随伴霊
2006年06月20日
ある職場に、新人が配属されたとする。
この新人さんはしばらくの間、見習いとしてその職場のベテランに委ねられるであろう。大抵の場合は。むろん、「事実は小説よりも奇なり」で、様々な例外もあると思う。だが、あなたが新人として配属されたなら、いきなり本業を任せられるよりも先輩の仕事を見習いたいと思うだろうし、どうせ指導を受けるなら、無能な先輩や、残酷・冷酷、短気や独善的な人の指導はイヤだと切望するに違いない。
そう、世間には、様々な新人の扱い方があるだろうし、指導役の悲喜劇もあるだろう。当然、見習いの悲喜劇もだ。
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さて、ここに修行が必要な低級霊がいるとする。何しろ、ヒマになるとろくな事をしないのは人間の性《サガ》であり、性は死んでも容易に治らないからこそ、霊の祟りなどが生じたりする。
……そういった事情があるから、一種の見習いとして地上の人に憑《つ》けられる場合がある。これを「随伴霊」と呼ぶ。
さて、あなたが見習いとして働くなら、どのような人の元で働きたいか。そして、あなたが管理職であれば、どのような人に新人の指導を任せるか。……随伴霊は、そういう人につけられる。
たとえば高徳の僧侶、神官、神父などの聖職者が、軒並み低級霊を引き連れて歩いていると聞けば、霊感のない人は容易に信じないに違いない。一方、霊感過敏の人は「やはりそうか!」と頷いてくれるかも知れない。他方、霊感があっても「まさか!!」という人もいるだろう。
まず、霊感があっても見えないのは無理もない。私自身、その様な随伴霊を当たり前のように見ていたのは、自分の霊感をコントロールできない時期であった。……そして、随伴霊は大抵、霊媒の目から隠されているのである。なにしろ、低級霊を見れば除霊したがる乱暴な霊媒が多い世の中である。手柄に焦る霊媒に目をつけられては、低級霊が向上するチャンスが失われてしまう。
一方、低級霊がついているからといって、その人の人格が劣っているとは限らない。その人が低級霊にコントロールされているならば大問題であるが、ただ引き連れているだけなら、それは大抵、随伴霊、つまり、見習いの霊魂なのである。
たとえば霊感初級者は、神社仏閣に低級霊がうじゃうじゃいると騒いだりするが、これと同様の問題だ。果たして、病人の大勢集まる病院は悪い病院なのか……否、病人の寄りつかない病院こそが危ういのである。
つまり、随伴霊のついていない人であれば、その人格は、見習いを預けるに値しない人である可能性が高いということだ。
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ここで勘違いしないでいただきたいのは、人徳者が低級霊を連れていても不思議ではないが、低級霊を引き連れている者が必ずしも人徳者とは限らぬ事だ。まして憑依されている者を人徳者と呼んでいるわけでもない。
整理する。……
1,人徳者が低級霊を引き連れて歩いているのはむしろ当たり前であって、不思議ではない。
2,低級霊を引き連れていなければ、本当の人格者か疑わしい。(が、見えるとは限らない)
3,憑依されるようでは、見習いを持つ資格がない。
……だから、常に低級霊(随伴霊)に飲み込まれないように注意を怠らない人が、霊界から認められる人格者なのだと私は考える。
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ところが、この見習いの配属先が霊媒であったりすると事は面倒になる。面倒を承知で配属しているようなのだが……低級霊を察知すれば霊媒はむしろ本能的に除霊を試みる。だが、除霊能力の源泉は守護霊であり、随伴霊は守護霊の認知の上でついているのだ。……つまり除霊できない。これを霊媒がどう感じるかはケースバイケースらしい。ある霊媒は、除霊しても除霊しても霊が寄って来るという。また別な霊媒は、どうしても除霊が出来ないという。
実力の問題もないとはいえない……が、除霊すべきではないという発想はないのだろうか。
随伴霊 2
2006年06月21日
トラックの荷台に、ドラム缶を積み込んだとしよう。そしてドラム缶は固定しない。
車が走り出せばドラム缶は後ろに動き、ブレーキを掛ければ前に動く。そのうち転げてハンドル捌きに合わせて左右に揺れ、ブレーキを掛ければ運転台に当たり、走り出せば後ろから転げ落ちる勢いで動き回る。右にハンドルを切れば左にぶつかり、左にハンドルを切れば右にぶつかる。……兎角、車の動きを邪魔する動きをするだろう。
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人には大抵、随伴霊と呼ばれる低級霊が、一種の見習いとしてこっそりと憑けられている場合がある。その存在は、大抵の場合、当事者の守護霊によって隠されているが、敢えて教えられる場合もある。……意識的な問題解決努力を促すためだ。
その随伴霊が憑いているとどういう作用が生じるかというと、上述の「トラックの荷台で暴れるドラム缶」の動きに似ている。努力しようとすると邪魔(誘惑)され、辞めようとすると焦りに煽られ、右といえば左、左といえば右と……つまり逡巡が生じる。不満が生じたり、疑惑・疑念が心にきざしたりする。
この事を読み流さないで貰いたい。……自分の目指す向きとは反対の動きが随伴霊の働きなのだ。 にも関わらず、人はそれに従おうとする。不思議に思わないか?
