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霊感のメカニズム

2006/04/15

 霊感のメカニズム

 本来、霊が地上に及ぼせる力は非常に微弱な物です。実際に、職業霊能者は神経質な人が多く、小さな物音や、一条の光線に目の色を変えるというのは、五感と比べて遥かに微弱な霊信を受け止めるのに感覚の敏感さが重要な役割を持つ事を暗示しています。しかし、単に感覚の過敏ばかりが、霊感を意味するのではありません。人間にはその微弱な力を受け止めるためののですが、二種類の増幅のメカニズムが備わっているのです。

1、精神統一の度合いが高く、雑音が押さえられて小さな信号も受信できる。

  高級霊と感応するには必須の条件です。

2、神経が過敏になっていて、小さな信号にも反応してしまう……

  この状態下でかかる霊は大抵、どうしようもない低級霊です。

 精神集中

 もう一つの方法は、精神の集中度を上げ、雑音を退け、微弱な信号を聞き漏らさないようにするというもので、本来、霊媒の行う交霊は、この方法によるべきです。

ただしこの方法は、霊媒の信念・信条が壁になり、特定の(類似の思想・信念を持った霊)以外とは繋がりにくいものがあります。これは霊媒の防御力であり、同時に、交霊力の狭さといえます。またこの方法で霊能力を扱える者は、霊障害をほとんど受けません。霊感の敏感な者がオカルトスポットなどで、きゃあきゃあ騒いでいても、何も感じない事でしょう。

 更に言えば、精神修養も共に進めて守護霊との絆を深めれば、直前に危険を察知して身を守る事が容易になります。この場合、直前にというのがポイントなのです。霊能力に関する論争に時折、自然災害を事前に警告出来たかどうかなどと、論じられる事もありますが、地球上の各地で、毎年何度も大きな地震や、水害が起きているのに、日時や規模まで警告が出来なければ、下手な鉄砲も……といわれて当然です。また実際問題として、大地震にあったからといって、皆、死んでしまうわけでもなし、下手な警告は無用な二次被害(支出や時間的なロス、信用の失墜)を起こす可能性もあります。つまり必要なのは、身を守る事であり、予言ではないのです。ですから、身を守るのに充分かつ直前の警告こそが、最善の危険予知なのです。

 さて、言うまでもなく、この増幅形式を得たものは、無用な事まで霊に頼ろうとする依存心以外に、恐れる必要はありません。苦労して得た財産は、容易に失われる事も無く、また、「精神統一」という財産は、死後の世界にも持ち帰れる素晴らしい財産なのですから。

 神経過敏

 バランスの悪い状態におかれた物、例えば、高く積み上げた品物や、座りの悪い物体は、ちょっとの力で大きく揺れだしますよね。精神が不安定な時にも、些細な事柄がとても大袈裟に感じられる事があります。実際、不安に駆られている時など、ちょっとした出来事でいらいらが生じるのを誰もが体験している事でしょう。

 この精神が不安定になると、霊感が働きやすいというのは、例えば、怖がるから幽霊を見る……という論理と合い通じるところがあります。私が、霊障害を受けた人に対して、まず冷静さを促すのは、恐怖感が霊感を増幅して、ますます霊障害を呼び込みやすくなるからなのです。これは逆に言うと、冷静になるだけで霊障害から解放される場合もあるという事です。

 また、このように精神不安定による霊感では、高級霊がかかる事はまず期待できません。実を言えば、本人が霊と考えるだけで、実際には霊でもなんでも無い、自分の意識の影を感じ取っている事も多いのです。霊で無い場合には、自分の精神の安定を求めるメッセージが多い事である程度判断が付きます。

