‘2007/05’ カテゴリーのアーカイブ

向上したいけれど。

2007/05/31

2007年05月31日


友人から相談、というより打ち明け話を聞かされた。私に解決を求めているのではなく、今抱える悩みについて切々と語る。

「どうやったらもっと成長できますか?」……と問われて、私は考え込む。

人生は霊性向上の修行の場である。であるから、向上や成長というテーマは至上命題である。が、私にはどうにも煮え切らない思いがある。

誰もが学んで学びきれるものではなく、誰もが知って理解できるわけではない。

人は本当に学んで、成長できるものなのだろうか? ――出来なくはないと思うが、その言葉通りではないと思うのだ。

人は結局、知っていることしか、理解できないのでは無かろうか?

地上だけが修行の場、すなわち独立した修行のコースなのではなく、霊界で座学、地上で実習を行い、その二つがで一セットなのでは無かろうか。可能性としたら、地上の座学も無駄ではなかろうし、実習の際に教科書を参照していけないはずもない。だが、霊界で学んでいないことを新規に地上で学ぶのはほとんど不可能であるというのが、私の実感だ。

だからたとえば、「二度としませんから許してください」という人がいても、ほとんどの場合、私は相手にしない。許せないからではなく、今さら相手にする意義が見いだせないからだ。一方で、上述の友人の様に、自称「挫折ばかり」だとしても、私はそれを責める気にならない。

私が彼女に伝えたいのは、ただ、「反省するよりも自分らしく生きなさいよ」ということだ。成長することよりも、年齢相応の言動、いや、霊格相応の言動や価値観に立ち戻るべきなのだ。

あなたに必要なのは成長ではない――あなたが求めているのは成長ではなく、出来るはずもない矛盾の実現である――あるべき姿に戻ることなのだ。他者の価値観に振り回されて苦しんでいる。それは結局、あなたが、あなたを傷つけているその人を大切に思っているからなのか(そういう一面もあると思う)、それとも、あなたに自信が不足しているのか、ではないか。

『その悩みは頑張っても解決しないよ』と思う――当人も気付いているとおりに。……「では、どうすればいいの?」というのは正当な疑問であろうけれど、矛盾であり、葛藤であって、論理的な袋小路、すなわち、考えれば考えるほど答が見えなくなる状態なのだ。考えるのを止めるべき時なのである。

今、本当に必要なのは、成長ではなく、自分を信じ(自信)、他者の価値観に振り回されないことであろう。それが出来ればどれほど人生が楽になるか、悩めるあなたは容易に想像がつくはず。――ならば、理想は理想と切り捨てるその前に、どうしたらその理想が実現できるかが大切ではないか。

他者を批判するのも、反省を過剰に行うのも、もう止めよう! ――それよりもお互いの幸福を考えようではないか。往々、あなたを悩ませたその人は、お互いの苦しみに無頓着かも知れないが、それでもお互いの幸福は、あなたの幸福のためには大切ではないか! あなたは自分の幸福のために、お互いの幸福を論じていいのだ。それは恥じるべき事ではない。――何となれば、人は己の幸福に責任を持っているのだから。あなたは、互いの幸せのために提案した。それで充分ではないか。

出来ないことや、どうにもならないことに頭を悩ますよりも、あなたは、あなたが出来ることに集中すべきだ。


そんなに求めなくても

2007年06月03日

何度も書いている話題ではあるが、向上・修行についての話題の補足として改めて書く。


人は生き詰まると、向上や修行の大切さを再認識する。――そして、私は時折、その修行方法についての相談を受けるが、その都度、霊査を取りつつ、やはりと返事につまることがある。

皆、今の実力に不足を感じているのである。つまり、120パーセント、そしてそれ以上を得るための方法を模索している。ところが、私が受ける霊査はせいぜいが、70パーセントか、80パーセントの実力を出す方法に関する示唆なのである。

往々、その事に傷つく人もいるようだが、私が得る啓示を総括するなら、人は実力が無くて苦境に陥るのではなく、実力を充分に発揮できなくて苦境に陥るのである。

道がないのではなく、道はあるのに見つからない。……見つからぬ道を造ろうとしているのである。それは無理の上にさらに無理を重ねようとする努力だ。

努力よりも素直になることが必要なのに。不足を小細工で補おうとするから、かえって拗れる。

向上・修行は永遠の課題ではあるが、人生の一部だけを切り取って、向上の度合いは計れるものではない。いや、私は思うのだ。生と死とが一組になって向上の手はずが組まれているのではないかと。ならば今生が苦悩と悲劇の連続であろうともそれは来世と合わせて正しき道かも知れないし、今生が楽に思えても、それは来世と合わせて間違った道かも知れないのである。


お知らせBy老神いさお。

・スマートホン
iPhone/Androidで閲覧時に、最適化したページが表示出来るようになりました。よろしければ、ご感想をお寄せ下さい。

・サイト再構築中
移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。

・ページ更新
 現在:1056㌻
 復旧予定: 残り480㌻位・・・

老研カレンダー
みにみにぶろぐ
  • ・原発全廃
  • ・その後悔の帳尻が合う生き方をしているか?
  • ・我が国だけが原子力を全廃しても、隣国が原子力発電を推進すれば、危険性は無くならない。
  • ・生きるとは生むことである。
  • ・いろいろなる不平不満はあるだろう。だが人は歩んでいる。
  • ・与えられる事を当たり前に思っている者が飢える。
  • ・なぜ、争うのだろう? 事態はただ現実への妥協を求めているだけなのに。
  • ・ 見せられると信じたくなる
  • ・豊かな者は足りぬものに気が付かず、知りたる者は、知らざることに気が付かぬ。……
  • ・ 心に不満が生じるのは、あなたが焦っている証。もう少しゆっくりと生きなさい。

More »

サイト内検索
アーカイブ
サブ・サイト