‘2006/12’ カテゴリーのアーカイブ

病気の夢が正夢に

2006/12/31

2006年12月31日


質問メールより。

最初に、「心霊相談ではありません」と釘を刺されたら……果たして心霊相談を断っているからの一言であるのか、はたまた、因縁話は聞きたくないというのであるのか、質問者の意図は色々と考え得るわけだが、回答者としては何を基準に返答をすればよいのか、回答に困る部分がある。

いずれにせよ、下記は一般論として表す。

Q, 病気の夢が正夢になったが、これはどういう事か?

潜在意識が体調を把握していた、と考えるべきでしょう。夢を見るのに当って、守護霊や祖霊の援助が無かったと考えるのも寂しいものですが、人間の(つまり自分の)治癒能力を過小評価するのも依存心を助長して面白くありません。

Q, 病院が休みになる年末年始に、発病しやすい。

それはあなたの加護(祖霊や守護霊の働き)が大変に弱いことを暗示しています。ここでいう、「弱い」とは祖霊や守護霊が弱いのではなく、働きかけが弱い……つまり、あなたが働きにくい相手であるか、低級霊や悪霊の邪魔が多いのか、と判断すべきです。


極楽は退屈か?

2006/12/30

2006年12月30日


仏典・聖書等の地獄・極楽(天国)の記述を読むと、地獄の描写の生々しさと比べて、極楽・天国の描写が平板で退屈に思える。お花畑に、妙なる音楽が流れて……そんな中で唄い、祈り三昧で暮らすのが楽しいのだろうか?

……などと考える人は極楽・天国に行くのは難しそうだ。

地獄の描写と比べて、極楽・天国の描写が淡泊・平板であるのは、そこがつまらぬ場所だからではなく、自由であるからなのだ。それに対して地獄の描写が生々しいのは、それが強いられた物だからである。

パッケージ旅行と自由旅行の差なのだ。

だから私は思う。極楽・天国の描写を見て退屈に思うのは、人生計画を立案できぬ人ではないか、と。するとどうしても型に嵌らざるを得ない。楽しませて貰わなければ退屈してしまう人なら、他に選択はないのである。


嫌いな言葉

2006/12/30

2006年12月30日


私の背後霊が嫌う言葉遣いがある。助言に対して「だって、~~だから。」と、言い訳をすること……いや、むしろ、これを口癖にする人を嫌う。そして大抵の場合、助言を拒否されてしまう。

私がその言葉を苦にしないのは、要するに他人事だからだろう。と同時に、当事者の態度もまた興味本位なのではないか。……巧く行けばめっけ物、というか、奇蹟とまでは行かなくても興味深い話ではないか。

だがさすがに放置はまずいと思い至った。ダメな物なら事前にダメだと注意すべきが霊媒の義務であろうと思うのだ。

ところがこの件の調査は案外と手間取った。感情論が主であるのか、拒絶の念だけはたちどころに届くのに、その理由を尋ねるとどうも要領が得ない。で、色々な意見を積み重ねて要点を整理すると、

『原因を肯定するなら、黙って結果を受け入れろ。結果が気に入らないなら、原因を取り除け。……原因については「仕方ない」と受け入れているのに結果が気に入らないから何とかしろとはどういう事か。馬鹿にするのも程々にせよ。』

……と、まあ、かなり激しい。で、さらに探ると……いやこれは言葉としては得られなかったこを前提にするが、

『自分で原因を生み出しながら、それを何とかしろと願って、「巧く行けばめっけ物」と心の中で思うのはどういう事か。そんな者の相手をするよりも大切な仕事がいくらでもある』

……ここまで聞いて、さすがに拙いと感じた。仲介者が適切に誘導しないから至った結果だ。

祈る側に真剣さが足りない、その割には頻繁に、つまり安易に頼る。――それは必ずしも、信じていないからではない。頼ることを恐れているのだろう。周囲はそう感じられたとしても当人からしてみれば、案外真面目、または、比較的素直な心の現われなのだろうが、その心の在り方は危うい。……例えるなら、リスキーな投資先だ。

