‘2006/11’ カテゴリーのアーカイブ

霊査事例: 2006年11月12日 横浜オフ会

2006/11/12

以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • 『快・不快に過敏になっていませんか?』――平常心が大切です。
  • 『我が子の明日を思え、良き世にする努力を忘れるなかれ。』
  • 『東京も、朝の空気は澄んでいます。早起きして散歩することです。』
  • 「今のままで良いじゃないか」という、声が聞こえます。……でも、変化がないと飽きられますよ。
  • 『他人を良く見ようとするのは可、自分を都合良く見ようとするのは不可』

事例2

  • 『油断と不注意はほぼ同意語ですが、出方は人それぞれです。ある人は脇が甘くなる。あなたの場合は一つことに気をとられると他に注意が回らなくなります。』
  • 『視野を広く持つこと。』
  • 『世のためになることには、商売上の需要もあるということです。』……つまり共存できるということ。
  • 『油断大抵なのは、自分一人ではありません。部下の一人でも油断すれば会社は大きな損害を受けます。』

事例3

  • 『幸せは、いかに他に在るや』――歓びを分かち合えてこそ幸せがありますね。
  • 『心は繊細なもの、笑顔を見ても安心しない』――人が心に何を隠しているか、あなたはご存じですね。
  • 『あなたの笑顔に多くの人が救われています。その笑顔にも裏には悲しみがあるのにね』
  • 『侮られやすいのは侮辱であるが、積善の近道でもある』……あなたの笑顔に癒されている人の中には、身勝手な人もいます。不快かも知れませんが、大切な勤めでもあります。
  • 『理解者を得る』……一人の理解者を得ると、次々と理解者が増えていくでしょう。

事例4

  • 人間、ヒマになると余計なことを考えます。――余計なことを考えるヒマはどこから生まれたのか。仕事が順調だからです。

事例5

  • 勝つとは目的を遂げること、相手を打ち負かすことではありません。相手を負かせば恨みを得ます。だから、勝ち気は損気というのです。勝ち気なのは、向上心の良くない現れ方です。本当に勝つべき相手は、自分なのです。もっとも、あなたが勝ち気に育ったのは、あなたの品格が反感を持たれやすいからでしょう。……反感を持たれるのは、あなたの一方的な作用ではありませんから。
  • 『子供に振り回されて、学ぶことも多し』

霊査事例: 2006年11月12日 横浜オフ会

2006/11/12

以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • 『快・不快に過敏になっていませんか?』――平常心が大切です。
  • 『我が子の明日を思え、良き世にする努力を忘れるなかれ。』
  • 『東京も、朝の空気は澄んでいます。早起きして散歩することです。』
  • 「今のままで良いじゃないか」という、声が聞こえます。……でも、変化がないと飽きられますよ。
  • 『他人を良く見ようとするのは可、自分を都合良く見ようとするのは不可』

事例2

  • 『油断と不注意はほぼ同意語ですが、出方は人それぞれです。ある人は脇が甘くなる。あなたの場合は一つことに気をとられると他に注意が回らなくなります。』
  • 『視野を広く持つこと。』
  • 『世のためになることには、商売上の需要もあるということです。』……つまり共存できるということ。
  • 『油断大抵なのは、自分一人ではありません。部下の一人でも油断すれば会社は大きな損害を受けます。』

事例3

  • 『幸せは、いかに他に在るや』――歓びを分かち合えてこそ幸せがありますね。
  • 『心は繊細なもの、笑顔を見ても安心しない』――人が心に何を隠しているか、あなたはご存じですね。
  • 『あなたの笑顔に多くの人が救われています。その笑顔にも裏には悲しみがあるのにね』
  • 『侮られやすいのは侮辱であるが、積善の近道でもある』……あなたの笑顔に癒されている人の中には、身勝手な人もいます。不快かも知れませんが、大切な勤めでもあります。
  • 『理解者を得る』……一人の理解者を得ると、次々と理解者が増えていくでしょう。

事例4

  • 人間、ヒマになると余計なことを考えます。――余計なことを考えるヒマはどこから生まれたのか。仕事が順調だからです。

事例5

  • 勝つとは目的を遂げること、相手を打ち負かすことではありません。相手を負かせば恨みを得ます。だから、勝ち気は損気というのです。勝ち気なのは、向上心の良くない現れ方です。本当に勝つべき相手は、自分なのです。もっとも、あなたが勝ち気に育ったのは、あなたの品格が反感を持たれやすいからでしょう。……反感を持たれるのは、あなたの一方的な作用ではありませんから。
  • 『子供に振り回されて、学ぶことも多し』

もう一度地上に降りられるなら

2006/11/11

2006年11月11日


ある霊が語る。

 

「もしも、もう一度、地上に降りられるなら。

私は大きな声で歌う。

皆さんありがとう!

