‘2006/10’ カテゴリーのアーカイブ

里山の荒廃

2006/10/29

2006年10月29日


熊による被害が増えている。原因は里山の荒廃であるという。

・・・・・・・

イジメを理由にした自殺が増えている。……被害者の親等が自殺問題に取り組むというが、大人による、いじめっ子イジメにならぬか?

自業自得?――確かにそういう一面もある。だが、子供は良識を携えて産まれてくるわけではない。

現代社会にはなるほど優しさが足りないかも知れない。……では、皆が優しくなれば問題は解決するのか? 他者を傷つけられない、反撃できない子供等が死に追いやられている現状で、子供に優しさを求めるのには無理がないか?

イジメという形でストレス発散をしている子供達。だが、ストレス・コントロールが出来ずにいるのは果たして子供達だけか? 大人達すら、ストレスに負けているこの社会で、子供のストレスだけを圧殺しようとするのには無理がある。

・・・・・・・

クマが里に下りてくれば、里山の荒廃が問題視される。だが、いじめの問題では、一体何が問題視されるのだろうか?

・・・・・・・

大人達も、いじめを苦にして病に罹り、また、自殺に追いやられている。

イジメという形でしか、ストレス発散できないのか? 何とも不器用な万物の霊長様達。


霊魂説・心霊主義

2006/10/28

2006年10月28日


霊媒体質者への雑感

 

霊媒体質者

暇を持てあました母にせっつかれて、多忙の中、宮ヶ瀬ダムに連れて行った。帰路、お土産を買って母の知人宅に立ち寄った。

話題が宮ヶ瀬ダムに及ぶと、知人は、自分は霊感が強いため、寒気がしてとても宮ヶ瀬ダムには行けない、だからいったことがない、という。……まあ、私の知人ではないので、黙って脇でPDAを操作していた。

霊感が強い……というのは、案外くせもので、その体験談がきわめて主観的であることを自覚せず、霊的問題について一家言を持っていたりするので、無闇に口を挟めない。……つまりだ、どんなに簡単なことでも、『出来ない!』と諦めて行動に移らなければ、やはり出来ないのと同じ事だ。……理屈がどうであれば、私はこう思う、となればそこで話は終わるのだ。

私は平気でどこにでも行く。古戦場であろうが、霊園であろうが、ミステリースポットであろうが(今では)平気である。まあ、霊障などというのは霊感が強ければ避けられるというものではなく、逆に霊感の強い人が受けるものであるから、油断をしないように注意はする。さらにいえば、不快な場所よりも清々しい場所を好むのはいうまでもない。

また、霊感発現当初より三年ぐらいはとても苦労したので、霊障を恐れる霊媒体質者の苦労を笑いはしないが、正しい努力をしているのかと、案じ、または、疑いもする。

……が、まあ、話を先に進める。

物事は、相対的に見てこそ客観性が生じる。たとえば強い被害者意識の持ち主は、周囲から実際に冷遇されているにせよ、必ずしも善良、または、優弱とは限らない。逆に傲慢・強引・独善で周囲から嫌われているのかも知れない。

では、霊障者はどうか?……憑る霊が悪いのか、はたまた、余計なちょっかいを掛けてはいないか。先住者がいるところにドタバタと移住してあげく、供養だ、除霊だ、などと力業での解決を目論見、霊障を拗らせたりはしていないか。……まあ、心霊趣味などというのは、恐いもの見たさの野次馬根性旺盛が多いから、この方が拍手喝采、大受けすることもまた、事態を困難にするのだが。

また、敢えてちょっかいをかけないにせよ、防犯意識に勘違いがあると、かえって泥棒に狙われやすくなるの例えもある。つまり、防犯のために家の廻りをすっぽりと覆い隠した結果、かえって泥棒がじっくりと窓を破りやすくなった、等という話に類似することだ。むしろ、周囲からの目が届きやすい家の方が泥棒は働きにくいのである。

