宗教と人権
2006/07/312006年07月31日
宗教活動に熱心な人は、人権意識で二大別出来ると思う。他者の救済活動に熱心な人権主義者と、他の人権をまったく考慮しない傲慢な人とだ。現代日本人の多くが宗教嫌いなのは、日本には傲慢な宗教家・宗教者が多いことの傍証であろう。人権軽視とは強引な布教、無思慮な宗教活動、神罰・仏罰での恐喝・強要などが挙げられる。……信仰は個人の人権に属するのだ。ならば信仰を他者に押しつける布教活動は人権侵害である。
信仰は基本的人権に含まれているのに、宗教が人権を軽視するのは一種矛盾を感じる。本来が人智を超越したものを扱っているのが宗教なのだから、人々の平均的良識では推し量れなくてむしろ当り前にも思えるが、いきなり不可知な事情に身を委ねよというのは超越というより暴挙である。人々の良識を押し高めてこそ有益なる宗教ではないか。
人々の穏やかな変化を待てない、いかなる事情が神仏にあるというのだろう? 第一、時間の制約というのは地上を生きる人にとってこそ顕著である。待てないのは「神仏」ではなく「人間」であろう。……そして「人間」の都合で運営されるのであれば、宗教団体には良識を超越して良い根拠などありはしない。あるとすれば思い上がりだけである。……古典的宗教の持つ優雅さと一種の頼りなさは社会良識と超越者の論理との融合の成せる業だ。……完成を待てないのは人としての器の小ささ、多くの宗教は次世代に大事を委ねて超然と存在し続けている。
人を人らしくするのが文化であり、宗教であるはずなのに、自らが救われるために焦って人権を顧みない人がどうして多いのだろう?
……宗教的救済以前に、焦るのを止めるべきであろう。
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