2006年12月30日
私の背後霊が嫌う言葉遣いがある。助言に対して「だって、~~だから。」と、言い訳をすること……いや、むしろ、これを口癖にする人を嫌う。そして大抵の場合、助言を拒否されてしまう。
私がその言葉を苦にしないのは、要するに他人事だからだろう。と同時に、当事者の態度もまた興味本位なのではないか。……巧く行けばめっけ物、というか、奇蹟とまでは行かなくても興味深い話ではないか。
だがさすがに放置はまずいと思い至った。ダメな物なら事前にダメだと注意すべきが霊媒の義務であろうと思うのだ。
ところがこの件の調査は案外と手間取った。感情論が主であるのか、拒絶の念だけはたちどころに届くのに、その理由を尋ねるとどうも要領が得ない。で、色々な意見を積み重ねて要点を整理すると、
『原因を肯定するなら、黙って結果を受け入れろ。結果が気に入らないなら、原因を取り除け。……原因については「仕方ない」と受け入れているのに結果が気に入らないから何とかしろとはどういう事か。馬鹿にするのも程々にせよ。』
……と、まあ、かなり激しい。で、さらに探ると……いやこれは言葉としては得られなかったこを前提にするが、
『自分で原因を生み出しながら、それを何とかしろと願って、「巧く行けばめっけ物」と心の中で思うのはどういう事か。そんな者の相手をするよりも大切な仕事がいくらでもある』
……ここまで聞いて、さすがに拙いと感じた。仲介者が適切に誘導しないから至った結果だ。
祈る側に真剣さが足りない、その割には頻繁に、つまり安易に頼る。――それは必ずしも、信じていないからではない。頼ることを恐れているのだろう。周囲はそう感じられたとしても当人からしてみれば、案外真面目、または、比較的素直な心の現われなのだろうが、その心の在り方は危うい。……例えるなら、リスキーな投資先だ。
いや、私は、この疑問の発端となった質問者をかなり信頼しているが……すると、再び声が聞こえる。
『初心者に任せられる相手ではない。年長者が携わるほどの功徳の持ち主でもない。』
なるほどと思う。たとえば「自殺者の霊」に憑依されたりして自殺願望を持っている人から相談を受けても、「私は死にたいのです」等とネガティブな言語表現を使われたら、私は相手をしないだろう。当事者が逃げ腰なのに、赤の他人の私が、無料で本気になれるか、と思うのだ。それと同様だ。真剣味が足りない……いくら当人が真剣のつもりでも、しっかりと逃げ道を用意して、しかもそれに気がついていない。少なくとも、逃げ道を用意するための努力を、自分の真剣さと錯覚している。
酷い世の中だと思う。有料に誠意を感じて、無料に裏や下心を疑うなんて。
なるほど昔から「地獄の沙汰も金次第」とはいうが、金さえあれば天国に行けるという話を聞いたことはない。この差をお分かりだろうか? つまり、金さえあれば地獄のような状況でも楽が出来る、というだけであって、金持ちが天国に行けるという譬えではない。そもそも、貧しくて死にたがる人はありきたりではあるが、豊かで幸福だから死にたいという人を私は知らない。
そもそも、地獄で楽をするのと、天国で暮らすことの差を誰が知っているのだろう? いうまでもない、その差を知っているのは天国の住人だけだ。
死後に天国に行く者は沈黙し、地獄に堕ちる者は「皆楽」を口にする。……なんてことだろう。なんてことだろう。なんてことだろう。