 押してダメなら引いてみな――うまく行かないなら、無理をするよりも工夫すべきです。やり方を変えてみたり、ちょっと間をおいてみたり、無理をしても自他共に傷つくだけなのですから。

 ところが、押してダメならもっと押せ――と努力する人の多いこと。それでも開かなければ、人の助けまで借りて更に押そうとする。引いたりズラしたりすれば簡単に開く仕掛けであっても……このような人は無益な苦悩を生み出します。そして、無益な苦悩を人々に振りまきます。

 身近にこういう人がいて、縁が切れなければ……無益な苦悩以前に、自分の因縁に苦悩してしまうのが霊能者の苦労と言えましょうか。


ヒントを遠慮して答えは欲しがる迷い

2004年 07月 14日

 心の迷いが起因する問題について、いくつか相談を頂いております。しかしながら、霊査がなかなか出てきません。では、回答以前に何を語るべきかと探ってみますと、こういう事なのです。

 相談者の方は、気を遣い、ヘルプを乱用しないつもりで、霊媒(老神いさお)に相談するのを堪えている。そして、行き詰まって相談するが、それは結局、問題集に取り組んで回答を見るのと変わりがないというのです。なぜ、ヒントを見ないのか。

 ヒントを見ることを遠慮しながら、でも、答えを見ようとする。その間の相談者の努力とはただ迷いの生み出す苦しみに耐えるだけで、ちっとも成長がない。大事なのはヒントであって、答えではないのです。

 にもかかわらず、皆様は、ヒントは遠慮して答えを求める。……というのも、欲を棄てられず、また迷うことを棄てられないから、ということです。


人の迷いを背負い込む

2004年 07月 14日

 前述、「迷いを忘れた迷い人」――なる者がいたとします。自分自身は迷いを忘れても、迷いを棄てたわけではありませんから、そこにどうしても矛盾が生じます。その矛盾のしわ寄せを一人で背負うのは自滅行為ですが、ありがたいことに、又は、とても迷惑なことに、人は一人で生きられず、家族や社会の中で暮らしています。するとつまり、自分の生み出す矛盾や葛藤を、第三者に押しつけられる場面が往々存在し、それが悲劇の源となっていることを散見いたします。

 迷いの生み出す問題を解決するためには、迷いを棄てるほか有りません。しかし、誰かに押しつけられるなら、迷いが生み出す苦しみからは逃れることが出来ます。そして……苦しくないなら待つことも辛くはありませんね。

 迷いは苦しいからこそ、迷いを棄てようとする……冷酷なようで破滅を避ける仕組みがそこにはあるのに、迷いの苦しみだけを誰かに押しつけてしまえるから、迷いを棄てられずに魂の破滅を招くことが生じるわけです。

 自分の愛しい人の矛盾や葛藤を受け止める……一見、利他的な行為ではありますが、でも、因果応報、自らの迷いは自らが解決せねばならぬのに、迷いの苦痛を逃れたら、迷いを棄てることがますます出来なくなるもの。恋人や親兄弟の業《カルマ》を消すならいざ知らず、ただ苦悩ばかりを預って、利子を付けて返すのでは残酷な話です。

 表面的にいうならば、人は業《カルマ》よりも苦悩を嫌いますから、ただ、苦悩を取り去ることを善として、苦痛を伴い業《カルマ》の消滅は嫌がるのが普通です。そうして人々は愛する人々と一緒に「危地」を進むわけです。――感情的な不安よりも、真実の危険を軽視するなんて、私には耐え難いことですが、それが世間の良識であり、覚者だろうと抗いがたい強制力を持った誤解がそこにあるわけです。


人の迷いをなぞる

2004年 07月 14日

 まったく、まったく。迷いから醒めるには何が必要なのでしょうか? 人類の歴史はおそらくは迷いの歴史。ならば、迷いから抜け出る手だては、いくらでもヒントが見つかりそうな物……ええ、有るのです。ただ、迷える人が考えたことなら、それは迷いをますます深めるような表現を多用しているのが当たり前。

 いや、解脱者もいるけれどね。彼曰く「色即是空、空即是色」

 結局、迷いを棄てた人だけが理解できそうで、迷える人はますます訳の分からぬ言葉に出会ってしまう。

 要するに、迷える人が解脱しようとすれば、人の迷いをなぞることになります。すると、自分の迷いの他に人の迷いまで背負うことになるのです。……勉強で迷いを断つのは難しいものです。


