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霊査事例: 2006年6月10日 横浜オフ会

2006/06/10

以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • 仕事や身体が忙しくても、心まで忙しくする必要はありません。
  • 「一意専念、小に拘らずは不可」……仕事柄、部分部分に集注するのは仕方がありませんが、それ以外の時には全体を見回すように心掛けてください。
  • 反省とは、次の機会を無くすためにするもので、次の機会を旨くやるためのものではありません。
  • やるべき仕事が溜まっているのに、この上、他のことを持ち込むな……という泣き言が聞こえました。
  • 願望成就のポイント: 気持ちを落ち着けるのに一番手っ取り早いのは、呼吸を数えることです。
  • インスピレーションの阻害要因: 世に不満……霊的コミュニケーションをキャッチボールにたとえるなら、せっかく捕球したのに、明後日の方向に投げているようなものです。

事例2

  • 「澱めども、いずれ流るる、川の水」……全ては変化します。一時のことに拘らぬ事です。
  • 「気配りは相手の意に尽さずに、相手をあらしめるように」……人はそれぞれ、様々なことを望んでいます。一々相手の要望を聞こうとしても無理難題が多くてどうにもなりません。気配りするというのは相手の無理難題を聞くことではなく、相手が落ち着くべき場所にあるようにさせることが大切なのです。生け花やお茶を習うのも良いかも知れません。
  • 願望成就のポイント: 「育児は生き甲斐だが、仕事の障害にもなる。しかも、あなたが今まで扱った中で最長のプロジェクトで、約二十年間放り出すことも出来ない」……普段の仕事よりも遙かに不具合が多い仕事です。ゆとりを持って計画すること。
  • インスピレーションの阻害要因: 淡泊であること……霊的コミュニケーションをキャッチボールにたとえるなら、せっかく捕球したのに、ボールを眺めるばかりで投げ返さないようなものです。

事例3

  • 「外野がうるさい」……恋人と喧嘩したとか。相手には、つまらぬ事を吹き込み、惑わす人がいるようですね。
  • 「互いにそれぞれ意見をいうから喧嘩になる。二人の良きようになることを語れば仲良くなる。」……お互いが自分の立場ばかりをいうのではなく、二人一緒の立場にとって一番良いことは何かを、常に考えましょう。
  • 「一期一会」
  • 願望成就のポイント: 「仲直りしなくて良いから、楽しい時間を過ごしなさい。」……無理に意見を合わせようとして、拗らせる恐れがあるなら、不具合をそのままに、一緒に楽しい時間を過ごすのも一つの手です。男女の仲は理屈では割り切れないのですから。そんな関係も有りです。
  • インスピレーションの阻害要因: 期待と遠慮……霊的コミュニケーションをキャッチボールにたとえるなら、自分に来るとは思わず、ボールに手を伸ばさず、ボールを捕っても、投げられたとは思えずにいるようなものです。

事例4

  • 青空の下でゴルフをしている姿が見えます。……案ずるよりも産むが易し、心配知るよりも遊びに出掛けた方が良いでしょう。
  • 「男の価値は子供がつけるもの」……家族を疎かにして仕事に励んでも自慢になりません。仕事と家庭を両立させなければ片手オチでしょう。
  • 願望成就のポイント: 「なるように、なると知りつつ、なおも手が出る」……手を抜いても、手を掛けすぎてもうまく行きません。では、どんな仕事がよいか? 誰もやったことのない仕事ならいくら手を掛けても邪魔にはなりませんよ。
  • インスピレーションの阻害要因: やりたいことが多すぎる……霊的コミュニケーションをキャッチボールにたとえるなら、ボールが多すぎて捌ききれない状態です。

事例5

  • 一時期、家電製品が壊れて仕方がなかったとか……「子供と遊ぶ時間が増えて良かったですね」
  • 「心配するのは手遅れ」……心配の必要が無いように努めることが気配りであって、何もせずに、ただ心配ばかりするのは気配りとはいえません。
  • インスピレーションの阻害要因: 落ち着きが足りない……霊的コミュニケーションをキャッチボールにたとえるなら、ボールを見ないで受けようとし、相手を見ないで投げようとしています。

事例6

  • お兄様に病気の卦が出ていらっしゃいます。ただし「ウミ出しである」と聞こえましたので、災難はだんだん減ってくるはずです。
  • 「バカに頼むより、自分でやった方が早い!」……と聞こえました。敢えて乱暴な表現をえらんでいますが、あなたの本音ではと感じます。あなたはセッカチに状況判断してしまい、結局、あなたが肩代わりして同僚友人を遊ばせ、楽させてしまうから人に好かれ、その一方で、身体に無理を掛けるから健康を害します。頭の回転が速く、優しいからそうなるのでしょうが、その生き方には無理があります。
  • 願望成就のポイント: 写真でも始めたらいかがでしょうか、一点に集中する……今のあなたに必要な事だと思います。
  • インスピレーションの阻害要因: 先走り……霊的コミュニケーションをキャッチボールにたとえるなら、ボールを捕る前に投げようとし、ボールを投げている内にボールを掴もうとしています。

事例7

  • 何を為すべきか、どうすれば一番良いかを、あなたの身体はちゃんと知っているのです。それを作意で歪めてはいけません。
  • 願望成就のポイント: 一時、実家のことは抛って置くことです。あなたが努力しても知らんぷりしている家族も、あなたの状況が変われば、あなたを追い掛け始めます。
  • インスピレーションの阻害要因: 考えすぎ……霊的コミュニケーションをキャッチボールにたとえるなら、ボールを投げず、ボールを捕らずにいます。

総論

  • 「文句あるか? なるようになるさ……だから、邪魔するなよ」……ぶっきらぼうな言い癖ですが、参加者全員を見回して大きな障害は見受けられません。だんだん良い方に向かっているから、ジタバタしてせっかくの順調さを壊さないようにしましょう。

寓話 2

2006/06/09

運の良さとは?

