‘2006/04’ カテゴリーのアーカイブ

焦る気持ち

2006/04/30

2006年04月30日


たとえば、セッカチだとか、短気(怒りっぽい)だとか、気分屋、凹みやすい……等という欠点に悩む、とする。その原因を、性格的なものと見なしていないだろうか?

心霊思想では、 人間は心・霊・体の三要素から出来ていると考えるが、あなたが欠点と思うその特性が、心霊体のいずれから来るのかを考察しなければ、反省のつもりがただの自分虐めになってしまう。

たとえば考えなしに行動するのは、思慮が足りないのか、それとも身体が過敏反応なのかどちらだろう?

セッカチ、短気(怒りっぽい)、気分屋、凹みやすい……どれも精神的ではあるが、結果が精神的だとしても原因までが精神的とは限らない。むしろ、肉体起因、身体が意念に反応しやすいところに原因があるのではないか。

原因を捕らえ違えば解決するものもしない。


当たり前のこと

2006/04/30

2004年 06月 29日


 先週、足の悪い母を連れて、とある気功師を何度か訪ねた。私にも整体の知識はあるし、それなりに実績も持っているけれど、母の足に関しては、「(主に再婚先の)祖先の因縁」と出ていて、簡単には治らないことを確認している。反対に、背後が「やれ!」という時の効果のすごさも知っているが……ここで言っても強がりにしかならない。私は母の足を治していないのだから。

 幸い、母はとても困ったことに(?)偽薬効果の出やすい人で、新しい所に連れて行くと慣れるまでの二、三回は非常に喜ぶ。まあ、話題はそこにはない。

 昨今、癒しを求めている人が多い。母を連れて行った先でも頭を抱えるほど、嫌みったらしい「癒し」を感じた。癒し効果のある水、そして石、土地、訳の分からぬ機械に、偉大なる先生様。確かにそれは素晴らしいものだ。だが、その水、その石は、いかなる命を生み出すのだろうか? それに比して……往々、ぼろくそに悪口の対象にもしているが……我が母・父は私を生み出したのである。

 赤の他人に親身になってくれる、この気功師もありがたいが、なにやら大事にすべき者を、一つ二つ見落としているかのような気がするのは、私の気のせいか?

・・・・・・・

 足の悪い母を送って、私は車を玄関前に横付けし、母を降ろして、ちょっと離れた駐車場へ車を持っていく。それを見た気功師が、「あなたの息子さんは親孝行だねぇ」といったとかで、母が喜んでいた。単純な話である。

 私は別段、いや、特別に親孝行を心がけているわけではない。ただ、駐車場から歩かせると日が暮れて、朝日を迎えてしまいそうだから、玄関前に落とすだけだ。要するに合理的なのである。母もその辺は心得ているが……どうやら内心では気がついているようだ。私のいう合理的とは、本来当たり前のことであり、当たり前なことが出来ないのが周囲の人々であることを。要するに、老いた親を「役立たず扱い」する事でストレス発散している人々が多いということを。

 先日、叔母が私を気の毒がった。「あなたもお母さんの世話ばかりしてないで……」でも、昨年末の渡米とその前後の準備・整理期間、合わせて一ヶ月強の間、母に顔を見せなかったら、久しぶりにあった母の顔が歪み、呂律《ろれつ》が回らなくなっていた事を話した。

「まともに話をしてやらないと、ぼけるし、ぼけたら目も当てられないからね。」

 うーん。孝行息子の化けの皮が剥がれそうだが、私としてはやはり親孝行というより合理的なつもりなのだ。因果応報。善因善果、悪因悪果。……私を褒める人々を見ると思う。

老子より、「大道廢、有仁義。知慧出、有大偽。六親不和、有孝慈。國家昏亂、有忠臣。」……大道が廃れて仁義が有り、智慧を誇るから偽りも現れ、親族が不和だから、孝行が評判になり、国家が乱れるから、忠臣が評判になる。

 私は親と当たり前に付合っているだけなのです。歩かせるのが面倒だから車を横付けし、ぼけられると困るから、相手をする。……そうしない人々が当たり前で、そうする人が褒められる? 現代人類って、レベルが低いんじゃない?


