‘2006/11’ カテゴリーのアーカイブ

正しい心霊知識は……

2006/11/30

2006年11月30日


下品な話題になるが申し訳ない。

学校でのいじめ問題に関連して、学校で対人関係の試験的授業を行っているというニュースを見ていた。良いことだと思う。心霊家としては……心霊知識を生かしてイジメの撲滅を図って欲しいものだが……まあ、無理であろう。

などと考えていたら、声が聞こえた。


『心霊を学ぶ、というのは性教育と似ている。学校で習う性教育など、内容はつまらぬし実際の用には足りぬ事ばかりだろう。だがポルノを教材にすれば、娯楽性はあってもつまらぬ偏見を持つばかりだ。――そしてやはり役には立たぬ。

『娯楽は娯楽と割り切っている分には罪がないが、知識の不足を娯楽で補えば自信を得ても、実際に直面すれば瓦解する。だが、好奇心の強い者が実際を知らぬままに耳年増の如く偏見を学び取って真実を拒絶する。

『性教育は、青少年の欲望充足の助けを目的とするものではない。と同時に、青少年の欲望を否定するのも目的ではない。全ての学校教育の目的は、無智の生み出す害や罪から、人々を守ることにある。

『性を楽しみたいのであれば、たとえ退屈でも性教育が必要なのである。同様に、心霊知識も、生を楽しむためにわきまえておくべき、死に関する哲学なのだ。

『素直な心霊学徒らがいうように、死後も自我が存続するとしても、環境の変化はあなたを変えずにいられるだろうか?

『たとえ霊界が素晴らしい世界であろうと、あなたが地上の生を穢し、無責任に死を選べば、その報いがあなたに返らずにはいられない。……つまり、死後の生が楽か、苦かは、心霊知識に答があるのではなく、あなたの生き方にこそ答があるのだ。

『文化、そして機械化、大量消費社会の中で浪費しながらもなお、不足に喘ぐ人々よ、それでもあなたは不足を感じているだろうが……満足感が麻痺したままではどんなに素晴らしい世界に暮らしても、やはり不足を感じるとは思えないか?

『真面目な心霊研究を退屈に思うとは、つまり、必要なこと、当たり前のこと、分相応なことに満足できぬということではないか。……あなたは「充分」で満足できるだろうか? それとも「過分」を必要とするのであろうか?

『あなたを支配するのは、向上心か? それとも、「充分」に満足できない飢餓か? 』


心が餓えている

2006/11/27

本当に愛が足りないのか?

2006年11月27日

 

 

穴の開いたバケツで水汲み(水まきではなく)をする。……仕事というよりは嫌がらせか、罰仕事であろう。好んでする人がいるとは思えない。

・・・・・・・

ピークは過ぎたようだが、「癒し」という言葉はまだまだ人々を引きつける。また、今の世の中には、愛が足りないとか、優しさが足りないと、いわれ続けて久しい。

問題が提起されても解決しないのはなぜだろう? かくも現代人は酷薄になって、なお、それを改めようとしていないのだろうか?

その一方で、自分の居場所、自分の勤め、自分の存在感を求めている人のなんと多いことか。自分で自分の存在を認めるのはなかなか難しいが、他者から必要とされるならば、容易に自分の存在感に自信を持つことが出来るもの。そう、人は優しさを求める一方で、他から感謝されることも切望している。なのに、世の中に愛が足りないといわれるこの不可思議さ。

・・・・・・・

無料と見れば根こそぎ持って行き、優しくすれば、つけあがり、相手の親切につけ込んで自らの義務を放棄する。

誰が好んで穴の開いたバケツで水汲みをするというのか?

親切や好意を大切に受止め、無駄にしない人が多ければ、他に親切にすることは、大いなる快楽である。……それこそ、日本では昔からみだりに「役」を引受けるなといわれている。地域の世話役などに熱中して生業がおろそかになり、財産を失う者もいるからだ。かくも人は、他に親切にしたいのである。……親切にすることに張合いがあれば。

世間には、本当に愛や優しさが足りないのか?

