‘2007/01’ カテゴリーのアーカイブ

知らずに手先

2007/01/17

2007年01月17日


穏やかならぬ話題である。

「未熟な霊媒は悪霊・低級霊の手先に成りやすい」といわれる。この話を聞くと、霊視、霊聴が出来る人は一笑に付すし、霊視、霊聴の出来ない人はいたずらに霊媒を蔑視する。……どちらも誤解である。

未熟な霊媒が、悪霊・低級霊に操られ、支配されて、その手先になる……と解釈してはいないか? それでは霊感の持ち主にしてみれば、己が状態を把握して一笑に付すし、霊感の鈍い者は、見えざる悪霊の働きを信じて余計な妄想を逞しくする。……何となれば、未熟な霊媒の霊感と、霊感の鈍い者の妄想と、一体どちらが有害であろうか? 影響力はともかく、絶対数では圧倒的に妄想が多いだろう。

霊媒が注意すべき状態である「悪霊・低級霊の手先」とは、もっともっと単純・安直な行為を指す。

本来霊媒とは、霊と人との媒介者、仲介者であらねばならない。ところが、霊感の強い者は、どうも人よりも霊に対して共感し、霊の代弁者、死者の代弁者としてだけ振る舞う。

つまり、媒介・仲介ではなく、一方的に霊の意志だけを人に押しつけてしまうわけだ。これでは正に、霊の手先……霊媒に自覚が無くても、相談者から見ればとても心細い状態である。

さらにいえば、人は今、地上に生きていることを念頭に置くべきである。……当たり前と思うかも知れない。が、こう表現を変えたらどうか?

風呂に入っているときに一々電話で呼び出すな!

面食らっただろうか? 人はいずれ死ぬ、霊魂の永続性と比べたら人の命の何と短いことだろう。ならば、あの世の都合は、その人が死ぬまで待てぬ物であろうか?……待てぬとしたら、何とせっかちなことか。

あの世のことはあの世で、この世のことはこの世で、が、大原則なのだ。

地上への未練を理由に挙げる場合も多いが、たとえば我が身に当て嵌めて考えてみればよい。酒やたばこ、その他の悪習慣、悪癖を改めることが何と難しいことか。にも関わらず、死者が一度や二度の供養(?)で、未練を断ち切れる物であろうか? いや、極端な話だが、これで終わりにするからもういっぺん泥棒させてくれ、とか、麻薬をくれ、等といわれて、はい、そうですか、と認められるだろうか?

まして、あの世にはあの世の楽しみがあるだろうに、それに触れられぬ霊達がである。……人情的には、霊の要求がエスカレートしていくことを恐れるべきだろう。

「いや、除霊に成功したこともあるよ」……という話もあるだろうが、見落としてはいまいか? 人に善人と悪人がいるのと同様、死者にだって善悪二種類いるのである。つまり、秩序を守るために働いている霊がいるのだ。霊媒の努力だけで、人々が悪霊・低級霊から守られているわけではない。むしろ、霊媒が足手まといになっていないか、常日頃から我が身を省みる必要がある。つまり、目立つことをすれば、悪霊等も捕まる……霊媒等が被害者に供養等を要求するのは、時として目立つことをしているだけかも知れないのだから。


私は、霊媒として、霊媒に向けて助言した。

あなたが親切で人に対して行うことで、非難されないように注意すべきだ、と。

……だが、霊を見えざる人々が、いかなる非難を行うのかを考えてみると良い。より良い結果に向けて人々が力を合わせるための、仲介の労を執るのではなく、ただ、人の足らざるところをほじくり出して言葉で攻撃する。

まるで、「あなたが中絶した水子の霊が、供養を求めています」というのと、人格・霊格の水準的に、つまりレベルが……どう違うのか。同じレベルであれば、長く苦しい闘争が続くであろう。それはつまり、あなたが人間として、より社会の調和のために働くようになるまで、心身を削る修行を強いられるということなのだ。 ……無駄ではなくてもつまらぬ修行である。ケンカは無用、大切・必要なのはは人々のために働くことなのだから。


生き方の審美眼

2007/01/14

2007年01月14日


こうすればどうなるか?……過去の行為が今を造り、今の行為が未来を作っている。にも関わらず、未来への配慮が足りなければどうなるか?