2004年 06月 30日

6月29日「当たり前のこと」の中で、私は、

「子を産めぬ気功水や気功石よりも、大切にすべきものがあるのでは」と、主張した。しかし、こういう表現が回りくどく感じる人が多々いるようだ。

「子を産めぬ気功水や気功石よりも、我が身を生んだ親を大事にせよ」となぜ主張しないのだろうか……と。

 私はいつもこのように重点をぼかす。わざとであるし、信念でもある。さてそれをどう語ろうか。

 一つの事実は、見る人によって様々な解釈が成り立つ。その多様性こそが精神世界・霊界の美しさであり、強さでもある。私は誰かに自分の考えを押しつけたくはない。それは一様化であり、もろさであり、侵略であるから。

 私は心霊知識を学んだ。そして得たのは自己の正しさと、他の思想への敬意と、違いを乗り越えて助け合うことのすばらしさだ。たしかに世の中には他と共存が出来ないものがいる。しかし、神経質にならねばならぬほど、世間は狭いわけでもない。

・・・・・・・

 私の師ならば、ここぞとばかりに先祖供養の大切さを語るだろう。だが出来の悪い私は思う。「先祖供養って何だろう……?」と。私のHPの読者なら、先祖供養が、高価な墓石や仏壇、又は僧侶の読経、お花・お香の事だとは思うまい。……おそらくは。

 祖先を尊敬し、敬うことだ……と、言葉にすることも出来る。でも、その言葉にうなずいた人も、腰が痛かったり、足が痛かったりしたら、気功やら何やらにすがりつき、「ああ、老神やらご先祖様よりも、この気功石・波動石の方が霊験あらたか」等と思うかも知れない。まあ。老神いさおについては実際にはその通りかも知れないが、……生まれてきたら祖先は用済み、後は現世利益の多い方が……等という考えは戴けない。そもそも、生まれてこなければ苦しみもないはずで、それでも生にすがりつくから癒しに頼るのである。

 私は先祖供養さえあれば、気功やら健康器具・医薬品が不要であるというのではない。自分の親や子と向き合うことを面倒がり、嫌がりながら暮らす……生活の基盤に嫌悪を残しながら、自分の幸せを外に求める滑稽さを指摘したいのだ。

 そういう目で改めて見て欲しい。癒し……結構だけれど、現実逃避としての癒しが何の救いになるのか? 現実を正せてこそ、本当の癒しではないのか? ところが、どうも癒しブームで注目されるのは、少々浮世離れした場所、物、人だ。 ……それって変とは思わないか? どう変であるのか……を自分で考えられないなら、あなたは生きる術を持っていると言えようか?


2010年 02月 15日

 母はその後、再婚相手と離縁、手術で人工股関節を入れて、元気に遊び歩いております。

後ろ暗い

2006/04/29

2006年04月29日


「私みたいな下劣な人間が……」と、いう前置きを何度聞かされたことか。

その都度、「大丈夫ですよ」「そんなことはないですよ」……と、私は説くが、その意図するところが理解されなかったらしい。どうやら相手は私が不誠実だと思っているらしい。……考えてみれば当たり前なことだ。己の偽善や怠惰、卑怯な行いの全てを相手は知っているのだから。

でも敢えて私は、「大丈夫」という。……自覚があるだけ良いじゃないか、と思うからだ。

自覚無く下劣な人間なら、一体どうやってその悪癖を止めさせられるのか。私は途方に暮れざるを得ない。

自覚があっても、尊大に振る舞う人間は、一体どう扱えばいいのか。やはり私は途方に暮れる。

偽善家だろうが、怠惰であろうが、卑怯であろうが、自覚し、なおかつ、それを正そうという気概がある人なら、それは人として充分に素晴らしい。充分にだ。……少なくとも日本社会の標準レベルよりは素晴らしい。

でも、それが中々理解できずに、後ろ暗さから、叱られる方を好む人がいる。


天動説と地動説

2006/04/28

2006年 04月 28日


「朝日が昇る」「夕陽が沈む」というが、大地を太陽が巡っているという考えが非科学的であると皆知っている。

見かけ上は、大地が不動で天が動いているように見えるが、視点は相互的であるべきだ。

では、霊魂の存在を信じる人々の常識はどうだろう?

