逝く者を案じる人へ
2006年11月09日
死したる者は再生するのが自然。
生まれてきた者は帰幽するのが自然なのです。
あなたが案じるその人も、そしていずれはあなた自身も、帰幽とは生まれてきた者が必ず辿る自然の摂理なのです。その自然の摂理に抗おうとするところにあなたの苦悩の源泉があります。いわば、自然の流れに押しつぶされているのが、あなたの苦悩なのです。
老いてもなお、病んでもなお、日々衰えていく肉体に縛り付けられることは決して幸せではありません。執着は、あるべき姿を遅らせるだけのこと、その不自然な在り方が肉体に苦しみを与えます。そして死が遅れればそれだけ再生の営みもまた遅れるのです。
あなたは病む者、老い行く者に同情し、長寿を乞うています。でもそれは、相手の魂をおもんばかってのことではなく、ただ、あなたがその繋がりに執着しているだけのことです。いわば、あなたは相手の魂の居場所、来世の在り方に同情する事を忘れているかのようです。
それぞれの魂には、それぞれの勤めがあり、その勤めを果たさずにはどんなに苦しくても死を選ぶわけには参りません。敢えてそれを曲げようとすれば地上の苦しみの何倍もの償いを、死後に背負うことになります。……ならばこそ、それぞれが果たすべき勤めをきちんと果たせるように助け合うことこそが互いの幸せの道なのです。
別離は悲しい、別離は苦しい、別離は嫌だ……確かにそうでしょう。しかし、あなたにとって心地よい答が、相手にとって最善の答とは限りません。
生き物は皆、老い、そして死んでいきます。そして、再生の気力を失うほど生きることに執着するのは業《カルマ》でしかありません。
人は永遠の生を生きる。ならばこそ、目先の生死よりもその時々の勤めをきちんと果たす、その一つ一つの過程こそが大切になるのです。
しかし、誰かが老い、死ぬその一方で、日々新たな生命も生まれているのです。死に行く者に気取られて、生まれくる命から目を背けては、人として暗いものがあります。
生きる者は死を免れることが出来ない……何のために生まれてきたのか、その理由を探求することなく、ただ生の快楽と苦痛との間を行き来している者は、目前に迫った死を恐れるようになります。果たすべき勤めを疎かにする者は、背後の霊達の支持が得られぬからです。
霊的な孤独こそが、人に不安をもたらします。……魂の孤独と、直面して生きる現代人が、何とも理解しがたい摂理です。
愛別離苦
2006年11月11日
人は永遠の生を生きているかも知れない。だが、地上の法や倫理は、人は死ぬことを前提としている。
たとえば、伴侶、または、恋人と死別した場合、新たな恋に落ちることや、生活上の必然から再婚することなどは、果たして心霊学徒にとって適切な態度であるのか。……相手にたいして不実はないか?
地上の関係
結論からいえば、人間、もしくは地上の法、いわば人間関係の分類法は単純・幼稚であって、ありていに言えば実態に合わない。
当人同士が永遠の愛を誓おうが、たちまち離婚するカップルもいるし、大袈裟なことの何もない見合い結婚でも長く連れ添う場合もある。神前で結婚しようが、婚姻届を提出しただけで終えようが、たとえ子供を何人なそうとも……男女の仲は情や都合の結果であって、永遠を保証された特別な関係とは限らない。
霊界でいう結婚とは、(ほぼ……)永遠の関係であるが、地上でいう結婚というのは永遠どころか、わずか百年前後の人生中ですら継続が危うい儚い関係が大半だろう。
「(いわば)神界の政庁」が認めた結婚であるか、そうでないのか……重要なのはその点であって、地上の法の元で認められた結婚ではさすがに判断の役には立たない。
情が絡む
さらに困るのは、地上の人間関係は大部分が情念に支配されている現実だ。たとえば霊的な繋がりがあるとしても、情念の高ぶりを感じることが出来ずにダラダラとした人間関係を続けた挙げ句、相手を失って始めてその価値を知るなどという愚かな流れもあるだろう。
反対に、置き去られてもなお、魂の繋がりのないことに気がつかぬ者もいる。相手の親切と繋がりとを誤解したり、相手の親切を下心と誤解する程度の繋がりもある。
人間の繋がりには様々要素があるわけだが、扱いにくいのは情念である。……いや、情念を重視する人、と指摘すべきか。負けず嫌いであるがゆえに、相手を追い掛けたり、相手を突き放したり。情念を表に出すと、誠実さが失われるのだが、情念の熱い人は往々(いや私の知る限り全て)、誠実さと情念とを取り違えているから困る。しつこいことを誠実と錯覚しているのである。
……いずれにせよ、他と霊的繋がり(つまり永遠の関係)がある人ならば、おそらくは静かにそれを信じようとする。だが、情念が支配するなら激しくそれを信じようとするだろう。……迷惑なほどに。
ケースバイケースだから
ケースバイケースだから、一件、一件について個別に回答しなければならないのだが、面倒なことに霊的繋がりの薄い人ほど情熱的に答を求め、霊的繋がりの強い人は誰かの手を煩わせようとはしないという矛盾がある。
だからこそ、個人的な問い合わせには返事をしたくない。答えなければならないなら、そもそも答は否定的なのである。
発端
伝えて……という声が聞こえる。
「それぞれの道を行きましょう。いずれどこかで道が交わるまで……」
霊的見解
霊的繋がりのある二人なら、因縁は当たり前のように分担を強いられる。当事者の意志とは関係なく……だが、霊的繋がりのない人であれば、一方が二人分の因縁を負担することも多い。
そう、因縁の働き方を見るだけで、神界がどういう立場で二人を扱っているかが見えることもある。その様な場合は、結果よりもむしろ過程が重視される。……言いにくいことだが、一つの試練であってゴールではなかった、そういう恋もあるのだ。実直な人には受け入れがたいことではあるが。
しかし、何事も初めがあり、終わりがある。……試練であるからと言って行き止まりだとは限らない。
大切なのは明日であり、どういう態度で明日に向かうのか、ということだ。
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