2006年10月28日
霊媒体質者への雑感
霊媒体質者
暇を持てあました母にせっつかれて、多忙の中、宮ヶ瀬ダムに連れて行った。帰路、お土産を買って母の知人宅に立ち寄った。
話題が宮ヶ瀬ダムに及ぶと、知人は、自分は霊感が強いため、寒気がしてとても宮ヶ瀬ダムには行けない、だからいったことがない、という。……まあ、私の知人ではないので、黙って脇でPDAを操作していた。
霊感が強い……というのは、案外くせもので、その体験談がきわめて主観的であることを自覚せず、霊的問題について一家言を持っていたりするので、無闇に口を挟めない。……つまりだ、どんなに簡単なことでも、『出来ない!』と諦めて行動に移らなければ、やはり出来ないのと同じ事だ。……理屈がどうであれば、私はこう思う、となればそこで話は終わるのだ。
私は平気でどこにでも行く。古戦場であろうが、霊園であろうが、ミステリースポットであろうが(今では)平気である。まあ、霊障などというのは霊感が強ければ避けられるというものではなく、逆に霊感の強い人が受けるものであるから、油断をしないように注意はする。さらにいえば、不快な場所よりも清々しい場所を好むのはいうまでもない。
また、霊感発現当初より三年ぐらいはとても苦労したので、霊障を恐れる霊媒体質者の苦労を笑いはしないが、正しい努力をしているのかと、案じ、または、疑いもする。
……が、まあ、話を先に進める。
物事は、相対的に見てこそ客観性が生じる。たとえば強い被害者意識の持ち主は、周囲から実際に冷遇されているにせよ、必ずしも善良、または、優弱とは限らない。逆に傲慢・強引・独善で周囲から嫌われているのかも知れない。
では、霊障者はどうか?……憑る霊が悪いのか、はたまた、余計なちょっかいを掛けてはいないか。先住者がいるところにドタバタと移住してあげく、供養だ、除霊だ、などと力業での解決を目論見、霊障を拗らせたりはしていないか。……まあ、心霊趣味などというのは、恐いもの見たさの野次馬根性旺盛が多いから、この方が拍手喝采、大受けすることもまた、事態を困難にするのだが。
また、敢えてちょっかいをかけないにせよ、防犯意識に勘違いがあると、かえって泥棒に狙われやすくなるの例えもある。つまり、防犯のために家の廻りをすっぽりと覆い隠した結果、かえって泥棒がじっくりと窓を破りやすくなった、等という話に類似することだ。むしろ、周囲からの目が届きやすい家の方が泥棒は働きにくいのである。
結界を張るとか、御札や御守をたくさん持つとか……そんなことは「ガードの弱い霊媒体質者です」と言いふらしているようなものである。頑丈な鍵や防犯グッズなどは、侵入の手間にこそなれ、侵入を防ぎはしない。それでも防犯効果があるというのは、侵入に手間取れば発見されるリスクが上がるからなのだ。だが、誰も見回りに来ないなら防犯グッズは障害になるどころか、高価な資産の存在を誇示するに等しい。
そう、なぜ霊障を恐れなければならないのか……それは、守護霊や祖霊の加護が弱いからではないのか、私はそう思い、それを克服するために努力してきた。悪霊低級霊に狙われることよりも、守ってくれる、味方が少ないことを恐れるべきだ。
で……霊障を恐れて旅行先が制限されるという母の知人宅であるが、なんだか変な病気や災難に遭いやすいのである。
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くどいようだが整理する。ラベルはいささか強引であるが、目安として見て欲しい。
○悪霊原因説……加害者の存在が諸障害の原因
霊障に合いやすいから旅行先を選ぶ……ならば、霊障に合わない、つまり霊障の自覚がなければ無事であるのか?
○守護者不在説……加護者の不在が諸障害の原因
加護が弱いから、旅行先を選ばなければならない。加護が弱いから、日常にも不自然な災難が生じる。
あなたはどちらが合理的な意見に思えるか?
悪人がいるから、空き巣を狙われる……間違いではない。だが、全ての家に空き巣が入るわけではない。繰り返し被害を受ける家もあれば、まったく被害を受けない家もある。ならば、世の泥棒の全てを捕まえようとするより、防犯対策を良くする方が良くはないか?
なまじ、霊を感じる人であると、悪霊や低級霊さえ感じなければそれで安心してしまいがちだ。だが、加護が弱ければ、油断が生じやすく、魔が差しやすいのである。
霊魂説と心霊主義
単に霊魂、つまり人間が死後も個性を残す、という考えであれば、それは「霊魂説」と呼べよう。そして私のいう「心霊主義」とは、霊魂説から応用面に一歩前に進み、「人生を永遠の生の一部と見なし、永久に向上していく生き方を選ぶ」、ということである。
死んでも終わりではない。ならば永遠に漫然と暮らすのか?……地縛の霊が悪いものなら、天国で漫然と暮らす天国縛の霊は良い霊なのか?
つまり、誰とでも友人になるのではなく、良き友人を選ぶということだ。……同時に、良き友人と見なされるように努めることでもある。
事実よりも考え方
私は、答よりも、答えに至る思考法こそを伝授したいと思っている。たとえば知人から商売上の相談を受けたとする。
「○○を商売にするのはどうでしょう? 安易ですかね?」
悪くなければ良いのか? ……悪霊原因説。
品位を落とし、味方が減れば、どうなるか……守護者不在説。
たとえば農家が、金を必要として田畑を売るとする。一時的には大金は得られても、来年はどう稼ぐのか。……周囲から信用されている人であるからこそ、怪しい商売の代理店に好都合なのである。しかし、失った信用を取り戻すのは、金を稼ぐよりも難しい。……でも、親会社にしてみれば、代理店なんて消耗品である。
・・・目先の事しか考えない人にとって、霊魂・心霊を学ぶのは、不幸の入り口であろう。
霊媒体質者2
2006年10月30日
どんな才能も使い方一つで利益をもたらす。だが、いくら霊感があっても、適切に使いこなせなければ重荷となる。
ところが、低級霊の影響を受けやすくて重荷の筈なのに、「私は霊感が強いから……」という言い訳で済ます人が多く感じる。
なんでその才能を磨き、使いこなすように努力しないのだろう……と思う。
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ミステリースポットや不浄の地に行くと具合が悪くなる、または、身体が重いという人が、その霊媒能力を活用できないのは、低級霊のみに注目するからである。
低級霊がいなくなれば自分は幸せ……視点が片寄っている。
一体なぜ、低級霊の影響を受けやすいのか?……守られていないからである。そう、加護が足りないのだ。
俗に言う、霊能力とは、霊媒力(コミュニケーション)によって守護霊団(スタッフ)を動かす……ということなのである。いくらコミュニケーション能力を有していても、敵ばかりではつまらぬ口論しかできない。
こいつのために働いてやろう……そういう背後霊を持たなければ、いくら霊媒能力があっても、それは不快なものを呼び寄せ、内に引き込むためのセキュリティーホール(壁の穴)でしかない。