私を愛してくれて……

皆さんありがとう!

私と共にいてくれて……」

「私はとても幸せでした。

ただ、心残りは、

皆にもっと『ありがとう』と言いたかった。

『愛している』と言いたかった。

『言葉だけか』といわれても、私に出来ることはそれだけだから。」

「ありがとう。そして、さようなら。」


「ありがとう。そして、さようなら。」――この言葉に違和感を感じる。言葉にすれば単なる挨拶であるが、何か違う。

明白なのは、『また逢いましょう』がない。まあ、私宛のメッセージであるというなら、再会の意志が無いだけとも言えるが……

彼女は上がっていくのだ。後ろを振り向かずに。

振り向かずに進む、その決意ゆえに、再会の機会が残るとしても、決別の言葉を残したのだ。


どこに在るのが幸せか

2006/11/10

2006年11月10日


神の御許へ、いざ帰らんとする者を引き留める。

神の御許よりも、あなたの許にいる方が幸せだというのか?

さらなる生を祈る先はいずこ?

神の御許へ行くことを拒みながら、その神に祈る。

命は大切なもの……その言葉の蔭に動いているのはエゴではないか?

大切なのは生死にあらずして、それぞれが果たすべき勤めを、その時々に果たすこと。

人の勤めをおろそかにして、生死輪廻の自然を拒む。……そこに罪があるから人は苦しむ。

死が不幸なのではなく、残された人の心に不幸がある。


それは困った!

2006/11/09

2006年11月09日


友人が困難に晒されている。

霊査を求められたが……得られない。こういう時にはそれなりの理由がある。そう、そういう話である。具体的な事例を出すと、とても判りやすいのだが、まあ、天上天下、色々と事情もある。

つまり、悩める友人は、道義的最善(関係者全員の幸福)に抵抗がある。

だが、利己的最善は想像(イメージも湧かない)もつかない。

ならばどうするか?

……困った時の霊媒頼み、何とかならぬか、霊界にお伺いを立ててくだされ……アホウ、と思う。いや、変な表現だが、そうひどく頭が悪いと思うわけではない。「ああ、ここで詰っていたのか!」と思うのだ。

「汝の敵を愛せよ」、というが、理想はともかく現実は難しい。「論理」と「情」とは別物だからだ。

困難を困難と思うのは、解決した状況を想像できないからだ。だが、人の知恵で解決できないことであれば、それは神仏に任せるしかない。そして本来、神仏に任せたが故に霊媒に解答を求めるはずであるのに……変ではないか?

楽しい答なんて、期待する方が間違っている。だが、楽しくなくても正しい答なのである。それはつまり、不快であろうが、それが最善、つまり、失うよりも多くを得る答であるということだ。……もしもあなたが正しい道を歩んでいるなら。そうでなければ相手にもされない。

ひょっとして、いわんとすることが判らない?……つまりこうだ。

頼るなら、不都合な答えでも文句をいうな。

回答に文句をいうなら……それはあなたのゆとりの現われではないか。


逝く者を案じる人へ

2006/11/09

逝く者を案じる人へ

2006年11月09日


死したる者は再生するのが自然。

生まれてきた者は帰幽するのが自然なのです。

あなたが案じるその人も、そしていずれはあなた自身も、帰幽とは生まれてきた者が必ず辿る自然の摂理なのです。その自然の摂理に抗おうとするところにあなたの苦悩の源泉があります。いわば、自然の流れに押しつぶされているのが、あなたの苦悩なのです。

老いてもなお、病んでもなお、日々衰えていく肉体に縛り付けられることは決して幸せではありません。執着は、あるべき姿を遅らせるだけのこと、その不自然な在り方が肉体に苦しみを与えます。そして死が遅れればそれだけ再生の営みもまた遅れるのです。