結界を張るとか、御札や御守をたくさん持つとか……そんなことは「ガードの弱い霊媒体質者です」と言いふらしているようなものである。頑丈な鍵や防犯グッズなどは、侵入の手間にこそなれ、侵入を防ぎはしない。それでも防犯効果があるというのは、侵入に手間取れば発見されるリスクが上がるからなのだ。だが、誰も見回りに来ないなら防犯グッズは障害になるどころか、高価な資産の存在を誇示するに等しい。

そう、なぜ霊障を恐れなければならないのか……それは、守護霊や祖霊の加護が弱いからではないのか、私はそう思い、それを克服するために努力してきた。悪霊低級霊に狙われることよりも、守ってくれる、味方が少ないことを恐れるべきだ。

で……霊障を恐れて旅行先が制限されるという母の知人宅であるが、なんだか変な病気や災難に遭いやすいのである。

・・・・・・・

くどいようだが整理する。ラベルはいささか強引であるが、目安として見て欲しい。

○悪霊原因説……加害者の存在が諸障害の原因

霊障に合いやすいから旅行先を選ぶ……ならば、霊障に合わない、つまり霊障の自覚がなければ無事であるのか?

○守護者不在説……加護者の不在が諸障害の原因

加護が弱いから、旅行先を選ばなければならない。加護が弱いから、日常にも不自然な災難が生じる。

あなたはどちらが合理的な意見に思えるか?

悪人がいるから、空き巣を狙われる……間違いではない。だが、全ての家に空き巣が入るわけではない。繰り返し被害を受ける家もあれば、まったく被害を受けない家もある。ならば、世の泥棒の全てを捕まえようとするより、防犯対策を良くする方が良くはないか?

なまじ、霊を感じる人であると、悪霊や低級霊さえ感じなければそれで安心してしまいがちだ。だが、加護が弱ければ、油断が生じやすく、魔が差しやすいのである。

霊魂説と心霊主義

単に霊魂、つまり人間が死後も個性を残す、という考えであれば、それは「霊魂説」と呼べよう。そして私のいう「心霊主義」とは、霊魂説から応用面に一歩前に進み、「人生を永遠の生の一部と見なし、永久に向上していく生き方を選ぶ」、ということである。

死んでも終わりではない。ならば永遠に漫然と暮らすのか?……地縛の霊が悪いものなら、天国で漫然と暮らす天国縛の霊は良い霊なのか?

つまり、誰とでも友人になるのではなく、良き友人を選ぶということだ。……同時に、良き友人と見なされるように努めることでもある。

事実よりも考え方

私は、答よりも、答えに至る思考法こそを伝授したいと思っている。たとえば知人から商売上の相談を受けたとする。

「○○を商売にするのはどうでしょう? 安易ですかね?」

悪くなければ良いのか? ……悪霊原因説。

品位を落とし、味方が減れば、どうなるか……守護者不在説。

たとえば農家が、金を必要として田畑を売るとする。一時的には大金は得られても、来年はどう稼ぐのか。……周囲から信用されている人であるからこそ、怪しい商売の代理店に好都合なのである。しかし、失った信用を取り戻すのは、金を稼ぐよりも難しい。……でも、親会社にしてみれば、代理店なんて消耗品である。

・・・目先の事しか考えない人にとって、霊魂・心霊を学ぶのは、不幸の入り口であろう。


霊媒体質者2

2006年10月30日

どんな才能も使い方一つで利益をもたらす。だが、いくら霊感があっても、適切に使いこなせなければ重荷となる。

ところが、低級霊の影響を受けやすくて重荷の筈なのに、「私は霊感が強いから……」という言い訳で済ます人が多く感じる。

なんでその才能を磨き、使いこなすように努力しないのだろう……と思う。

・・・・・・・

ミステリースポットや不浄の地に行くと具合が悪くなる、または、身体が重いという人が、その霊媒能力を活用できないのは、低級霊のみに注目するからである。

低級霊がいなくなれば自分は幸せ……視点が片寄っている。

一体なぜ、低級霊の影響を受けやすいのか?……守られていないからである。そう、加護が足りないのだ。

俗に言う、霊能力とは、霊媒力(コミュニケーション)によって守護霊団(スタッフ)を動かす……ということなのである。いくらコミュニケーション能力を有していても、敵ばかりではつまらぬ口論しかできない。

