負けず嫌い
2006/06/302006年06月30日
一口に、負けず嫌いというが、第一義的に相手に勝ちたがる負けず嫌いと、負けたくないという負けず嫌いがある。
前者は進んで争い……争わなければ勝てないからだ。
後者は争いを避けようとする……争わなければ負けないからだ。
むろん、勝利を求める人もすべてに勝利できるはずもなく、勝てぬ戦いはしたがらないし、負けを恐れる人も、勝てる競争まで放棄しようとはしない。
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地上での生活には、どうしても生存競争的な闘争がつきまとう。たとえ人とは争わぬ覚悟でいても、商業活動や勉強さえも、大抵はゼロサムゲーム……つまり、誰かが多くを得れば誰かが得られないという仕組で成立っている。従って、闘争心のない人はむしろ病的であって、誰にでも多少の負けず嫌い的傾向はある。また、競争すれば昂奮し、勝っても、負けても昂奮の余波が続く……負けた人が昂奮の余波で復讐を誓うのは、ストレスに心を支配された結果であって、その人が本質的に負けず嫌いであると判断する材料にはならない。
さらにいえば、現代日本人は学校で競争を強いられるのである。……その過程で負けず嫌いの傾向と無縁で居られる人がいたとするなら、よほど能力の隔絶した才能の持主だけだろう。
つまり、負けず嫌い的な傾向に神経質になる必要はない。……以下は、負けず嫌いが過ぎたる場合である。
負けず嫌いは操りやすい
負けず嫌いな人は自負心が強く、他人に隷属・従属することを極端に嫌う。だが、知る人ぞ知る。負けず嫌いな人ほど操りやすいのだ。
「この仕事が出来る人が居るとしたら、君しかいない」……という言葉で、歓んで火中の栗に手を出す。おだてと判っていても、本能に逆らえずに手を出す。むしろ、おだてと判っているから騙されても腹を立てにくかったりする。
ある意味、負けず嫌いには、「無能な騒ぎ屋」と、「社会の奴隷」の2種類いることになる。……勝った負けたと一時の勝敗に歓んでいるが、太極から観れば負けず嫌いな人は皆、運命の奴隷だ。
いや、別に奴隷になるために地上に生を受けたわけではあるまい。自分の背負った業《カルマ》、つまり、負けず嫌いという性質を、有益な努力のために活用し、無益な時には慎むように努力することが、人生の課題の一つなのだから。
勝ちたがる人の弱さ
「弱肉強食」という言葉がある。ピラミッド型の食物連鎖の上部に位置するのが肉食動物であるが、それをもって強いといえるかどうか。他の動物を食いつぶしたなら、いったいどう餓えを凌げるというのだろうか。強い動物は弱い相手存在に依存しているのである。さらに、ネズミのオリに猫を入れた場合と、ライオンのオリに猫を入れた場合の差を思い浮べて貰いたい。天国と地獄の差が出るであろう。
同様に、他に勝ちたがる人は、他人への依存や甘えがとても強い。……自己の存在意義は、弱い相手の存在の上に成立しているのである。では周囲のすべてが自分よりも優れているなら、負けず嫌いの闘争心はどこに向うだろう?……ここでは、さらっと流すが、理解が進めば、これが大きな社会問題の要因であることを知ることになる。
争わず
負けず嫌いだからこそ、競い合いを嫌がる場合が多い。……競えば勝敗が付き、勝てなければ自尊心が傷つくからだ。むしろ平和主義者の方が安易に競う……勝敗を重要視しないからだ。
それが何を意味するか……競い合いを拒まれたなら、しつこくしないことだ。たいていの場合、相手は遊びでは競おうとしない人なのだから。競えば真剣になり、真剣になれば、勝っても負けても傷が伴うだろう。
安易に競争したがる人には、きっと理解できない事だろうが……