・・・・・・・・

霊障のために苦境に喘ぎ、救われるために霊媒を求める……のか。

それとも苦境から逃げよう、自分の蒔いた種から責任逃れをしよう、とするから霊障を招くのか。

……因果律の何たるかを知る者にとっては、明白な事である。

・・・・・・・・

神仏・守護霊、おまけに霊媒様を信じ、奉りますから、どうぞお助け下さい。……という、奇特な方は多いが、そもそも、物事の動きには原理がある。 原理を無視していくら信心篤くしてもどうにもならないことはどうにもならない。と同時に、どうにかなるものは何もせずともどうにかなる。

……いや、むしろ手を出さなければ良いようになる、というのは祖先の努力の賜であるが、そこには自ずと限界があり、それ以上を望んではいけないという一線があるが、それは別な話題とする。

王陽明曰く、「外の敵は勝ち易く、内なる敵は勝ち難し」……いくら神・仏・守護霊・祖霊が頑張ったところで、あなたが内なる敵に負け、ふて腐ったり、諦めたりすればどうにもならない。ちょっとこざかしい人は、自分はちゃっかりと敗北の備えをしながら、神様、仏様、守護霊様に霊媒様、どうぞ私をお助け下さい(でもダメで元々)……と、やる。

私はそれをずるいとは思わない。ただ、間抜けだと思うだけだ。なにしろ、物事の動きには原理がある。原理に従えば自然に結果にいたり、原理に逆らえば努力しても自ずと落ち着くところに落ち着くのだ。

私は無謀な努力を勧めたりはしない。

必要なのは信じることではない。昔ながらの迷信をいったん忘れて、なぜ信じよというのか考えてみるべきだ。――なんのことはない。いくら神・仏・守護霊・祖霊、ついでに霊媒が頑張ったところで、あなた自身が腰砕けで、いざとなれば一番先に逃げ出す算段をしているのでは、どうあっても事態を覆すことなど出来るはずもないのである。

あなたが味方につけるべきは、神・仏・守護霊・祖霊、ついでに霊媒様等ではなく、あなた自身なのである。あなたが逃げ出す準備をしながら、でも、助けてくれと祈ったところで、愚かな霊媒様ですら、無駄だと感じてしまうのだからあとは推して知るべしである。


天動説と地動説

2006/04/28

2006年 04月 28日


「朝日が昇る」「夕陽が沈む」というが、大地を太陽が巡っているという考えが非科学的であると皆知っている。

見かけ上は、大地が不動で天が動いているように見えるが、視点は相互的であるべきだ。

では、霊魂の存在を信じる人々の常識はどうだろう?

・・・・・・・・

霊障のために苦境に喘ぎ、救われるために霊媒を求める……のか。

それとも苦境から逃げよう、自分の蒔いた種から責任逃れをしよう、とするから霊障を招くのか。

……因果律の何たるかを知る者にとっては、明白な事である。

・・・・・・・・

神仏・守護霊、おまけに霊媒様を信じ、奉りますから、どうぞお助け下さい。……という、奇特な方は多いが、そもそも、物事の動きには原理がある。 原理を無視していくら信心篤くしてもどうにもならないことはどうにもならない。と同時に、どうにかなるものは何もせずともどうにかなる。

……いや、むしろ手を出さなければ良いようになる、というのは祖先の努力の賜であるが、そこには自ずと限界があり、それ以上を望んではいけないという一線があるが、それは別な話題とする。

王陽明曰く、「外の敵は勝ち易く、内なる敵は勝ち難し」……いくら神・仏・守護霊・祖霊が頑張ったところで、あなたが内なる敵に負け、ふて腐ったり、諦めたりすればどうにもならない。ちょっとこざかしい人は、自分はちゃっかりと敗北の備えをしながら、神様、仏様、守護霊様に霊媒様、どうぞ私をお助け下さい(でもダメで元々)……と、やる。