あり得る未来が貧弱にやせ細るだろう。……人々は自分の未来を食いつぶしている。いや、自らを不幸にするように努力しているともいえよう。

自分の未来を見失っているから、今の乱雑な生き方がある。

こうすればどうなるか?……自然な有り様、自然な変化を知らぬのに、どうして良い未来を得る方法を知り得るだろうか? 霊媒や占い師の意見を取入れるにしても、どうしてそれが正しいと理解できるのか?……そもそも、未来への感性、創造性、なにより善い生き方の審美眼が欠けているというのに。

霊媒や占い師等の、助言の都合の良いところだけを信じて核心を省く。……何が大切であるかを知らぬから。そんな在り方は建築物で例えるなら、和洋折衷の珍奇な家で、しかも金がかかるからと基礎工事を省いたようなものだ。……映画のセットのような耐久性に欠けた未来を欲しがる人々。……「本当にそれでよいのか?」と問うと、「それで良い」と答える人々。それは果たして愚かさの現われなのか、いやむしろ、未来の貧しさの表れではないか? そう、人は豊かになれば品質に拘るが、貧しければとりあえず得ることに拘るものだ。

未来が貧しいからこそ、運勢や癒しに群がる人々。……浪費に使う金はあるのに、なぜ、未来を良くするために金や時間を使わないのだろう? そのちぐはぐさが、つまりは善い生き方の審美眼が足りないということなのだ。


大きな目標を望みながら、努力するよりも行き当たりばったり、安易な道ばかりを選んで、夢が叶わないと不平不満をいう。……その不遇に至るまでの一連の流れのどこに不思議があるだろう?

そもそも、夢を実現していく人は、夢を励みに、苦もなく努力をしているものだ。……良い未来を得るための道筋を知っているのだ。

反対に、夢が実現しないように日々を過ごすのは、成らぬ用にしているだけのこと。人は失敗すべく努力して失敗しているのだ。……未来が見えないからではない。為すべき事に気がつかないから、失うために、しくじるために日々を過ごすことになる。

いくら将来のある若者であろうと、無駄に時間を過ごせばたちまち老人である。あまりに老いてしまえばどんな名案も活用できまい。


あれこれと試行錯誤する人々……自分の価値を知らず、未来を知らず、良い未来を作る方法も知らず、それを学ぶ方法も知らない。かくも何も知らぬのであれば、いっそ自然に身を任せれば良さそうなものを、作為して未来を削り取っている。

自然に生きる……つまりしつこい作意さえしなければ、人々は本来の未来を甘受できるものだ。当たり前のように幸せを掴む人には秘訣などあろう筈がない。その事に気がつかないから、たとえば「金持ちになる方法」を知るために金を払うことになる。教える側は、それで金持ちになったのに、その矛盾に気がつかない。


優先権……未来が見えるか?

2007/01/13

2007年01月13日


「未来を知ることは出来ない」といった彭軽生子に、墨子は訊ねた。

「もしもあなたの親が百里の彼方にあって危難にあい、あと一日が生死を分けることになっている。さて、ここに良馬のついたしっかりとした馬車と、駄馬のついた四角の車輪を備えた馬車がある。あなたはどちらに乗るか?」

良馬を選んだ彭軽生子に、

「どうして未来を知らないことがあろうか」と、墨子はいった。

(参考: 宮城谷昌光著、春秋の名君)


交通信号のない、少々見通しの悪い交差点でのこと。気配はすれど姿が見えない車に注意しつつ、左右を交互に視認しながら、左折するべく、そろそろと車を前に進めた。もう大丈夫と走り出そうとした私が、フッと右を見たら、運転席側のドアにめり込みかねない位置に車が止っていた。

手を挙げつつ結局車を走らせたが、内心では面白くない。先方が優先であることは判るが、相手の占有道路ではない。信号もなく、見通しも悪い地点で何もそこまで優先権を主張するのはいかがな物だろうか?

交差点の手前で停車して、軽くクラクションでも鳴らせば、こちらも感謝の意を表すだろうに……ケンカ腰で優先権を主張した挙げ句、接触事故でも起したらどうなるか。時間は無駄に過ぎるし、修理代も掛る。いくら優先道路であろうと、信号のない交差点で相手の横腹に車を突っ込めば、一方的に相手の非を責めることも出来まい。

まあ、気持ちよく走っていたのに、脇から車が飛び出してくれば、私でも不快に思う。だが、他の車と一々争っていたら、時間の無駄ではないか。腹を立てるのもストレスが溜まるだろう。それでも敢えて、ぶつかる寸前まで車を進めるのは、嫌がらせであるのか。それとも単なる前方不注意か。

……殺伐とした世の中だと思う。と同時に、今日はこれだけでは終わらないと感じ入る。

ある交差点で、信号待ちをしていた。青に変わって前の車が動き出すのを待っていたら、突然クラクションが聞こえた。信号が変わる最中に、トラックが横断し、その後ろに乗用車がくっついていったのだ。すでに信号が変わっているのに。

交通信号が青になったのに、信号を無視した車に横切られれば面白くないのは判る。非はなるほど先方にあるだろう。だが、トラックの直後は信号が確認し辛いのも事実だ。トラックの後ろに乗用車がついていることは予測して当たり前ではないか? 自分はその過ちをしたことがないのだろうか? イヤ、私はトラックの後ろにいるときには信号に注意するが……それでも失敗したことが皆無であるとは主張しがたい。

皆、寛容さを失っている。むろん、非が先方にあるとしても、争うことに利があるのだろうか?