こいつのために働いてやろう……そういう背後霊を持たなければ、いくら霊媒能力があっても、それは不快なものを呼び寄せ、内に引き込むためのセキュリティーホール(壁の穴)でしかない。


気分を変えよ

2006/10/28

2006年10月28日


今朝方、出社の準備中に、フッと母とのいさかいが思い出されて、不機嫌が生じた、といっても別に、敢えて話題にするほどの大袈裟なものではない。

が、間が悪かった……霊眼に母方の祖母の姿が映り、メッ、と叱られたのだ。

その後のお説教は要約すると以下の通り……訛りがあってそのままは記憶できなかった。

「境遇はいずれ変わるが、自分の心は自分が変えなければ。」……意念というのは言葉を発する動機も同時に伝える。

『他(母、祖母にとっては娘)の気持ちは変えられないが、自分の気持ちは変えられる。どうにもならないことに不平を持つより、気持ちよく出掛けなさい』……うん、うん。訛りがあって字面は読み取れなかったけれど、いわんとすることは判る。というか、母といさかう度に、祖母の悲しそうな顔が見えて私も辛かった。でも、相当に合わせている……妥協じゃない、迎合しているんです。むろん、その事も祖母は理解してくれている。

蛇足かも知れないが、どんなに恵まれた境遇にいても、まだ足りないと不平を思えば不幸になるし、傍目には不幸な境遇だって、その人が溌剌と生きていれば、楽しい暮らしが出来るだろう……

私は祖母の死の直前に霊感を得た。ある意味、霊感は祖母の残してくれた遺産である。その遺産が、始めて遺産らしく働いた気がした朝だった。


克己

2006/10/26

2006年10月26日


帰宅途中、「克己」と書かれたTシャツを来てランニングをする高校生とすれ違った。

克己こっき》――おのれに克……昔はそれなりに心に留めていた言葉ではあるが、人生の難所・難所を切り抜けた体験から、私の座右の銘は「なるように成る」であって、「為せば成る」ではなかった。

いや、相変わらず、諦めはとても悪いのだが、生活上の諸問題を優先しないと、夢がただの妄想に転じることに気がつくだけの泥臭さを持っていた。これは、克己というより、業《カルマ》にかろうじて飲み込まれずにいる、というレベルか。

たとえば私も人間、腹の立つこともある。だが、復讐より先にソロバン勘定が始まる。

『下手に関わってあの世や来世でも縁が結ばれたら嫌だなぁ……』

善因善果、悪因悪果というが、対人関係だって同様だ。善人と仲良くし、悪人とは関わらないのが良いに決まっている。さらにいえば……良好な善人に近づこうとすると、下心を疑われるのがオチだが、困っている善人を助けるのは、良縁を結ぶ最短コースである。……ああ、残念なことに困っている善人よりも、因果応報・困っている困ったちゃんの方が圧倒的に多いが。

菩薩行などと称して、善悪を問わずに困っている人を助けるのも、修行法の一つであるが、今生、私は早々にこれを切り上げた。といって別にさらに高みに至ったなどと主張するほどには泥臭くはない。オンブといえばダッコの現代人相手に、菩薩行などしていたら、それこそ体育大学の校門傍で、安価が売りの食べ放題の焼肉店を経営するようなものだ。