心で、心の迷いは解きがたい

2004年 07月 14日

 前述のように、迷いに関しての相談をいくつか受けました。そして、その霊査はなかなか得られません。それは心の問題を、ただ心だけで解決しようとするから生じるのだと私は思います。

 簡単なことから、行動に移せば、それだけで糸口が見つかり、突破口が広がっていく。案外そういう物なのです。

 ある人の霊査も、なかなか降りずに心配していたら、先方からオフ会参加の打診がありました。すると途端に霊査が降り始めたりして、結局、行動しようとしたことが呼び水になったのでしょうね。もっとも、オフ会の準備に忙しくて、まだ筆記していませんが。

 迷える時は、出来ることから行動を始めるべきです。行動しながら考えることが良い。つまり、人は、考えすぎを防ぐ仕組みを持っているのです。自分を守る仕組みを寝かせておいて、苦しい、助けてというのは、ナンセンスというより、危険なことかも知れませんね。


痛い相談

2004年 07月 15日

 ここ数日、『迷い』をテーマにした更新を続けています。私としてはこんな辛気くさい……でも重要なテーマよりも、取りかかりたいテーマがいくつか出かかっているので心掛かりなのですが、必要な手順を省く事は後々面倒の種となる事を知らないわけではありません。

 迷いの生み出す苦痛について、霊感の鈍い方々は、「苦痛』として自覚していない場合も散見します。ところが、これを霊媒などが共感すると、胃の周囲が痛くなるのでやっかいです。つまり、霊媒能力の強い人が、『あの人、どうしているかな?』……などと思うと、とたんに自分の胃が痛くなるわけです。

 まあ、痛みを感じる事に恐怖するようでは霊媒はつとまりません。本当の交信は、感覚や体験の共有という形で行われるのですから、痛みを表現しようとする霊が居たら、その痛みをそのまま感じるのが霊界での交信なのです。胃が痛くなる相手が何人か居います。

 つまり、交霊で痛みを感じるのは、地上で、痛みに関する話をするのと同じ事です。別段自分の身体に悪いところがあるわけで成し、交信をやめればたちどころに痛みが消えるので、じたばたするほどの事もありません。

 ところが、特に人間相手で困るのは、交霊と比べて話がしつこくなりがちで、しかも、相手の切り替えが下手だから、いつまでも痛みが伝わってくる事です。さらに悪い事に、精神的な痛みの感じ方というのは非常に個人差があり、当人はせいぜいが不平不満の解消程度しか認識していなくても、その話を聞く霊媒には激痛が感じられる場合がある事です。幼少時の体験が原因だったりすると、もう痛みになれて悪夢を見たり、無意識に自傷行為に走ったりする程度で、自分の抱えている問題を適切に認識できない場合があるのです。

 こういう場合、当人にしてみれば、ただ愚痴を聞いてもらいたいだけなのですが、それに付き合わされる霊媒にしたらたまりません。愚痴を聞いているだけなら何年も、何十年もその苦しみを共有させられるのですから、うんざりです。特に、当事者が問題解決に乗り気でなければ、痛みに耐える事が不毛な努力に過ぎないのですから。

 もう一言付け加えるなら、人間の持ち時間には限りがあります。どうせ不毛な事をするなら楽しい事をしたいし、どうせ耐えるなら有益な事をしたいものだ――そうは思いませんか? 私は強く、強くそう思います。

・・・・・・・

 さて、強く痛みを生じる相談が三件ほど寄せられています(中には相談の自覚がないが)。例によって詳細は書けませんし、そもそも痛みを生じるという事は、当人が解決するのに迷いがある事を暗示しています。というわけで、直接のお返事の他に、相談者を想定しつつ、普遍的な回答をする事は、冷静に問題を受け止める良いチャンスかもしれません。

Q「願望成就しない。自分には縁がないと諦めた。」

 適切な譬喩とは申せませんが、良く引き合いに出す話を流用致します。

 「お金持ちになりたい」という願望が成就しない人がいます。障害を明らかにしようと、「なぜお金持ちになりたいのか?」と問うと、「もっとお金を使いたいからだ」と答える。……使っていたら貯まるはずがありません。まして、安物買いの銭失いというわけで、お金の使い方次第では効率の悪い事、おびだたしくもあります。