私には、餓鬼のごとく他者の愛や優しさをむさぼる者が多すぎて、誰もが自己防衛に必死に成らざるを得ない状況が見えるのだが……。


心が餓えている

2006年11月28日

 

皆、心が餓えている。

その心の餓えの原因を、幼少時に両親の愛情を受けられなかったからだ、という人がいる。なるほど、それも原因の一つだろう。

……ならば、親を恨んで一生を送るか?

親にあれこれ言われると、「いつまでも子供扱して!」と即座に腹を立てるのに、そのくせ、親に甘えられなかったといつまでも不満を引きずる。

その自己矛盾がどれほど自分を害するか。子が親を求める気持はなるほど素直ではあるが、素直であっても不平不満は毒である。心に毒を抱えて、知らず知らずに自分に関わる人々を汚す。

人の心は様々なものに反応する……嫌なものを見聞きすれば心に毒も生じるだろう。だが、それを抱え続けてどうなるのか?

未来を作るのは今・現在の努力なのに、過去に拘り生きているから、今がおろそかになっている。それはつまり、よりよい未来を失っているということだ。

だが、それを理解しても自己矛盾は解決しがたい。……情は論理に従わないからだ。まったく人の業は深く根付いているものだ。

・・・・・・・

人を「心の親」として生きるから、愛情不足が問題となる。心は多くを感じ、万物は心に感化し得るのに、多くの勤め、多くの都合、多くの付合いがある一組の両親からだけ、愛情を得ようという心の狭さ、いやむしろ、独占欲が自分を餓えさせていないか?

私は特定の宗教を他に勧めることはしないが、私の知る限り、心豊かな人は信仰心篤く、肉体の親以外にも心の親、それも人智で計り知れない英知を備えた心の親、世俗的にいうなら信仰対象を持っているようだ。

ここでいう信仰対象とは、宗教・宗派が掲げる神仏のことではない。ブランドやラベルに拘るのはソフトウエアの問題ではあっても、結局は唯物主義的な観点である。

多くの宗教家・思索家が追求してきた「あるもの」……その理想の先こそが真の信仰対象であって、言葉で表現された部分など、宗教家・思索家の商品に過ぎないのである。

そして、「商品」には価値があるにせよ、「代価」分の価値しかないことをあなたは気が付いているだろうか?


言い訳

2006/11/26

2006年11月26日


11月25日深夜……

私は他人の心を覗くものではない。ただ、見せられるものを見ているだけだ。……で、見てしまった。

また言い訳している……拗れるだけなのに。

言い訳とは、つまりは嘘である。嘘とは本来罪である。

自分を守るために嘘をつく……多くの人はそれを当たり前のこととして肯定する。だが、嘘には被害者がいるのだ。被害者がいる限り、罪は償いを必要とする。

時として言い訳は必要だ。だが、自分の為の言い訳は自分にとって利があろうとも利己的である事を免れない。

言い訳とは、相手の為にこそ必要なのだ。

利他的な嘘……それこそが適切な言い訳である。利己的な行為は決して何も肯定はしないのだ。


愛していると言いながら、利己的な嘘を言い、相手を傷つける。

相手を傷つけていることに気がつくこともなく、言い訳を繰り返す。

……なぜ……つまりは自分を守るため。

……自分を守るため、自分を守るため。

あああ!

あなたは自分を守るために、人を愛すというのか?

……そんな愛は、破綻せずにはいないだろう。


静岡オフ会: 2006年11月24日・25日

2006/11/24

霊査事例: 2006年11月24日

以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


社名変更の相談

  • 『よろしくあらず、会社運上昇のみぎりに社名を改めるのは、つまずきの元なり。』

仕事が行き詰まっている

  • 『精神統一の不足なり、他のことを考えて空いている時間だけでやろうとするなかれ。せっぱ詰まればアイデアがわく、そういう体質ではないのだから。』

赤ちゃんが身体を掻いて傷になります。

  • 『石けんの使いすぎである。部位をよく考え、洗いすぎぬようにせよ。』

霊査事例1

  • 『よろしくあらざるなり。腹座らず、気が浮つく。これを浮気という。大切なものがあるなら、気などが浮つくこともない。大切なもの、大切なことを見失うから、落ち着きがなくなる。または、大切と思えなく居りたることなり。』