菩薩行なんていうのは、貧乏暇なしの苦労人を相手にすべきことで、暇人を相手にすべきことではない。……金儲けには都合が良くても、それでは菩薩行にならない。

元々、無料の心霊相談も私にしてみれば菩薩行の一環、嫌なことがあるのも覚悟の内の、つまりは「克己」の旗印を掲げていたつもりであった。が、背後にもいわれ、師からもいわれて、その旗印を降ろしてしまった。……後悔はないし……人助けに看板が必要なはずもない……敗北感もない。ただ、私は、「克己」という言葉の価値を見失っている気がする。

世の中を見回せば、頑張りすぎてうつ病に罹る者有り、口が達者な引き篭り有りで、克己心が裏目、または、暴走――脱線する事例があまりに多い。今に日本は、克己心で滅ぶのでは無かろうか、とまで思う。

ダラダラと、思いを巡らせるならば、思い切って訊ねるべきと、廬氏を頼る。


Q「克己心とは、どうあるべきでしょう?」

克己の意は明白であり、不明朗なのは「己」である。

己の思いの何たるかを知らずに、克己するという。目的地が分らぬからと走り出す人がどこにある? そんなことをすればたちまち転ぶか、ぶつかるか、落ちる。……その行いの無思慮さが、汝の疑惑の答である。

為すべき事が判らずに不安である……その不安を押さえてなお、己の為すべき事を究明せんとするのが克己であるのに、不安に負けて努力する。己に負けて始める努力にいかなる正しさが宿るのか?

金銭、色欲、名誉や権力……欲を満たすために克己するなどという不可思議な努力があるか。それはつまり、欲から欲へと飛び移るだけのことで、己に克つどころか、己の欲に負け、負けるどころか勝負すらしていない。単に小さい欲と大きな欲との引き合いだけである。

むろん、汝が見たる少女の、克己心に偽りはあるまい。だがいずれ、人は「生活」の現実を直視する。それでもなお、克己の大切さに気がつくのは、純粋であるだけでは難しい。……己に克つよりも、生活に克つことの方が難しいものだ。

Q「つまり、克己心の価値を見失ったというのは、己以外にも、相手にすべきものが増えたということですね」

海を眺めて、山を論じるようなものである。(馬鹿の意)


欲望: 準備は出来ているのか?

2006/10/25

2006年10月25日


私の家にはマッサージチェアがある。数年に一回ぐらいしか使わないが……事実上のリクライニングチェア、下手をするとただの物置台でしかない。

ナンセンスなことに、運動不足で、頭に血が上りがちの私は、床にアグラをかいている方が楽らしい。寝転がると、弛みすぎてかえって怠くなる……怠さこそが私にとって最大の苦痛かも知れない。

ところでこのマッサージチェアだが、いわく付きである。配達先の家で玄関に入らず、返品された物を、安く……比較的にだが……引き取ったのだ。

・・・・・・・・・

金が欲しい、恋人が欲しい、仕事を変えたい……様々な欲望の持ち主がいる。……様々な誤解はご遠慮願いたいが、心霊主義は人間の欲望を否定しない。そもそも、存在する物を否定したからと言って消えるはずもない。まあ、心霊思想に様々な解釈もあるだろうが、他の思想について私は知らない、いや、知る気もない。

……といって、全ての欲望に応えるのが心霊主義でもない。そもそも……そう、ここが大切だ。

・・・・・・・・・

せっかく、マッサージチェアを購入しても、家に運び込めなければ無駄な買い物になる。

せっかく、マッサージチェアを購入しても、マッサージの必要のない人ならば無駄な買い物になる。

……果たして、必要だから欲しいのか、それとも物欲が暴走しているだけなのか。ああ、我が家のマッサージチェアに関していうなら、たまに訪れる我が母は喜んで使っている。

・・・・・・・・・

金が欲しい、恋人が欲しい、仕事を変えたい……受け入れ準備が出来ているのか?

……維持できるのか?

……欲しがるだけではないのか?

金を維持できない、恋人からは愛想を尽かされる、仕事について行けない……夢が叶えば不幸になるような生き方をしていないか? そんな生き方をしながら、夢が叶わぬといって不平を漏らしていないか?