親が子を、兄が妹を、妻が夫を……殺す。そんなニュースが続いている。

殺伐とした世の中である。だが、人を殺せばほとんどすべての体面が潰れ、ほとんどすべての夢が閉ざされてしまうだろう。にも関わらず人を殺す。

その行為がもたらす未来を、なぜ恐れないのだろうか?……誰もが恐怖を感じて当たり前に思えることを、思わぬ人々がいることに私は恐怖する。

だれもが、自分の未来を見失っているように、私には思える。それがとても恐ろしい。そうではないか。私はより良い未来に自分を、そして、自分が愛する者を導こうとしているのに、世の多くの者達が周囲の者達を不幸に引きずり込もうとしているのだから。……つまり、私の努力を越えたところで未来が決まりつつある。

私も霊媒、イヤ、霊能者を自認している。それゆえに、悪霊低級霊の取り扱いならばそれなりに自信を持ち、覚悟も持っている。だが、だが、だが……人々の未来への無関心さが抗いがたい潮流に思えてならない。


霊査事例: 2007年01月12日 横浜オフ会

2007/01/12

以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


今日は皆、遅刻者ばかり。おまけに、アフターオフ会だけの参加者が、オフ会参加者よりも多かったりして……

総論

  • 一人でがんばるから破綻するのです。皆でがんばる、そのためには周囲・全体とリズムを合わせる事が大切です。……先走らぬこと、黙って待つこと。待てぬというのは人としての器量が小さいということです。
  • 豊かな境遇は魂の牢獄です。何しろ創意工夫の余地がありません。人は必要とされた時こそ、容易に自分の存在意義を見出せますし、打ち込む物を見出した時には苦労して存在意義を見出します。

事例1

  • 『心を型にはめて考えると窮屈です。もっと自由に、そして鷹揚に。人として迷いがあるのは当然です。(答えが出るまでの過程として)大切なのは答えなのです。』
  • 『寂しさは心の働きが鈍いからです。あなたか、相手か、その両方かの』……精神的な会話の出来る友人がいないと寂しいですよね。

事例2

  • 『心機一転――夢を持ち続ける。継続は力なり。でも(自分の)成長に合わせて時々は夢を再検討する事も大切な事です。』
  • 『水気を欲するのは、肉・魚を食べ過ぎたからです。』
  • 『改善提案を募ってみては?』……邪魔をする人が減ったようですし、話を聞こうという態度が人々の信望を集めます。
  • 『とても良いのは、グズグズといつまでも悩まず、良い事があると信じて待てるところだ』

事例3

  • 『汝、その不満の何処から来るや。知らずや?』……不満に狎れぬように。
  • 『子供の世話は、親の歩み。自分もまたその手間を受けて今がある。感謝して、感謝を求めず、理解して理解を強要せず』……子供の世話はなるほど大変でしょうが、自分の苦労ばかりに気を向けず、自分も世話を受けてきた事にも思いを巡らせましょう。
  • 化繊の衣服は避けたほうが良いでしょう。

事例4

  • 『私が知らす』……部屋に光がさして、この声が聞こえました。
  • 『お人よしは、自己満足の代償として苦労を背負う事です。その帳尻が合わぬことに気がつかない、無関心さがいまだに残っています』……代々のお人よしが、形を変えてあなたのご家族を支配しています。たとえば、お人よしの反動が出ている家族もいれば、あなたも「たとえ失敗しても私は満足だ」……という理由だけで中途半端な事に手を出します。
  • 『勘が鈍るのは、間違いを認めずにいるから』……いまだに何かから目を背けているのを感じます。目の付け所が悪い……だからせっかくの直感が生きてきません。
  • 『いろいろ見、思う事。考えるから背後の霊との話題が生じます』……たとえば夕食の献立を例にして考えましょう。一日中、家でゴロゴロして「晩ご飯は何にする?」といわれても、なんでもいい、となるでしょう。一方で、海に行けば魚が食べたい、山に行けば山菜が食べたい、と思うように、知的な刺激があってこそ話題も弾むのです。あなたは物事をちゃんと見ていません。

事例5

  • 『あなたは前世に遣り残した事があります』
  • 『生き急ぐな。あなたは生かされているのだから』……待つ事が出来ないのは器の狭さ、事実を受け入れよ。
  • 「何のために生まれてきたのか」……あなたはその答えを求めていますね。だから、前世の話を聞いたとき、あなたは喜びを感じ、生かされているのだ、といわれてガッカリした。でも、あなたが生まれ育った環境は、静かに生きることを尊ぶ環境で、答えに飢えても得る方法を知りません。だから、答えを焦ると自分にだまされます。
  • 『(世間を)よく見て、よく笑って、心をほぐしなさい。(そうしていれば)いつか必ず、近いうちに(答えを)見せてあげるから』