あなたは病む者、老い行く者に同情し、長寿を乞うています。でもそれは、相手の魂をおもんばかってのことではなく、ただ、あなたがその繋がりに執着しているだけのことです。いわば、あなたは相手の魂の居場所、来世の在り方に同情する事を忘れているかのようです。

それぞれの魂には、それぞれの勤めがあり、その勤めを果たさずにはどんなに苦しくても死を選ぶわけには参りません。敢えてそれを曲げようとすれば地上の苦しみの何倍もの償いを、死後に背負うことになります。……ならばこそ、それぞれが果たすべき勤めをきちんと果たせるように助け合うことこそが互いの幸せの道なのです。

別離は悲しい、別離は苦しい、別離は嫌だ……確かにそうでしょう。しかし、あなたにとって心地よい答が、相手にとって最善の答とは限りません。

生き物は皆、老い、そして死んでいきます。そして、再生の気力を失うほど生きることに執着するのは業《カルマ》でしかありません。

人は永遠の生を生きる。ならばこそ、目先の生死よりもその時々の勤めをきちんと果たす、その一つ一つの過程こそが大切になるのです。

しかし、誰かが老い、死ぬその一方で、日々新たな生命も生まれているのです。死に行く者に気取られて、生まれくる命から目を背けては、人として暗いものがあります。


生きる者は死を免れることが出来ない……何のために生まれてきたのか、その理由を探求することなく、ただ生の快楽と苦痛との間を行き来している者は、目前に迫った死を恐れるようになります。果たすべき勤めを疎かにする者は、背後の霊達の支持が得られぬからです。

霊的な孤独こそが、人に不安をもたらします。……魂の孤独と、直面して生きる現代人が、何とも理解しがたい摂理です。


愛別離苦

2006年11月11日

 

人は永遠の生を生きているかも知れない。だが、地上の法や倫理は、人は死ぬことを前提としている。

たとえば、伴侶、または、恋人と死別した場合、新たな恋に落ちることや、生活上の必然から再婚することなどは、果たして心霊学徒にとって適切な態度であるのか。……相手にたいして不実はないか?

地上の関係

結論からいえば、人間、もしくは地上の法、いわば人間関係の分類法は単純・幼稚であって、ありていに言えば実態に合わない。

当人同士が永遠の愛を誓おうが、たちまち離婚するカップルもいるし、大袈裟なことの何もない見合い結婚でも長く連れ添う場合もある。神前で結婚しようが、婚姻届を提出しただけで終えようが、たとえ子供を何人なそうとも……男女の仲は情や都合の結果であって、永遠を保証された特別な関係とは限らない。

霊界でいう結婚とは、(ほぼ……)永遠の関係であるが、地上でいう結婚というのは永遠どころか、わずか百年前後の人生中ですら継続が危うい儚い関係が大半だろう。

「(いわば)神界の政庁」が認めた結婚であるか、そうでないのか……重要なのはその点であって、地上の法の元で認められた結婚ではさすがに判断の役には立たない。

情が絡む

さらに困るのは、地上の人間関係は大部分が情念に支配されている現実だ。たとえば霊的な繋がりがあるとしても、情念の高ぶりを感じることが出来ずにダラダラとした人間関係を続けた挙げ句、相手を失って始めてその価値を知るなどという愚かな流れもあるだろう。

反対に、置き去られてもなお、魂の繋がりのないことに気がつかぬ者もいる。相手の親切と繋がりとを誤解したり、相手の親切を下心と誤解する程度の繋がりもある。

人間の繋がりには様々要素があるわけだが、扱いにくいのは情念である。……いや、情念を重視する人、と指摘すべきか。負けず嫌いであるがゆえに、相手を追い掛けたり、相手を突き放したり。情念を表に出すと、誠実さが失われるのだが、情念の熱い人は往々(いや私の知る限り全て)、誠実さと情念とを取り違えているから困る。しつこいことを誠実と錯覚しているのである。

……いずれにせよ、他と霊的繋がり(つまり永遠の関係)がある人ならば、おそらくは静かにそれを信じようとする。だが、情念が支配するなら激しくそれを信じようとするだろう。……迷惑なほどに。