矛盾や葛藤に満ちた思考……それはつまり、人生設計にも当て嵌まる。

なにせ、成功する人の行動には、まず矛盾が見られないからだ。繰り返す、行動に矛盾がないのである。言うことが滅茶苦茶でも、行動がストレートで矛盾がなければ、結果は行動に附いてくるのだ。

・・・・・・・・・

等と書いていたら、たまにはマッサージチェアを使おうか、という気になってきた、が、時間が時間なので、今夜は寝ることにしよう。そう、いつもと同じ繰り返しだ。……では明日は使うのか? 使うヒマがあるのか?


人格の差

2006/10/24

2006年10月24日


知ったかぶる人は、知らぬ事も、さも知っているかのように話すが、嘘をついているという自覚はない。全ての知ったかぶり屋が当て嵌まるかは知らないが、私の観察する限りにおいては、そうだ。

彼らは、自分の理解する限りを話しているのであって、結果としてそれが嘘、というより間違いを人に教えているのであって、故意に嘘をついているわけではない。……何もそうまでして、知ったかぶることは無いと思うのは、気質・体癖の違いなのだろう。私などは、未知に出会うことに歓びを感じ、既知の中では息苦しささえ感じるが、世の中には、「知らないこと」の存在が許せない人もいるのだろう。

いや、他者よりもより多くを知っていることに、自分の存在意義を見出しているのか……なんと空虚な自己肯定だろう。いや、当人がその在り方に意義を見出している、その事実を否定するのではない。存在しない理解を前提に自己の存在意義を見出すことにナンセンスを感じるのだ。そう、ナンセンス……センスが無いことに。

持っている物には価値がある……たしかに。だが、持っていない物、持っていると錯覚している物に価値があると思い、それ以外に価値のある物がないのは……それではまるで童話の「裸の王様」だ。

バカや自分にふさわしくない仕事をしている者には見えない不思議な服……インチキの産物である「不思議な服(?)」を称えたのは、一体誰であったのか? ……悪意はないが、同時にセンスもない。その結果が知ったかぶり屋であって、知ったかぶるために知ったかぶるのではない。……結果を意図せずに繰り返される行為。つまり「業《カルマ》」に属する行為である。

これは一種の習慣なのである。または、体癖・気質、その人の人格とは別の原因があってのことである。誰もが、真実の探求に向いているのではない。人によっては真実よりも、行動することにのみ価値を見出す者もいる。それもまた一つの生き方であって、どちらが最善であるかは状況を考慮しなければならない。

そう、習慣・体癖・気質……いわば個性に罪はない。だが、個性、いや自分をコントロールできないのは人間として未熟である。

程度の問題――なるほどそうだ。その程度こそが、つまり人格を表わしている。


陰徳が大切だ

2006/10/23

2006年10月23日


古来より善行・他者への奉仕が大切という。いや、人目につかぬように陰徳を積めという。

名利という、利を求めて善行を行うのは、いわば営利活動である。医師が患者を癒す……八百屋が良い品物を商う。商業的誠意とどう違うというのだろう?

誠実な八百屋になれる人なら、たとえば医師の資格が得られたならばきっと良い医者になるだろう。だが、医師の資格を持っているからといって、誠実な八百屋や魚屋になれるとは限らない。

高度な知識・技量と、人間性とは別物である。そして、単純に人間性を比べるならば、誠実な医師と、誠実な八百屋とは等価である。……まあ、別に医師を貶す意志もないし、八百屋を持ち上げる意味もない。ここで私が主張するのは、陰徳の大切さである。表だった善行の価値は皆無とはいわぬが、とりわけ重要なものではない、と、言われている。……という説教臭い話だ。

・・・・・・・

ところで……陰徳が大切というのは一体誰が言ったのだろう? 上述、説教臭い話は、決して間違いではないと思うが、つまるところ、ひねりに乏しく、面白みもない。なんというか、いつの間にか寓話になり、寓話であるのにその真意が分らなくなっているのではないか?

