水子霊
最終更新日 2002年04月16日
堕胎の害
堕胎による一番恐ろしい害は、水子霊の祟りというよりも、むしろ、命を断つ事に罪悪感が失われていく事です。……祈れば許される。そういうものではありません。
いずれ子供を持ったときに、自分が抱いている子供と、水に流してしまった子供の価値の違いを見出せるでしょうか。自分の抱き上げた子供を可愛いと感じた時、自分の都合で命を絶ってしまった水子の事を思わずにいられるでしょうか。
子供の折檻死や、放置して死に至らしめる親が増えていますが、社会の影では、堕胎という名で、さらに多くの子供たちが死という運命を与えられているのです。生まれてくる命を大切にしない社会が、どうして子供を大切にできるというのでしょう。
それはまた、その子にとっての運命ともいえます。
しかし、自分の手に運命を委ねている、一つの命を救えない人が、どうして自らの魂の救いを求める事が出来るのでしょう。そして、小さな命を大切に出来ないような、恋愛で幸せになれるでしょうか。そんな独り善がりな気持ちは、いずれ裏切られます。そして、その独り善がりな心には、自らが直視できない無数の罪悪感が宿ります。この罪悪感が、格好の悪霊の巣になるのです。
堕胎も殺人です。確かに、母体を守る事も大切ですし、強姦された結果の妊娠なども、出産後の事などを考えれば、堕胎も仕方がないと言えるでしょう。しかし、堕胎を繰り返せば、精神を病んでいきます。しかも、避妊せずにいれば、妊娠するのは当り前です。ちょっとした配慮で防げる悲劇を繰り返す事ほど、自分の魂を傷つけるものはありません。
水子供養
最終更新日 2002年04月16日
水子供養
さて、水子の供養ですが、一番大切なのは残された者の気持ちです。基本的に三歳未満の子供に、大げさな葬儀はむしろ、周囲の人から白い目で見られます。ご夫婦そろって、近所のお寺でお経を上げていただく程度で充分だと思います。(クリスチャン等を除いてですが)
その場合、お付き合いのあるお寺がない場合、むしろ大きなお寺を頼った方が、謝礼がきちんと決まっていて、安心かもしれません。
一方、まるで何もしないと、ささやかな不幸に見舞われたときに過剰に不安に陥りがちですし、いずれは誰も死に直面するわけで、その際に水子とは言え、自分の子供を粗末に扱ったという思いは何よりも心に引っかかります。
(仏事をおろそかにする人ほど心霊詐欺に掛かりやすい)
また何よりも問題なのは、母親にとって自覚はなくても水子の存在は案外大きな心の傷になっるということです。
ですから、私がお勧めするのは、やはり、日本の普通の葬式方法の略式で良いから読経を上げてもらうべきと思います。心配なのは料金ですね。あまり水子供養を前面に出しているところは、特別な料金設定などがありそうで嫌ですよね。金で人の幸福は買えませんが、かといって人はいずれ死なねばならず、いずれはお寺にもお世話になるのでしょうから、そのような仏事を任せられるお寺を探して置く気持ちで、暇を見てはあちこちのお寺に行って相談なされると良いかと思います。 (参照:先祖供養)
もう一つの方法
日本の心霊の独特な考えですが、人間には守護霊と呼ばれる霊が一人一人についていて、その守護霊が担当する相手の霊的な加護や、精神性を導く働きを持っています。そして、守護霊の上部には総括する役割の存在がいて、そのような霊を日本では神仏と呼称します。
これは神道、特に国家神道的な神でも、仏教的な仏とも違います。死者の事を『仏さん』などと呼ぶのと同じ考えです。そして、霊能者や、行者、拝み屋など、心霊を扱う人の場合、そのような霊を見、話しをする事が出来ますが、普通の人の場合は、不可能ですよね。ですから人知に余るような悩みがあった場合、人は社寺で祈り社寺の神体仏像などを、神仏と見なして語りかけるわけです。
ですから、神道仏教的な思想とは関わらず、社寺は常に高級霊が見張り、あたかも高級霊界の受付所のようになっています。もっとも様々な制約やコツが有るのですが……