 まず第一に、この様な場合、他人に認められたい衝動に突き動かされます。自分の心の中に、他人の意志が感じられるというのは、言うまでもなく異常な状況であり、それがいわゆる「霊」でなければ、自身の「狂気」という、二者択一を迫られるのが普通だからです。しかし、残念な事に、低級霊の憑依であろうが、自身の狂気に陥ろうが、対外的には全く区別が付きません。そして、低級霊の憑依によって苦しんでいる場合は、狂気よりも辛いのが普通です。自身の狂気を見つめる冷静な自分がいて、生きている限りそのストレスと争い続けなくてはならないからです。

 この、アンバランスによる霊感の場合は、従来、精神統一によって克服するしかないと考えられてきました。しかし、それは霊的、精神論的な発想にすぎず、人体の仕組みをきちんと考えるなら、別な回答がある事に最近気が付きました。魂が人間の主体とはいえ、現実には、心は身体の奴隷になっているのが普通です。そのような状態を魂が|辟易《へきえき》としているのが人間と言えます。

 だから人は精神的または霊的な事に憧れを抱くのですが、それは同時に心身のバランスが取れて、心が肉体の支配下におかれなければ、魂は平穏であるという事でもあります。人は悩むから宗教の門を叩くのであって、悩まなければ宗教と縁を持つことなく生活を続けるのです。

 アンバランスの原因

 このアンバランスの原因には、家庭環境や、性格的な要因が大きいと言うのが、私自身の従来の考え方でした。実際、制御出来ない霊能力に関する相談者は、圧倒的に家庭・家族に問題を抱えている場合が多いのです。しかし、家庭環境に問題がある人すべてが霊感を得るとは限りません。これは、ある程度、説明が付きます。

 実際、霊感を発揮する人には、家庭の不和の原因などを自分の責任と思い込んでしまう、内攻的な人が多いのです。ただし、年齢と共に、外攻的になる場合が多く、そうならなければ、発狂しかねないでしょう。そして、霊感を発揮しない人には、他人へ責任を転嫁してしまう、外攻的なひとが多いのです。

 しかし、安定した家庭に霊感の強い人が生じる場合もあります。これは霊的な背景として、前世で霊能者であったとか、霊能者となるべきカルマを持っているというのなら分かりますが、単なる霊感過敏の人もいるのです。

 この原因を、思春期に霊感を得て、結婚後に霊感を失う人に着目して、性エネルギーと考える人もいますが、実を言えば、気功などの世界では確立された思想が成立していたのです。

 過剰エネルギー

 人間の行動力の源、エネルギーは、食品のカロリーで表わされます。そして摂取カロリーの基準が定められていますが、もちろん生活習慣や労働時間、外的な要因などによって必要なカロリーは異なるわけで、現代人は往々にしてカロリー過多に陥ります。

 人間は飢餓状態に置かれると、行動を押さえて、消費するカロリーを押さえようとし、飽満状態になると、運動や娯楽で消費するエネルギーを増やそうとします。仮に消費カロリーを増やそうとする衝動を「生命衝動」と呼びます。さて、飽食の時代と呼ばれる現代社会は、この生命衝動が増大しているのにも関わらず、その発散の場所が少なくなっているのが普通です。意識的にスポーツなどで発散するのが一番よいのでしょうが、ストレスを受けていたり、仕事や家事労働などによって時間の制約を受けたり、行動の抑圧を受けていたりすると、生命衝動が内にこもって発散出来なくなります。

 過剰な生命衝動があっても、心身のバランスを保たれているのなら、それは身体に力がみなぎると表現出来るのでしょうが、心身のバランスが崩れて肉体に集中してしまうと、肉体的な活動の欲求と、それを押さえようとする意識のバランスが崩れて、無意識に暴力的な行動や、性衝動に流れてしまうのです。近年多い、暴力事件や、風俗の乱れなどは、このバランス崩壊といえましょう。このバランス崩壊のメカニズムは、従来の社会常識と大差はありません。つまり暴力に対する衝動をスポーツで発散させろ……又は、食事を制限しろ……という、回答がある訳です。