……多くの人は拗らせて初めて風邪を自覚します。でも、拗らせてからでは遅いのです。未然に防ぐ。それが大切です。

霊査事例2

  • 『よろよろ(あれこれと?)と思うな。 予知、予言などというのは流されている人のものである。心霊を学ぶ者は、未来を作り、生む覚悟でなければならぬ。

  • 『どういう未来を欲し、どういう具合に作り上げていくのか。そのために、それを考えるために智慧があるのだ。
  • 『その智慧が常識から逸脱しないためが、精神統一の修行である。』
  • ……野次馬ではダメですよ。クリエイティブになってこそ、霊性が活性化されるのです。

    霊査事例3

    • 『無心であることが真の人だ。無心でない時の人はカルマ(業)の器である。

  • 『カルマの器のくせに、真の知を得られぬと嘆くのは強欲であろう。無心であっても、日常生活は送れるはずである。』
  • ……創造性は、無心・無私になってこそ発揮できるのです。自分の都合で発揮できるものではありません。

    総論 禊ぎを終えて、ほっと、一息ついて気がつけば、風景は紅葉が厚く、足下にも美しき風景がある。

    風景を見るゆとりさえなかったかと、改めて思う。

    そう思えるなら、つまり、リラックスできたということだろう。

    それこそが私たちの目的とすることであり、つまり、目的を果たしたということだ。

    朝方は雲が厚かったが、禊ぎのあとには時折日も差し、青空が見える。……功徳とはいわないが、背後の霊たちの心憎い配慮であろうと思う。つまり、そういう日、そういう時を選ばれたのだろうと思うのだ。

    その程度のことで、十分に喜び、感謝することの出来る我々がいる。やはり、リラックスできたからなのだろう。自分の事でいっぱいであれば、そんなことには気がつかなかったかもしれない。

    
    

    霊査事例: 2006年11月25日

    以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


    事例1

    • 『冬が来るから夏を思う。日々変化することが物事を明らかにする。』……一面だけを見て、理解しているつもりでいるから、別な一面を見たときに、騙されたと思ったり、裏切られたと思うのです。
    • 『心を揺らがすのではなく、物の見方を変化させるのだ。』……変化に戸惑うことを恐れるなら、大切な物を見るのに、様々な視点を持って観察すべきです。

    事例2

    • 『諦観有り……いくら修行をしても悟りを得られずにいる。そういう前世を送りたる汝は、妙な諦観をもつ。』

  • 『悟りとは、学ぶものでも、教わるものでもなくして真実を素直に感じることである。
  • 『当たり前を当たり前に思う、奇妙であってもそうだと思う……どちらも違う。すべては人がそうと信じる姿である。そして信じることと真実とは異なる。
  • 『もっと素直に、もっと信じる』……信じることと真実とは違う。だが、もっと信じよというのは、自分の信念を信じるという意味ではなく、自分の感覚を信じるということだ。皆が偏見を持っているのに、その偏見こそが真実と信じれば、真実を見失うのだから。人は信じる力を持っているが、間違いを信じては害となるだろう。
  • 事例3

    • 『手に負えぬ事を抱えようとすれば、それは相手を締め付ける。

  • 『たとえ相手が幼子であろうが、汝に出来るは、ただ、支えることのみ。
  • 『為すべき事と、為せること。それを常に明白に分ける。
  • 『必要な事を為して、不要なことをしない。それが有益な行いであり、余計なことは往々迷惑である。
  • 『相手の情に従いて努める……それは情の行き着く先を追っているのであって、人として為すべき事を追うのとは違う。
  • 『間違った努力をするから、うまくいかずに苦労するのだ。』
  • ……物事は人間の思うままには変化してはいきません。また、人は道理に叶うことを好むとは限りません。ワガママや、無理難題、それに従おうとすれば思わぬ結果に至ることでしょう。好き放題が出来て初めて幸せになる……それは大きな間違いです。無理は必ず破綻するのですから。自然なあり方、道理に反しない生き方こそが、苦痛少なく、多くの努力も必要とせず、心地よく、安定した生活の元なのです。……それは現実への妥協と異なります。なぜ無理をしようとするのか、人は躓きの種を抱いたままに努力して躓くのです。業が深い。全くそうなのです。