私が真意を理解し得るかどうかを裏読みせずに頂きたい。なにせ私は思う。それぞれに適した答があるはずだと。

・・・・・・・

どうも私は器用貧乏である。どれも一流には達しないが、わりと多くの芸を持つ。つまり、その場で必要なことを何となく……こなしてしまう。それがまあ一流であるなら、少なくとも一流と錯覚できるほど私が自惚れ屋であれば、それを商売にするのであろうが、不幸にして私は商売が下手で、つい、何でも無料でやってしまう。……実を言えば悪い癖があって、自惚れ屋が商売をしていると、ついつい商売敵になって恨みを買うことも多いが、まあ、それは別な話だ。

で、気がついてみると、仕事をたくさん背負い込んでいる。……いや、忙しいことの愚痴をこぼすのではない。

蔭でこっそりと善行を行っているなら、自分の出来る限りを尽して、なお、それ以上を求められたりはしないのだろう。……見つからぬ限りは。

だが、家庭……はともかく、会社……ひいては地域社会・自治会などで、皆のために一肌脱げば、「ああ、あの人ならばやってくれる。」となり、「あの人ならば出来るだろう」となり、さらには「あの人でなければ出来ない」となる。……それはつまり、評価なのか? それとも怠惰な人々の言い逃れなのか?

いずれにせよ、それで忙しくなり、陰徳を積む時間が無くなり、多くの評価を得ても、心が寂しくなる。……皆は褒めるが、でも手伝わない。すると思う。「ああ、体良く利用されているのだ」と。

それは穿った見方かも知れない。だが、自分の行為が自分のコントロールを離れてしまった、という事実は現実である。

善行をするなら、人々の眼前でするより、蔭で隠れて行う方が充足感は大きい。……名利の充足は、甘美かも知れないが、心を貧しくする。

人々に奉仕する……それが本当に善行であるのか。誰もが褒めてくれるかも知れない。だが、喜んでいるのは働かぬ人々ばかりだ。

だからといって、私も働くのをやめれば、誰がそれをするのか?

こんなのは善行じゃない。ただの葛藤だ。


その努力に希望はあるか?

2006/10/21

2006年10月21日


霊障相談でない、日常生活上の諸問題についての相談事、要約すると、「○○が、巧くいかない」という相談には、共通の問題点がかいま見える。

相談する前に一通り、自分なりに解決に努力し、行き詰まってから相談をするわけだが、その過程に合理性が欠けているのである。……当事者はしっかり努力しているつもりだろうが、そのしっかりとした努力に合理性がない。

……読みながらくどく思われるだろうが、太平洋戦争当時の軍人魂、なせばなるの精神というか、スポ根、スパルタ教育を髣髴させるというか……

やって巧くいかないなら、さらに努力する……それで傷口を開いていないか?

やりもしない内から諦めるのは論外だ。子供の躾は、つまり怠け心に打ち勝つ、やる気を起させることから始めるというのは、大切なことだと思う。だが、教育の場では、解けるはずの問題に取り組ませているのである。だから、解けない、出来ないという答は論外だ。だが、人生の問題は必ず解けるとは限らない。いずれは解けても時期が悪くて耐えるしかないことも多い。……子供と大人との切り替えが出来ているのか?

自動車の運転免許を持っている人は、繰り返し、「スピードを落とせ」と教えられたことだろう。カーブも、車庫入れも、巧くいかなければ、さらにスピードを落として再挑戦すべきだ。なのに、巧くいかないと焦り、焦るから……アクセルを踏み込み、思い切りハンドルを切る。

人生の諸問題もそう。失敗する人はなぜか、巧くいかないとさらに頑張る。頑張ってダメで、でもダメといえなくて、一人悩み、誰にも相談する前に諦め、相談されるのを待ち、見守っている周囲の人々を冷淡と決めつけ、全てを投げ出してふて腐れてしまう。……転ぶ前に手を差し伸べる義務を、一体誰が背負っているというのだろう? 転がるのも、起きあがるのも自己責任に属する。

ダメであれば、ランクを落とす、レベルを落とす、立ち止まって考え、別な方法を探す。……頑張ってダメだったら、頑張らなくても大丈夫な方法を考えるべきだ。

・・・・・・・

何とかして、どうにかして……確かに、人には食い下がりたい時、いや食い下がらねばならぬ時がある。だが勘違いしていないか?