2006年06月09日

 

一人の男が、興味本位に初めて賭博に手を出し大金を得た。彼はこれが運命であることを信じ、全財産を担保に友人知人から金を借集めて再び賭博に手を出した……

二人は出会い、たちまち恋に落ちた。その出会いを運命と信じ、神に感謝し、幸せに酔う日々……

『どんなに飲み食いしても、席料お一人様、500円』……の看板に釣られて入り、飲みきれないほど、食べきれないほど料理を注文して食べ散らかし、満腹した。そして支払いの際に気が付いた。席料500円の他に、料理代、酒代が請求されていることに。

・・・・・・・

……全財産を担保に友人知人から金を借集めて再び賭博に手を出した男は、人から金を借りてまで賭博をすべきでないことを学んだ。だが、その経験を生かして守るべき者が果たして帰ってくるかは、その次の課題だ……

……幸せに酔う日々、酔った勢いでぶつかり合う二人。そして気がついた。出会いは運が支配していても、仲の良さを支配するのはお互いの気配りだと……

・・・・・・・

他人事だと大口を開けて笑えるような事を、実は自分もやっていながら気がつかない。

失敗する前に気がつかない。……失敗しても気がつかない。失敗を繰り返しても気がつかない。それでも何とか生きているのはなんとも運がよいのか、悪いのか。


あなたは実績を残す

2006年06月09日

突然霊感を得たある男が、霊に囁かれた。

『あなたはすばらしい霊媒として実績を残すことでしょう』

「つまり、人がやりたがらないことをたくさんやらせようと言うわけだ……この悪党め!」

罵られて霊は去ったが苦労は残った。


成り上がる

2006/06/09

2006年06月09日


急に金持になったからといって、誰もが下品な金の使い方をするとは限らぬだろう。だから、「成金」とは、成上がる事の弊害というより、増長する人の弊害をいう言葉である。なにしろ増長は金を得た時に限らぬ訳で、纏めていえば「成上り」・・・良い職を得た「成職」または良い権利を得た「成権」、良縁を得た「成縁」、良運を得た「成運」等というのも、言葉としては聴かないが、目にする機会は多分にある。

よほど忍耐が永く辛かったのかな、等と好意的に受止められる場合もあるし、増長するから結局失うことになるという、寓話を地でいく失敗談を目撃する場合もあるが、まあ、それはそれ。要するに結果論である。

ところで人の人生をいろいろと観察していると、確かに成上がりは迷惑であるが、成上がり損ねた人が自暴自棄に成ったときの害ほど酷くはない。または、成上がってから落ちぶれる人の自暴自棄もとても激しい。しかも、成上がりの自己保身もなかなかしつこい。……結局、本来縁のない高い境遇であるから、必死にならざるを得ないのだろう。そういえば、「悪銭身に付かず」、という言葉もある。

幸運は失われやすく、災難は避けがたい――だからこそ、価値あるものを大切にしなければいけないのに、自惚れ、増長して疎かにする。

私は思う。運の良い時こそ、心を律し、居住いを正し、信仰心を篤くすべきだと。

ところが、信仰心を篤くするといっても迷信に走って被害を増やす事を良く目にする。さて、一体何が迷信なのか。……手っ取り早い事例で言えば、運の良さを実力と思う事である。……運を実力と勘違いするからこそ増長して失敗するのだから。

・・・・・・・

以前、NHKの大河ドラマで足利尊氏を観ていて、とても深い感銘を受けたのが、弟との政争にやぶれて隠居を強いられた尊氏が、ふて腐ることもなく境遇を受入れて支持者を増やし、最後に勝利を収めた姿である。……無能な者が謙虚であっても誰も褒めはしない。だが、有能な者が謙虚であるのは人に脅威すら感じさせるのだ。そして有能な者が増長すれば誰もとめることができないが、無能な者が増長しても誰も相手にしないのである。

一体何をやっているのだろうと思う。自分が不幸になるための努力ばかりを重ねる人々。……難は避けがたく、幸運は掴みにくいのに、難を得るための努力をするなんて!!

・・・・・・・

皆、知識を得たり、技術を習得するのには熱心だが、運を良くする努力に欠けてはいないか……いや迷信に走る人はとても多いが。ここでいう迷信とは、宗教の魂を学ばずに、宗教の形式だけを大切にすることだ。祈祷は発声、御札は紙切れ、仏像は彫刻にすぎない……魂が籠らなければ。

成り上がることも充分に問題ではある。だが、本当に価値あるものを疎かにしていることが、もっと大きな問題ではないか? ……だが、天狗の鼻を折られて増長は反省できても、疎かにしているものにはなかなか気がつかない。

だから私はいう。人が助言を求めるべきはより深い知識、より広い知識ではなく、自分の気がついていないことであると。

・・・・・・・

霊感が大切なのではなく、必要なことに気がつくことが大切なのだ。

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守護霊(ガイド)とのコミュニケーション

2006/06/08

2006年06月08日


Q 「苦境に立った時、自分の守護霊(ガイド)とどのように相談するのがよいのか?」

技巧を凝らさなくても伝わっている

守護霊とその被護者(つまり自分)との位置関係は、船上の監視人と潜水夫との関係に似ています。船上では色々なことを把握しているのですが、潜水夫は自己管理すら難しい有様……様々な注意を受けてもそれを生かすどころか、息をするのもままならぬ状況は決して少なくありません。

つまり、被護者の希望はしっかりと守護霊等に伝わっているもので、むしろ隠し事をする方が難しい(というより不可能)のです。

話が噛み合わない

意図が守護霊に伝わっているのに返事が受け取れない――これを心霊家などは、「波長が合わない」と表現します。……この波長が合わないという表現を、物理学的に解釈しては意味を取り違えます。この場合の表現は、人間同士で用いられるのと同様、つまり、志が違うとか、趣味が違う、受け止め方の次元(レベル)が違うの意味であり、たとえば被護者が「金が欲しい、金がなければ生きていけない」……などと祈ったとしても、守護霊等は『喰うに足りるだけの金はあるはず。贅沢・ワガママのための金は額に汗して稼げ!』といった返事があったり、「意地悪な人がいてとても辛い」と祈っても、『お前が高慢な態度だから敵が多いのだ、反省しろ!』などと叱られたりもいたします。

ようするに守護霊と通信が困難な理由は、交霊の難しさや、祈り方の難しさといった「手段の不備」ではなく、現実認識の差から話が噛み合わないという、「目的意識の違い」が主な理由なのです。

手段を選ぶ効果

手段を選ぶことは副次的な効果をもたらす場合もあります。……守護霊に語りかけるようにして心の中で色々と問題を整理することで解決の糸口が見つかることもあるでしょう。守護霊に手紙を書くようにして文章を纏めることは、問題整理にはなお良い効果が期待できます。

このような時は、霊視・霊聴といった具体的な作用がなくても、守護霊の薫陶というべき染みこむような感化力が働き、出口の見えない迷宮状態から、良い答に導かれることも多いものです。