    静岡オフ会無事終了

    2006年11月27日

    振り返ればいつも思うことではあるが、瀧行の前後で世界観が大きく変わる。たかが水、水を浴びただけで変わる世界観など虚ろなものといえばなるほどそう思えるかも知れない。だが、事実と意識は相応する。

    一般論としていう。――頑張ればこそ、人の視野は狭まる。今抱えている問題の答が見つからずにいるのに、人の目は一体どこに向くというのだろう?

    だが、寒空に冷水を浴びる。……もしかすれば心臓麻痺の危険がある……命がけ……いや、そんな大それた覚悟はいらぬが、わざわざ辛い、冷たい状態に、進んで我が身を置くことはとても疲れるのだ。どこが……つまり意気地が。

    意気地が疲れた人はただ、素直になることしかできない。かくして、今まで見えなかったことが見えてくる。

    まず初日に見えたこと……雲の美しさ、紅葉の始まりたる、木々の有り様の美しさ。足下にも幽かな花が咲き、空の雲が厚くても、そのグラデーションは複雑微妙で味わいのあること。

    そして二日目に見えたこと……職場の業務基幹システムが更新され、導入に際して様々な問題が起って私の頭を悩ませていたが、それやこれやはつまり、同僚らも皆、真剣に取り組んでいるからこそ軋轢を生んでいたのだという事実。

    ……私が一歩退けば、物事は自ずと収まったであろうという現実。私も含めて皆が真剣だからこそ、見えなかったこと。

    真剣だからこそ、見なければいけないことが、真剣だからこそ見えない事がある……いや、真剣だからこそ見えないのだから……

    不真面目に生きよというのではない。暢気に生きろというのでもない。

    ある時は真剣に、ある時にはリラックスして、様々な視点で一つのことを見ればこそ、より立体的に物事が見えるのではないか?


    悲しめることの幸せ

    2006/11/24

    2006年11月24日


    悲しい思いを重ねてきた人ほど、永遠・不変に憧れる。そして、成功に向かって努力してきた人ほど、永遠・不変を侮蔑する。……永遠不変であれば、一体どこに幸福を掴むためのチャンスが生じるというのだろう?

    悲しむ者は、失うことを悲しむ。

    成功を求める者は、得られぬ事を悲しむ。

    失うものを持っている事に感謝することもなく、また、未だ手の内に残っているものを大切にすることもなく、失ったものを嘆き続ける。……悲しみに沈むのは確かに不幸だ。だが……自分を哀れむことが出来るなんて、とても豊かだとは思わないか?

    たとえ愚かで、非力な自分であろうと、自分だけが財産であるなら、人はそれを使いこなして幸せを掴まなければならない。自分を哀れんだって、幸せにはなれないのだから。

    不幸を嘆くヒマもなく、幸せを得ようと努力を重ねている身にとっては、悲しむ人こそ羨ましい。


    隠して終わる

    2006/11/21

    2006年11月21日


    紙と鉛筆と計算尺とで積算を行うのはもうすでに過去の話……といっても、私は計算尺での積算を学びはしたが実際に仕事で使ったことはない。ただ、先人の智慧に大いに感服しただけだ。図面でも積算でも、紙と鉛筆の方が案外に早く出来上がる。ただ、修正が困難なのだ。まあ利点があってもITシステムを使いたいが……

    ところで日進月歩のIT技術。革新は進み、システムの利用期間もどんどん短くなっていく。ましてや技術革新は単なる便利さだけを提供するのではなく、より野心的な使い方も提示する。つまり、複雑なシステムが簡便な操作を提供する一方で、より高度な目的から、大量のデータ入力を必要とすることもある。