 この「願望が成就しない」という件も、守護霊様の意見とは別に、私が霊査致しましても、どうも無駄な事に力を注ぎすぎて、肝心な部分に力不足を感じます。

 それは結局のところ、正しい努力をしているというより、自分のカルマに振り回されている状況といえましょう。

 すなわち、自分が幸せになるための願望成就ではなく、自分の欲に引きずり回されている状況での願望成就……すなわち、不幸になるための努力の過程にあるのだと私は判断致します。

 もっとも、あなたの守護霊の判断と私の判断の違いは、視点の違いに過ぎず、問題は縁の有無というより、時機を失して、次の時機がまだ先にあるという事です。待つのもつらいが、待つ間にもすべき事があります。そして、待ち時間を有効に使ったものだけがチャンスに遭遇してそれを無駄にしないのです。

Q「伴侶との行き違いについて。」

 心霊相談を休業する以前から、恋愛相談などはお断りしてきましたが、家族・特に夫婦間の問題や、恋人との間の問題についても、相談したくても相談できずにいらっしゃる方、また、断りの対象になっている事を失念していらっしゃる方などがあります。

 大事な事は、相手の心をどうにかしようとするのは邪である、そして、邪な事を手伝わせようとするのはもっと邪である。という事なのです。

 人生の伴侶に相対するのに、他人の手助けを必要とするなら、それはもう伴侶とは呼べません。つまり大切なのは、どうしたら自分は伴侶たりえるか、という事であり、相手が悪いと思えても、それを補えてこその伴侶、至らぬ同士が助け合うのが伴侶であるとしっかり認識する事といえます。

 もっとも、人生の伴侶に関する悩みの大部分は、「相手が責任を果たそうとしない」という事でして、これがとても難しい。一方的な依存、つまり、夫が、稼がず、かといって家事もせず、あげくに女を作った、なんて話なら、「別れろ……」としか言いようがありません。

 しかし、相談の大部分は、相手の長所を無視して、欠点ばかりが目につくという場合が大部分です。こういう問題は、実は心霊相談よりも整体などの方がよほど効果的な回答を提示できるでしょう。この手の不平不満は、大抵の場合、不健康が理由だからです。

 不健康というのは、病気を意味しません、ただハツラツと生活が出来ず、だるいとか、面倒だとか言って、人の手を煩わせてしまうから、そこに不満が生じ、不満が積もり積もってイライラしてしまい、イライラが高じて感情的になっていく、という悪循環に陥っていると見なすわけです。

Q「親・子との行き違いについて。」

 ここでは、親・子との問題に集約しましたが、縁を切りがたい相手と広く捉えてかまいません。

 特に相手との関係が重荷になるのは、要するに縁を切りがたいからです。で、そこまで問題がこじれてしまうのは、当事者の一方、または双方が、姑息な人間関係の手法を使うからといって良いでしょう。つまり、相手の好意を確認するのに相手を困らせてみる……という事をやるわけです。

 たとえば仕事に行こうとすると病気になるとか、無理難題を吹きかけ、応じなければ泣きわめくとか……こういう無茶な行動に出るのは信頼関係が破綻している……痛みでしか相手の存在感を確認できなくなっているという状況です。

 これは正直辛いし、はっきり言って痛い。そして、解決策もまた無数に見いだせるでしょうが、この手の問題も、やはり、心霊的な解決よりも整体的な解決策の方が効果的でしょう。

 つまり、お互いが不健康だから、不健全な見方・視点で相手を見てしまうのだ、また、不健康だから依存心が強くなり、不健康だから相手の依存心が重荷に感じ、お互い辛いからイライラして和解策もとれなくなっていく。

 この問題の解決は忍耐を要します。また、ここでは不健康と表現しましたが、加齢も、問題の一因となりますね。

抑圧された心

 特に女性に多いのですが、親に対する不平不満から迷っている人が多いのです。もう霊媒だけが分かる痛々しさというより、誰でもこのいびつさに気がつくのではと思えます。

 そして、この問題を大げさにしているのは、親の悪口への病的な嫌悪です。親の悪口をいわず、親の欠点を見まいとする……自分の親を無理に尊敬する為に、自分を騙し、自分をだますから何が真実であるかが分からなくなるのです。

 褒めるの価値観もゆがみ、貶す価値観もゆがみ、何を言わんとしているのかがわかりにくい。こうした事例がすべて、親への不平不満が言えないためとは申しませんが、私の知る限り、こういう事情の持ち主がとても多いのです。

 しかし、赤の他人の行為なら許せる事も肉親の言動ならば許せぬ事もあるはず。他人に冷たい仕打ちをされたところで所詮は他人なのですが、身内が冷たい仕打ちをすれば恨む気持ちも生じますよね。つまり、親だからこそ許せない事の一つや二つ、ないとしたら、それは他人に接するような冷淡さで親と接していると言えなくもないのです。