つまり、守護霊に自分の考えをしっかり伝えようと努力することは、むしろ自分の考えを整理することで、結局は問題解決の近道となり、無駄にはなりません。

苦境時のインスピレーションは役に立たない

ただ、大きな勘違いが見られます。どうも多くの人は、苦境に立ったときには、神仏や守護霊・祖霊が懸命に助けてくれるものだと思い込んでおられますが、穏やかな時でさえ通信できない人が、焦っている時にきちんと通信できるという考えは無理があります。

実際、占い師や霊媒が自分の運命を見抜けなかった……などと揶揄されるのは、自分の危機に際して適切にその予知能力を働かせられないことの証です。そして、プロですら難しいことを不慣れな素人ならばもっと困難でしょう。

確かに火事場の馬鹿力といい、泳げない人が水に落ちて溺れている内に泳げるようになった、等という話も聞きますが、多くの人が火や水で命を落としているのです。焦っている時に潜在能力を発現しても、冷静な対処を望むことは出来ません。

追いつめられないと仕事が出来ないとか、アイデアが出ない、という人も多いものですが、人間がそんなに便利に出来ていれば、うつ病やノイローゼになる人はいないはずです。……このようなことは、精神統一行をしている人には容易に理解できます。ようするに疲れて無駄な考えが出なくなった状態が、ちょうど良い精神統一状態になって霊感が働きやすくなっているだけなのです。しかし、いくら良い精神統一状態に入ってもくたびれていては丹念な仕事が出来ません。

いや、端的にいうなら、苦境に陥ってから相談しようという考え方に大きな間違いがあります。……なぜ、苦境に陥らぬように相談しないのでしょうか?

すでに苦境にはまり込んで仕方なく……としても現にある苦境と、そこから抜け出すための苦労の両方から逃れることは出来ませんし、その苦しみの中にあっても正しい生き方を貫くのはなかなか出来ることではありません。

溺れる者は騙しやすい

まして、溺れる者は藁をも掴むといいますが、騙されやすい状況なのです。そんな時にインスピレーションを期待しても、自分の妄想を霊感と思い込んだり、低級霊や悪霊の誘惑を信じて騙される事が多いもの。……こういう症例は沢山あります。精神統一や霊感が開いて頭がおかしくなった等といわれる人はほとんど皆、自分が困っている時に己の霊感に活路を求め、結局、物事を拗らせると同時に、自信を失って理性を崩壊させているのです。

困っている時に、自分のインスピレーションを信じるのはほぼ間違いなく裏目に出ると考えるべきです。むしろそれを逆手にとって、楽観する時ほど慎重に行動する覚悟の持ち主でないと、守護霊等は助けてくれません。何しろ、ジタバタしている相手を救うのはとても難しいのです。

苦境の脱出法

これは質問にはありませんが、質問の真意を苦境脱出法と解釈して、手掛かり程度に纏めてみます。

そもそも、苦境とは自身の手に余ることを指します。従って、自分一人の力で脱出するという考えは限りなく無理があります。助けを求めるにしても、インスピレーションは苦境の中では信頼に足りません。

また、苦境に陥ってから救いを求めるという考え方が、そもそも強引な生き方を暗示します。つまり、わざわざ平穏な道を外れるから苦境に陥るのでは、ということです。……端的にいえば、「楽をしようとして苦労する」という、本末転倒な行動をとっているのではありませんか。

いずれにせよ、人は因果律から逃れることは出来ません。すると幸せを得るには、苦境の生む苦痛の他に、苦境からはい出る苦労が必要……より辛い道を選ばざるを得ないわけです。

結局、その迷宮の抜け道は、進んで苦労を引き受ける生き方の中にあるでしょう。

再回答

以上を踏まえた上で改めて質問に付き、回答するなら……

守護霊は、被護者が無駄なく幸せになる努力を助けはするが、労無く幸せになる努力は絶対にしてくれません。むしろ、苦労から逃れようとする被護者に苦労を科す義務すらあります。

ですから、守護霊と苦境の脱出法について相談したいのであれば、なによりまず、苦労から逃れず、苦労を積極的に受け入れる努力が必要ということになります。

また、当相談者がそうしているというのではありませんが、言い訳、愚痴やワガママは、相談の邪魔になっても助けになることはありません。


畳水練

2006/06/07

2006年06月07日


「素人修行は畳水練」と聞こえた。耳を傾けてみる。 「畳の上で水泳の練習か。なるほどそれなら溺れることはあるまい。だが、水に入った時に役に立つのか? 役に立たずになんのための練習か。 「一生、水に入らぬ覚悟ならば畳水練も結構だ。……だが、霊的修行は一生を終えた後にこそ必要となる。 「私は畳の上で数十年間泳ぎの練習をしましたから……そんな経歴で胸を張るなら、なんら修行をしない者よりも危うい。もとより、修行や練習は自信をつけるためにするものだが、実際の役に立たぬ修行で身に付いた自信が役に立つのか。そうまでしてもエセ自信を欲しがるならば、なおのこと危うい。……まして、その危うさも予測できずに、正しい道を歩めるのだろうか。 「溺れるから危ない、のではなく、溺れる経験を持たぬ事がなお危ういのだ。何も深みで溺れてみよというのではない。足のつく浅瀬で、経験者に見守られて泳ぐことで、少々水を飲んでも、それがよい経験になるというのである。 「水を飲めばパニックにもなろう。だが、たった一度のパニックが取り返しのつかぬ過ちに繋がるかもしれない。 「最初から本番に挑むのと、普段から水に慣れておくのでは、一体どちらが安全だと思うのか」

・・・・・・・

質問に答えて、くたびれ果て、「どうもつかれると思ったが、この質問は愚問だよなぁ」と、思うことは多々ある。いい加減私も、くたびれる前に愚問かどうかを判断すれば良さそうなものだが、最近では相談も受付けていないので、往々、手管を忘れがちになる。 知ってはいても、実際に生かすには普段からの慣れが必要なのである。……回答者にとっては。だがこれは質問者にも当て嵌まる。有益な質問をするためにも、ある程度の慣れが必要なのである。 互いにチャンスを与えずして、向上することは有り得ない。……それは間違いない。ただ、地上で心霊を学ぶということが、畳水泳と同じであることに気がつかなければチャンスを生かしようがあるまい。つまり、泳ぐこと(回答を得ること)に意義があるのではない。泳ぎ方向上のヒントを得ることに意義があるのだ。 つまり、どう考えるのか……が大切であって、答えに執着するべきではないのだ。 たとえば、あなたの守護霊は○○です……と聞いて感心していては、畳水練で終わる。どうやってそれを調べ、どうやってそれを確かめるのか、その工夫にこそ意味がある。……と私は思う。畳水練ではなく、水泳に関する座学が、わずか百年前後の人生を無駄にしない過ごし方であると私は信じる。