いや、私は、この疑問の発端となった質問者をかなり信頼しているが……すると、再び声が聞こえる。

『初心者に任せられる相手ではない。年長者が携わるほどの功徳の持ち主でもない。』

なるほどと思う。たとえば「自殺者の霊」に憑依されたりして自殺願望を持っている人から相談を受けても、「私は死にたいのです」等とネガティブな言語表現を使われたら、私は相手をしないだろう。当事者が逃げ腰なのに、赤の他人の私が、無料で本気になれるか、と思うのだ。それと同様だ。真剣味が足りない……いくら当人が真剣のつもりでも、しっかりと逃げ道を用意して、しかもそれに気がついていない。少なくとも、逃げ道を用意するための努力を、自分の真剣さと錯覚している。


酷い世の中だと思う。有料に誠意を感じて、無料に裏や下心を疑うなんて。

なるほど昔から「地獄の沙汰も金次第」とはいうが、金さえあれば天国に行けるという話を聞いたことはない。この差をお分かりだろうか? つまり、金さえあれば地獄のような状況でも楽が出来る、というだけであって、金持ちが天国に行けるという譬えではない。そもそも、貧しくて死にたがる人はありきたりではあるが、豊かで幸福だから死にたいという人を私は知らない。

そもそも、地獄で楽をするのと、天国で暮らすことの差を誰が知っているのだろう? いうまでもない、その差を知っているのは天国の住人だけだ。

死後に天国に行く者は沈黙し、地獄に堕ちる者は「皆楽」を口にする。……なんてことだろう。なんてことだろう。なんてことだろう。


二つの命題

2006/12/29

2006年12月29日


二つの命題が私の前に横たわっている。

一つは業。……なぜ人はわざわざ不幸になるために努力しているのだろう?

いやいや、結論から言えば不幸になるための努力であって、当事者にしてみれば幸せになるための努力なのだ。それは判っている。だが、当事者は判っていない。

求める物と得られる物の間のギャップ。

稼ぐ以上に金を使いたい。他を大切にする以上に大切にされたい。……それらの願望を誰が強欲だと笑えるだろう? ああ、まあ笑いたい奴は勝手に笑っていればよい。ただ私は思う。人は自分が本当に必要としている物を正しく認識しているのだろうか?

飢えているから欲しがる。でも何に飢えているのだろう?

私には思い当たる物があるのだが、問うと相手は分らぬという。おそらく、人は己が理解できない物を欲しがっているのだ。だから自分が本当に欲しい物を説明できず、人の説明を理解できず、内心はくだらぬと思っている物を欲しがっている。……開き直りつつ。

もう一つは心。……人は心を通じてしか外界を認知し得ない。難しい言い回しであろうか? ああ、私も背伸びをしているかも知れないが、私がいわんとするのはこういう事だ。

もしも自分が狂ったとする。自分はそれ、つまり自らの狂気を理解できるであろうか?

たとえば昂奮している人に、「落着きなさい」という。すると相手は「私は冷静だ!!」と怒鳴り散らす……かも知れない。酔っぱらいに「酔ってますな」といえば、「いや、私は大丈夫だ!!」という……だろう。

都合の悪い相手を見て「変だ」と思うのが人情。さて、人は自分の真実を正しく理解できるだろうか? つまり自分の短所を。つまりは欠点を。

他から見れば冷静さに欠けているとして、それを素直に認めるためには何が出来るだろうか?

善く生きるためには何が必要か?

さらに突き詰めるなら、私たちはいったい何のために生まれてきたのか?

その話題に踏み込もうとすると、途端に私は孤独に包まれる。


正義の未熟さ

2006/12/27

2006年12月27日


正義……という言葉が、地上のものだと誰が知るだろう?

たとえば、あなたに二人の子供がいるとする。その二人の子供が、おかずの取り合いで争うとしよう。あなたはどちらの肩を持つだろうか?

正義を守るよりも仲良きことを願うのではないか?