 大事な事は、親への復讐ではなく、欠点は欠点と正しく認識する事で、適切な……つまりいびつではないフォローが出来るようになる事です。

 ところが……これがなかなか出来ないものです。自分は変われても親を変える事は出来ず、親が変わらなければ悩みは増すばかりですよね。こういう場合、親が死ぬまで治らぬのかな……と思います。

総論

 以上、四点の事例を紹介したわけですが、実はこれらの回答事例は、枝葉末節に過ぎません。こういう回答もしなければ、へっぽこ霊能者が相談者を煙に巻いているようだから書いているだけの事で、もっと簡潔に指摘する事がよほど大切だと私は考えます。

 これら、迷える人は、果たして問題に悩んでいるのだろうか? と私は考えます。むしろ思考過程にだまされて悩んでいるのではないかと思うのです。

 まず、各事例は、自分の大事な人をかばおうとするが故に生じる苦しみです。いわば自分の愛情に苦しめられているようなものですが、なぜかばう事で苦しむのでしょうか?

 その迷いの原点は、物事を善悪で計るところにあると思われます。つまり、善ならば良し、悪ならば拒絶するという価値観と、大事な人に悪いところがあればそれを受け止めようとするところに、矛盾と葛藤の種があるのです。

 善悪で考えるというのは、宗教で言うところの二元論に相当します。つまり、善悪は相対・不離の、たとえば電気にプラスとマイナスがあるように、また、光があれば影が生じるといったように、相対不離で一方には必ず他方がつきまとい、相互に争いを続けるといった思想です。

 しかし、近代心霊思想は、一元論で受け止めます。プラスとマイナスは中性の揺らぎ、光と影はただ濃淡が違うだけ。善とはより高度な存在であり、悪とは未熟な存在を指す。いや、老子の思想を考え合わせれば、影があるから光を認識できるのです。

 悪だから異質の存在……なのではなく、未熟だからあなたが補わなければならない。そう受け止められれば、ここに迷いはなくなるはずなのです。

 つまり、愛しい人に悪があれ、それをどう取り除くかに心を痛めなければなりません。それはつまり、相手の欠点が二人の間の障壁であるという事です。

 しかし、愛する人にあるのが悪ではなく欠点ならば……相手はあなたを必要とするという事、すなわち、欠点があるからこそお互いが、強く結ばれざるを得ないという事です。

 愛する人の、または、あなたの親の欠点を正しく認識しなさい。というのは、あなたが大切に思う人の悪を見つけろ、相手との断絶を直視しろと言うのではなく、あなたがより強く結びつけなければならない点を見つけなさいという事なのです。

・・・・・・・

人生の伴侶がなかなか見つからない

 まあ、以上で終わりにすれば話もきれいなのですが、ちょっと強欲な質問にも答えておきましょう。

 むろん、人生の苦楽をともにするのですから、その相手はなるべく頼りがいがあり、また、迷いや不正の少ない方が良いものです。……で、速やかに伴侶を手に入れる人は、ほとんどの場合、「私がいなければこの人はだめだから……」と、欠点を補うつもりで相手と接しています。(そのくせ、不健康になると、相手の欠点を重荷に感じて不平を言うのだから……いえ、そういうカップルを支える事も友人の勤めですよね)

 対して、伴侶を得がたい人は、「この人がいなければ私はだめだから……」と、欠点を許さぬ態度でいます。

 不幸にして……欠点のない人はいませんから、このような態度では死んでも伴侶を見つけられません。往々、「あの世で伴侶を見つけろ」と怒鳴りたくなるような強欲な人もいるぐらいです。間違って見つけた人がいるなら、人を見る目のない人か(当事者さえ幸せならば、ねえ)――控えめな人なのでしょう。

 いや、いや既婚者から恨まれるような発言は慎みましょう。


迷いは霊感の大敵

2010年1月17日

「霊能者は自分の未来は見えない」・・・等という。なんのことはない、そもそも迷いが生じたとしたら、それは背後霊の庇護を外れたということなのだ。――庇護下に無いのに霊感を使えば、回答者がいないのに良い返事が得られるはずも無い。イヤそれどころか、野次馬な霊にミスリードされる危険もある。