畳水練

2007年7月3日


いわゆる畳水練が無くならない。畳水練とは、水に入らず、畳の上で水泳のホームを行う、一種のイメージトレーニング……もしくは、水恐怖症の現実逃避だ。……かつてはそう見做されていた。

なるほど、水に入ればおぼれる危険がある。泳ぎが得意でも、体調しだいで心臓麻痺の恐れもある。おぼれる人を助けようとして、上手な人が二次被害に合うという話もある。……水不要の水泳ができればなるほど有意義であろう。だが畳水練は、水に落ちた時や、おぼれている人を助けるのに役に立つのだろうか?

畳水練の趣味が、一部の変わり者だけのモノであれば、「滑稽」という評価で済ませられるが、ある程度、同好者が増えてくれば、これも一種のファッションと化すだろう。そもそも芸事に実用価値を求めるのは無粋でもある。

形式に拘り、実用性に乏しい……そういう価値観を尊ぶ境涯もある。まして、人生に何が必要となるか分からないし、霊格の階梯を飛ばして先に進む事も難しい。特に妄想癖のある人は、妄想の中でどんどん出世して基礎を軽視するためになかなか向上しない……というより、下品に流れない事のほうが難しかったりもする。

何の話か?……霊媒を蔑視した心霊思想の事だ。それは実際の役に立つのか?

「霊媒の言うことは信用ならぬ」という意見も聞かれる。だが、霊媒の言うことなるものは、いったい誰の意見であるのか? 1、霊媒の個人的意見か? 2、霊媒に憑かれる霊魂の意見か? この二つは似て非なる。

1、霊媒の個人的意見が信用ならぬ、というのであれば、それは霊媒固有の問題ではなく、人間性の問題ということだ。――果たして、霊媒の言うことだけが信じられぬのか?

根拠もなく他者を蔑視したり、悪人視したりと、偏見に富んだ人が、果たしてすべての霊媒よりも信用できるというのか?

2、霊魂の意見が信用できぬというなら、それは果たして霊媒だけの問題か。いずれあなたも死を向かえ、いずれ霊媒抜きで、その信用できぬ霊魂たちと直接に交渉する事になるのだ。――あなたはそれをこなして上級霊界に進む事が出来だろうか?……なるほど信じなければ騙される事もない。だが、上級霊界がどこにあるのかをあなたは知っているのか? 上?――なるほど、だが、そんな簡単な答えで成仏できるなら、なぜ信用ならざる霊魂が霊媒に憑依しようというのだろう?

あなたの心霊知識は、あなたの死後を救えるか?

そもそも、あなたは知らぬ土地で道案内を求めて、目の見える人と、目の不自由な人のどちらをガイドに選ぶだろう? 「目に見える人に騙されないように注意しなさい」と、目の不自由な人が言ったら、あなたは道案内にその人を選ぶか? 道案内に求めるのは、あなたよりもより多くを知り、見分けられる人であろうに。

……それも選択肢のうちだ。だが、あえて問う。もしもあなたが、あえて誰かを騙すとするなら、目の見える人と、目の見えない人のどちらをターゲットに選ぶだろう? 真実はむしろ肉眼にこそ映じ難いものであるが、周囲を侮る者の考える事はストレートだ。

 

・・・・・・・

霊媒も間違いを犯す。だがそれは、霊媒だから間違いを犯すのではなく、霊媒が人間であるから間違うのである。……ならば、霊媒でない人が間違いを犯さないといえるか?

であるから心霊を研究して、霊媒の間違いを正せるのは、人として間違わぬように努力している人である。自分に不都合なことをすべて間違いというなら、人は夢幻の中でしか生きられまい。……そう夢幻、または妄想の中だ。

すべては人の問題に帰結する。――霊媒にだけ、霊界通信の困難を押し付けて、霊界通信の危険を伝々するのは、心霊思想が何を目的とするのかを分かっているのかと、私は不審に思う。

直接扱っているのは霊魂、霊界であろうと、私達が生きている限り、すべての問題は人に、人間性に帰結する。または、人がいかに生きるべきかに帰結するのだ。

霊媒を遠ざけただけで安心するのは、畳水練だけで、泳げると過信するに等しい。本を読んだだけでは、飛行機も飛ばせないし、手術も出来ないのと同様である。技能と知識はどちらも大切であるが、技能試験にパスしなければ免許証が与えられないのと似ている。

畳水練もいまや一つの文化かもしれないが、文化である以上の価値があるのだろうか。私は危険があろうとも水に入って練習する。

・・・・・・・

本音を言えば、うちのサイトの常連であれば、このような誤解をする事もないと信じている。だが、すべては連関していて、順番に解いていく必要があるのだ。

質問の纏め方

2006/06/04

2006年06月04日

質問の纏め方

 

数日前、熱心な質問メールが届き、熱心に返事を書いて酷く疲れ果ててしまった。……無理な力みが無かったわけではないが、文章を書くのは慣れている。するとどうも他に原因があると見るべきであろう。

深い精神統一にはいるまでもなく、原因はすぐに明らかになった。……私が返事をすることを、先方の背後霊達が嫌ったのである。こういうことは時々ある。

難しい返事であればそれなりに霊査も取るので、先方の意向も汲みやすいが、内容によっては義務感と脳力とで返事をしてしまう。すると、先方の意向を確かめる間もないこととなる。……要は、一つ一つのメールの返事に、どれだけ手間暇を掛けるか、ということになる。

さて、私の問題は本題ではない。返事を書いてはならない理由こそが重要であろう。先方の背後霊達の言い分を列記する。

まず第一に、「もっと詳しく教えてください」という問いに対して、『もっと自分で考えよ』という。たとえば、新聞などで知らぬ言葉に出会ったとしよう。辞書で引けば、求める言葉の意味だけでなく、類似・関連する多くの言葉、多くの知識と出会えるかも知れない。だが、人に尋ねたらどうか? 求める言葉の意味だけしか知ることは出来ないし、どちらか、もしくは両方に勘違いがあって、間違った意味を学んでしまうかも知れない。