事例6

  • 『一人で先々を考えすぎると孤立します。世の中は何とかなるものですから、心配は程ほどになさい』……孤独な努力よりも、皆が力を合わせる事のほうがはるかに強いのです。

事例7

  • 『人生で出会う、さまざまな象徴的出来事は、好意的に解釈するほうが女性として素敵です。世の中はなんとなかるものですから一人で心配しない事です』

一過性の関係

2007/01/11

2007年01月11日


霊達が霊媒を通じて、「心霊思想が重要である」と説いているにも拘らず、大正から昭和初期にかけての心霊ブームがなぜ廃れたのだろう。――そして現代の心霊ブーム。

もとより、心霊思想の信奉者が必ずしも精神的に優れているわけではない。だが、ブームの便乗者はマナーが悪いのは免れない。……明日は棄てているかも知れないシロモノを大切にするはずもないからだ。

長い付合いになると思えばこそ大切にする。どうせ一過性と思えば大切にしない。……意識には登らなくても人は自然にその選別をしている。

だがそれは必ずしも人間サイドだけの問題ではない。ブームの便乗者に冷淡な霊達の意志もある。が、それは善悪、良否、巧拙、高低の問題とは違う。むしろ摂理と呼ぶべきものだ。

もとより、良縁は切れやすく、悪縁は断ちがたい。依存心の強い者になまじ親切にするとしつこく頼られるし、自立心が強い者に干渉しすぎるのは良くない。

つまるところ、関わるべきでない相手には冷淡に扱い、関わるべき相手にはその自我を尊重する。……上善水如……人の親切は、真夏に飲むジュースのようなもので、疲れている時の糖分はありがたくても、さらなる喉の渇きの元となる。……まあ、そういうことだろう。

初めての人からの質問に回答を送る。……別に私は相手の感謝を求めているわけではないが、ほとんどの場合、礼もいってこない。

私もどうせ、「長く付合う相手ではない」と思っているから、必要以上に深入りもしない。別な表現をすれば回答をする以上の親切をしない。霊媒の私も、だ。

だが、霊媒とは、霊と人との仲介者である。

質問者・相談者の守護霊や祖霊等はどういう気持で、私に回答の中継ぎを依頼しているのだろうか。

愛情が無くはあるまい。だが今すぐに何かが変ることを期待してはいないのだろう。だからこそ私も、淡々と礼もいわぬ質問者と接することが出来る。


真剣に想えばこそ、小さな事も見過せなくないものだが……だからといって、すれ違う人々の霊障・因縁を気にかけ始めたら切りがない。


逃げてはいけないのか?

2007/01/09

2007年01月09日


「神は、乗り越えられない試練を人には与えない」……という言葉を前提にして。

Q「困難に遭遇した場合、自殺以外の道を選ぶなら、たとえば逃げ出すことでも、困難を乗り越えたとはいえませんか? たとえば虐めから逃げ出すというのも困難を乗り越えたとはいえないでしょうか? 乗り越える=逃げないで解決する、という意味なのだろうとは思いますが、逃げるという対処もよいのでは?」

問わんとすることの概要は間違ってはいないと思います。ただ、問題の組立て方が非常に乱暴です。

人生には、避ける、迂回する、という選択肢もあるのです。――たとえば歩行者用信号が青であろうと、車が飛び込んできたら、誰もが立ち止まります。進んで車にぶつかっていく者は普通では考えられませんよね? これをして逃げると非難する者がいるでしょうか? 逃げるのではなく、避けるのだ、この二つは違います。

もしもあなたが、それを「逃げるのだ」と感じているなら、あなたの人生には後悔が残るでしょう。反対に、進んで交通事故に遭っても、きっと後悔するでしょう。そう。人は後悔するのです。その時点では判らなくても後になれば、行いの善し悪しが見えてきます。逃げるのか、避けるのか、それが良いのか、悪いのかは後にならなければ判りません。

その意味で、「ケースバイケースで判断すべきだ」、というのも答でしょうし、すでにあなたが「逃げる」と表現した時点で、もう内心では後悔することを受け入れていると見なすことも出来ます。慰めに、「逃げるのも一つの手です」と表現してみても、真実は、「すでにあなたは精神的に負けていて、逃げるしかないのだから、後は敗北者として生き続けなさい」という答えになるでしょう。

いじめ問題

これがたとえば「いじめ」に限定するなら、答は大きく転じます。

説明の都合上、まず、虐められる側にも問題有り、という前提で話を進めます。仕事の足手まといになっているとか、良識が欠如していて周囲の神経を逆撫でしている、等という場合もあるでしょう。……虐められている者にとって見れば、身に覚えが無くても、無思慮な行動が周囲を苦しめているなら、その反動で虐められることもあるわけです。