 私もまあ、誰かの助言を欲することもあるが、なんとか自分の霊感内で収まるか、追認程度で済むことが多いのは、ちょっとしたコツがある。

 まず、迷いが生じた事自体を楽観視しない。行き詰まったら元きた道を戻るぐらいの覚悟を決める。

 また、答えが無いのも答えのうち、とも覚悟する。つまり、何も答えがなければ、まあ、何とかなる、ということだ。

 そして要領の得ないメッセージを受け取ったら、それこそ、とことん行かなければならない、ということだ。途中下車は許されまい。

 人生で横着する様々な事態は、所詮、途中経過であって、良いことも、悪いことも、最終結論ではない。つまり、どう転がるか、わからないのである。だから、今は悪くてもジタバタしない。それよりも何よりも、霊媒にとって恐れるべきは、状況・事態の悪さではなく、背後霊らとの絆の有無なのである。それゆえ、たとえ不幸を味わっているさなかでも、自分が愛されていることを信じなければならない。

「人生は、背後霊(守護霊・祖霊)との二人三脚」と思うなら、迷いとは、チーム全体の危機なのです。眼前の事態だけの問題ではありません。それに気がつかなければ・・・視野が狭いということです。ならば・・・運が悪いならそのうち改善するかもしれませんが、自分が悪いなら、決して改善しないことを暗示します。

 それはもう、ただの迷いではなく大問題、いや大問題というより、救いようの無い問題、ではありますが。

船頭多くして船山に上る

2004年 11月 15日

 兎角、気弱な方は、いろいろな方面の意見を求めます。確かに多方面からの情報は物事を立体的に浮き上がらせるものですが、情報が増えれば増えるほど、物事の理解には高度な分析能力が求められるものです。

 特に分析中に難しいのは、取捨選択で、人の意見には主観もあれば偏見もまじり、切り捨てることがなければ、立体的に浮き上がらせるどころか、矛盾だらけで組み立てようがなくなることもよくある話です。

「船頭多くして船山に上る」といいますが、あちこちの意見を聞いて廻り、かえって迷いを増やすのであれば、気弱さから迷うという悪循環に呑み込まれてしまいます。

……さて、気弱さ故に迷ってしまった人が、そこで己を反省したとします。

「なぜ、私は迷ったのだろうか?……そうだ! きっと船頭が悪いからに違いない。今度は別な船頭を頼もう!!」

 しかし、気弱さからまた、たくさんの船頭を雇い入れればやはり船はやはり山に登っていくのでしょう。

……この意見は、迷える者をあまりに見下していないか! そう思われますか?

 智慧あれば助言に頼らず、分別あれば助言に迷わず――智慧も分別も無いから助言を受けて迷うのです。すべての迷える者が救いがたいとは申しません。しかし、間違った助言の受け方をしている人は救いがたいと思います。


2010年2月6日(東京オフ会)

2010/01/17
2010年2月6日
10:00to12:00

 2月の東京オフ会は、6日(土)に行います。参加ご希望の方はメールなどでお申込みください。

保護中: 10年2月・静岡オフ会(参加者専用)

2010/01/17
2010年2月13日 00:00to2010年2月14日 23:59

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

コメント付けられます。

2010/01/17

 今システムから、ユーザー登録した方のみ、老神心霊研究所、および、心霊図書館への各掲載記事にコメントが可能となります。

 ユーザー登録は、当面、オフ会参加経験者のみと致します。これは管理の手間を省くための処置です。ご了承ください。

 (迷惑投稿者が増えると新記事の作成がおくれてしまうため)

 ユーザー登録を希望する方は、希望するIDを記載の上、メールでお申込み下さい。当方で登録後、自動的にID、パスワードをメールにて返信いたします。

 なお、システムの都合上、メールアドレスひとつに付き、ひとつのIDしか発行出来ませんので、ご夫婦、ご家族で登録を希望される方は別途ご相談ください。

・・・・・・・

 ユーザー登録に伴って発行されるIDと仮パスワードは、各サイト(老研・図書館)ごとに管理され、また、当サイトの電子掲示板(BBS)のID、パスワードとも別に管理されますので、各ユーザーは同じIDを登録することは出来ますが、一方でパスワードを変更しても他方には反映されないのでご注意下さい。ただし、老研・図書館の両システムの場合、パスワードを忘れても再発行する機能がありますので、ご活用ください。