いや、原点に立ち返ろう……自ら考え、自ら探し求めたならば、その経験は他にも応用が効く。だが、人に尋ねて得た答ならば、自分一人なら何も出来ないことになる。

第二に、『応用がない』ともいう。確かに、これはとても困る。霊感というのは本来、ヒントであって回答ではない。この差はとても大きい。一々回答を他から求めては、人の意志と、存在意義とがかすれてしまう。あの世の言葉は、それこそ草葉の陰のヒソヒソ声を越えるべきではない。

第三に、『目の付け所が悪い』という。いささか辛辣だが、その理由もまた厳しい。人が求めるべき助言は、『自分では気がつかぬことであるべき』というのだ。自分で気がつくことなら、まず、自分で掘り下げるべきであって、他に求めるべきでない。自分の見えぬ背中こそ、見守って貰えて安心できるのではないか。

背後霊とは、霊媒等が霊視したとき、そのものの背後に立っている姿から来る表現であるが、背後にいる者に、自分の目の前のものを見て教えよと言うのは、なるほど間の抜けたことかも知れない。

たしかに、心霊に興味があるものならば、霊媒に色々と聞きたくなる気持ちは分るが、質問もまた一つのコミュニケーションである。相手に呆れられたり、嫌われたりすることのないように注意すべきであろう。……もっとも、人と霊との間に立った、霊媒・審神者(さにわ)が率先して注意すべきことであるのだが。


見えないときもある

相談者・質問者から見えるのは霊媒だけだが、霊媒は、霊と人との双方に気を配る必要がある。……この視点の違いから生じる溝もある。

霊が明かそうとしないことを人は知りたがる。だが、霊媒がそれを遮るなら、人はいかなる感情を霊媒に抱くか?

心霊相談上の解釈

往々、こういう時に人の本性は現われる。苦境にある人が焦るのは当然に思えるだろうが、他に迷惑を掛けるような焦り方はいかがなものか。この時の人となりで見えるのは、無分別な人が焦って苦境に陥り、焦ってさらに深みに落ちようとしている姿か、努力家が苦境を乗り越えていく過程かの二つに一つなのである。

つまり、霊達の助言を聞くまでもなく、相談者が浮沈が理解できようというものだ。

霊媒業務的な解釈

相談者によってはビンビンと見えてくる場合もあれば、いくら統一してもさっぱりなにも見えてこないことがある。…… 霊が言いたがらぬ事は言わぬが良い。

無理に見ようとすると、相談者の心の迷路に迷い込みやすい。……霊的メッセージがないのに無理に霊視しようとすると、間違って、相談者の心を読んでしまうのである。

これを避けるにはいくつかのテクニックがある。まず、自分の守護霊なり、支配霊なりが霊視できない状況では、「一切の霊査を辞める」というのも一つの手だ。

だが問題は残る。相談を受けても霊査が出来なければ回答が出来ない。……ここにプロの腕の見せ所がある。

私は、見えないときには成るべく相談を断ることにしている。先方の守護霊が助けようとしていないのに、私が助けようとするなら、それこそ相手の因縁の全てをかぶることに成りかねない。……保証人のいない人に金を貸すようなものだからだ。

では、他の霊媒はどうしているのか。……話題をそらしたり、すり替えたりしていることが多いようだ。

意味がありそうで価値がない……そういう気休めを与えて、不満の行き所を自分自身(霊媒)からそらすのである。

こんな姑息なテクニックは、なるべくならば使わぬが良いが、使わざるを得ない相手もまた多い。

そもそも、人が困難に陥るのには原因があるはずだ。そして、その原因は誰にあるのか?……もしも自身に原因があるなら、自分自身が変わるより他ないではないか。ところが、往々、第三の方法を思いつく者がいる。

「一人で抑えきれないなら共犯者を募ればよい。」……早晩破綻する愚案であるが、こういう考えの人が相手では霊達も沈黙せざるを得ないだろう。


「壽《ことほぐ》

何やら今朝方より、呼ばれている気がして訪れた知人宅でのことである。出掛ける予定を繰り上げてまで待っていてくれた、先方のお嬢さんから相談を受けた。

「結婚を考えている相手がいるが、どうか」というものであった。統一しようとしたが、回答を拒絶するような感じで統一に入れない。……ので、それを回答とすることにした。

「何も見えないときには、大きな心配がない、または、当人にもっと考えさせよ、という意味があります。小さな心配事はいくつか感じます。会っているときにはいつも同じ面ばかりで、相手の違う面と出会うチャンスが無いようです。これでは、何かの拍子に白けてしまう恐れがありますが、大きな問題とはならないでしょう」

実はこのお嬢さんが留学中から、何度かお母様経由で相談を受けていて、信頼を得ての事である。で、まあ、いくつか質疑を繰り返した後、ようやく見えてきたことがある。つまり、回答を求めるべきは、自分が見えていないことについてなのである。

「子供を生みたくないけれど、でも、養子でも良いから子供が欲しいというのは、血のつながりを恐れていることですね。血が繋がっていなければ素直に付き合えると言うことでしょう。……それはつまり、お母様との間にシコリがあるということです。

「こういうのは危ないのです。片目をつぶっていながら、両目が見えている気でいる。でも実際には視野が狭いから溝に足を取られやすい。罰当たりという言葉もありますが、お母様を嫌うことで罰を受けるのではなく眼をつぶっているから痛い思いをするのです。ですから、とんでもなく大きな害を受けることもあり得ます。

「子供が授かるかどうかは、神様の配慮ですから、あらかじめあれこれ考えるよりも、授かってから考えればよいでしょう。そもそも、あなただって神様の配慮で生まれてきたのですよ。

「脾臓だとか、膵臓だとか、身体には色々な臓器があるけれど、何がどこにあるか知りもしないのに、人々は『子供を作る』などというのです。つまり、神様の働きに気がついていないのです。でも考えてご覧なさい。神様が送り出してくれたから生まれてきたのだとしたら、人は神様から愛されているということです。

「ならば神様が引いてくれた道を素直に生きれば、人はなにより幸せに生きられるはずなのです。それを色々と考えて脇道に逸れてしまうから不幸になる。心配するよりも試してみることです。」