    まあ、端的にいえば、業務システムの更新を負担に感じているのである。私は職場の中ではかなりITに詳しいのだが、それでも今回の更新にはいろいろとウンザリしている。

    業務システムというのは一部のITに詳しい人にだけ委ねて済むものではないから、必然的に職場単位や部門間で何度もミーティングが持たれる。……が、話はなかなか進まない。業務に詳しいがITには弱い人、ITには強いが業務には疎い人、間に入って、歴々に向かって、ついつい私が口を挟む場面もある。

    すると……同僚の諸先輩も一斉に発言を始めるのだ。いわゆる昔話を。

    『昔は大変だった、あの仕事は大変だった、今は便利になったが、でもよく分らない……』

    ……で、話がちっとも進まない。「場をわきまえろ」と言いたくなる。それは何も時間の無駄を問題にしているのではない。難しい話題を論じているのに間が明けば理解や印象が薄れていく。

    皆、職場の改革に焦りを感じているのだ。焦りを隠すために過去の業績を口に出す。……むしろそれが痛々しいのだが。

    こういう無意識言動を繰り返す、諸先輩を侮蔑する意図はない。……私だって自分が不得手の場面では無意識に、無関係な自慢話、または脱線話をしているかも知れないのだから。

    当たり前に流されていては、善く生きることが出来ない。……でも、善く生きようとしている人はなかなかいない。罪を犯して罰を受けることを恐れる者は多くても。


    なぜ、罪を受けた者を嘲笑うのだろう? 罪を犯さずに済む、自らの境遇に感謝することもなく?

    裁きを恐れる者は多い……善良を演じる者は多いが、善良な者は少ない。


    劣等感を隠すことを非難するのではない。隠すだけで終わることを残念に思うのだ。


    老衰・死の準備

    2006/11/16

    ペットの安楽死

    2006年11月16日


    老衰で死に瀕している、ペットについての相談を受けた。……何とかしたい。それが情である。だが、老いは巻き戻すことが出来ない。長生きさせようとするのは、つまり、老衰の苦しみを長引かせるということだ。

    ……引き留めるな。と私は思う。情は解る。だが、老いは巻き戻せないという理を理解すべきである。少なくとも現実と妥協すべきだ。

    生きているものはいずれ死ぬ。死したるものはいずれ生まれくる。変化は自然であって不変こそが不自然だ。だが、人は不変を求める。永遠を求める。自然に反して不自然を尊ぶ。その不自然さこそが苦しみの源泉であるのに。

    生は苦である……それがすべてではないが、それが現実でもある。

    愛情を注ぎ、幸せを願っていればこそ長く幸せに生きてくれと願う。だが、それが本当の優しさであるのか? 相手のことを思っているのか、それとも相手に執着をしているのか?……と、私は問題提起する。

    すると、次の問題が生じる。

    老いて苦しむだけのペットに何をしてやれるのか?……安楽死という選択はどんなものであろう。

    ……老衰の苦しみは人生に伴う責任の内である。無駄な苦しみはせずとも良い。だが、責任を逃れは苦しみは来世に持ち越すことになる。

    そもそも、野生動物は老衰に至る前に寿命が尽きる。人に飼われているペットは安逸な日常の代償として老衰の苦しみを味わうのである。……生のツケ、長生きのツケを支払うのである。支払えるのはまだ幸せだ。いずれ支払わなければならないのであれば。

    老いて苦しんでいるペットは哀れむべき存在ではない。苦しんでも死を投げ出さないその生を誇りに思うべきなのである。一生懸命に生きているのに、人は勝手に安楽死などという事を考える。

    ペットの安楽死は、話題にしやすい。だが、本当の話題は……人も老いる。誰もが老いる。そして誰もが死ぬのである。


    死の準備

    2006年11月17日

    人はいずれ死と直面する。だが人は、死の何を知るだろう?

    私たち心霊家は、死後の生活を研究している。……研究と呼ぶにはあまりに主観的な方法かも知れないが……だが、悲しむべきかな。主観的な研究は、主観的な心に支配されがちだ。

    死後の生活の楽しさには関心が向くが、その生活を得るためには死を乗り越えなければならないことを充分に理解している人がどれだけいるだろう?