ケースバイケースだから

ケースバイケースだから、一件、一件について個別に回答しなければならないのだが、面倒なことに霊的繋がりの薄い人ほど情熱的に答を求め、霊的繋がりの強い人は誰かの手を煩わせようとはしないという矛盾がある。

だからこそ、個人的な問い合わせには返事をしたくない。答えなければならないなら、そもそも答は否定的なのである。

発端

伝えて……という声が聞こえる。

「それぞれの道を行きましょう。いずれどこかで道が交わるまで……」

霊的見解

霊的繋がりのある二人なら、因縁は当たり前のように分担を強いられる。当事者の意志とは関係なく……だが、霊的繋がりのない人であれば、一方が二人分の因縁を負担することも多い。

そう、因縁の働き方を見るだけで、神界がどういう立場で二人を扱っているかが見えることもある。その様な場合は、結果よりもむしろ過程が重視される。……言いにくいことだが、一つの試練であってゴールではなかった、そういう恋もあるのだ。実直な人には受け入れがたいことではあるが。

しかし、何事も初めがあり、終わりがある。……試練であるからと言って行き止まりだとは限らない。

大切なのは明日であり、どういう態度で明日に向かうのか、ということだ。


(続きを読む…)

当たり前なことだけど

2006/11/05

愛することの難しさ

2006年11月05日

愛されないからと世を憎む。

世を憎むから人々から嫌われるのに。

……憎む以外に為す術のない。

愛すれば愛されると言うが、一体どう愛せよと言うのか?

愛の意味を知らぬから、愛に飢えているのに。

悪意は改められるが、未熟さの克服には長い努力が必要なのだ。

が、待てない。

為すべき事を為さずに来た、その結果が「世を恨む」という選択なのだ。


何が大切か?

2006年11月05日

悩める人に必要なのは、説教か、支援か。

支援を受けるのに、必要なのは祈りか、自助努力か。

何が大切なのか? 自分が必要とするものを自分自身をおろそかにするのか?


誰のせいか?

2006年11月07日

 

安易な方法を探すには、それなりの理由がある。……気持ちが焦るには焦る理由がある。

……人生が巧く行っているなら、焦る必要もない。焦る必要がなければ、安易な方法を求める必要もない。

行き詰まり、遅れているから焦るのだ。――急いでいるから手軽な方法を求めるのである。

悠長な方法に目を向けるヒマなどない。たとえそれが本来の道であろうとも……たとえ遅れた理由が、遊びに夢中だったからだとしても。

だが、焦ると油断が生じ、油断すれば魔に狙われる。……ここでいう魔とは、仏教用語の「天魔」や、心霊用語の「悪霊・低級霊」の場合もあるだろうが、おそらく一番危険なのは、悪徳商法の被害だろう。

そもそもその遅れは、誰の責任において解決すべき問題であるのか。……因果律。原因があって結果が生じるのである。原因を変えることなく結果だけ変えようとするのには無理があり、無理があれば油断が生じる。

安易な方法を探すのにはそれなりの理由があろう。気持ちが焦るのにもそれなりの理由があろう。だが、その挽回の為にあなたは正しい努力をしているだろうか?

急ぐが故に焦り、近道のつもりで遠回りしていないか? いや、行き先の定かでない脇道に迷い込んでいないか?

気がついているだろうか? 道を間違えたら、もと来た道を戻る苦労のあることを。

若いのだからやり直せばいい……確かにそういう答えもある。だが、安易な道を選ぶにいたる事情に、果たしてやり直させるゆとりがあるのか?

・・・・・・・

苦労するために苦労していないか? ……霊の祟りよりも自分の愚かさこそが恐ろしいものだ。何となれば、霊は除霊できるが、自分の卑しさはどう捌けるのか? 捨ててもなお離れられない自分の業……無責任に捨てようとしてかえって苦悩を増やしはしないか。……まるで、苦労を増やすために努力してきたかのような人生を歩みながら、いざとなれば逃げる算段を持つというのは、何とも太平楽というべきか。


捜し物が見つからぬ時、答が無いのではなく、一番あって欲しくないところにある。……人生は霊性向上の修行の場、である。つまり、解答は巧妙にセットされている。

友人が引っ越し先を探している。……二人して片目をつぶって探してはいないか? 互いに触れたくない事情がある。

あるはずがないと思うから視野が狭まる。あるけれど、仕方がないと思えればもっと視野が広がるのに。

見つからないのは誰のせいか?