とまあ、さすがに親の前でその娘に同棲を勧めるのはずいぶんと気が引けたが、なんのことはなかった。すでに同棲の準備中だったのである。

そうこうするうちにお嬢さんは出掛け、残された親に向かっていくつか補足することになった。

  1. お嬢さんは、負けず嫌いですから、反対したり、必要以上に意見すると、無理をして傷を拡げます。……もっとも、ご先祖の加護が篤くていますから、一見失敗しそうに見えても大丈夫、お嬢さんは転んでもただでは起きませんから、傍目には失敗に思えてもかえって幸運を掴んで立ち上がります。
  2. むしろ心配なのは、結婚問題よりも今の仕事ですが、結婚を理由に配置転換を申し出るところなんて、なかなか逞しいですよ。(心配性の親御さんよりも……と思ったが、当然言わない)
  3. ただ、一番問題なのは、お嬢さんが何を持って幸せと見なすのか、幸せとは何か、が掴めていないのに結婚するところです。目標が無ければ達成できるはずがありませんから、結婚してからそれを探すことになります。探さなければいけないのだから、幸せになれますか、と問われても答えられないのですよ。人が保証できることではなく、見つけなければいけないことなのだから。
  4. 負けず嫌いで、逸れやすいところもありますが、普段はとても素直ですし、自分に自信を抱いているから、ちゃんと答を見つけられますよ。

……ちなみに、「自信」とは、「自《みずから》を信じる」の意ですから、「自分に自信がある」というのは本来、助長な表現ですが、この時の他の話題に、「あの人は家産に自信があっただけで、財産を失った途端にダメ人間に戻ってしまった。あれが本来の姿だから今さら元には戻りませんよ……」等という話があったために敢えてこのような表現をした。


自己評価の手段

2006/06/03

Q 「自分に優しすぎるという罪悪感がある。」


 自分に優しいかどうかは、どうでも良いのです。

 たとえば、明日早起きしなければならない晩に、好きなだけ酒を飲んだとします。……それが自分に甘い優しい事になりますか?

 今日の楽しみは明日の苦しみで相殺、いやむしろ赤字でしょう。一時的な苦楽だけで物事を考えるから罪悪感が生じるけれど、長い目で考えれば必ず帳尻……つまり因果応報、努力は報われる……は合うのです。すなわち、苦楽ではなく最善を考えなければならないのです。

 無理をすると、周囲の人々や、背後霊を遊ばせて、自分一人の労働となるから苦労が大きいのです。いわばそれは第三者の責任まで自分が背負い込むという愚かな行為です。

 反対に周囲の人々や背後霊と共に片づけるようにタイミングやリズムを合わさせるなら相応に楽になります。これはつまり、おのおのが責任を分担するという事で、収支決算にインチキはありません。要するに問題は、自分の苦楽ではなく全体の苦楽なのです。

 しかし、自他だけで物事を考え、また、表面的な苦楽で考えるから、自堕落という罪悪感をもったり、余計な苦労を背負い込んだり、下手をすると無意味な行動に走ったりもします。いわば、自分の進むべき道を正しく評価する手段を知らないという事です。


人の目が気になる。

2006/06/03

2006年06月03日


ひとの評価が気になる。

たとえ見知らぬ人であっても、

どう思われているのかが気になる。

気がつけば、自信をもてない自分がいる。

ひとの評価が胸に刺さる。

ひとの期待が重荷になる。

善くいわれても、お世辞と疑い、

悪くいわれると心痛めて、相手を恨む。

気がつけば、他人に振り回されている自分がいる。

自信がないから虚勢を張る。

自信がないから隠そうとする。

気がつけば、厳しいほどに、

自分を見つめている自分がいる。

人に良く思われるために自分を見つめるのではなく、

自分を善くする為に自分を見つめるなら、

どんなに厳しく見つめたって愛を感じられるのに。

気がつけば自分を愛さぬ自分がいる。

自分をいじめてばかりの自分がいる。


どんな逆境に出会おうとも、

それが自分を磨くのだと思えるなら、

苦しみはすべて宝に変わるのに。

苦痛から逃れようすると、傷跡ばかりが心に残る。

気がつけば勇気の足りない自分がいる。

自分を信じる勇気のない自分がいる。

自分を愛する勇気のない自分がいる。

世を満たす普遍の愛を信じられない自分がいる。

どんな逆境に出会おうとも、

それが自分を磨くのだと思えるなら、

苦しみはすべて宝に変わるのに。

苦痛から逃れようすると、傷跡ばかりが心に残る。

気がつけば勇気の足りない自分がいる。

自分を信じる勇気のない自分がいる。

自分を愛する勇気のない自分がいる。

世を満たす普遍の愛を信じられない自分がいる。


気づく・・・覚る。

2006/06/03

2006年06月03日


自分を覚る

 

より善く生きたいなら、自分をもっと知ろう。

より幸せに生きたいなら、自分をもっと知ろう。

どんな大木だって、一粒の小さな種子が芽吹いたもの。

あなたが何を成し遂げ、何を得られるのか。

可能性の種子は皆あなたの中に内在する。

より善く生きたいなら、自分をもっと知ろう。

より幸せに生きたいなら、自分をもっと知ろう。

ささやかな覚醒――自覚する事、自分を知る事が、

なによりも信頼できる幸せへの道なのです。


無自覚から覚る。

 

つまらない自分であるとしたらどうしよう。

くだらぬ自分であるとしたらどうしよう。

悪しき自分であるとしたらどうしよう。

自分の本性を知るのが怖い。

謝るべき事があっても耳をふさぎ、

償うべき罪があっても目をふさぎ、

直すべき所も直さず

向上心を振り払う。

善良なる自分だけを信じて生きる。

優秀さを信じて生きる。

真実と自分を知らぬままに。

苦しみを生み出しながら生きる。

救いを求めて救われず……。

悲しみを生み出しながら生きる。

癒しを求めて癒されず……。

老いて希望を失い、

病で気力を失い、

焦りが絶望を招く。

楽を求めて目をそむけたのに、

自分と争う苦しみを避けただけなのに。

気が付けば、一番苦しい道を行く自分がいる。

たとえ人の世が、善良で親切な人ばかりでも、

わざわざ目隠しして歩けば、

棒にもあたるし穴にも落ちます。

人や車の往来を妨げ、事故の原因にもなります。

目をつぶって道行く、

その愚かさは誰でも知りながら、

自分を知らぬ愚かさを、誰もが知らん振りをする。

そこには自分を知りたがらない自分がいる。

人に親切にして惨めさを同情に転化する。

人を侮蔑して惨めさを憎しみに転化する。

落ち着けば誰より惨めな自分がいる。

そんな自分を知りたがらない自分がいる。

本当に目が見えぬのなら、

手を引いてくれる親切な人もいるでしょう。

でも、自ら目をつぶって道行くのなら……?