 ちなみに、発散する以上にカロリーを摂取すれば、運動量が多いスポーツマンにも生命衝動が生じます。食事の適量は、本来、身体が知っているはずですが、人は身体に“聞いて”食事の量を決めるよりも、むしろ頭で、これぐらい食べないと……と考えますので、飢餓状態にでもない限り、生命衝動が生じるのはむしろ当たり前の事なのです。また、思春期には、身体が自発的に生命衝動を増すように、出来る限りカロリーを摂取しようという仕組みが出来ているのですね。それが性衝動であったり暴力的な行動に向けられるのです。

 また、この生命衝動が、暴力的な行動や性衝動で発散出来ているうちは良いのですが、発散しきれない場合は、逆流、内攻(自身に害を及ぼす)を始めてしまいます。具体的に言えば、体調不良の原因になるのです。例えば躾が厳しい子女などは、暴力的な行動も、性衝動も抑圧されるために、やはり過剰エネルギーが内攻します。そして、問題は、このバランス崩壊の時に、衝動が精神に集中してしまった場合なのです。

 バランスの崩壊

 精神は霊性が支配するとしても、それが肉体を通じて表現する手段は、脳や神経系統といった肉体の諸器官に頼っているわけです。そこに過剰なエネルギーが流れ込めば、精神に異状を来します。本来なら美しい清流であるべき、霊と脳の間の情報の流れが、乱流、濁流となってしまうのです。これでは正常な思考が出来なくなります。そして程度の差があれ、精神活動の異常に繋がります。躁鬱病から、分裂症、そして霊感の発現(精神科医に言いわせると分裂症に含められてしまうでしょうが)まで、様々な形で障害が現れるのです。

 また、これは必ずしも精神に過剰エネルギーが流れ込む場合だけではなく、例えば性器に過剰エネルギーが流れ込んでも、振り回される形で障害を受ける場合もあります。

 対処法

 原因が明らかになれば、対処法も出てきます。生命衝動のアンバランスが、コントロール不能な霊感の原因であるなら、食事制限や、スポーツの励行などで、霊感が減感するはずです。実際に、仕事をしている時やスポーツの最中には霊を感じないといった報告事例も多いのです。おそらく、厳重なコントロールを必要とするでしょうが、断食なども調整に有効だと思います。ただ、物が豊かな時代に、断食をすると、逆に欲望を増大させて悪影響が出るかもしれません。

 注意

 霊感が自然に発現するのは、アンバランスの結果が多いのですが、その一方でやはり前世の因縁としか呼べないようなケースもあります。霊能者になるべく道を用意されている者もいるのです。


2006-04-14

 

交霊術の背景

2006/04/15

 感じる

 人は「感じ」てから、思考を開始します。機械は感じることがないから、命令されなければ、行動を開始しません。その違いこそが、機械が道具である証です。その「感じ」をもたらす存在を魂と呼びます。(この「魂の定義」こそが普遍的なもので、心霊的な「魂の定義」は偏っています。)

 誰もが自分の中に心を感じているからこそ、心の実在に疑問を持ちませんが、心は科学的に証明されたものではありません。例えば、死亡の診断を受けた後に蘇生する人がいるという事は、奇跡ではなく科学的に心が把握出来るのであれば避けられるはずの誤診です。

 魂も心も、死後の実在も、証拠は何も無いのです。ただ人間が「感じ」ている、またはあると願っているだけの話です。

 しかし、人が、科学的に証明不可能な……すなわち五感では感じられない、「心」を感じられるのなら、その先には自己の深くに潜む魂を感じ、また他人の心を感じる事が出来るはずです。ただ、それを五感の延長で感じようとするから迷路と矛盾に入り込むのです。