誠実であれ!

2006年11月09日

 

相談者に「誠実に祈れ」と助言すると、二言、三言、返ってくる。 「ああなるほど!」という答がない。

分りきったことをいうなというのか、はたまた、バツが悪いのか?

どちらにせよ、誠実に祈ろうとしたことが有り、なおかつ、余計なことも考えたのだろう。

余計なことまで考えるのが、不誠実だというのだが……私は責めているのではない。何となれば、私に何の責める義務、そして権利があろう?

誠実であれ。―― 代償を求めるために誠実であれというのではない。それこそが不純の極みである。だが、不純を感じるからこそ、その祈りを顧みる者がないことはあなたにとって大きな損失ではないか?

誰もが利を中心に考えるのが当たり前……その開き直りは何の利があろうか? 強い者が多くを奪う考えでしかないのに。

分かち合うことの大切さに気がつくなら、分かち合うためには誠実さが大切であると気付くはず。

重要なのは、欲を隠し、いや、消し去ることではなく、欲を越えた誠意に尽すことなのだ。

たとえ損でも、たとえ嫌でも、果たすべき勤めがある。それは素直に受け止める覚悟を示すことが大切なのだ。


因果

2006/11/04

2006年11月04日


書きたいことと、書くべきこととは必ずしも一致しない。

いわんとすることはたった一言で表せるが、会得するためには経験を必要とする。経験を写し取る手段はないから、せめて経験したことも合わせて書き表そうと努める。

だからなおさら、書きたいことと、書くべきこととが一致しない。

・・・・・・・

当サイトは本来、心霊サイトである。だが、本来主観的な心霊を語るためには、まず可能な限り客観的な立場に立つことが大切だ。足場の悪いところに出掛けるならば、足下をしっかり固めることが大切……それと代りがない。

・・・・・・・

親の因果が子に報い……因縁を受け継ぐ、といえば大抵の人々は見えざる世界を舞台とする不可知な闘争を思い浮かべるのではないか。確かにそれもある……いやいや、普遍的な回答としていうなら「確かにそれも否定できない」か。

だが、不可知な仕組がどれほどの効果を世にもたらすというのか? たとえば結果が明らかであれば、仕組がどうであれ世に認知される。だが、世に不審が残るのは結果に不審があるからだろう。

親の因果……不可知な因果もあるだろうが、本当に効果的なのは明白かつ現実的なものだ。

心霊研究家として私は思う。不可知なものの不可知な作用はきっと存在するだろうが、それは物事に直接作用することは滅多にない。……ここで言葉を濁すのは文献情報には、現在では想像するしかない強烈な事例が残されているからだ。……不可知なものが常用する手段は、不安定要素を自己の都合の良い方向に操作することだ。これは現代の科学技術が当たり前に多用することである。

電灯はなぜ点く?……オン・オフを変更可能なスイッチを操作するからだ。

電子機器の働きは……導体・不導体の状態を行き来する、半導体を活用しているのだ。

そして大馬力の機械類も今は皆……電子機器で操作している。少なくとも何らかの操作が、その強力なパワーを支配している。強い力で前に進むにせよ、一体前とはどちらであるのか? 強大な力は、わずかな力で操作されているのである。

よろしい。では、操作・支配を奪われたときに為せることは何か。たとえば、PCにウイルスが発症したら、その被害を局限化するのにとるべき態度は……通信端子、または電源を引き抜くことだ。そう、操作を無効にするには動力を断つのが一番だ。

・・・・・・・

不可知なる因縁は、なるほど有効な支配をしているかも知れない。だが、不可知なる因縁を断つのに、簡便な対処法も存在する。物語か知らぬが、豊臣秀吉に祟りを為していた狐が、突然に引き上げた。秀吉が国中の狐を根絶やしにすることを恐れた結果だという。

・・・・・・・

不可知な因縁を恐れて何も出来ずにいる。……その一方で明白な因縁は放置したままでいる。ナンセンス極まりない対処だ。


大貧民

2006/11/02

2006年11月02日


親しき人に深い愛情を注ぐ人……だが、器量には限りがある。誰かを大切にすれば、他がおろそかになる。いや、おろそかならば害はない。

愛される手応えが欲しいばかりに、親しき人に懸命に尽す……だが器量には限りがある。……だが尽し足りない……。

器量の範囲内で収める覚悟がなければ、尽し足りない分は他から持ってくるしかない。かくして他から奪い、他を傷つけて、疎まれ、恨まれ、結局自分を苦しめる。自分の来世まで穢してなお、他に尽す。