うそつき

具体的な事例をあげると、私の知人に、考える前に返事をする落着きのない男がいます。ところがどんな平役でも会社組織の中で発言すればそれなりに時間と経費が費やされるわけで、いい加減なことをいえばそれが無駄になります。無駄が生じれば責任者が責められるわけで……理由を問いただされると、彼は焦ってまた考えもなく口を開く。これを繰り返した結果、もうすっかりと「嘘つき」と見なされてしまったのです。

私は、彼が悪意のある者ではない……というより、悪巧みが出来るほど利口ではないと気がついていますから、それとなく助言をしたのですが、私の言葉を聞く態度にまるで真剣味がありません。『理解できなかったのかな? でも自分の問題なのだから、真剣なら質問に来るだろう』と思っていたのですが、後に気がつきました。そして案の定……

縁故を頼って自分の上司に意見をいって貰おうとして、さらに卑怯者のレッテルを貼られてしまったのです。

まあ、どのような人であれ、虐めて良いという理由にはなりません。が、当事者の無思慮な言動が、結果として四六時中上司から叱られることになり、しかもその理由を当人が理解していないという、傍目には滑稽な出来事が生じるわけです。さらにこの場合、解決の方法が事実上ないわけです。何しろ彼には悪意はなく、ただ、思慮が足りないだけなのですから。嘘をつくといわれても、それは意図してのことではなく、むしろ癖、習慣ですから意識しても簡単には変わりません。

ただ、おそらく当人と、事情を知らない人々から見ると、彼は職場で虐めに会っているように見えるでしょう。実際、彼の日常会話には嘘が混じらないのですから。まあ、彼の採用は人事のミスであるとは職場の誰もが認めることですが。

彼の場合、虐めに立ち向かうという態度は、まったくの筋違いであって、害ばかりで誰の利にもなりません。職の確保という点でも、人事処置を受けるまでの時間稼ぎでしか無いわけです。とはいえ、逃げ出せば失業するわけで、しかも原因を克服できなければ再就職にも困難が生じるでしょう。

逃げるとか、逃げないとかの問題とは限らないのです。

被害者意識は逆効果

一口に、いじめの問題といっても、当事者が虐められていると思っているだけであって、実際には指導や警告、という場合もありえるわけです。このような場合、第三者に助けを求めるのはかえって逆効果となるでしょう。

一方で、単なる指導や警告の筈が、当事者が鈍感なために周囲も意固地になってついには目的を忘れて本当の虐めに転じている場合もあるでしょう。または、気晴らしが目的の単なる虐めも世には多いものです。

ただ、総じていえることは、虐めであれ、指導や警告であれ、それを受けた者が被害者意識を持つと、利己的な態度が現われてきます。自分ばかりが苦労して、と思うあまりに、皆が率先して手伝っていることを手伝わなかったり、第三者を詰るような態度(八つ当たり)をします。

すると、今まで中立的、または、好意的な者からも反感を持たれてしまってますます辛く感じるようになります。

たとえば上述の彼なども、私から「考える前に口を開くな!」という言葉を聞いて、重く、辛く、虐められていると感じているでしょうし、「どうせ意見をいうなら叱られているときに庇って見せろよ」と思っているのでしょう。いえ、私は庇ったことがあるのですが……とうとう、忘年会をドタキャンして幹事である私に迷惑らしき物を掛けたわけです。かえって好都合だったのですが……。

逃げるにせよ、避けるにせよ、または立ち向かうにせよ、敵意をむき出しにすることは、問題を低レベル化する事につながります。つまり、誤解を乗り越えてのハッピーエンドを拒絶してしまえば、どっちが勝っても得るもののない……ただ敗北感を避けられるだけという、つまらぬ結果になります。大の大人が時間を掛けて得るものとしては非常につまらぬ、と私は思います。

どちらの問題か?

もう一点。この虐めが単純なる気晴らし目的であるとすれば……試練・問題は加害者の側にあって、被害者には無いと言えます。つまり、逃げ出せば、別な被害者が生じるだけでしょう。

加害者の側に問題があるなら、そこから立ち去ることは逃げるのではなく避けることと割り切るべきでしょう。

敵意を持った第三者を教え導くなんて、聖人君子にとっても難しいことですから。

真理を灯火とせよ

古今東西の聖人達は中道・中庸を尊び、極端を避けました。逃げるとか、立ち向かうというのはどちらも極端であり、そういう観点では妥当な回答は得がたいといえます。

人間に大切な観点は、最終的な行き先であって、本来、一時的な避難や、迂回などというのは、枝葉末節の話なのです。

その意味で言えば、 乗り越える=逃げないで解決する、ではなく、乗り越えるとは、「どういう手段を使おうが、いずれは解決する」なのです。

その手段の中には、逃げるや避ける、迂回するがあってもおかしくはありません。むしろ、小さな問題に囚われて、前に進めずにいるなら、逃げなくても戦略的敗北です。


幸運を手放す。

2007年01月10日

逃げてはいけないのか? 」の補足

むしろ、小さな問題に囚われて、前に進めずにいるなら、逃げなくても戦略的敗北です。何しろ人の使える時間には限りがあるのですから。その限りある時間を無駄にする……動かぬ事も、逃げることも、時間を無駄にするには変りありません。