人は我が心を自分の主と見なし勝ちだが、心というのは身体から多大な影響を受けていて、疲れていれば悲観的になり、元気があれば楽観的になる。そして……霊的影響も受けることがある。そんな、本来とても感化を受けやすい我が心の求めるところに、絶対的に従おうとすることは、随伴霊の影響を受けやすくなることでもある。
すぐに諦め、一心に努力すべき時に雑念・妄想と遊んでみたり、その一方で、何ら勝算のないことにのめり込んでみたり、人をバカにし、侮ってみたり……本来自分が至っているはずの心境・境涯をそっちのけで、俗信であるところの心の絶対性を信じて、随伴霊の意図に従うのだからナンセンスである。
「心の中に霊の声がする」……といえば、大抵の人から見たらオカルトである……その割には犯罪者の言い訳によく使われているようだが… …なぜ断らないのだろう? なぜ、後でそう言い出すのだろう? 仮に悪霊・低級霊(そして随伴霊)から悪事の誘惑を受けたとしても、だ。その誘惑に従ったら共犯なのだ。しかも主たる実行犯なのである。
「神様(仏様)が見ていらっしゃる」……等という。誰も見ていないからと言って、悪事やだらしないことをしてはいけないというのだが、体感的にいえば、善い行いをしても認められることは稀で、その割には悪事が露見しやすいと感じないだろうか。
心霊家としての観察を含めていうなら、この言葉は一面の理でしかないと思う。同時に「随伴霊が見ている」ということも大切だと思う。人が見ていないからと生き方に手を抜くと、随伴霊から舐められてしまう。『その程度の霊格で何を威張っているのだか』……というわけだ。
すると、叱りつけても相手はいうことを聞かなくなる……すると、チャンスを見失いやすく、大事なときに失敗し易くなり、努力すべき時にだらしなり、ついつい、愚痴や不満が多くなって、口は動いても身体が動かなくなる。
人は高級霊の感化よりも遙かに、低級霊の感化を受けやすいものなのだ。
補助霊
2006年06月21日
あまりオフ会では話せない、オフ会での話。
幼稚園や小学校での入園・入学時に親が付き添うように、オフ会の参加者も初参加の際には付き添いの霊がいる。……「いわゆる守護霊」ではなく、もっと霊格の高い存在らしい。そして大抵は女性の霊だ。精神統一の指導に経験があるらしく、そのおかげか、初回の参加者は大抵、綺麗に座る。……ある意味、ビギナーズラックと似ている……次回以後も同様に座れるとは限らない。というか、座れない。その為、二度目以降が本当の指導になる。
むろん、私も初参加者には態度が甘い。それでなくても緊張しているだろう初参加者に一度に全部を要求しても無理が生じるだろう。
だからといって、二度目以降に急に厳しくするつもりはない。基本的に私は霊媒としての態度をとる。つまり、霊と人との媒介者……ニュートラルな存在である。だから、自分に厳しい人には厳しく当るが、自分に甘い人にはさほど強く接することはない。
戸を叩くのはあくまでも参加者の努め、そうして出てきた主と客との仲介役が霊媒なのである。……まあ、それだけで済ませるのは主催者として不親切であろうが、いささか不都合な事情がある。
何しろ人間は、思い込みやすく、ガッカリしやすい……五感という五つの穴から外を窺う囚人の様なもので、その心象は実感よりもむしろ、当人の思いこみによって形作られているのである。であるから、着実に歩を進められる人はなかなかいない。走っては息切れし、息切れしては諦めてしまう人が大部分なのである。歩いて行けばたどり着けない道ではないのだが……だから、手を引いてくれる者(霊)が必要となる。
が、心霊知識の不足が生む悲劇……手を引かれる代りに、人が霊の手を引いて歩みたがる。不安と焦りに身を焦がしながら。
……オフ会初参加の時に、知らずに引かれた手を、思い出せる人は幸いだ。
心霊を学ぶというのは、幽《かす》かなものを感じ取ることだから。
……チャンスを生かしてこそ、真に学んだといえる。