兄弟とは人生最初のライバルというが、親から見ればどちらが正しいかという問題よりも、わが子等が互いに争うことのほうが悲しいものだ。

ならばもしも、神が我らの親の様なものであるなら、正義よりも調和を大切にするのではないか。

私は決して不正に寛容な訳ではないが、正義や裁きを絶対視する事も出来ない。

……が、が、である。寛容であっても事態が破綻すればどうにもならないではないか。裁くのは人ではない、そう思う。


悲しい出来事

2006/12/27

2006年12月27日


世の中には悲しい出来事がある。すると多くの人は思う。悲しみを無くしたいと……。

だが私は思う。本当の問題は、悲しい思いをせずには学べぬ事ではないか?

または、悲しい思いをしてもなお、学べぬ事ではないか?

悲しみとは結論であり、原因が有って生じるものである。原因を放置したまま、悲しみだけを無くそうとするのは空虚な方策だ。


霊格

2006/12/26

2006年12月26日


発作的な霊感は誰でも受け止め得る。ただ、霊感を自覚し、また信じるべきものを信じ、拒絶するべきものを拒絶するかどうかが問題だ。

ある者は霊感を「動機」と受け止め、またある者は、誘惑を霊感と受け止める。……善悪の見境なしに。

私は人としての欲望を否定しない。ただ、「弁《わきま》えるべきだ」と主張する。他人を傷つけることはいずれ我が身に返ってくる。人を喜ばすことも、いずれは我が歓びとなって返ってくる。……皆が幸せになるように努力することが結局は自分の幸せなのだ、と。

だからこそ、人は善悪を見極めるべきだ。または、可・不可の区別をするべきだ。または、良い結果を求めて不幸になるような愚行を慎むべきだ。

弁えてこそ、良い霊感を受け止められる。問題は能力ではなく、どこに視点を向けるか……精神性の問題なのである。


興味本位の話題だけで、真の友情が育つだろうか?……利害が合わなければ「さようなら」 逆にいえば、そこに利が有れば、「相手の迷惑顧みず」……それもまた精神性の問題だ。

この二つの精神性の問題は、つまりレベルの問題なのだ。もしくは霊格。


正義漢

2006/12/23

2006年12月23日


買い物を済ませ、支払をしていると、ふと、レジ脇の注意書きに目が留まった。

「返品はレシートを添えて、食品は三日以内、その他の商品は七日以内にお持ち下さい」

なかなか時間に厳しい。と思った瞬間、私に言葉が流れ込む。歩きながらその要点を整理すると……


『物事の善悪には時機がある。善き行いのつもりが時機を失せば悪となる。普段は悪しく思えても時期が合えば善となりうる。

『発端が義憤であっても、しつこければ迷惑がられる。ましてや、事が終わってから大騒ぎしてどうなるのか? 為すべき事を為さずに、為せざる事を為そうとする。……成らぬ事に努力して空しくならないか? なる、当然空しく、悲しく、切なく、そして腹立たしくなるだろう?

『その一連の気持ちの動きは論理的意味づけが可能だろうが、たった一言で言い表すことも出来る。……人情

『有意義ではあるが、不毛なことを延々と続けて、悪念を振りまいている。……まるで悪臭製造器だが、一体誰がその後始末をするのか? 無駄に腹を立てて。

『それでもあなたは正義を欲するのか? ……稚拙さを棚に上げて? 自分の境遇には激しく憤るのに、他者の境遇にはただ同情を寄せて口を噤んでいるのに。

『どんなに綺麗な言葉で言い表そうとも、執着とわがまま、それが露骨に現われているなら、あなたにどんなに言い分が有ろうとも、それはあなた一人の戦いでしかない』


……別な霊がいう。

『気持ちの整理ぐらいは自分で行わなければ、誰に何を期待できるのでしょうか?』


真摯な態度

2006/12/22

2006年12月22日


先祖供養の大切さを説く霊媒は多い。だが私は、供養を強いるのは変だと思う。

『私に感謝しなさい!』……て、いわれて変には思わないか?