一時の選択としては、逃げることも、動かぬ事も選択肢の一つでありましょう。でもそれは全体の中の一分としての選択肢なのです。……でも人は、逃げるときには逃げることばかり、動かぬ時には死守することばかりを考えます。そして目的を見失うのです。


魂は永遠の生の中に存在するとしても、肉体を得て活動するのは限られた時間の中です。私たちは、その限られた時間を有意義に使わなければなりません。

たとえばあなたが頼りに出来る人……向上心を持つが故に有力なる人は、向上心を持つが故にその心が留まることをいたしません。もしもあなたが停滞したまま頼っているなら、置き去りにされてしまうでしょう。

動くのはあなただけではありません。誰もが動いているのです。あなたが望む時、望む場所に、待っていてくれると思うことから行き違いが始まります。

つまり……ようやく一つの問題を解決した、と思っていると、果たすべきノルマとして複数の問題が山積みされているのが、不幸というよりも当たり前な姿なのです。逃げ、または避け、様子見に停止していることがあれば、その無駄な時間を取り戻すための努力が必要となります。

失った時間を取り戻すことをしなければ、人生は否応もなく進路変更をせざるを得ないわけです。それは、成果の縮小を意味します。つまり、生まれる前に約束された報酬よりも、受取るものが少なくなるということです。

人々は、己の不幸を嘆いている間に、どんどん幸運を手放しているのです。……たとえば自分に仇なす誰かを罵っている間にも。

不幸になるための努力をしている。何と人は業が深いのか、と私が思う所以です。


瑞兆

2007/01/07

2007年01月07日


瑞兆……良いことが起る前触れ。

私は人相見の勉強をしたわけではない。ただ、我が師と、霊聴からいくつか教えられていて、要所要所でヒント、というか、チェックポイントとして使うことがある。

つまり、面接時の霊査で良いことがあると聞けば、瑞兆を確かめる。悪いことがあると聞けば、凶相のあることを確かめる。まあ、これが百発百中であるなら詳細に解説もするのだが、事情はいささか複雑である。

たとえばある人に瑞兆を見出したときのことである。霊聴で、

『この者は不平不満ばかりで努力が無い。義務を果たすだけで努力しているつもりになっている。幸せになるための何の努力もないから、せっかくのチャンスが生かせぬが、あと一歩の努力で大きな幸せを掴むであろう。面倒を見てはくれぬか?』

私は努力したのだが……相手の不平不満は増すばかり。そうこうしているうちに瑞兆が消えてしまった。

チャンスは誰にでもあるが、誰もがチャンスを生かせるわけではない。……その事を思い知らされた事件であった。

以後、なんどか、『努力すれば何となかる』という霊査を得たが、皆何ともしない。……霊界がいう努力とは、おそらく現代人が思う努力のレベルではないのだろう。そもそも人は皆、幸せになろうと努力している。ライバルがいればなおのこと努力するだろう。……相手に打ち勝つための努力でなければ、何ともならぬのだ。

いや、私の後押しが無駄というわけではない。その典型的な実例が毎年、一月三日に訪ねる家のお嬢さんだ。

まあ、それはそれ。……瑞兆が消えた者は一体どうなったのか。当らなかった霊査の価値を冷静に判断するのは難しい。だが、なるべく平等な点に注目していうなら……彼・彼女が望むよりも大きな幸運は逃してしまった。いや、望むだけの幸運も逃してしまっただろう。少なくとも彼・彼女は以後の運命に満足していないようだ。

そして再び瑞兆が現われる可能性はあるだろうか?……いくら瑞兆が現われてもそれを活かすだけの真剣さがあるかどうかが本当の問題ではないか?

つま先立ってもダメであれば、以後は分相応を心掛け、大きな獲物を掴むよりも、今の幸せを失わぬ努力が大切だろうに、大抵の人は、一度得掛けた幸運を、つまりは逃したチャンスを、時機を外れてもなお追い掛けて不幸をさらに増大させているかのようだ。

ガンバレといわれて頑張れなかったのであれば、謙虚に生きることが大切なのに。

瑞兆を失うとは、当たり前の幸せさえも得られなくなるということかもしれない。天の与えたチャンスを疎かにする者は天罰が当るというわけだ。……その推論の反例を見たことがない。


損己

2007/01/04

2007年01月04日


不運続きで物事が上手く進まない……と悩む人がいる、とする。

不運であるなら慎重に行動すべきであるし、手に余ることならば周囲、または専門家の助言を尊重すべきであろう。ところが、巧く行かぬまま努力を続けて被害を増やすのが現実。

判っていてもなかなか実行に移せない……人間とはそういうものだという。なるほどそれが実情かも知れないが、疑問がないか?