 人は皆、必死に自分の魂の実在証拠を求めています。それは五感ではなく、「感じ」る事のその奥にあるのです。

 腹で考える

頭で考えるな、腹で考えよ

 一見、論理的におかしな言葉ですが、心霊を学ぶに当たって重要な意味が含まれています。五感に囚われた思考法では、物理的な実体のない霊、そして霊界の在り様を理解する事は困難なのです。勢い、霊界は四次元の世界だ、5次元の世界だ……などという比喩が登場しますが、多くの人にとって、死ねば行ける霊界よりも4次元や5次元と言った概念のほうがよほど理解が難しいはずです。難解なものを身近なもので喩えるのが比喩であるはずなのに、難解なものをさらに難解なもので例える事の不思議さ。これは、頭で理解する事に拘る事から来る過ちなのです。

 「腹で考えよ」とは感じる事の大切さを伝えているのです。

 なぜ心霊か

 心霊を学ぶ上で一番大切な事は「感じる」事です。そして霊的な視点を得る事です。人間は「感じ」て、そして思考を始めます。感じるという事が思考機械と人間との差なのです。物欲や、名誉欲、性欲等に反応を示すだけの獣性ではなく、、霊性、そして、大霊につらなる神性を育てる為に必要なのは、「感じる」事を重視し、育てる事なのです。

 そして、心霊主義を標榜する上で大切なのは、すべての行いの動機……志なのです。あなたがどれほど素晴らしい志を持とうと、その実現に必要な手段やチャンスに恵まれなければ、誰もあなたの志に気が付く事はないでしょう。しかし、人に認めてもらう為の志など、あなたの霊性には何の意味もありません。その志が社会を良くしてもあなたの霊性を引き上げはしないのです。自分が自分を認められる志を持つ事。心身の統一のために志を持つ事が必要なのです。

 霊的共感

 時折、霊感を欲しがる人が私の元に相談に訪れますが、その数は霊感を止めたがる人の数ほどではありませんそして、大抵が霊感がもたらすリスクについては何も考えていらっしゃらないのです。しかし、霊感は手段に過ぎず、それを使いこなすにはやはり努力が必要なのです。霊感を得手、それを使いこなす努力を思うなら、むしろ霊感なしに真理と、霊的共感を会得するほうがよほど安全で容易なのですが……

 波動を合わせる

 類は友を呼ぶといいます。気が合えば会話も弾み、気が合わなければ会話は途絶えがちですね。この気が合う、気が合わないということを霊能者は交霊において、波動が合う、合わないと表現します。また、見知らぬ人と仲良くなろうとすればまず共通の話題を探し始めるのが普通ですよね。このように気持ちを合わせる事を、交霊時においては、波動を合わせると表現します。交霊も以上のような人間関係を考えると理解しやすいことでしょう。

 また、一般的に交霊相手を、高級霊・低級霊と評価することが在ります。この具体的な選別は別項で扱いますが、人間関係を波動に比喩すると、体感的に相手の波動の高い低いが理解できます。例えば自分のことを話すばかりで、しかも壊れたテープレコーダーのようにおなじことをくりかえす人と話をすると、気持ちが沈み、辛くなるでしょう。反対に溌剌として感性の豊かな人と話をすると、気分が明るくなり、元気が出ますね。

 これは話し相手の霊性の高い低いと関連があります。霊格の高い人はその精神の自由度も高く、問題解決能力が高いものですが、反対に霊格が低い人は精神の自由度が低く、それゆえに問題をこじらせる人なのです。

 また、病気や借金などの精神的な重圧を背負うと、物事を何でも悲観的に捕らえるようになってしまいますね。こういう時には霊的な波動が下がっていると表現できますが、これもまた体感的におわかりになることでしょう。


2006-04-14

死者との断絶

2006/04/15

なぜ死者と交信出来ないのか……?