さて、本題の死者の供養に戻ると、現代日本ではちょっと難しい話なのですが、かつての日本の生活には産土(うぶすな)神や、氏神様と呼ばれる神社が集落に必ずあり、そして、人が生まれてはお宮参りに行き、七五三に神社に行く、そして亡くなればまた、報告に行き、今までの加護に感謝するという習慣があります。
まあ、死を穢れと考える神道は、喪中の者は鳥居をくぐるな、などと言いますが、儀式の都合等の場合はさておき、「死が穢れなら、お払いさえ受けていれば人は死なないか!」という話になってしまいます。その辺は、陰陽師の活躍した頃の、鬼や怨霊伝説の名残りの気がします。……脱線ですが。
ですから、もしお子さんが、生まれ育った場合に、お宮参りに連れて行くであろう神社…それが子供の産土神に当たります……にお参りし、霊界でのお子様を霊界でも見守ってくださるようにお願いするのが良いでしょう。
この場合、正式な祈祷や、昇殿参拝などはする必要がありません。社殿の前、拍手を打った後、ゆっくり心の中で、願い事を三回繰り返し、頭を下げて、『お願いします』と結べばよいのです。願い事を三回繰り返すのがコツです。一回だけだと、祈っている人間も気が高ぶって相手に念がうまく通じない事もあるからです。
早世・夭折
最終更新日 2002年04月16日
早世
親より先に子が死ぬ……親にとってこれほど不幸なことはありません。この、親の不幸につけ込んで布教をする人などがいますので、子供の早世(早死)を親の因縁と思い悩む方がいらっしゃいます。その誤解を解くためのページです。
・・・・・・・
ある意味、胎児というのは、地上でもっとも幸福な存在といえましょう。母親の胎内に守られ、ただひたすら成長の努力を続ければよいのですから。人間はこの母親の胎内での得た幸福感、そして、乳幼児の頃に受けた愛情で、人格の器を作ると思えます。
成長するにつれて、社会に揉まれ、それなりに分別もついてきますが、やはり幼児期に親に死に別れた人などは、最後の精神的な踏ん張りが足りない気がするのは幼児期に愛情が不足したからと言えましょう。その一方で、両親がそろっていながら情緒不安定な人もいます。親は愛情と思いながら実は我欲を注いでいるのかも知れません。
さて、子供の早世には様々な原因があります。人それぞれに事情があることでしょうから、それらすべてを一様に説明することは不可能ですが、転生という点に限ると、以下のように考えられます。
前世において、衝撃的な死を味わい、その現実を受け止められなかったような霊は、胎児となる事で、ある意味感情的な物をリセットする事が出来ます。私たちもあまりに不運な目にあうと、『夢なら覚めて欲しい』そう考えますよね。それと同様なのです。
衝撃が生み出す心の傷は、母親の胎内にいて四六時中注がれる愛情が打ち消してくれます。このような手順を踏まなければ自分の死を認める事の出来ない傷ついた霊も、霊界にはたくさん存在します。
魂に傷があるがために、長生きをしても人生の苦難に耐えにくい、それがために、早世する肉体的な環境の持ち主の所に転生すると考えられます。
人生は霊性向上の場なのです。子供を産み育てる親にとっても、生まれてくる子供にとっても人生は霊性向上の修行なのです。わずかな時間でも関わりあった事が、互いの心に残すものを大切に扱っていただきたいと思います。
死別の悲しみ
身内を失うのはとても辛い事です。それが我が子ならば、苦しみがさらに増す事でしょう。しかし、死をあまりに悲しむ事は、死での旅路につく魂にとって、大きな負担となります。
身内の者たちにしてみれば、「もう少し生かしたい、いや何とか出来たのではないか」などという考えが、頭の中に巡りましょう。しかし、残された者たちがどれほど嘆き、引き止めようが、死の淵から帰ってくるのは容易ではありませんし、肉体が損なわれていれば不可能なのです。
そして残された者の悲しみは、死者の苦しみでも有ります。憎悪による自殺など、特別な場合を除いて、誰も自ら死によって、愛する者たちと別れたいとは思わないのです。嘆きは、悲しみを呼んでしまいます。彼らには次の生活が待っています。行かねばならぬものなら、快く送り出す。それが死によって分けられた互いにとって幸せなのです。