私はそれをずるいとは思わない。ただ、間抜けだと思うだけだ。なにしろ、物事の動きには原理がある。原理に従えば自然に結果にいたり、原理に逆らえば努力しても自ずと落ち着くところに落ち着くのだ。

私は無謀な努力を勧めたりはしない。

必要なのは信じることではない。昔ながらの迷信をいったん忘れて、なぜ信じよというのか考えてみるべきだ。――なんのことはない。いくら神・仏・守護霊・祖霊、ついでに霊媒が頑張ったところで、あなた自身が腰砕けで、いざとなれば一番先に逃げ出す算段をしているのでは、どうあっても事態を覆すことなど出来るはずもないのである。

あなたが味方につけるべきは、神・仏・守護霊・祖霊、ついでに霊媒様等ではなく、あなた自身なのである。あなたが逃げ出す準備をしながら、でも、助けてくれと祈ったところで、愚かな霊媒様ですら、無駄だと感じてしまうのだからあとは推して知るべしである。

ればそれで終わりです。鎖というのは、どれほど強い環をつなぎ合わせても、一番弱いところが切れて役を終えます。

自分を信じることと、守護する者達を信じることのどちらも大切で、どれが欠けても役には立ちません。


気がつけば、自分を救っていた

2006/04/27

2006年04月27日


 以前世話になった、某霊媒・先生から通信を頂いた。……自分の指導霊に「ここで学んだことを試すつもりで通信を送ってみよ。良い経験である」と告げられたそうだ。

・・・・・・・

『私はかつて、人々の霊障を救ってきたのだと思っていた。だが、こちらに来て気がついたのは、私は誰を救ったのでもなく、実は自分の霊障を解消していたのだということだ。……生きている内はそこが見えなかった。

『相談に乗ることが独り善がりだというのではない。ただ、相手と同じ霊障を自分も背負っているからこそ、相手を理解し、相手を癒し、相手を正して、良い未来へと繋げていけたのだ。

『自分は、救ったのではなく、救われたのである。……自分自身に。

『なまじ霊力があればこそ、自分が気づくこともなかった霊障を……微細であるが、疎かに出来ない霊障を、人の悩みを通じて自覚し、解消していったのだ。

『多くの人々が、一生の間に気がつくこともなく、解消せざるまま、死後に慌てるところを、私は、自分が人助けと信じていた行為の中で解決していたのである。

『だから後進の者に伝える。

『救いの中には自分が含まれている。……人の苦しんでいる様を見て、助けようとか、助けまいとか、下らぬ心を働かすな。他を救うために働くのではなく、自分が救われる機会であると信じて行え。

『行う前には空しく見えても、達成感で報われることもある。今は報われなくてもいずれ報われる日が来る。明日に報われないとしてもガッカリすることはない。報われる日が遠いことはそれだけ価値のある行い……誰もが出来ぬ事をしたのだから。』

・・・・・・・

……なお、通信を取り始めて三十秒ほどで意念が混濁して意味不明な文章になってしまい気がついた。他の霊界通信でも読むことだけれど、肉体に近い雰囲気の中にいると、霊達の意識が混濁するのである。こういう時には息継ぎが必要なのだ。

 というわけで、書き上げた半分を削除し、今度は息継ぎしつつ、すー、はぁ、で書き、休んでは、すー、はぁ、でまた書くを繰り返した。…… あなたももし直感が混濁したら、さらに集中するよりも一呼吸休んだ方が良いのかも知れない。


譲歩の余地無し

2006/04/26

2006年 04月 26日

「背水の陣」


孫子の兵法の内で、日本人に一番知られているのは「背水の陣」だとおもう。自ら退路を断つことによって、兵達に必死の努力を促す…… 一見、すごそうなアイデアであるが実際はどうか。あなたは、この仕事が仕上がるまで帰らせない、と命じられたら発憤するだろうか、それとも言い訳をゴネて帰る算段をするか。または、持久戦に備えて休憩を始めるか……窮鼠猫を噛むというが、退路を断たれた兵達にとって、噛み付くべき相手は、敵兵なのか、それとも自分らの上司なのか、どちらであろう? 愚劣な管理職が自己啓発書を鵜呑みにして部下の信頼を失うのは、「生兵法はけがの元」という故事を知らぬが故である。