相手も忙しい―― 一番大きな理由は、実に当たり前のことです。相手にも都合があるから……はっきりいって、死者と話したがる人の大部分は、実にわがままで強引です。

 考えても見てください。たとえばあなたが外国に旅行したとします。あなたの家族が、その行く先々に何らかの手段を使って電話をしてきたら一体どうなるでしょう。

 出国審査で並んでいれば、電話に出るために列を離れ、飛行機に乗れば荷物を棚に納める間もなく、電話で呼ばれ、食事の際に電話で呼ばれ、トイレの中で電話で呼ばれ、到着の際に忘れ物がないかを確認していれば電話で呼ばれ、入国の審査の列に並んでいれば、電話で呼ばれる。

 挙句のはて、「そちらはどんな様子だ?」と訊ねられても、始終呼ばれて景色を眺めるどころか、必要な手続きに障害が出てくるし、新しい環境に馴染むまで不安なのに、気が散るし、いらいらがつのります。

 それでなくても、今まで肉体に納まっていた時には、相手の思念などには気が付きもしなかった人なら、今まで寂しいくらいに静かな部屋に篭っていたのに、突然何十本もの電話が引かれたかのように、騒音の直中に抛りだされます。(実際には祖先の霊たちが静かな場所に隔離する)

 別れはなるほど哀しいものですが、相手にも新しい世界に適応するための都合があるのです。哀しさでそれを妨げることは決して褒められたことではありません。

 ……え? 死者の直後に交信出来る霊媒がいるだろうって?

 交信の可否は程度ものなのです。煩瑣な交信は迷惑になるということ……それに応じる霊がいるとしたら、特別な事情があるか、または、大抵の場合、なりすましている霊がいるのですよ。

 いずれにせよ、相手の事情を勘案しないで死者と交信したがる人がワガママであるという私の主張は無視出来ないものと思います。


2006-04-14

思念拒絶の仕組み

2006/04/15

「霊体硬化」

 魂同士のコミュニケーションは、知識と体験の共有であり、実に多くの魂同士が同時に分かり合えるとしても、常に分かり合えることが便利とは限りません。それぞれの魂が個性を持っている限り、立場の違いが存在します。そして特殊な立場に立たされた時、誰もが自らの意志で真剣に考えねばならなくなるのです。

 一人で考えたい時、他人の意志が伝わるというのは、迷惑以外の何物でもありません。実は魂には、知識と体験の共有能力だけではなく、他人の思念を遮断する仕組みも持っているのです。

 魂の肉体に相当するもの……霊体、または、幽体というのは、思念によって形が変わる特殊な素材です。この素材は、思念に非常に敏感であり、あまり強すぎると硬化しきってしまいます。ですからこのような素材の身体を持っている魂にとって、強い思念を加えられると殻に閉じ込められたようになってしまうのです。

 これは反対に、魂自体が、周囲に対して強い拒絶反応を示した時も同様に作用します。自分の殻の中に閉じ込められてしまうのですね。この殻は、力を加えれば加えるほど硬くなってしまいますから、一度硬化した魂と、再びコミュニケーションを取るためには、軟化するまでひたすら待ち続けなければなりません。

 こわばりをほぐすような、繊細な振動を加え続けることで早める事も出来ますが、あくまでも程度の問題で、殻に閉じこもった魂を無理に引き出すことは出来ません。人は死後、しばらくの間眠り続けるというのは、ショックで身体が硬化した状態をいうのです。

憑依の場合

 憑依の体験のある人、特にひっきりなしに声が聞こえたり、何かが見えたりという体験をお持ちの方は、「霊体硬化」の硬化について疑念を抱くかもしれません。しかし、憑依の問題というのは、魂対魂の直接の争いではなく、一つの肉体を巡った主導権争いなのです。この場合、自身の魂を硬化してしまったら、自分も手を出せなくなって、相手に負けてしまいます。

 ですから、憑依の問題は、肉体と魂の主従関係の確立なくして、解決は不可能ともいえます。それは浮気性の配偶者を得た者の不幸と似ています。信念、または信仰心(特定の宗教を意味しない)を持たない人は、霊的な問題を解決することは不可能に近いのです。

 不要な喩えかもしれませんが、空き巣に入られる家は、留守宅に限られているのです。そして強盗に対する備えと、空き巣に対する備えは、別な物なのですね。


2006-04-14

 