だから私は、先祖供養の代りに、日々の歓びを大切にするように人々に説く。日常の幸せの中で、もしも、

『ああ、これは自力では出来ないことだ。きっと天の助けに違いない』

と、感じられたのなら、それこそが感謝の発端、先祖供養の第一歩だと思うのだ。

……という私の理念は決して間違いではないと思うのだが……

突然、聞こえた。

『ダメです。』

え!? どうして。

『昔から勉強は形を真似ることから入ります。』

……つまり、私のやり方では怠惰に流れやすいと。

『流れていますよね、何人も。』

……あああああぁ。でも、方向性は間違っていないのではないかと!!

『上から押しつける形が、うまく働かないことは理解します。でも、やはり形を真似ることも大切です。少なくともその方が楽であることを認識すべきです。』

……でも、笛吹けど踊らずで。

『それだけで良いと思うのが、怠惰に流れるということです。』

……よく考えてみれば、それは私の問題じゃないぞ。

『まあ、各家庭の躾の問題ではありますが……』

……大の大人を躾直すなんて、当人から頼まれないか切りできないぞ!。

『……はぁ(ため息)』

逆転?

『だから人は、怠惰に流れて困るのです。足りない物に気がつこうともしない』


チャンスとは?

2006/12/15

2006年12月15日


「時機・天機」……チャンスという表現の方がわかりやすいか……は、人の意志や都合に従わないし、用意が出来ていなければ、掴むことも出来ない。……占に吉凶があって、吉と聞けば悦び、凶と聞けば憂う人が多いが、何とも残念に思う。

「春夏秋冬」……草木は、春に芽吹き、夏に繁り、秋に実って、冬に散る。だが、冬で命が終るのではなく、新たな芽吹きのための準備期間として冬がある。12月に入り、既に枯葉も散り尽した桜の枝を見るとよい。どの桜も既にびっしりと花芽を蓄えている。……桜は、冬中に備えてこそ、満開の春がある。

が、悩める多くの人々は、不平不満で心身を腐らせる以外の何をしているだろう?

冬の最中にも花を咲かせ、実らせようとして疲れ果て、蓄えに努めるべきが不平不満を募らせている。

・・・・・・・

今が辛いと泣言をいうのは、本当の不幸のなんたるかを知らぬのだろう。辛さを感じるのは、落ちている最中(動き)であって、落ちきった・落着いた(静止)時にではない。不幸に落着いた者が恐れるべきは、這い上がる術のないことで、痛みを感じているうちは這い上がれるのである。ただ、切っ掛けさえつかめれば。

痛いと泣言をいうのは、這い上がってから……せめて、切っ掛けを掴んでからにすればよいのに、泣いていては何所まで落ちるのか。


仕事に関する相談を何件か受けているが、返事が出来ない。

仕事が欲しい、または、金が必要だ、という事情は切々と伝わってくる。……が、給与に見合う仕事をするという手応えがない。

金と、安定と、社会的体面を要求するが――その代償を担えるのだろうか、と、不信を感じるのである。

「いや、そんなことはない、絶対に答えて見せます。」……と、返事するだろう事は予測……というより実は理解している。ただ、それが何ヶ月続くのかというと、これまた精神統一をしなくても見えてきてしまうのは、相手の祖霊や守護霊等からして、信用していないのではと思えてしまう。

私が、社長や、人事担当であれば絶対に採用しないな……と思うのだから、他に紹介できるはずもない。

どうも、心霊相談に就職の話題を持込む人には、一つのパターンが見える。情熱的で……それだけだ。

以前、配偶者の実家の都合で地方に引き移った人から、「仕事がない!」と、悲鳴にも似た相談を受けた。不景気な最中、無理もないことと承知してはいても、現実はより厳しかったということだが、私はしばしの……というより、精神統一する間もなく、「牛乳配達でも新聞配達でも!」と返事を出した。

『土地勘が養えるではないか。』……土地勘を養っておくのはどんな仕事をする上でも無駄になるはずがない。逆に、よそ者が就職で苦労するのは土地勘がないからともいえるのだ。……結局、配達の仕事には携らなかったが、営業の仕事を見つけたらしい。

いずれ、その仕事にありつけたとしても、事前に土地勘や人脈を養えたかどうかで以後の成績に差が出たのではなかろうか、と思う。


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