第一、背水の陣というのは勝つための兵法というより、部下の心理操作である。普段から部下の心をしっかりと把握、理解してこそ選べる選択肢であって、実際の戦略としては、前に進めば敵、後ろに下がれば水、と自軍の動きをわざわざ制約するわけで、これらの欠点を補うだけの長所がなければ、用いることに意味がない。不退転の覚悟といえば、武士とは死ぬことと見つけたり…… 的な日本の美学に合致するかも知れないが、相手にすれば一網打尽のチャンスでもある。

何をいいたいのかといえば、背水の陣は、上手に使ってもハイリスク・ハイリターン。下手をすれば敵に利あって自分に利無き、自滅的行為ということだ。

でも、これをやる人が実に多い。

「絶対ヤダ。死んだ方がマシ!」……わざわざ死んでくれなくても、相手にしなければすむことである。

こういう芸のないセリフをいう人に、人格者がいないことは容易に思い描けるであろう……正しいから妥協しないのではなく、譲歩という美徳を発揮できない者が妥協しない……いや、出来ないのである。それは人間が排泄するのと同様に、ごく自然なことだ。


復讐の形

2006/04/25

2006年 04月 25日

 

 あまりに苦しい体験を持つ人が、いつまでもその記憶を振払えないとする。……過去に囚われるのは良くある話である。むしろ、その状況からの脱却を求めて、当サイトを訪れる人も多い。だが、設問を誤れば正しい答えに行きつけない。

 過去に囚われているのである。……囚われているのは問題だけであるのか。実はその方法論にも囚われている。

 なぜ、その時ちゃんとした行動が取れなかったのであろう? 若さゆえ? 未熟さ? 勇気の不足? 決断力の不足? 

…… 確かにそういう場合もあるだろう。だが他にも要因はあり得る。

 たとえば、その時には、こんなにも自分が苦しむことになるとは想わなかったという場合だ。それの類似要因として、「硬直して反応できなかった」、というのもよく見るが、硬直する理由を正しく理解していないことも過去に囚われる強力な原因である。

譬喩

 車を運転する人でないと、イメージするのが難しいかも知れない。たとえば他の車と接触事故を起したとする。その事故原因が、どちらかの信号無視や、ハンドル操作ミスなどであれば、たとえ感情の整理が必要であっても、これからは気をつけよう、で、ほぼ納得がいく。

 が、普通に走っていたのに、急にハンドルが回らなくなった、とか、ブレーキが効かなくなってぶつかった、としたらどうだろうか? たとえ修理が終っても、怖くてその車に乗れなくなるだろう。ましてや、修理が出来ていなければどうか。…… 事故の記憶にいつまでも囚われるのは、事故の衝撃だけでなく、車へのぬぐえぬ不信が在るからなのだ。こういう場合、たいていの人は車を買換えて、事故の衝撃と訣別するのである。

……が、車は乗り換える事が出来るが、人生はそう簡単に変えられない。

解決は霊性の欲求

 行動すべき時に行動できなかった――その体験がもたらす混乱は非常に強烈である。それも当人が理解できないほどに……人は往々、理解できないことを無理に忘れようとするからこういう逆説的なことが生じる。わざと手がかりを消しているのだから、後でやはり問題を解決しようと思い立ったときに苦労する。

 むろん、しっかりと忘れて気持をきちんと切替える事が出来るのであれば、面倒はなかっただろう。繰返し同じ過ちを犯すにしても、その都度忘れられるのであれば、ある意味人は幸せだ。それが出来ないからこそ解決を図らなければならない。いや、解決策を身につけなければならない。

 だから過去に囚われるのは、霊性から生じる欲求と見做すのがよい。つまり、人生の命題なのである。なにしろ、自身を上手に使いこなすことなくて、どうして良い人生が歩めるというか。何のための人生か、というわけだ。