霊感とは

2006/04/15

「私には霊感がない?」

 「私には霊感がない」と自認する人は、ほとんどの場合、人生に非常に悪い影響を及ぼす、重大な誤解を抱いていらっしゃいます。

 人間は、死んで突然、魂に変わるのではなく、肉体を持った魂なのです。生きていても魂なのですから、死なねば他の魂とコミニケーションが取れないというのはまったくナンセンスです。それとも肉体的な障害者と同様に、死者の魂にも障害があるのだろうか……実はありますが……基本的に問題は別な所にあります。

 確かに霊的なコミュニケーションの取り方には、うまい下手があります。この事を指して霊界通信などは、「肉体の牢獄の鉄格子の隙間から外を覗くだけ」等と表現しますが、これは他に手段がないという事ではありません。皆は、他に手段がないと信じきって疑問を抱いていないだけなのです。

 霊感は発想力の源なのです。ですから本当に霊感がない人……周囲から霊感がないと思われるのは、頑固で融通の聞かない人や、それこそ生きる屍となっているような人に限られます。

 そして、魂の障害とは、他の霊とのコミュニケーションの方法・手段の有無というより、他の魂を侮蔑し、認めず、大勢の中にあっても孤独となる魂のあり様のことを指します。

 会話は交わせても、心を交わせない……こういう人にとっては死後の世界の研究よりも、真の意味での心霊を学ぶ必要があるのです。

 

霊感とは?

 死後、肉体を失った後も、視覚、聴覚等の肉体的な感覚を用いたがる霊は、よほどの低級霊に過ぎません。

 肉体を捨て去り、魂の真の自由を得た魂ならば、霊視、霊聴などといった手段を非常に面倒に感じます。言葉によるコミュニケーションでは、心を十分に表現することは出来ませんし、出来ると信じているのは、傲慢というより、薄っぺらな感情しか持ち合わせていないといえるでしょう。

 この様な霊格の霊たちが用いるコミュニケーションの手段は、もっぱら、知識や経験の共有なのです。この様なコミュニケーションがなった場合……霊的交感とよぶ……話し掛けられたというより、「分かった!」という感覚に包まれます。聞くというより理解するという感覚なのです。

 たとえば、職業的な直観、洞察、芸術的な直観や発想などのインスピレーションのすべては、それが自己の魂から生み出されたものであれ、守護霊や背後霊たちの外部の魂から生み出されたものであれ、まさにインスピレーション……霊感なのです。

 多くの人が、霊感と思い込んでいるもの…… 霊視、霊聴などの感覚は、霊媒・霊能者の職業的な技能であり、これらは交霊力、または霊媒力などと呼ぶべきものです。そして、交霊能力は特殊な才能であるだけではなく、特殊な環境を要求されるものですが、霊感自体は誰でもあるのです。


2006-04-14

霊能者の憂鬱

2006/04/15

 学校生活中にクラスに一人ぐらいは、霊感が強い子がいた記憶がないでしょうか。その事から、単に霊を感じやすいといった人は、おそらく五十人に一人以上の割合でいると推測できます。

 中には自分の能力をひけらかす者もいますが、感じ取れない人にとって見れば、「君さえ騒がなければ何の問題もない」事でしかありません。普通には見えない、感じない物を感じ取っている人にとって、霊の存在は大変重要な問題かもしれませんが、それは普遍的な問題になりえないからこそ、多くの霊感保持者は歳を重ねるにつれて沈黙の道を選びます。

 一般常識的にいえば、人に見えない物が見え、感じるというのは、普通ではありませんから、周囲に警戒されるのは当然ですし、何よりも、霊能者という言葉には、超人的な者が期待されているものですから、霊感を口にする事で二重の責め苦にさらされる事になります。