悪いこと、正しくないこと、不利なこと、損なことと知りながら、人はなぜそれを選ぶのか?

一体誰が、あなたを間違った方向に導いているのだろう?……あなたに損を与えているのは誰か?

利己的、という表現は一般的に悪口で使われる。愛他的は褒め言葉であろう。だが、進んで自らに損害を与える、損己的(造語)行動は、愚かとしか見られまい。一体誰に利を与えようと努力しているのか、「判っちゃいるけど止められない人々」は。

生命が本来、利己的な存在であるなら、損己的な人々を支配しているのは一体誰なのだろう?……そのことになぜ疑問を持たないのか?

意に反した行動を強いられるよりも、愚かな行動に疑問をもてないことの方が、よほど重度の障害だ。……助言とは、理解力の持主にしてこそ意味がある。

道を歩む人に向上があり、場を求める人には停滞がある。


2007/01/04

2007年01月04日


ここ数年来、一月三日は川崎の某所にお参りするのが年中行事となっている。そのお堂の近所には私の霊感を知る、母の知人が住んでいて、その家に立ち寄るのも私の年中行事の一つとなっている。

このご婦人はかなりの世話焼きでお嬢さんは過干渉に飽きていささか反抗的な態度であったらしい。

ご婦人曰く、「外面はよいのだけど……」そして、反抗的な娘に一言注意してくれ、といわれて私は瞑目、精神統一して助言を求めた。と、どうも問題があるのは前述の、母親の過干渉の方であってお嬢さんの側には二次的な非しかない。端的にいえば、人生の分岐点で、わざわざ、しかも無意識に母親に心配を掛けるような選択を重ねているのだ。

だから私はお嬢さんに指摘した。「お母様の態度は癖であるから仕方がない。真に受ける必要もない。それよりもあなたにとって大切なのは人生に取り組むことだ。お母様への反抗心で人生を決めたら、それはお母様にとって不本意であってもお母様が選んだ人生ではないか。あなたらしく生きなければ」

昨年の夏に、このお嬢さんと会ったときには、結婚を考えている男性がいるとかで、母娘二人から質問攻めにあって辟易としたが、その後の交際も順調で、結婚後の仕事も決まったとか。

今日のご婦人(お母様)の話では、以前は、「一生結婚しない」と言い張り、料理を覚えるわけでもなかったのに、今は積極的に料理の勉強をしているとか。母娘のいさかいは無くなったわけではないが(世話好きで、世話をしないと寂しくなる二人のこと、いさかいが無くなるはずもない)、時には共感することも増えて新たなる母娘関係に発展したらしい。

でもやはり心配したいのが母心、というか、このご婦人の趣味らしい。

年下の男性では頼りなくて……包容力のない男性はいくら歳をとっても役に立ちません。邪魔なだけです。

もうちょっと稼ぎの良い人が良いのだけど……大丈夫、お嬢さんの方が稼げます。しかも、この男性は妻が稼いでも腐らない希有な人です。

身体も弱そうだし……お二人とも大病の気がありますが、死の気はなく、いずれ二人があなたを看取ってくれます。大病は身体の労り方を天から教えられる良い機会ですから、入院するようなことがあっても心配せずにただ励ましてあげてください。

姑は病気がちだし……若いうちに看取ることが出来れば老後が楽です。お嬢さんは幸運な老後を迎えられますよ。

やっぱり良く見つけてきたと娘を褒めるべきなのかしら……そう、それに亡くなったご主人が彼の世から導いてくれたのでしょう。(ここは霊査ではなく単なる合いの手、イヤ別に嘘というわけでもない)

といわれてご婦人はニンマリ……

そして、背後から本題が告げられる。

『以前のお嬢さんは、他者への対抗心で物事を決めていたから、労多くて益の少ない生き方をしていましたね。でも、今ではすっかり、その対抗心を人生に向けています。他人と競い、争うよりも、自分の人生を創造していくことに歓びを見出しているのですから、幸せです。苦労が全部、実になりますから心配はいりません。お嬢さんの生き方に口を挟むのではなく、家事・料理や、子育ての方法に口出しをされて、一緒に生きることを楽しまれたらいかがですか?』