 宗教的意義まで引張り出すのを大げさに思う人も多いだろうが、「嫌な事は忘れろ」的な合理的(鼻元思案的)解決が多いからこそ、問題対処能力の貧弱な、他人に頼る事多い自分を形作っているのである。当人は、その時々は必死で気がつかないだろうが、他人を頼る人は老いても頼り、頼られる人は若い頃から頼れる人物であるが、その差は、困難に対する姿勢の違いである。

 その姿勢の差が、結局は人生の善し悪しを左右する。立ち向う人よりも、逃げる人の方が背負込む苦労は少なく見えるかも知れない。だが解決した問題も少ないのである。残された課題がいつ請求されるかは来世の課題であろう。

体癖・体質

 解決策はさておいて、原因は案外容易に手の届くところにある。

 同じく、車の運転に例えると……

 交差点中で急に信号が変ったとき、急いで走り抜いてしまう人と、とっさにブレーキを踏んでしまう人がいる。交差点の真ん中で、である。

 または、荷物を持っている時に、突然驚かされたとき、荷物を投げ捨ててしまう人と、しっかり握りしめてしまう人がいる。

 これらの対処は、論理ではなく、また、性格的な問題と見なすのには無理がある。むしろ身体の特性であり、整体で「体癖」と呼ばれるものである。体癖の概念の説明を省くためには、「体質」と呼んだ方が話が早いかも知れない。

 さて、この体質を踏まえて考えてみよう。あなたは苦しい思いをしたときに、攻撃的に乗り越えるタイプの人間か、それともアルマジロのように身を守ろうとするタイプであろうか?

 攻撃的になれる人なら、苦難にあっても発散してストレスが残らない。だが、アルマジロのように身を守るタイプの人間であるなら、苦難が去っても容易にストレスが抜けていかない。過去の出来事をいつまでも引きずり、いつまでも根に持ち続けるだろう。そう、よほど特殊な事情がなければ、過去に囚われるのは、この体癖・体質の持ち主である。

処方間違い

 困難にあって身を守ろうとする体癖・体質の持ち主であるなら、復讐をあれこれと実践したところで、すんでの所…… 盛り上がった所で手が出せずに悔しい思いをし、かえってストレスを昂進させるだろう。

 頭で考えても解決しない問題に頭を悩ませるのは、つまるところ自分を正しく理解していないからだ。

内なる敵には勝ち難し。

 内なる敵としっかり話をつける前に、手のつけやすい外の敵と戦おうとするから、内と外、両方の敵に挟み撃ちに合うのである。

 では一体どうすべきか? 闘争を放棄して泣き寝入るのが一番被害が少ないかも知れない、が、それでは明日を生きるのが不安になるだろう。

 体質改善し、しっかりと戦える人間を目指すか……それも一つの手である。相当に下品な方向性ではあるが、愚者にも分りやすい方針だ。

 ちょっと歴史小説を囓っている人なら、覇道よりも徳治の道を選ぶかも知れない……なるほど、その道は迂遠ではあるが、上品でもある。 ……同時に宗教臭い話題となる。

 いずれにせよ、道は様々にあるとしても、自分に合わない、また、自分に理解できない道なら、考慮することがそもそも時間の無駄であろう。適切な選択肢と巡り会わぬのなら、とりあえず全てを忘れて遊び呆ける方が、次のチャンスを生かすのに良くもある。

それは愚痴じゃない。

2006/04/23

2006年 04月 23日


 愚痴を聞かされて喜ぶ人はいないと思う。以前聞かされた愚痴であるが、

「いつも私に愚痴をこぼしている人に、一度だけ愚痴を聞いて貰ったら、『毒気を吐いているのが見えるようだ』といわれて腹が立った。」 ……という。あなたの愚痴はちゃんと聞いてあげているのに、私の愚痴を遮るのは何たることだ! というわけだ。