力への期待と、理想と現実とのギャップです。

 実に多くの人が霊能力にあこがれます。しかし霊能力というのは目標ではなく、手段に過ぎないものなのです。霊能力を得たから何でもできるのではなく、次には霊能力を使いこなす努力が必要になるものなのです。いくら霊感を得ても使いこなせなければわが身を傷つけます。実に私に寄せられる相談には、霊感がほしいという相談よりも霊感を止めたいという相談のほうが多いのです。

 そして、欲しい、止めたいという相談の双方に対して、私の回答はただ一つしかありません。「才能は天与のものです。自分の才能を活かすことを忘れたら天罰が下ります」 霊感が欲しいというは、自分の才能を活かすことを忘れて、人の才能を欲しがるという悪行があり、霊感を止めたいという人には、天与の才能を生かすことなく無駄にするという悪行が在るのです。

 それにしても世の中には、人に言えない悩みというのが存在するものです。中でも、人に見えない物が見える、感じる事の悩みは、相談が最も難しい悩みといえましょう。

一体誰に相談すればいいのか?

 常識的にいえば、霊能者ということになるのですが、一匹狼の多い霊能者の世界は、我流や思い込みによって支配されていて、個人から指導を受けると同時に偏見を植え付けられる事も多いのです。そして、霊能力について書かれた書籍は、机上の空論か、または職業霊能者の自己PRが大部分で、霊感の持ち主には役に立たない情報が多すぎ、一方でどれが役立つ情報なのか、判然としない事があります。


2006-04-14

心霊家の葛藤’

2006/04/15

 霊能者と霊能力の問題は、オカルトマニアを含む心霊研究家の葛藤の的でもあります。心霊家たちの間で、霊能力が誰にでもある力であることは、常識となっていますが、霊能力を自己開発した人の話(滅多に)は聞きません。

 多くの心霊研究家たちは、霊能者の話では、埒があかないからと、自分で見たり、感じたりする事を渇望していますが、その願いはかないません。中には、霊能者であると同時に工学博士号を持つ方もいますし、大学の教授を勤められた方もいらっしゃいますが、その研究成果はあまりぱっとしないものです。

 愚考するに、多くの心霊研究家たちは、自分たちが信じる結論を証明する事に焦って、基礎研究をおろそかにしすぎているのを感じます。私は霊界を四次元や五次元の世界(#1)と喩えるのは生理的に好みませんが、世にある心霊現象とは、障子に移った影絵のような物です。それは霊界の大きな働きの一部が顕現しただけの物であり、影絵をいくら研究しても、それが型紙の投影なのか、はたまた、立体物の一面なのかは判然としなくて当然なのです。

 いずれにせよ、現段階において、霊能者は唯一の霊界探索手段なのです。多くの研究家は、霊能者に対する不平を口にしますが、霊能者の立場からすれば、研究家のために働いたところで、問題が起これば、霊能者に騙された、または能力が低いからといい逃れられるような相手のために懸命に働く必然性もないわけです。

 本当に霊界の実在を世に知らしめたいのなら、自尊心のために働く心霊研究家に見せるより、心霊否定論者の学者に見せるほうがより効果的なのです。結局のところ、心霊研究には、人材が不足しているというのが現実なのですね。

 何より、霊能者は霊界の門であり代理人なのです。そして霊能者は抽象的な世界の様相を、具象的に懸命に説明しているのです。もとより姿のないもの、この世には存在しない物を説明しているのだから、そこには矛盾や不適切な説明も生じる事もあるでしょう。しかし、それをもって、霊能者がいいかげんという評価は不適切です。……この世に存在しない物の説明を聞いて、それが地上の常識で何の矛盾もなく、あたりまえに存在するかのように感じられたら、その方がおかしいではありませんか。

 この事は、多くの心霊家たちが抱えている呪縛なのです。結局、影絵の影を追う事しか出来ない証なのですね。

 #1:比喩の在り方

 五次元がどういう世界だか、想像つく人がいるでしょうか?

本来比喩とは、理解の困難なものを、身近な例で説明する物であり、より理解が困難な物で喩えるのは問題をすり違える恐れがあります。


2006-04-14

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