触れずにおくのも親切ではないか!?

気が付けば、世にある愛を拒絶している自分がいる。


不安から覚る。

 

自分をもっと信じてみよう。

幸せを生み出す力があると信じてみよう。

幸せになる為に生まれてきたと信じてみよう。

不平不満とばかりに取っ組み合って、

恵まれている事をおろそかにしている。

持っていないものを欲しがって、

持っている物をおろそかにしている。

私たちは祝福されてこの世に生まれたのに、

あれが足りぬ、これが足りぬと嘆いてばかり。

足りなければ努力すればいい。

人々と助け合う事だって喜びだ。

そしてあなたには、あなたにしか出来ない事があるはず。

他を頼り、才能を頼り、財を頼り、

そうしなければ幸せになれないなんて……。

気がつけば、自分を信じぬ自分がいる。

自分の運命を信じぬ自分がいる。

自分の才能を信じぬ自分がいる。

そして、自分の未来を信じぬ自分がいる。

 


不幸から覚る

 

どうして、私は運が悪いんだろう。

なんで、人生がこんなにつらいんだろう。

神様のせい? 仏様のせい?

お天道様のせいかな?

先祖の祟り?

悪魔・悪霊の祟り?

誰のせいであっても……

なにも出来ない自分がいる。


人を頼って覚る

 

苦しみに、なにも出来ない自分がいる。

耐え難いほどつらいから……人を頼る。

自分があてに出来ないのに……人を頼る。

自分を信じていないのに……人を信じる。

自分もままにならないのに、

どうして人がままになるのか……

気がつけば自分に出来ない事を、

人に押し付けている自分がいる。

 


さびしさから覚る

 

みんなが私を嫌うから……

と、世の中を恨んでみる。

するとますます嫌われる。

ならばみんなを愛してみる。

すると今度は疎まれる。

どうすりゃいいんだ!? と、ふてくされてみる。

でもひとりぼっち。

暴れたって、騒いだって……

やっぱりひとりぼっち。

不器用である事さえ気がつかない、

不器用者がひとりぼっち。

不器用だから寂しいのに、

不器用はそのままに、寂しさだけを何とかしようとする。

丁寧に生きても難しいのに、横着したらもっと難しい。

気がつけば、横着で不器用を育てている自分がいる。


争いから覚る

 

みんな幸せに暮らしたいはずなのに、

幸せは平和の中にあると知っているはずなのに。

どうしてみんな争うんだろう?

どうして腹を立てるのだろう?

私たちの生き方って、どこがおかしいのだろう?

みんな仲良く暮らしたいはずなのに

気がつけばかまってもらいたいだけの自分がいる。


「理解出来ない」から覚る

 

全く、世の中には理解しがたい事が多い。

でもどうして理解できないのだろう?

難解で理解しがたいのか。

自分の考えとは違うから理解できないのか。

幼稚すぎてばかばかしく、

それゆえに理解できないのか。

自分に都合の悪い事は誰だって聞きたくない。

……だけど。

気がつけば、ひとりよがりに陥っている自分がいる。

人に優劣をつけ、知識の価値を計り、

もてあそび、比べているだけで、

何一つ会得していない自分がいる。

気がつけば、愚かな自分がいる。

学ぶべきは、知らぬ事。

未知との出会いは、成長への近道。

なのに、無意識に未知を無視してしまう。

知っている事を確認しては安心している。

気が付けば学ぶ事に臆病な自分がいる。

知ったかぶりたがる自分がいる。


知の飢餓から覚る

よき智慧に出会えた人は、一冊の本を大切に読む。

繰り返し繰り返し読むうちに、

心の成長にともなって新たな意味が見えもする。

そうやって知識は人生のよき道連れとなる。

しかし、一冊の本では足りず、何冊も、何冊も読む。

来る日も来る日も、他のすべてを犠牲にして読む。

まるで、餓鬼が食べ物をあさるように……。

そして読むべき本を読み尽くして、途方にくれる。

何冊読んでも満たされないのは、

本当に必要な智慧に出会えないからだ。

何冊読んでも、その事に気がつかないのは、

本の読み方を知らないからだ。

未知なる知識、

尊敬すべき人物との出会いを読書にもとめず、

自分と同じ考えを本の中に探している。

安心を追いかけ、不可知のもたらす衝撃を恐れる。

退屈を嫌いながら、新鮮を嫌う。

「そうだ、やっぱり私の考えていたとおりだ!」

……そういう感動ばかりを追いかけている。
気がつけば、

自分の傲慢さを満たす言葉を追い求めている。

宗教書や心霊書を数多く読んで満たされない。

必要な智慧に出会えないからだ。

そして、読み方を知らないからだ。

宗教や心霊が扱うのは、

人知を超えた存在、そして、筆舌を超えた存在。

ただ、直覚だけが感動を与えてくれる。

言葉に囚われていれば真意が見えないし、

勝手な解釈では迷うだけ。

信じて踊って人々にあざ笑われる。

気がつけば、神を捜すのにうつむいている。

気がつけば、真理よりも人の顔色を見ている。

気がつけば、苦言を無視し、甘言に酔っている。

知の飢餓に飢え、多くを学びながら、

知の飢餓を満たすすべを知らない人々。
気がつけば、

あるはずの無いところを捜している自分がいる。

気がつけば、あるべき所を知らない自分がいる。
気がつけば、智慧の意味さえ知らない自分がいる。
気がつけば、愚かな自分がいる。

気がつけば、愚かな自分に気が付かない自分がいる。

愚かだからこそ、学ぼうとする。愚かだからこそ、学び方を知らない。

学び方を知らぬからこそ、学んで何も会得できない。

気が付けば葛藤の中にいる自分がいる。

人生の迷宮の中で、独りぼっちの自分がいる。

独善の弊害に気が付かない自分がいる。


「つまらない!」から覚る

あれはいやだ、

これはいやだ、
絶対にいやだ、
死んでもいやだ。

…… わがままに生を費やす自分がいる。

人生、嫌な選択肢ばかり!――

――では、何なら良いのだろう?