せめて、他に尽すことが報われるならば……良い。だが、他に尽すとは、相手のために尽しているのか? 自己満足の為ではないか。

不毛である。心の穴の開いているのは自分自身なのに、自分の弱さを直視できずに他者に尽す。自分よりも惨めな人を探して。

だが、本当に惨めな人は他者の施しを拒むものだ。いやそれどころか、見栄を張って他に施そうとするだろう。……結局、他の施しを受けられるのは、さして困っていない人なのだ。

何と滑稽な姿だろう!……貧しい者が施し、豊かな者がそれを受けるとは。

あなたには見えるだろうか?……心の貧しき者が他に施す、足りぬ者がさらに吐き出さねばならぬ地獄。

あなたには見えるだろうか?……心豊かな者が甘受する奉仕。持つ者がさらに得る極楽。

その差は、強いられているのではなく、当人が選んでいるのだ。


不得手から逃げるな

2006/11/02

2006年11月02日


人間にとって、得手・不得手があることはごく自然なことである。個人レベルでの完全を目指したところで、世界は一人の手に余る。……否応もなく、人は他と助け合う必然に至る。

個として完全を目指すなどというのは、自己に閉じこもり世界を放棄するに等しい。心霊主義的にいうなら、「サマーランド(夢幻界)」だ。……限定された完全、一定義内の完璧だ。……まあ、個人の努力目標はどうでも良い。各自それぞれに為すべき修行があるのだから。

私がいわねばならぬ事は至って単純である。……逃げるな。強がるな、無視するな。……だ。

不得手があるのは仕方がない。だが、不得手など無い……と、逃げるな。強がるな。そして、不得手を無視するな。……というのである。

苦手であるなら、素直に助けを求め、自分の得意な分野で恩返しするように努力すべきである。卑怯とは不得手を避けることではなく、嘘を吐き、他に押しつける事なのだから。

・・・・・・・

人生には様々な障害がある。……問題にすべきは、それぞれの障害ではない。その障害を乗り越えられないことなのである。

人生は霊性向上の修行の場である。ならば、たとえ不可能に思えても、心を静かに道を求めたならば、活路が開けなければ変である。……なぜ行き詰まるのか、なぜ行き詰まるまで気がつかぬのか。準備も出来ていないのに、修行することに何の意義があるのか。……その矛盾に気がつかなければなるまい。

・・・・・・・

門戸は全ての人々に開かれているが、全ての人が門戸の前に座しているわけではない。……遙か遠くに眺めているからこそ、騒ぐ人が多い。それは一体どういう意味か。……向上が日課になっているなら敢えて騒ぐほどのこともないのである。


お知らせBy老神いさお。

・スマートホン
iPhone/Androidで閲覧時に、最適化したページが表示出来るようになりました。よろしければ、ご感想をお寄せ下さい。

・サイト再構築中
移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。

・ページ更新
 現在:1056㌻
 復旧予定: 残り480㌻位・・・

老研カレンダー
11月 2006
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930EC
12月 2006
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
老研イベントリスト
みにみにぶろぐ
  • ・その後悔の帳尻が合う生き方をしているか?
  • ・我が国だけが原子力を全廃しても、隣国が原子力発電を推進すれば、危険性は無くならない。
  • ・生きるとは生むことである。
  • ・いろいろなる不平不満はあるだろう。だが人は歩んでいる。
  • ・与えられる事を当たり前に思っている者が飢える。
  • ・なぜ、争うのだろう? 事態はただ現実への妥協を求めているだけなのに。
  • ・ 見せられると信じたくなる
  • ・豊かな者は足りぬものに気が付かず、知りたる者は、知らざることに気が付かぬ。……
  • ・ 心に不満が生じるのは、あなたが焦っている証。もう少しゆっくりと生きなさい。
  • ・不平不満が生じるから醜いというのではない。不満を溜めたままでいるから醜いというのだ

More »

サイト内検索
サブ・サイト