    つまり……死の準備の出来ている人が?

    死の準備が出来ている……そう聞いた人がどう受け止めるか?

    以前オフ会で、「私は殴られても腹が立たないが……」と言いかけたところ、すかさず参加者から、「じゃあ、蹴っ飛ばしてみて良いですか?」と突っ込まれた。彼は言葉の一部だけで判断を下している。私は殴られるよりも腹が立つことがあると指摘したかったのだ。それは「悪意」である。つまり、悪意無くぶつかったというのであれば、私は腹を立てぬだろうが、悪意があるなら実際に殴られなくても私は相手を敵と見なすだろう。

    大抵の人は、相手の行為で善し悪しを判断する。だが行為は結果に過ぎない。人を善くするのも、悪くするのもその心である。そして残念なことに善き動機が悪い結果をもたらすことも無いとはいえない。いや、多くの人々は思わぬ結果に言い訳を飲み込んだ経験を数多く持っているのではないか?

    行為や結果で人を見るのは正しい分析法ではない。だが、誰が人の心の真相を判断できようか? 有力な霊媒だからといって……人の心は安易に把握できるような単純なものではないのだ。結局、人は不確実な簡便式検査法に頼らずにはいられないのだ。

    死の準備とは、死の恐怖を克服したとか、死後生の知識を充分に得たとか、そういうことを言うのではない。何となれば、怖くないといったところで実際に死に直面して平然といられるかどうか、どう試せるというのだろう? そして死後生の知識が実際に役に立つのかどうか?

    座学だけで実技を避けている人ならば、なおのこと、言うに足りぬと思うべきだろう。

    ・・・・・・・

    私のいう、準備とは、死後の生に地上の生を持ち込まぬ覚悟である。

    死後の世界でも飲食できる、死後の世界でも娯楽がある、死後の世界でも恋愛できる、死後の世界でも夫婦は一緒だ……地上と一緒だ!、という考え方が死後の準備の無いことを表わす。

    郷に入っては郷に従え……あの世にはあの世のライフスタイルがあるはず。だが地上の生き方を持ち込もうというのでは、あの世で軋轢を感じはしないか。

    昔は良かった……過去を引きずる。

    どうしてあんなことをしてしまったのだろう?……過去を引きずる。

    誰も私のことを~~……依存心と責任転嫁。

    寂しい……依存心。

    まるで境遇に従わないで、不平不満をいう。境遇を生かさずに境遇に殺される生き方というべきだ。これでは変化が不幸に繋がる。……生から死へ移ることで不幸になるなら何のために死語の勉強をするのか。心霊を学ぶのであれば、生から死へ移ることでさらに幸せになるべきではないか。

    死後には、死後に相応しい生き方をする。……それが私のいうところの、死の覚悟である。むろん、死の恐怖も乗り越えられるなら乗り越えた方がよいだろう。だが、吃驚するのまで克服するのは、精神的向上というより生理的な故障と見るべきではないか。

    だが、死後に相応しい生き方をするどころか、……今現在の地上の生の中ですら「判っているけどなかなか変えられないよねぇ」などと業の深さを言い訳しているのであれば、それは死の準備どころか、生を全うする準備もあるようには見えない。結局、与えられた目的を人生で達成するための、準備段階の生、生きることに慣れるための生を歩む人なのだろう。


    愛猫・逝く

    2006年11月22日

     

    知人の飼い猫が亡くなった。老衰と病気とで弱っていたが、友人の脇で寝ていた愛猫は、友人が目覚めたときには、すでに息を引き取っていたという。

    人によっては、「たかが猫」。別な人にとっては、「ペット・ロス」なる大問題に見えるだろう。

    読み手の時間を節約するために事前に書くが、当稿は、「ペット・ロス」への癒しは眼中にない。

    ・・・・・・・・

    友人は結局、安楽死を選ばなかった。苦しむ愛猫の姿を見ることはとても辛かったことと思う。だが、努力を尽せば、結果が悪くても後悔は薄い。

    「もしもあの時……」という、妄想の余地が少ないからだ。

    いや、死別の悲しみよりも、「充分苦しんだのだから、後はゆっくりお休み」という気になるのだろう。

    それこそが生である。全ての生き物は死を免れないが、全ての生き物は死ぬために生まれてきたのではない。生きるために生まれてきたのだ……死のその時まで。死ぬために生まれてきたのであれば安楽死も幸福に思えるだろうが……。