さて、私がイヤに親切に助言をすることに不可思議な感を抱かれた方もいるだろう。が、タネを明かせば、相応す、なのである。つまり、お嬢さんが霊査に素直であるし、ヒントに過ぎぬ霊査をしっかりと人生に活かして活学しているから、お嬢さんの祖先の霊等が助言を楽しんでいるのだ。むろん、霊媒である私だって、一々突っかかられるよりもしっかり聞いてくれる人を相手にする方が楽しくないはずがない。

それ等を振り返るとしみじみと感じ入るのが「貯金の善し悪し」であろう。つまり、この家のお嬢さんは本来、信仰に対する依存心が無かったために、祖先の霊等の力が無駄にならなかった……一方、心霊に関心の強い人が良くやる間違いは、みだりに霊をあてにして霊等の力を無駄にしやすいのだ。つまり、銀行口座に頻繁に金を出し入れして取扱手数料で赤字となるが如しである。

「良いご先祖様をお持ちですねぇ」といったところで、ご婦人に否定された。

「いえ、私や姉は苦労続きでしたから、前世で悪いことをしたか、祖先が悪いことをしたかとばかり思っています。」

……違うんです。頭で考えすぎるから、せっかくのチャンスが生かせなかっただけなのです。そして子孫が頭で考えすぎるということは、ご先祖も頭の良い方が多かった、ということでチャンスさえ巧く噛み合えば実に頼りになるご先祖様なのですよ、……と私は熱く語ったのだが、信じたかどうか。

世の単純な心霊理論の影響か、どうも人々は加護の強さと、守護霊・祖霊の強さが単純に比例していると考えがちだが、本当に重要なのは効率である。そもそも助言なんて、当事者の理解力を越える事は出来ないのだから。で、自分の理解力を棚に上げて、祖先の守りが薄いとなじる人の何と多いことか、と思う。

力を生かし切れないのに、力を欲しがる。……それでも力が欲しいと思うのは、つまり……判らない人には死んでも分らない話だ。


何をしたいのか?

2007/01/01

何をしたいのか?

2007年01月01日


新年最初のメッセージには、明るい話題を選びたいと思った。すると返ってきた答が……

『新年が良い年であるなら、自分は幸せになれると思うのか?

『本当にやりたいことを持っている者なら、今年がどんな年であろうとも、為すべき事を為し、目的の実現に向かって進んでいくことであろう。そういう者等に与えるべきメッセージは、「夢が実現しますように」であって、「新年がよい年であるように」ではない。

『渡るべき川の流れが速ければ、流されぬのは望めまい。だが、どこに流れていくのか?

『どこに流れていくのか判らぬから、「良い年」を待ち続けるというのか?

『そうであるなら、今年もまた良い年ではない。いや、今年は特によい年ではない。』

『好景気といわれているが、その実体は、非効率を切り捨てての豊かさだ。不満の強い者を切り捨てて、幸福な者だけを幸福にする仕組が姿を現しているこの最中に、不満を抱くことの何と危ういことか。死ぬしか道がないのではない。死んでも道はないのである。』


「あとちょっと」という強欲

2006年01月03日

上記:「何をしたいのか?」のこと。

今日になり、ああ、この伏線か、と気がついたとき、続く言葉が聞こえてきた。


『多くの者は、「あとちょっと」「もうちょっと」を欲しがることを慎ましい願いと考えている。だが現在は過去という基礎の上に成り立っている。あとちょっと、もうちょっとはゆとりがあれば都合はついても、ギリギリの事であれば大事となる。

『たとえば20本入りのタバコの本数を2本増やすとする。小箱が変り、大箱が変り、箱が変われば箱のデザインも変り、流通の手間も変わる。受ける者にとってはちょっとした利益でしかなくても、与える側の手間は大事なのである。

『話題は地上の商いのことではない。霊界から地上を手助けする、その複雑な仕組の話題である。複雑になればなるほど、ちょっとの変更が大事になる。一体何をして欲しいのか。それを理解しているのだろうか人々は。いや、一体自分に必要な者を理解しているのか?

『欲に流され、事情に流され、流されていることを当たり前としながら、でも変化を求めるのか?

『今を作るのは過去、未来を作るのは今、そういう言葉を知ってもなお、それを活かそうとしない。忙しい忙しいと、辛い辛いと、その時々の手間を惜しんでは、明日に得る物が小さくなるのは無理もないこと。明日に多くを求めるなら、今努力すべきであるし、今の努力を惜しむなら明日はわずかで納得すべきものなのである。

『やり方を間違えたなら、努力が全て無駄になるのが「行為」が持つリスクであるのに、あとちょっとを求める強欲さが判らぬとは。もっと欲しいのであれば欲しい分の努力をすべきだ。

『もうちょっと欲しいのならば、やり方を変えねばならない。だがやり方を変えずに欲しがり、ちょっとだけなのだから寡欲であろうというのは何とも業が深い。』


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