 今後、記事へのコメント欄を掲示板に見立ててオフ会などの調整を行う等のイベントを計画しています。

新作・人の幸せが辛い

2010/01/15

   久しぶりに、かつての常連からメールを受けた。いろいろと悩んでいる様子だが、これまた久しぶりに盧氏が答えるという。

・・・・・・・

Q 「悩んでこういう時だけメールするなんて都合良いですか?」

A 『真の悩みに会ってこそ、真に相談することが出来る。汝のかつての質問には虚飾が少なからずあった。』

 

Q 「私は寂しがり屋です。そのくせ強がりで嘘つきで頑固で弱虫なんです。そして、また『もがいて』ます。」

A 『人を見る目の無いこと――汝の欠点はただ一つである。真に頼りになるものを知らずにいるから、寂しく、弱い。知らずにいるから、強がらねばならず、嘘をつかねばならず、頑固にならねばならず・・・だが、自分の行くべき道を知るから、もがかずにいられない。』

 

Q 「正しく生きる事と、生きていく上で生まれてくる醜い感情との板挟みです。」

A 『誰にとって正しい生き方か? 汝が行き詰まっているのは他人と自分の価値観との間である。今、汝が良かれと思う生き方は、果たして汝を幸せにするのか、こんなにも苦しめられているのに。』

 

Q 「弱い人間って周りの人間も傷つけるんですね。自分が弱いばっかりに親友を傷つけました。大好きな友達も彼も傷つけました。」

A 『未練――守ろうとしてもがく。だが、何を守っているのか? 本当に守っているのか? 守れているのか? 実は傷つけていないか?』

 

Q 「自分が置いていかれる気がして周りの幸せを心から祈ってあげられないなんて心が狭いですよね。自分に自信が持てないんです。」

A 『才能と境遇との板ばさみ――誰があなたを苦しめているのか? 苦しめているのは幸せな誰かではない。不幸せなあなただ。』

  『なぜもがくのか? その状況から逃れる方法を知らぬからだ。あなたは、何と戦うべきかに気づいていない。あなたは自分を苦しめている者を守ろうとして、自分を救う者を苦しめている。なぜなら、あなたは賢く、賢いが故に直ちに答えを見、その答えに直ちに飛びつく。だがそれは安易な答えだ。』

  『なぜそれを安易な答えというか。・・・なぜなら、あなたの得る答えなるものは、ただ、あなただけの幸せに続いているからだ。――すべてを幸せにしないような答えは、真の答えにあらず。』
  『他者の幸せを思ってこそ、真の幸せを得られる。それは一見回りくどく思えるかもしれなが、他者から幸福を願われぬ人はなかなか幸せにはなれぬものだ。自分の幸せを求めて、他者の幸せを祈るのは決して遠回りではない。……愚直な生き方は、あなたが思うほど格好の悪いものだろうか?』
 

 

(新作) 緊張するのは当たり前

2010/01/12

 多くの人は120%の自分を求めているようだ。つまり、実力+何かの助け、である。私が心霊を学び、知ったのは、人がいかに多くの無駄を抱えながら生きているか、ということで、外部の助けを求める以前にまず、自分の無駄を減らすことが大切だ、と思う。つまり、100%の自分こそが、私の目標である。

 基礎がしっかりしていればこそ立派な建物が建てられるのたとえと同様、自分がだらしなければ外部の援助を生かすことが出来ない。・・・かつて、心霊相談に応じていた頃に私は痛切に、人としての基礎の大切さを思った。助けを求めながらも、信じることが出来ずに助言を生かすことの出来ない人が決して少なくない。・・・そもそも自分が折れてしまうなら、誰かの助けがあっても、折れずには居れまい?

 故に、まずは自分の力を充分に発揮することが大切だと思う。

 ところで、なにゆえ自分の力を発揮するよりも、他者の助けを求める人が少なくないか、を、考えると、「自分を嫌っているのでは?」と思えるのだ。

 自分の人生、自分を嫌い、自分と抗っていては、さぞかし辛かろうと思うのだが・・・

・・・・・・・

 緊張する。

 1月の東京オフ会に、初参加者があって、案内状の返事に、「少し緊張しそうです。」とあった。まあ、緊張するのは人間の生理現象であって避けることは出来ないだろうが、普段のオフ会の状況を知らせることで、参加前の緊張を少しでも解そうと、再度メールをした。そしてオフ会当日、会場に向かう電車内でメッセージを受けた。

『面識の無い人と、行ったことの無い場所で会うのですから 緊張するのは当たり前、ただの生理現象に過ぎません。でも、その緊張をイヤだと思い、緊張する自分を恥ずかしいと思うのは、自分を味方と信じていないことではありませんか。真剣だからこそ緊張するのだ、と、むしろ誇らしく思って欲しいものです。』