    なるほど価値観は人の数だけある。だが、スポーツにたとえてみよう。勝ち目がないからと言って試合を放棄したら、その選手は何と評価されるだろうか?

    逃げるのも戦略の内? 確かにそうだ。だがそれで観客が集まるか? 少なくともプロスポーツは観客無くして成り立たない。そしてアマチュアスポーツを成立させるためには、他に収入がなければなるまい。

    逃げるなら勝手にしろ……無駄に思えても努力するから支える者が表われるのだ。

    無駄な苦しみに思えても、懸命に生きている者は賞賛されるべきだ。……いかなる言い分があるとしても、負けと逃げとは評価はまったく異なるのである。

    ・・・・・・・

    だが、友人は、愛猫の死を看取れなかったことを残念に思っているらしい。だが違うのだ。

    燃え尽きて逝った者には穢れがない。……くだらぬ比喩ではあるが、度数の残っているプリペイドカードを紛失したとしよう。失えば諦めるほか無いのに、あれがあれば、と、残念に思わずにいられようか? だが、度数が無ければ、プリペイドカードなど、ただのゴミに過ぎず、未練も何もあったものではない。

    つまり、寿命の尽きる前に死んだ者には念が残る……残念、つまり未練が残るが、寿命が尽きたものには念が残らぬのである。

    未練の残る者であれば、死後に浄化が必要で、供養などを要求するかも知れない。まあ、供養を要求する猫というのは聞いたことがないが……だが、未練がなければ、一体何を必要とするのだろう?

    浄化が必要で、誰かの助けなくして死ねぬのであれば、愛猫も飼い主を起したかも知れない。または死にきれずに飼い主が目覚めるまで生きていたかも知れない。……だが、助けを必要としないほどに、穏やかな死に方だったらどうか?

    ひっそりと死ぬことは、飼い主に何の義務や責任の無いことの証と受取るべきなのである。

    この友人が、以前、お父様を亡くされたとき、随分と長いこと、泣き言を言っていたことを思い出す。お父様も、朝、目覚めたときには息を引き取っていたのだった。

    残された者にとってみれば、息を引き取る直前まで何彼と世話を焼きたいのが人情かも知れない。だが、特別な事情のない限り……世話を受けなければ死ねないのは、心霊家にとっていささか面目のない死に方かも知れない。

    私は思う。静かに逝けたのは、天の祝福であって、後は何も心配がないという証であると。そういう死別の在り方は、人情として寂しいかも知れないが、無事に送れたことを誇りに思うべきだろう。


    泣き喚いて引き留め、愛する者が死んでもなお、いつまでも未練を口にし、仏事に金をかけて愛する者の浄化を祈る……だが未練は相応す。相手の幸せを祈ると言いながら、実は未練で地上に縛り上げている独善的供養は、死者にとって地獄である。


    愛欲

    2006/11/15

    2006年11月15日


    人間関係というのは、論理ではなく、情念だ……クールに割り切れるなら良い提案も出来るが、人間関係で悩んでいる人にとって、納得できるのはクールな回答ではなく、納得のいく言い訳なのだ。……まあ、虫の良い提案ともいえる。

    で、「こいつ馬鹿じゃないか?」と思えるのは、伴侶の友人に無関心な人だ。伴侶の友人ならば、自分にとっても友人となるように努力しなければ、いざ夫婦仲に亀裂が入ったときにどうするのか?

    「ああ、あんなつきあいの悪い奴なら、別れちゃえば?」……と、むしろ友人が別離をそそのかすとは思わないのだろうか?

