癒しを求める前に必要なこと
2006/03/222006年 03月 21日
人に、そして霊に癒しを求める人がいます。それがなんとも退廃的な心の表れであることに気が付かずに。…… 癒された先の自分はいかなる境涯に至るというのでしょう?
ありのままの自分で生きられない者が、ありのままの自分であってどうなるというのでしょう。さらには、自力で維持できないありのままの自分、助けがなければ維持できないありのままの自分とは、なんとも矛盾に富んだ理想なのでしょう。
矛盾があるから実現しないのに、矛盾を解消せずに実現させようとする。……それは傷の手当てをせずに、ただ痛み止めだけを飲むのと同じこと。これはおろかで危険な行為です。まず自分の至らぬところを正し、補ってこそ癒しが真に身に染み込むのです。
日々の疲れが、自己回復力の中にとどまるのであれば、それは日常の努力というべきことで、その果てには必ず身についていく経験が伴います。ですが、回復力を超えた疲労が続くのは、自らを損なっている過ちが積み重なっていることを恐れるべきです。
あなたは変わらなければなりません。ありのままの自分を目指すのではなく、あるべき自分を目指さなければなりません。
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「あなたは変わらなければいけない」・・・・という言葉に恐れを抱く人がいます。たとえ、傷だらけになっても、かたくなに自分を守ろうとする。好んで傷つく人はいません。ただ、夢中になって傷つくことを忘れ、思い出しては傷の痛みに涙しているのです。
かつての夢、かつての理想をあきらめきれずにいるから、このように痛々しい状況が生じます。せめて実現の可能性があるなら、たとえ傷だらけになろうとも追及するだけの価値があるかもしれません。しかし、時季を失し、挫折を自覚したことをいつまでもあきらめずにいるのは、当人は満足であっても傍目からは自傷という地獄の責め苦を受けて喘いでいるようなものです。
そのような境遇にある人は慰めを得ても癒しは得られません。同じ治療を受けても自ら傷つけている人にはただの慰めでしかないのです。そして当人はいつまでも気が付こうとしません。その慰めが苦しみを長引かせていることを。
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夢を抱くこと、理想を抱くことが悪いのではありません。ただ、人がわきまえなければならないことを忘れて夢を見、理想を抱くから苦しむのです。
この世は、あなたのものではありません。経済にも物理にも法則があって無理は利きません。そして世界は多くの人々の意識の上に成り立っているのです。共存と共栄の意識を持ち、自然の摂理に逆らわぬように生きなければ、人は争って傷つきます。
この「争い」とは暴力に限りません。ただあなたが怠惰であるだけでも、努力して夢を実現していく人々を見て、置いて行かれるあなたは傷つき、涙を止めることが出来ぬでしょう。
にこやかな笑顔を見るだけでも、心中に葛藤を抱えている人は傷つかずにいられません。
「どうしたらそんな安心の境地が得られるのだろうか、私も笑顔で過ごしたい、偽の笑顔を浮かべるのはもうたくさんだ!」
……相手もまた作り笑顔の毎日にうんざりしているとしても。
世界は多くの人々の意識の上に成り立っているのです。豊かになりたければ、人もともに豊かにあるように努力し、優しさを求めるなら、ひとも優しさを得られるように努力することが大切です。・・・・それが難しく思えるのは、摂理としての困難なのではなく、惜しみ、ねたみ、貪る意識を、自分の心として捨てずにいるからなのです。自分を苦しめる心を自分のものだと大切にするなんて、悪霊の憑依を肯定するようなナンセンスな話です。
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太陽は西から昇らず、無から有は生じず、過ぎた事をやり直すことも出来ません。その自然の摂理を曲げようとしても報われないがゆえに人は傷つきます。
自然の摂理に行く手を阻まれ、涙を流す人が不幸であるのは、夢が叶わぬからではなく、不自然な夢に憑かれていることなのです。それは苦しむべくして苦しみ、諦める悲しみと、諦めない苦しみのどちらも選べずにいる人だからです。