受売りする機械
2007/01/302007年01月30日
『柳沢厚生労働大臣が「女性は子どもを産む機械」と発言』という、ニュースを聞いて、「おやまあ、女性の人権を守るべき厚生労働大臣が?」との印象を受けた。あまりにも杜撰すぎてむしろ興味が湧かなかった。その後、野党がこぞって辞任要求を始めるのは、ただの足引き合戦とも受け取れるわけだが、ヘッドラインだけでなく、ちゃんとニュースを読むと当然のことながらなかなか事情は深い。
柳沢大臣のいわんとすることは、女性の人権がテーマではなく、人口統計の話題だ。発言全文は知らないので、以下は私の好意的解釈であるが、「老齢化が進めば相対的に出産可能な女性の数も減る。だから女性にがんばってもらいたい」ということなのだろう。表現はともかく、発言の趣旨には女性蔑視の意図はあるまい。ましては講演後に発言を訂正したのではなく、講演中に訂正したのであるから、「機械扱い」を非難するのは「言葉狩り」にも思える。それゆえに安倍首相も辞任の必要はないと庇うのであろう。
さらにいえば、この発言には、技術系分野で多用される「ブラックボックス」解決法が見てとれる。その機械の仕組みはわからなくても、働きがわかれば使うことが出来る、というわけだ。
「女性それぞれの都合や境遇をとりあえず棚上げして、出産問題に絞るなら……」という趣旨なのだろう。ならばなおのこと、女性蔑視の意図どころか、そもそも女性を論じているのではない。完全に出産率の向上の話をしているのである。……むろん、女性の権利を抜きにして出産率の話をしようとするのも十分に問題だが。と同時に、もう一つの仕組も見て取れる。人間性を無視してただ統計的な数字の操作をしている官僚等の受売りをしていただけではないか? だとしたら、善悪の問題でなく、可不可の問題になる。つまり、官僚の受売りをするだけの機械なんていらない。公的機関の仕組に血肉を通わせ、愛情を持って国民に接することも大臣の仕事であろう。
対して、野党や報道関係の批判には機械扱いを対象とした言葉狩り、つまり感情論じみたものも多いが、民主党や国民新党の非難は、いい線をついているとおもう。
「女性に出産努力を求めるのではなく、女性が子供を産みたくなる環境を作るべきが、厚生労働省の仕事だ。」……という趣旨の批判も、柳沢大臣の発言の一部だけを取り出してのものかもしれないが、本来、柳沢大臣が率先して発言すべきことであったろう。
すると、端的に言えば、柳沢大臣は、女性を機械扱いした発言を謝罪するよりも、がんばる女性等への支援策を提示しなかったことが大きな失策だったのではないか。……足を引っ張られたことが罪なのではなく、しがみつく場所のないことが問題なのだ。
私は柳沢大臣に大きな罪(相対的ではあるが)があるとは思えない。だが、大臣にふさわしい理念や力量があるとはなお思えない。
問題点を提示するのは評論家の仕事だ。政治家がなすべきことは解決策を示すことである。具体的な解決策を提示さえしていれば、言葉遣いの下品さはおおむね容赦されるであろう。容赦されないのは厚生労働大臣の発言としての価値・内容がなかったからではないか?
だがそれはひとり柳沢大臣に限った話ではなかろう。……そもそも安倍首相の「美しい日本」という理念もなにやら具体性が捕らえがたい。「明確にして空虚な理念」の元に集まったスタッフなど、烏合の衆とどう違うのだろう? 格好のいいことさえ言っていれば、何をやってもいいんだ……安倍首相の側近からは、そういう手合いとしか思えぬ人々の不祥事がぽろぽろとニュースのネタになっている。
正しい理念の欠如こそが、今の政治の抱えている問題であろう。だが、それだけか? 政治家は国民の代表……ならばつまり国民の理念の欠如、それどころか、理念の何たるかを知らない人が国民に多いということではないか?
格好よく暮らせるなら、借金だらけでもいい、犯罪を犯してもいい、他者を泣かせてもいい……そういう世相の行き着いた結果、見てくれ優先の価値観が日本の政界トップにまで行き着いた結果がこの事件ではないか?
人口推移の問題に女性の献身的努力が必要であるとしても、男性の協力も必要であろうし、何より政治家の努力が必要なわけで、失言の取り繕いよりも、責任の順番の訂正こそがまず、柳沢大臣のなすべきことではないか?
なにより、出産対応のできる病院を増やすことが急務であろう。器を用意せずに中身を欲しがるのはナンセンス極まりない。それでは、世の女性らが感情を破裂させないはずがない。
失言そのものよりも、失言に慌てていること、つまり他にやるべきことがおろそかになっていることこそが本当に大きな問題に思える。
官僚の受売りをする機械では困る。官僚組織の非情さを人間らしい愛情で包むのが、政治家や大臣に科せられた第一の使命ではないのか。
修正
2007年2月1日
さらに補足。……機械扱いという暴言・失言を、機械扱いで揶揄しようとすることのナンセンスは自覚している。が、私が問題視するのは、なんら理念の示されないことだ。ただ失敗を恐れるだけでは物事が良くなるはずもない。……失言が問題ではなく、良い未来が見えてこないことが問題なのだ。
と同時に、問題を自覚していると錯覚している人々の多いこともまた、暗い未来を暗示している。
さらにいえば、こんな事柄は世にあふれている。