…… 気がつけば夢も希望もない自分がいる。

夢を探して心の旅に出る。

いろいろな人から話を聞く。

――みんなつまらない生き方ばかり。

「あいつらは何でこんなことで喜んでいるのだろう?」

…… 気がつけば感覚の鈍い自分がいる。

子供の頃には、ハシが転げたって楽しめたのに。

若い頃には、ただ生きているだけで希望が持てたのに。

…… 気がつけば、心が老いた自分がいる。

ねえ、 病気で味覚がわからなければ、

何を食べてもおいしくないよ。

目が見えなければ、どんなにいい景色も喜びを生まない。

耳が聞こえなければ、どんなにいい音楽も楽しめないし、

匂いが分からないのもさびしいよね、

ふわふわぽにょぽにょしたものだって、

触れなければつまらない。

味わえたって、見えたって、

聞こえたって、

嗅げたって、触れたって――

――感覚が鈍ければやっぱり楽しめないよ。

人生が楽しくないって!?

それは、飛び込む勇気がないからかな。

でも、それには必ず自覚があるよね。

では、感覚が鈍いからかな?

―― 自分の感覚の働きは、どうやって試すのだろうね?


お腹が空けば短気になる。疲れ果てれば投げやりになり、
追い詰められればイライラする。
どんな料理だってお腹がいっぱいなら美味しくないし、

どんな好物だって、そればっかりでは飽きてしまう。

生きていて楽しくないって?

わざとつまらない生き方をしていないかな?

…… 気が付けば喜びの意味を知らない自分がいる。


不満から覚る 1

一生懸命やっているのに、人の評価はままならない。

愛する人もままならない。

 仕事もままならないし、天気もままならない。

自分の気持ちが良いようにしたい。

 だから、ままならないものをどうにかしようと努力する。

 でも、やっぱりままならない。

気がつけば、振り回されている自分がいる。

いちばん、ままならないのは自分の気持ち。

自分の気持ちがままならない……変な話だ。

 右手を挙げようとして左手が挙がったらどうする?

 左手をあえようとして右足が上がったらどうする?

 そのまま普通に暮らしていられる?

 自分が一番ままならない……。

 気がつけば、自分を知らない自分がいる。

自分が本当にやりたいことも、

 自分が本当に嫌いな事も、

 分からないでいる自分。

嫌なものを好きと思っても楽しくない。

好きなものを嫌いと思っても心さびしい。

幸せの意味を知らずに幸せを追いかける。

努力に結果がついてこない。

不満と後悔ばかりが後に残る。

……いったい私は何をしているのだろう。

気がつけば、自分の人生を知らない自分がいる。

知らないのに知っているふりをして前に進む。

それは、自分を守っているようでいて

……前に進んでいるのだろうか?

一体どこに進むのだろう。

……もしかしたらこれが正しい道かもしれない?

ばかばかしい!!

正しい道を知らないというだけで、

もう正しくは無いのに。

……正しさから目をそらして前に進む。

気がつけば、過ちに向かって進む自分がいる。

過ちに向かって懸命に進む自分がいる。

いったいどこに行くのだろうか。

自分を振り回す自分は、

自分をいったいどこに連れて行くのだろうか。

「あなたはどこに行きたいのか?」

 気がつけば、目的を持たぬ自分がいる。


不満から覚る 2

こんなに苦しいのはなぜだろう。

 俺はこんなに努力しているのに!!

……きっと、あいつのせいだ、

こいつのせいだ、

みんなのせいだ!!

そう思って一人になる。……でもやっぱり苦しい。

世の中には、あれが足りない、これが足りない。

足りないものだらけのこの世の中。

まったく、世の愚者どもは全くつかえない。

ここで私が手本を見せてやろう……(?)

自分でやらずに人の努力をあてにする。

足りないんじゃない。造らないんだ。

……人をあてにしている自分が一番使えない。

世の中、金が全てだ。まず金だ!!

……貧乏である以前に、発想がまず貧しい。

貧乏な自分を哀れむよりも、

稼げない自分を哀れむべきだ。

今時は、生きる為に必要な金が無くても、たいして辛くない。

食べるものが無くても、おなかの虫が鳴くだけ。

でも、遊ぶ金がなくなると、とっても辛い。

美しくなりたいからと、病気になるほどのダイエット。

医者に止められても止められない、酒やタバコ。

……本能よりも強いワガママを抱えて生きる人々。

生まれたての赤ん坊よりも、心貧しい大人たち。

一体、成長って何だろう?

年齢を重ねて、私たちは何を学んだのか。

身体は大きくなったのに、心はどうなったのだろう?

あれが欲しい、これが欲しいと、欲ばっかり増えていく。

……でも手に入らない。

赤ん坊の頃は、母の微笑だけで満ち足りていたのに、

 いつしか、満ち足りる為に、親を困らせている子供たち。

そして、甘える相手、親の代わりを捜す大人たち。

ワガママに振り回されて、魂をすり減らして老いていく。

生まれる前よりも貧しくなって、何の為に生まれてきたのか。

悪霊や怨霊の祟りが、可愛く思えるこの世相。

 犬だって分かち合い、猫だって餌を譲るのに。

地上で人が死ねば死ぬほど、

あの世の治安が悪くなるって……

こんな時代に生きる。

苦しみに愚痴をこぼしてもただ辛いだけ。

苦しみに発奮してこそ成功がつかめる。

努力すれば全ての人が

勝利を得られるわけじゃあないが、

諦めた人が勝利するのは見た事が無い。

私はいったいどこに向かっているのだろう。

自分を守ろうと努力して、

……なぜか苦しみを増している。

幸せになりたいだけなのに、

……なぜか苦しみが増していく。

為すべき事を知らないのに、何を為せばいいのだろう。

自分の愚かさから目をそらして生きる。

気がつけば、破滅に向かって進む自分がいる。

破滅に向かって懸命に進む自分がいる。

いったいどこに行くのだろうか?

自分を振り回す自分は、

自分をいったいどこに連れて行くのだろうか。

「あなたはどこに行きたいのか?」

気がつけば、流されている自分がいる。

私は前向きに生きている!!

……でも、前ってどっちだろうか?

流されているのに気が付かない自分がいる。


葛藤から破滅に向かう。

幸せの意味も知らずに幸せを求め、

どこに行けばいいのかも知らずに前に進む。

人は、いずこから来たりて いずこへ去るのか。

それを知らずに生きる自分がいる。

無目的と、さ迷うのと、一体どう違うというのだろう?

気が付けば、不満で苦しむのではなく、

不満に苦しんでいる自分がいる。

苦しみを不足のせいにしている自分がいる。

本当は多すぎる不満のせいなのに、

自分が抱え込んだ不満のせいなのに、

それでも不満を手放せない。

幸せになりたくて不幸を手放さない自分がいる。


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