 はしなくも、ここに愚痴の持つ性質が端的に表われていると思う。

  1. 愚痴は聞きたくないというのは論理ではない。
  2. 愚痴をいうのも論理ではない。
  3. 遮られるとかえってストレスが昂じる。

 愚痴は心の安全弁である。――精神的必然から愚痴が生じるのだから、愚痴は押さえない方が良いという所以である。もっとも、自分が押さえる気がなくても他人から押さえられては安全弁の存在がかえって危険をもたらしかねない。

・・・・・・・

 ところで、友人から愚痴メールが届いたが、私はまんまとそれを遮った。

 確かに、どうにもならないことは愚痴るしかないけれど、日常生活や日常業務とは直接関係ない事柄に不平不満をいうというのは、私から見て愚痴ではない。それはむしろ、言い訳を発掘しているように思える。

 念のために言うが、「言い訳を発掘している」というのは、その友人に対する非難ではなく、客観的な指摘のつもりである。

 ようするに、嫌になったのは、何か別な原因があり、その原因が認識できないから(おそらくは認めたくないから)、無意識に探し出した言い訳だと思うのだ。

 問題を正しく認識して、でも、今は忍耐するしかない事柄なら、愚痴をこぼすしかない。だが、問題を正しく認識しないまま、愚痴をこぼすのは、内在する危険因子が成長する危険がある。

 だから私は敢えて愚痴(もどき)を遮り、注意を喚起するのである。

 それは愚痴じゃない。その不満の原因をしっかりと、あきらかにすべきだ!

・・・・・・・

 では、その原因がどこにあるのか、と問われるだろうが、これは、人の数だけ答があって然るべきで、一般論で括るわけにはいかない。ただ、物事には手順があることをわきまえれば、ある程度の自己判断は可能であろう。

 一番に疑うべきは、体調である。……特に高血圧とか、糖尿病であるとか、身体に怠さをもたらす病気を疑うべきだと思う。


愚痴じゃない

2006/04/23

2006年 04月 23日


愚痴を聞かされて喜ぶ人はいないと思う。以前聞かされた愚痴であるが、

「いつも私に愚痴をこぼしている人に、一度だけ愚痴を聞いて貰ったら、『毒気を吐いているのが見えるようだ』といわれて腹が立った。」 ……という。あなたの愚痴はちゃんと聞いてあげているのに、私の愚痴を遮るのは何たることだ! というわけだ。

はしなくも、ここに愚痴の持つ性質が端的に表われていると思う。

  1. 愚痴は聞きたくないというのは論理ではない。
  2. 愚痴をいうのも論理ではない。
  3. 遮られるとかえってストレスが昂じる。

愚痴は心の安全弁である。――精神的必然から愚痴が生じるのだから、愚痴は押さえない方が良いという所以である。もっとも、自分が押さえる気がなくても他人から押さえられては安全弁の存在がかえって危険をもたらしかねない。


ところで、友人から愚痴メールが届いたが、私はまんまとそれを遮った。

確かに、どうにもならないことは愚痴るしかないけれど、日常生活や日常業務とは直接関係ない事柄に不平不満をいうというのは、私から見て愚痴ではない。それはむしろ、言い訳を発掘しているように思える。

念のために言うが、「言い訳を発掘している」というのは、その友人に対する非難ではなく、客観的な指摘のつもりである。

ようするに、嫌になったのは、何か別な原因があり、その原因が認識できないから(おそらくは認めたくないから)、無意識に探し出した言い訳だと思うのだ。

問題を正しく認識して、でも、今は忍耐するしかない事柄なら、愚痴をこぼすしかない。だが、問題を正しく認識しないまま、愚痴をこぼすのは、内在する危険因子が成長する危険がある。

だから私は敢えて愚痴(もどき)を遮り、注意を喚起するのである。

それは愚痴じゃない。その不満の原因をしっかりと、あきらかにすべきだ!


では、その原因がどこにあるのか、と問われるだろうが、これは、人の数だけ答があって然るべきで、一般論で括るわけにはいかない。ただ、物事には手順があることをわきまえれば、ある程度の自己判断は可能であろう。

一番に疑うべきは、体調である。……特に高血圧とか、糖尿病であるとか、身体に怠さをもたらす病気を疑うべきだと思う。


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