・・・オフ会後、この参加者から以下のようなコメントを頂いた。

「最近やっと自分が幸せにならない事には周りを幸せには出来ないと思えてきた所だったので心配しなくて良いと言ってもらいとても安心しました。」・・・もちろん、自分を犠牲にしてでも、家族の幸せを心配する人だからこそ、「まず自分を幸せにしなさい」と言われるわけですが、これは同時に、実力を十分発揮出来てこそ、出来る事がある、という意味でもあります。


 

 

 

霊査事例: 2010年1月9日(東京)

2010/01/10

以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • (あなたが)涙を流している姿が見え、それからお祖母様でしょうか? 老齢の女性が見えました。悲しんでいらっしゃるのでしょうか。その一方で、金色の龍があなたを取り囲み、『我が守る』と言っています。
  • 先程の龍ですが、『植白の龍(瀧)なり』と名乗られました。ただ、「龍」というのにサンズイをつけて見せられたので、どこかの瀧の守り神かと思うのですが。
  • この龍いわく、『守りたる我ら、喜び満ちて。』・・・あなたのことを誇りに思っているようです。多くの人が悩みから心霊の道に入ることが多いのに、あなたは信仰への関心から心霊の道に入ったことが誇らしい、というようです。
  • 『無理せず、自ずと行くようにせよ、己を生かすように生きよ。』・・・あなたは割と、思いが叶う方だと思います。上手くいかないのは不自然な願い事だからでしょう。自然に、なるようになるような生き方を心がけましょう。
  • Q 「私が祖母を悲しませているのでしょうか?」
    A 「いえ、あなたが泣いていると感じました。なるほど話がつながりました。あなたがご家族の心配をしなくても、家の守り神に任せておけば良いよ、というのが最初の霊査ですね。」
  • 『青空はどこまでも続いていますが、大きく見上げるために、しっかりと地に足をつけましょう。これは神を敬うものは、親、祖先を大切にせよ、との意味です。あなたは、神仏祖先を大切にしています。つまり、物事を正しく見る準備が出来ていること、という意味です。直感を信じましょう。』

事例2

  • 数人の男性が、杵を持って地面を突き固めている姿が見えます。『地盤固めをしている』と聞こえました。
  • 頭でっかちになっていらっしゃいます。 (精神統一の重心が高い)
  • もっとおへその下に気を集めましょう。『頭で考えるから騙されます。腹をくくることです。』と聞こえました。
  • 『心配性は体質(遺伝)、でもあなたは強く、明るく生きて(不安に負けず)、すばらしい。』・・・境遇に流されない強さは大切ですよね。
  • 『お前についている神は、泥臭い神ではあるが、お前がつまずき、転んだ時でもつかず離れずいる神だ。事故を憎んでも神を憎まず、一歩一歩進んでいこうぞ。』
  • 『人を信じることは、人を生かすことぞ。』・・・あなたがご存知のことですが。

 

事例3

  • きれいに統一なさっていますが『自意識過剰』と聞こえました。
  • 『理解と信じることは別物』・・・あなたはその違いを理解なさっています。
  • 『素直に見(省)ればなかなか良い。もっと自分を認めて。』
  • 『雑然と思えば、自ずと道険し。』・・・自分の行く道はきちんと望画することです。堂々と行く気であれば大道にぶつかりましょうが、適当に思えば小道にはまり込みます。
  • 『大きな宝を与えらずとも、大きな悩みは貰わない。それで良いではないか?』・・・十分幸せですよね。
  • 『ホワイトボード(黒板)を消すように、嫌な思い出も消せれば良いが、そう出来ぬのが人の有り様(仕組み)。良い思い出で上書きしようとするから、(嫌な思い出が)時々は強く表に出ます。他の罪を許すように、未熟な自分を許すのです。(そして)未熟な自分を許すように、他の罪を許すのです。そうして精算した後に真の自由が得られます。』・・・あなたは嫌な思い出から逃げようとして、失敗している人かもしれませんね。