頑張ってもダメ……なぜダメなのか? 正しい道を歩んでダメなのか、間違った道を歩んでいるからダメなのか、同じダメでもこの二つの差は限りなく大きい。一方は努力が足りぬ為、もう一方は努力以前の問題なのだ。つまり、希望のあるダメなのか、希望のないダメなのか。

努力すべきか、転進すべきかは、それを見極めた上で判断すべき事である。

・・・・・・・

だが……

「希望のあるダメ」とぶつかる人は諦めが早く、

「希望のないダメ」とぶつかる人は諦めが悪い。

……なんとまあ、人生とは皮肉な物であるのか。


痴話喧嘩

2006/10/20

2006年10月20日


ちょっとした口論の後、気まずそうに相手を気遣う、仲睦まじいカップルの姿が見える。女性が言う。

「私たちはいつまでも仲良くしましょうね。」……すると、男性が、今までの口論をまるで意に介さぬように平然と応える。

「なあに、口論なんてどうということはない。互いの話を聞いている内は。」

なるほどと、女性が応える。

「ああ、喧嘩にならなくても、相手にされないほうがよほど寂しい。」

……じゃあ、喧嘩せずに仲良くすればいいのに、と思うと、二人でこちらを見て声を揃えて私に言う。

『私(たち)にだって意見はある!』

あわ!……ただのイメージビデオではなかったらしい。

・・・・・・・・

特定のモデルはいないので、決して裏読みしないこと。


蓮の如く咲けるか?

2006/10/17

2006年10月17日


蓮は泥中で育ち、美しく花開かせる。

美しいがゆえに人が見る。

泥中で育つゆえに人を感動させる。

だが蓮は、人の都合で咲きはせぬ。

人が蓮に都合をあわせるのである。

人の都合で泥中には居らぬ。

蓮は好んで泥中を選ぶのだ。

それこそが真の価値、美しい大輪の花の価値。

人に都合を合わせる花は、造花のような価値しかない。


自ら価値を棄てる一方で、価値を求めている。――葛藤です。

泥中にあって、蓮はいずれ咲きます。ではいつ咲くか?

人が望むときに咲くのではなく、蓮の準備が整ったときに咲くのです。

……咲くのを願うよりも、蓮を……可能性を適切な状態に置くことが先決です。


お知らせBy老神いさお。

・スマートホン
iPhone/Androidで閲覧時に、最適化したページが表示出来るようになりました。よろしければ、ご感想をお寄せ下さい。

・サイト再構築中
移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。

・ページ更新
 現在:1056㌻
 復旧予定: 残り480㌻位・・・

みにみにぶろぐ
  • ・原発全廃
  • ・その後悔の帳尻が合う生き方をしているか?
  • ・我が国だけが原子力を全廃しても、隣国が原子力発電を推進すれば、危険性は無くならない。
  • ・生きるとは生むことである。
  • ・いろいろなる不平不満はあるだろう。だが人は歩んでいる。
  • ・与えられる事を当たり前に思っている者が飢える。
  • ・なぜ、争うのだろう? 事態はただ現実への妥協を求めているだけなのに。
  • ・ 見せられると信じたくなる
  • ・豊かな者は足りぬものに気が付かず、知りたる者は、知らざることに気が付かぬ。……
  • ・ 心に不満が生じるのは、あなたが焦っている証。もう少しゆっくりと生きなさい。

More »

サイト内検索
アーカイブ
サブ・サイト