妄想に駆られる・随伴霊
2006年06月25日
Q「車を運転中、ふっと妄想にかられ、その理由に悩んでいたが、随伴霊のせいではと気がついた。妄想のあと、どう対処すればよいのか?」
随伴霊に限らず、低級霊が身の回りに多いと、雑念・妄想が湧きやすくなります。また、基本的に感応というのは同波長……すなわち、似たような境涯の者同士に起るものでして、低級霊と感応しやすいのは境涯が低いのが普通です。ですから、感応しやすい…… 低級霊に懸りやすい人は、自身の霊格を上げることが必要と教えます。
ただし、随伴霊の説明に見るとおり、霊格が大きく違っても必然があれば感応することがあります。
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ところで、「心境」は環境の影響を受けやすいもので、たとえば仕事に打ち込んでいるときには低級霊の感化は受けないが、帰宅して酒を飲めば低級霊の影響を受けやすい……等という事例はざらにあります。
この事例は含蓄に富んでおります。人の視点というのは、何かしらの基準を必要とします。この場合、平常時を基準にして、低級霊の影響時を異常と見なし勝ちですが、仕事に打ち込むというのも、その指導霊の影響下にあるのが普通で、このような人格の変化の幅が大きい人は霊媒的要素が多分にあると考えることが出来ます。…… 進んで高級霊との交渉を望まなければ苦労が絶えぬ事でしょう。
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さて、質問の「運転中の妄想」ですが、これはつまり、「一人っきりで、リラックスすると同時に適度の緊張がある」ということでありましょう。……単なるリラックスだけでは、妄想していても自覚することが出来ない筈です。
こういう時に生じる妄想については、私にも覚えがあります。こういう状態でブログの更新ネタを仕入れるときもありますので、霊感の働きが活溌になっているのは事実でしょう。
ただし、妄想……その内容が無意味に思えても、否定なさらぬ方が良いかと思います。
人間の視点は基準を求めます。……相対的に物事を受け止めるからです。普段の自分の精神性を基準にして、「妄想」を判断すると、なるほど心配にもなるでしょう。その際、実際に低級霊の感化も受けている筈です。
どんなに高い精神性を備えた人であっても、物質世界に生きている限り、物質的欲求という低レベルの環境に迎合しなければなりません。否応もなく低級霊的な欲求に支配されているのですから、そこにストレスも生じます。…… ストレスが生じればそこに調整が働くのが普通であって、調整作用が何ら存在しなければ、爆発を待っていると考えるべきでしょう。
つまり、質問者は本来、高い精神性に憧れるあまり、低レベルな日常生活に不満を感じているのではありますまいか。そのギャップの調整作用として、普段無視できない相手を、無視できない状況が生じているのだと思います。
Q「徳を積み、随伴霊とともに生活の中で修行をしていくしかないのかなとは思っています」
随伴霊・低級霊と論理的に対決するのは、ありがちな発想ですが無意味です。……誰が望んで低い境涯に留まるのでしょう? 大抵は、「分っているが直せない」と思っているわけで、少なくともそこに論理的な解決策はありません。
すると発想の転換が必要になります。
端的にいえば、質問者の生き方が、先を急ぎすぎているから、見習いであるところの随伴霊から愚痴が出ている……同時に、質問者が本来無視してはいけない問題が潜んでいるから、適度な緊張を伴う時……問題点を自覚しやすい状況下で、妄想が生じているのでしょう。
つまり、徳を積む、修行をする、という本人の意志が、急ぐあまり、危うくなっている暗示であると、私は考えます。
妄想が生じたら……精神的な疲労が溜まっているのです。パッと、気が晴れるような休養の取り方が必要でしょう。