    「伴侶の友人を信頼しているから」……相手の信頼に応えることもなく、一方的に信頼するなら、それこそがまさに離婚を促す条件でもある。要するに、周囲の好意に甘えていては、切り捨てられる恐れもあるのだ。

    間に入って、「まあまあ、互いに言い分のあることだし……」という、共通の知人はとても大切なのである。つまり伝統的表現でいえば仲人である。

    最近では結婚時に仲人をたてないのがむしろ普通らしいが、それはご時世の問題ではなく、単に人を敬うことが出来なくなった、現代人の人格の薄さこそが問題なのである。信頼できる第三者、相談できる第三者、法律やら損得抜きで親身になってくれる第三者を持てないカップルが増えていることこそ、大問題に思える。……大人気《おとなげ》のないカップルが多すぎるのだ。

    まずい世の中だと思う。現代においては、人間関係というのは得るものであって、育てるものじゃない。……だがそれで本当に良いのか?

    たとえるなら、誰もが皆、収穫に懸命ではあるが、収穫に忙しくて種まきをさぼっているのだ。今年は稔るだろう……だが来年も稔るのだろうか、種も蒔いていないのに。こぼれ種だけでいつも豊かに暮らせるなどと、誰が期待できるのだろう?

    ……まあ、収穫に手を抜く人なら、こぼれて芽吹く種も多いだろうが……

    世の中豊かになっているが、心は皆、貧しくなっている。……それはつまり、未来の収穫を食いつぶしつつ、豊かさを甘受しているということなのだ。破局の過程にしか、私には思えない。

    こういう危うげなカップルを見ると思う。

    これは愛じゃなくて、愛欲だ。愛すべき相手が大切なのではなく、恋愛をしていることが大切なのだ、と。相手よりも恋愛を大切にしている恋なら、相手はいずれうんざりするだろう。その危険がまさに実現するとしたら……ああ、業の深さよ、人はわざわざ自分を不幸にしようと努力するものなのだろうか、と思わざるを得ない。


    開き直るな

    2006/11/14

    2006年11月14日


    積極的であるとか、慎重であるというのは、時と場所をわきまえれば長所となります。

    当然、場違い、または状況にあわない積極性や慎重さは欠点となります。

    つまり、性格が積極的、または、慎重であることは、特質であって人格や霊格の善し悪しを表す物ではありません。

    その性格が長所として働いたとしても、それは状況と合致したというだけのことなのですから。

    普段は積極的だけど、時として慎重になれる……そうなってこそ、格が上がるというものです。

    たとえば女性などが子供をかわいがる。ペットをかわいがる。相手を受け入れるというのも良性の特徴です。でも一方で、子供やペットを縛り上げて手から離そうとしなければ欠点となってしまいます。

    ……性格なんだから仕方がない。いえ、それをいうなら人格が低いのだから仕方がないと言い直すべきです。なんとなれば、向上を放棄しているのですから。

    自身の特徴を良い方に用い、悪い方には押さえる。……出来るとか、すべきという話以前に、そういう努力が必要なことさえも気がつかないで生きている事があります。


    開き直るな

    2006/11/14

    2006年11月14日


    積極的であるとか、慎重であるというのは、場をわきまえれば長所となります。

    当然、場違い、または状況にあわない積極性や慎重さは欠点となります。

    つまり、性格が積極的、または、慎重であることは、特質であって人格や霊格の善し悪しを表す物ではありません。

    その性格が長所として働いたとしても、それは状況と合致したというだけのことなのですから。

    普段は積極的だけど、時として慎重になれる……そうなってこそ、格が上がるというものです。

    たとえば女性などが子供をかわいがる。ペットをかわいがる。相手を受け入れるというのも良性の特徴です。でも一方で、子供やペットを縛り上げて手から離そうとしなければ欠点となってしまいます。

    ……性格なんだから仕方がない。いえ、それをいうなら人格が低いのだから仕方がないと言い直すべきです。なんとなれば、向上を放棄しているのですから。

    自身の特徴を良い方に用い、悪い方には押さえる。……出来るとか、すべきという話以前に、そういう努力が必要なことさえも気がつかないで生きている事があります。


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