事例4

  • これは上辺だけの評価ですが『好き嫌いしない!!』とのことです。あなたにはそれなりに理由のあることでしょうが、それについては、『原のくくり方が大切。焦っても辛いのは自分だ。』とのことです。
  • 『願いは叶う。忘れるべからず。』・・・時間がかかるよ、というのでしょうか。
  • 『頭でなく、腹で当たれとは、つまり、直感を生かせと言うことだ。(その仕事を)手伝いたい霊がいるのに、好き嫌いの念が邪魔をする。』・・・背後霊とに二人三脚。自分だけの仕事ではありませんからね。
  • 『霊感の鋭い者ほど、想念の恐ろしさ、とくに悪想念の害を知るものです。自分の思いを吹きにして、物事を変えようとしてはいけません。無理を通せば歪が生じるのです。』

 

事例5

  • 『楽天的なのは良いけれど、現実を見て萎縮するな。』・・・小声で『世間知らずだから』とも聞こえました。
  • 他の参加者に守護神を名乗る霊がいたのを受け、なぜ守護神が表に出られないかについて・・・『祖先が悪いわけではないが、実力と加護とを取り違えて、神が表に出られない。』・・・神様が手助けする前に、ご先祖様(近親)が、わっと手をだすのです。
  • 親族の話題から『家の恥、との自覚するが故に意固地になる。「どうでも良い、当たり前で良い」、それがなかなか伝わらぬ。』・・・ご先祖様も手を焼いているようですが一方、『人と同じではなくてもまあ、良い人生を生きるだろう』とのことです。
  • 『(善悪を)思わず、許すことです。「許す」というのは、理屈(帰結)でなくて、納得・受け入れる懐の広さなのです。故に、頭で考えるな、と教えます。受け入れ可能かどうか、あなたは腹で考えなければなりません。』 正いかどうかよりも、あなたがそれを許せるかどうか、その懐・人としての器の大きさを育てましょう。

 

事例6

  • 『悟れぬ自分から目を逸らすな。悩むのも想定内だ。』・・・足踏している気がしているかも知れませんが、それも含めてスケジュール内に収まっているようです。
  • 『なまじ知りたる知識を楯に、工夫を忘れて寂しがる。』・・・霊感(インスピレーション)は、知識、たとえば読んだことのない本の内容を教えてくれるようなことはありません。ただ、工夫・考案の手助けをしてくれるのです。知識から離れて工夫・考案、もしくは公案しなければインスピレーションが働かず、それゆえに心さびしく感じることでしょう。
  • 『しゃきっとせんか!!』・・・精神統一中の姿勢について。
  • 『肥桶に落ちるものがあるとしても悪人とは限らない。頭から香水を浴びた人がいても善人とは限らない。臭い人になるな。』・・・染まらないことが大切です。
  • 『良く見よ。真の謎は足下に散らばっているのに、お前は絵に描いたような謎ばかり解きたがる。取り組むべきは己の弱さ。その克服のために仏の教えがあるのに。』

新年を迎えて(2010年)

2010/01/01

新年、あけましておめでとうございます。

皆様にとって、本年が飛躍の年でありますように。

また、忙しいさ中にも、自分らしさを失わない年でありますように。

 

自分の強さを誇る人よりも、自分の弱さと向き合える人にこそ、新しい年が、飛躍の年でありますように。

自分を味方に。反省を力に・・・助けを求める事よりも、自分の本来の力が発揮出来ますように。

当たり前のものを大切にし、他に目を奪われぬ自信を胸に・・・あなたが常に真実と共にありますように。

 

 

お知らせBy老神いさお。

・スマートホン
iPhone/Androidで閲覧時に、最適化したページが表示出来るようになりました。よろしければ、ご感想をお寄せ下さい。

・サイト再構築中
移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。

・ページ更新
 現在:1056㌻
 復旧予定: 残り480㌻位・・・

老研カレンダー
1月 2010
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
2月 2010
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
老研イベントリスト
  • No events.
みにみにぶろぐ
  • ・原発全廃
  • ・その後悔の帳尻が合う生き方をしているか?
  • ・我が国だけが原子力を全廃しても、隣国が原子力発電を推進すれば、危険性は無くならない。
  • ・生きるとは生むことである。
  • ・いろいろなる不平不満はあるだろう。だが人は歩んでいる。
  • ・与えられる事を当たり前に思っている者が飢える。
  • ・なぜ、争うのだろう? 事態はただ現実への妥協を求めているだけなのに。
  • ・ 見せられると信じたくなる
  • ・豊かな者は足りぬものに気が付かず、知りたる者は、知らざることに気が付かぬ。……
  • ・ 心に不満が生じるのは、あなたが焦っている証。もう少しゆっくりと生きなさい。

More »

サイト内検索
アーカイブ
サブ・サイト