祈り方
2006/04/022006年 04月 01日
たとえば、神頼み……について、祈願して良いものと、悪いものの区別など、おそらく多くの人が誤解していると思える。
強欲な人は、はなから諦めるか、外法(開運商法)に騙されるの両極端を行き……まあ、どうでも良いとの声が聞える。その一方で慾の薄い人は遠慮している。大体、地上に生れ変わる必要がなくなった中級以上の霊魂は、経験値を稼ぐために人々の祈りに、日々、耳を傾けているものだが、聞えてくるのが強欲者の祈りばかりなので、ウンザリとすると同時に、退屈しているものなのだ。
だから、善良者ならではの祈って良いこと……なる通信に耳を傾けてみた。
『大体、皆、人々が神仏・守護霊に祈るのは、相手のある願いです。つまり自分と利害を反する相手を、何とかしたいという祈りが多いのですが、これはなかなか聞届けることが出来ません。なんとなれば、私たちが目指しているのは協調・調和の世界であって、利害の調整をすることは出来ても、一方に荷担してどちらかを勝たせるなどということは、悪霊・低級霊の為すことです。だからといって、自分の悪邪心を手伝う、悪霊・低級霊を集めようとする人もいらっしゃいますが、そんな悪事を見逃すような神様はいらっしゃいません。心霊を悪事に使おうとすれば逆に咎められるから、「人を呪わば……」というのですから。
『ですからたとえば、厭な人がいて困っているのであれば、「その人が嫌われるようなことをせずに済みますように」という祈りを挙げてくだされば、私どもも骨折りを惜しまずに働くでしょう。むろん、他人に嫌われるような人には、どうにも共感性が不足しているので、私どもの働きかけは容易に心中には届きませんが、兎に角、やっつけてやろう、という気持では手伝うことは適いません。
『また、金銭・物質的な豊かさをお望みになるのも、生きている以上はむしろ当り前に感じますが、富というのも世の持回り、誰かが一人富めば、誰かがそのチャンスを失うのが道理なのです。ですから、必要以上に求める祈りも、楽をしたがる祈りも、聴くわけには参りません。ただ、自分の能力・才能を十分に発揮できる仕事に就きたい、というのであれば、それにも骨折りを惜しまず、応えようと努力するでしょう。
『恋人や配偶者への願いも同様です。とにかく、相手がないことなら極力聞届けようと致しますし、相手があることならその調整の上で聞届けようと致します。でも、自分だけ良い思いをしたい、相手だけ罰して貰いたい、という、一方独善の祈りだけはお聞きするわけには参りません。』
私が、補足するなら「あまりしつこく祈らないこと」である。我が師は「深く短く一度きり祈る」と教えるが、それは整理された思念の持主のやることである。霊媒でもない限りは、ゆっくりと三回念じるのが無難なようだ。これは相手が受信するのに三回必要なのではなく、自分自身がそれで十分かどうかを納得するために必要なことと思う。
更に補足すると、しつこく祈るな、という事をなぜ、通信を寄越した霊がいわず、霊媒である私がいわねばならぬのか、にも考えを廻らせてみて欲しい。……しつこく祈るのには、おおむね二種類の原因があるだろう。強欲さの表れか、手応えの無さかだ。強欲さ故にしつこいのは問題外とされているが、手応えの無さが原因であるなら、それはせめて、祈りを受取ったという返事を期待するということでもある。が、祈りを聞届けるよりも返事をする方が難しい場合もあるだろう。だから、返事を要求されるような事をあえて言明しなかったのだ。……あれ。つまり私は火中の栗を拾わされたのか?