また、早世した子供に対しては、親の責務を果たせなかった、自責の念もありましょう。しかし……幼子ならば、親を慕い、寂しがる気持ちはあれど、親を恨む事はありません。ある程度、成長した子であるのなら、親を恨むのは筋違いでしょう。
死者との通信を望むな
死者との通信を望むべきではありません。特に子を亡くした親ほど死者(我が子)との通信を強く望みがちですが、彼らには次の生活が待っています。残された者たちが未練を持って生きることは、死者にとって負担となります。
この世での生活を終えた霊たちは、まず現界での生活の、悪い点を反省し、良い点を伸ばすように指導を受けます。生前も死後も時間を無為に過ごす事は出来ますが、余分に使える時間が有るわけではありません。無為に使った時間は、やはり無為に使った時間なのです。
鉄は熱いうちに打ての例えのとおり、霊界入りして直後は、学ぶべき事が多いのです。
心霊研究団体では盛んに交霊を行ないます。人々の記憶にあるような霊からの霊界通信は、関係者に対して否定しがたい証拠となりますから、なるべく死んだ直後の霊を呼びたがります。
しかしながら、普通の交霊会に現われる霊というと、大抵、親族もすでに亡くなっているような古い霊に限られます。その理由は、やはり霊界入りした直後の霊は、現界の影響が強すぎて、霊界通信に絶えるだけの霊界に関する知識が無く、また、霊界で学ばなくてはならないことが多すぎて忙しく、現界に関わる事を嫌う事がありあます。
本来、死の直後の霊は、呼び出されることを嫌います。感情を満たすだけの無為な死者との通信は望むべきではありません。
水子霊・相談例
最終更新日 2002年04月15日
水子霊の祟りとは、大抵、女性の罪悪感の事を指します。水子供養とは、罪悪感の消去を目的にするわけです。その根拠は、子供は母親だけでは作れず、中絶は男性側にも問題があるのに、男性に水子の祟りが少ない事や、水子の害と呼ばれるものは、まじめな人に多く、遊び人に少ない事が挙げられます。
水子の霊を調べるのは、霊能者にとってはとても簡単です。水子の霊が胎児から離れる時に、媒体となる幽体を脱ぎ捨てていきます。ですから母親の周囲には、へその緒状の幽体が霊視できるのです。これを勘定すれば、女性が気がつかないうちに、流れていた子供の数まで当たります。
実際、水子の数を指摘すると、よくよく考えて思い当たる事も多々あるものなのです。その一方で、霊視されるのは、幽体の抜け殻ですから、親を恨む、または害を及ぼす、といった悪意は見られないのです。
つまり、水子の害というのは、子供の霊の怨念ではなく、むしろ、親の罪悪感なのです。罪悪感というのは贖罪を求める気持ちを内在していますから、自覚の無いままに不幸が起る事を期待しているのです。これでは守護霊の張る霊的防御のスイッチを切ってしまったかのように、低級霊に漬け込まれる隙が出来てしまいます。つまり罪悪感を打ち消す為に不幸を望むことが、水子の祟りの正体なのです。
とは言うものの、水子霊の祟りと呼びえる現象がまったくないかというと、決してそんな事はありません。その多くの例は、霊現象というよりも心理的な要因ではありますが、ご参考までに実例を挙げておきます。
相談例1:離婚歴のある女性の場合。
前夫に子供を残して再婚した彼女は、常々残してきた子供に罪悪感を感じていて、現在の夫との間の子供のわがままに拒否的な感情を抱いていました。このような心のしこりが家庭生活に影を落としていたのです。
相談例2:経済的な事情から、堕胎をせざるを得なかった女性の場合。
水子にしてしまった子供に対して罪悪感を抱いているために、その後生まれた子供と罪悪感が二重写しになって、子供の相手をまともにできないのです。
相談例3:私生児
私生児として生まれたある女性は、母親に対して複雑な感情を抱いています。母親は大好きなのだが、境遇に不満があり本当は泣き言を言いたい。でも母親は傷つけたくない。その葛藤が体に影響を及ぼし、様々な不具合を抱いています。
その他:
自分も親になれば親の苦労がわかる、などといいますが、結婚に失敗し、また、堕胎をし、その罪悪感を親に向けてしまい、ますます親子関係が拗れる人もいます。